★20 涙

 何が起こっているのか分からなかった。

 じんわりと頬に痛みが広がる。そこを手で押さえ、少女を見つめる。彼女の手からは剣が消え、あたしの頬を張り飛ばした手が、その形のまま空に浮いている。彼女は泣いている。

 何故?

 ……あたしの、ために?

 そのまま怒鳴られた、懐かしい言葉で。けれど、何故彼女が怒っているのかはわからなかった。

 だって、あなたは、あたしを憎んでいたのでしょう?

 あなたの両親を殺した、あたしを、恨んでいたのでしょう?

「死んでどうするの?」

 怒りを込めて、問われた。その時、悲しみがこみ上げてきた。なんであなたはあたしを死なせてくれないの?

 これ以上、辛い思いなんてしたくないのに。

 答えは口をついて出た。

 そして、彼女からの言葉は、きついものだった。

「あなたは、あなたが死んだことで悲しむ人のことを考えたことが無いの?」

 それは紅恋くれんの心に突き刺さった。どっと涙が流れ落ちる。

 口では正反対の言葉を言う。

 しかし、本当はそんな事ないと分かっていた。きっと、何らかの理由があるのだろう。そう思っていたけれど、思っているとそれは嘘ではないかという不安が募る。

 彼の身の安全を心配するより、約束を破ったなんていうくだらないことで傷ついて。

 そんなことでどうするの?

 だから、涙が零れる。泣き続ける。悲しい、悲しい。その時、彼女が、声を掛けてくれた。自分だけでなく、そうやって自分以外の人が否定してくれることが嬉しかった。

 そうすれば、少し、信用することが出来る。それを信じることが出来る。

 その時、彼女の手が紅恋の背に触れた。


 触れたのだ。

 いけない! また……

 紅恋はぞっとして顔を上げた。

 しかし、何も起こらない。

 母親がするように、自分の背中を撫でてくれている。

 平気なのだ。彼女も。

 彼女の言葉のひとつひとつが、乾いた地面に染み込む水のように、一つも余らずに染み込んでいく。気が付くと、彼女に自分の体を投げ出し、紅恋は、声をあげて泣いていた。

 謝った。心の底からの謝罪だった。何かが変わるとは思えなかった。死者をよみがえらせることはできないのだから。しかし、紅恋にできることはそれしかなかった。

 それからしばらく、二人でずっと泣いていた。それは悲嘆にくれるというより、押し込められていた悲しみが解放され溢れたかのようだった。

 その時、一つの言葉が耳に飛び込んできた。

「一緒に行こう」

 思わず涙が止まった。

 イマナンテイッタノ?

「あたしが探してあげる」

 あなたの支えを取り戻してあげる。

 嘘みたいだ。紅恋は、しばし空白の中にいた。

 なんで、こんなに優しくしてくれるの?

 なんで、あたしに、優しくしてくれるの?

 目に映る、美しい青。

 前に見たときも美しいと思った。けれど、今見ている彼女の青は、前よりももっと、もっともっと美しく見えた。あたしのために涙を流してくれて、その涙で濡れて光る、澄んだ、青い目。

 海よりも深く、空よりも広く、光る青。

 優しく、細められた目。唇が開かれた。

「一緒に行こう。ねっ」

 紅恋は、その言葉に頷いていた。

「……うんっ」

 そして、顔が自然に笑みの形になった。

 ありがとう。

 あたしは、神様にお礼を言わなければならない。

 それとも、運命にだろうか?

 ありがとう。

 彼女と出会わせてくれて、――――ありがとう。


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