★21 久しぶりの体験

 紅恋くれんは、二人のぽんぽん飛び交う会話のスピードに驚いていた。

 こんなに会話って速かったのかしら。

 今までしてきた黒衣こくいとの会話はゆっくりとしたものだったので、二人の会話は紅恋には息つく間もないんじゃないかと思えた。しかし、速いテンポは耳に心地よく、ジョークを交えて放たれる内容は面白い。

 ずっと歳の近い子供と話したことは今までほとんど、いや、全く無かったといってもいい生活を送ってきたが、そうか、こういう雰囲気もそれほど嫌ではないかもしれない。と紅恋はそう思った。

 その時、唐突にあの翼を持っていた少年――二人の言葉から考えると、どうやら龍巳たつみというらしい――が話しかけてきた。紅恋はてっきり彼は生きていないものとばかり思っていたので、外に出てぴんぴんしているのを見たときは飛び上がって驚き、外に出たのにもう一度扉に飛び込んでしまったほどだ。

 彼はあたしが傷つけたことを覚えていないのだろうか。いや、そんなはずは無い。しかし紅恋には彼はそんなことなどぜんぜん気にしていない様子に見える。

 紅恋はそれが不思議でしかたなかった。その後、組織に行くために洸が腕時計のボタンを押して、頭を引かれるような奇妙な感覚を味わうと、そこは小ぢんまりとした部屋だった。

 どうしてもずっと天井の高い部屋に住んでいたので、紅恋には少し天井が低いのが窮屈に感じた。洸は必要最低限の物しか置かないのだろうか。部屋はよく言えばすっきりと、悪く言えばなんとなくがらんとしている。

 彼女は興味を引かれて、洸が自分と龍巳に向かって話すのを、部屋を眺めながら聞き、そして黙って行って来るという言葉に頷いた。

 部屋に彼と二人になる。

「ねぇ」

 紅恋は勇気を出して話しかけた。

「ん、何?」

「あの、その傷……あたしがやったんでしょ?」

 龍巳の体にある包帯や絆創膏を指差した。

「ああ、ん。まーね」

「あの……ごめんなさい」

「いやー、別にいいよ。こんなんすぐ治るって」

「怒ってないの?」

「へ? あ、まあね。だってさぁ、あんた……あ、あんたはなんか嫌だよな。どーしよ。紅恋でいい? 俺、君とかあなたとか苦手なんだ」

「いいけど……」

「あんがと。紅恋明らかに様子がおかしかったし。あん時混乱してたっぽかったし。それじゃなあ」

 だってあんなことあった後だしさーと、彼は腕を組んで頷いた。

「怪我なんてしょっちゅうさ。いつものこと。俺ら、荒事専門なんだー。だからさ。そんな気にしなくていいから」

 そう言って彼は笑った。

 紅恋は驚いた。ぜんぜん気にしていないんだ。あたしがわざとやったんじゃないってことを分かってくれてる。平気なんだ。紅恋は感動した。彼は、随分心が広い。

 そして、失礼かもと思いつつ、心の中でこっそりと「見かけによらず」と付け足した。

「つーかさ、なんで似てんだろね。紅恋とひーちゃん」

「それはあたしにも……」

「いや、似てるっつっても、全然似てないんだよなー。最初は双子かと思ったけど、やっぱ見た目もよくみりゃ結構違うし、あ、色とか髪型じゃなくってさぁ。こー、なんての。目の光? とか、何より性格とか雰囲気とかさ。うん。ほんと別人」

「そう?」

「うん。似てない似てない」

 龍巳は手を顔の前でひらひらと振った。

「そっくりなのにこー言うっておかしいかもしんないけどさぁ。タイプ? が違うんだよね。なんか、紅恋は静かで、ひーちゃんはこー、騒がしい……ではないよなぁ。心が熱いってか、うーん気性が激しいっていうか。あ、やべ。これ、言わないでね。まぁ、俺は紅恋よりかひーちゃんの方がいいけどー……って」

 彼の顔はなぜか、かーっと赤くなった。

 口を手で押さえて下を向く。紅恋はぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「俺、今微妙に凄いこと言ったよね?」

「好きなの?」

 紅恋は首を傾げて聞いた。

「ふえ!?」

「だから、洸のこと」

「え~え~。あ~、その~」

 紅恋は笑った。うろたえる龍巳は見ていて面白い。それに、なんとなく彼が少し近く思えたからだ。

「そうなんだ」

「あ! その! えぇっと」

「別に、いいんじゃないの?」

「いや、そーいうんじゃなくって……」

 龍巳は頬を掻きながらあっちを見たりこっちを見たりして、あーとかうーとか言っていたが、紅恋のほうを見ると、両手を顔の前で合わせた。

「……黙っててな? 俺、まだなんかよくわかんねーし」

「うん。分かった」

 紅恋は笑って承諾した。

「んだかなぁ、わけわからん」

 まだ何かぶつぶつと言っていた。その時、扉がノックされた。

 龍巳はげっと心の中で叫び、紅恋は体を強張らせた。

 二人は固まった。今この場所には紅恋が居る。扉を開けたら十中八九見つかってしまう。龍巳は手を動かして、隠れろと示す。紅恋はさっと立ち上がって隠れ場所を探した。

 どこがいいだろう。

 焦りつつ辺りをすばやく見回し、バスルームの扉をその目の端に捕らえると彼女はさっと中へ飛び込んだ。

 龍巳はそれを確認すると、ドアに手を掛けた。

「はいはい。どうぞ……」

 目の前に黒い物を突きつけられる。

「う?」

 龍巳は動きを止めた。

 彼の脳はこの物体の情報を探した。

 これは、あのドラマやマンガによく出てくる凶器で、引き金を引くとこう、バーンっとかドギュゥンとか言って弾が出る代物で……そんでもってこんな顔の前で撃たれたら多分確実に死んじまうだろう物で……

 冷や汗が背中を伝った。それこそ、漫画みたいに。

「……なんの真似っすかー?」

「ごめんなさいね」

 引きつった笑顔を作り、彼は自分にピストルを突きつけている女性に笑いかけた。

 彼女はにっこりと答えて笑い返した。

 長いストレートの黒髪がゆったりと背中に広がっている。すらりとした体格で、女性としては背が高い。龍巳の頭は彼女の目の所あたりになるだろう。

 彼女が聞いた。

「あの子はどこかしら?」

「ひーちゃんならー、今は出かけてますけどぉ」

「そうじゃないわ」

 彼女は首を振った。その度にさらさらと髪が流れる。

「私が言っているのは、あの日、助けてあげようとした私たちに酷いことをした子―――あの、紅い髪の子よ」

 龍巳は洸の話を思い出した。

 そして目の前の人物が誰かを察し、目を見開いた。

「へぇ、そうですか」

「そうなの。あの子も一緒に連れて来いという命令だから」

 だから、教えてくれる? と彼女は笑顔を作った。

 龍巳は一歩退いて、紅恋の隠れているバスルームのほうを振り返った。

 そして、一歩進む。

 彼女も一歩部屋に入る。

 その時、ばっとしゃがみこみ、龍巳は女性に足払いをかけた。しかし彼の足は空を切る。すぐに立ち上がり、体を翻す勢いに乗せて蹴りを放つ。

「素質はあるのよね」

 しかし、彼女の声は後ろから聞こえる。

 銃口が龍巳の後頭部に押し付けられる。

「けれど、絶対に私たちに勝つことは出来ない。なぜなら、そこまでのトレーニングはけして積ませないようにしているから」

 冷ややかな声でそう告げる。

 龍巳は振り返らずに言い返した。

「……へぇ。ほんじゃ、強くなっちまった人はいないんすか?」

「ええ、居てもすぐに消すもの。一人だけなら、何人かで掛かればすぐに倒せるわ」

「ほー。随分ひでーことやってんですね」

「お褒めの言葉をありがとう。それじゃ、あの子はどこ?」

「うーん、駄目なんだ。守れって言われてんだよなぁ」

「あら、でもあなたが死んでしまったら、その約束は果たせないんじゃない?」

「あ、ほらでも、おねーさんは俺のことも連れて来いって言われてんだから、殺っちゃうのはまずいでしょ?」

「お姉さんとは嬉しいわね。けど、そんな心配は必要ないわよ。私は主に許可を得ているから、これを持つ事が出来るの」

 彼女はこれ、と言いながらさっきより力を込めて、龍巳の頭に銃口を押し付けた。

「さぁ、くだらないお喋りはおしまいにしましょう。あの子はどこ?」

「すんませーん。おれやっぱ、死んだとしても約束破るのはやだわ。だから、言わない」

「ああ、そう」

 激しい音が空気を揺らした。

 少しのためらいも無く引き金が引かれ、龍巳の体が力を失って倒れる。細い腕で彼の体を支えると、彼女はバスルームに向かって呼びかけた。

「出てらっしゃい。これ以上は待てないわ」

 静かに扉が開いた。

 その中から、紅恋が青い顔をして現れる。

 彼女は今までの会話を一言残らず耳にしていた。

「手荒なことはしたくないの。そうね。大人しくしていたら、最後にあなたの大切な人に会わせてあげてもいいわよ」

 驚いた紅恋に彼女はゆっくりと微笑む。

「行きましょ。大丈夫、長く苦しめたりはしないから」

 青い顔をしたままの紅恋の背に、彼女は空いているほうの手を回した。

 紅恋はなすがままになっていた。

 どうしよう。

 彼女は恐怖に震えながら、祈った。

 早く、早く来て。

(お願い、洸)


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