☆14 追う竜
なんて速さだ。
「ひーちゃん、大丈夫かな……」
彼は下をまるで飛ぶように走る少女を追いながら、少し眉を寄せて呟いた。本当は離れたくなかった。あんなにも、壊れそうな彼女を見たのは初めてだったから。
悲痛に叫んだ言葉。苦しそうに歪められた顔。
涙こそ流さなかったものの、彼には
見たくなかった。
あの日、屋上でいつも遠くから見ていた彼女の悲しげな顔を見た時、胸を締め付けられるような感覚を覚えてから、そんな顔させたくないと思った。その時、いつもは毅然とした顔の仮面を被っていたのだと分かった。
それなら、自分が外してやろう。
何故そう思うのかは分からなかった。出会ってから、彼女が笑っているのを見ると仮面が一枚一枚壊れていくのを感じるようなそんな気がした。
だから、自分も楽しかった。あの笑顔を保ってやりたい。
いまだに、どうしてそう思うのか理由は分からない。
ただ、思う。
それなら、素直に実行しようと思うんだ。
龍巳は頭を振って現実に戻ってくると、下を走る少女に目を戻した。真っ赤な髪が嫌でも目を引き付ける。
まったく、何て速さだ。本人が自覚しているかどうかは分からないが、少女は常人離れした速度で走っていた。
龍巳は戦闘経験が少ないので、今のスピードでさえ飛行訓練のときにしか体験していなかった。しかし、本気を出せば自分がかなりの速度が出せることを訓練で知っていたので、自分が追いつけないわけがないと、その点では心配はしていなかった。
だんだんと中心地から外れ、町の外れの方の大きな邸に少女は飛び込んだ。龍巳は、少女が入っていった、ライオンのノッカーがついた大きな扉の前にばさりと降り立った。
固く閉じられた扉を見上げながら翼をたたむ。
「入ったほうがいいかな……」
彼はしばし悩んだが、意を決すると扉を引き、開いた隙間に滑り込んだ。
人気が無く、広々として、がらんどうな気さえする広間の真ん中に、床に直に少女は俯いて座りこんでいた。
龍巳はそろそろと少女に少し近づいて、間隔を取りながら声を掛けた。
「なぁ……」
すると、少女は弾かれたように顔を上げて龍巳を見た。
怯きった顔をしていて、次々と涙をこぼしている。おまけに震えていた。
「や……いやっ!」
紅恋は叫んで濡れた目で龍巳を見た。
「あなたもあの子の仲間なんでしょう!?」
「あ、いや、そうだけど……」
「来ないで!」
紅恋は庇うように手で自分の頭を抱えた。龍巳は心細さを感じながら少し近づいた。
「なぁ、ちょっと来てさ、話しないか?」
「来ないでっ!」
余りの頑なさに、少々むっとした。こんなに気を使ってやっているのに。また距離を詰める。
「話そうって言ってるだけじゃないか」
「や……や……」
紅恋は青い顔をしていたが、また、ぎゅっと目を瞑って頭を抱えると涙を流しながら叫んだ。
「やぁあああああああああああああああああ!」
風を切る音がして、咄嗟に龍巳は硬くした翼で身体を包みこんだ。本能的な動きだった。鋭い物が、彼の翼に傷をつける。いくら頑丈な翼でも、翼は刃物に耐えられるほど強くは無い。
痛みが走って、血が滲む。
「っ……」
顔を歪めた。これほど痛い目に合うとは思わなかった。
紅恋は床にうずくまって身動きをしない。
おそらく、実際の刃物ではない。かまいたち……真空の刃だ。彼女の能力は、多分風使いか何かなのだろう。痛みに耐えながら観察していると、唐突に彼女はゆらりと立ち上がった。
瞳の色が変わっている。紅い色が暗い。
鳥肌が立つのを感じた。明らかにこの少女はさっきと何か違う。強烈に瞳が光り、紅恋は右手の掌を大きく広げ、こちらに向かって突き出した。
衝撃と共に龍巳は軽々と吹き飛ばされ、扉の横の壁に叩きつけられた。
「く、あっ!」
紅恋は今いるところから一歩前に足を踏み出し、息を吐いて壁からずるりと落ちた彼を見下ろしていた。
「馬鹿ね……たった一人で乗り込んでくるなんて」
声も低く冷淡になっていた。ある意味では少女らしく、激しく取り乱していた姿は影も形もない。嘲笑を浮かべて、紅恋は床にしゃがんで龍巳を見つめた。
「……生憎……「馬鹿」は言われなれてるんで、ね」
龍巳は寝転がったままで、見下ろす目を見返し、途切れがちに言った。
「あなた、運がいいわよ。あたしがカマイタチを出して生きてる奴は、あなたが初めてなんだから」
朦朧とする意識の中で、彼は精一杯反論したつもりだったが、口がぱくぱくと動くだけで声は出なかった。
マンガやゲームとは違うもんだな。目の前のことは画面の中でも時々ある。窮地に陥るシーンは同じだが、こうも酷い痛みで、気分が悪いとは思わなかった。緊張感が張り詰めているのなんて、当事者にならなければわからない。ぼんやりと、目の前の紅恋の姿が歪む。血の味がする唾を呑み込んだ。
「ま、あたしが手加減してあげたんだけど」
彼女は龍巳を見下ろして笑った。自分の胸に手を当てて、その手を見下ろして言う。
「この子は、これ以上殺したら壊れちゃうの。だから、もう殺せないのよ。それに、この子も……可哀想だしね」
彼女は、ふと少し悲しげな表情を出して続けた。
「あたしは消えつつあるのよ。元々この子を守るために生まれたようなものだから。これ以上受けたら死んでしまうと言う危険信号から、生まれたのだから……」
彼女は龍巳の髪を掴んで頭を引き上げ、目線を合わせた。
意識は痛みとショックでもうほとんど無いような状態で、龍巳はなすがままになっていた。
「こんなんじゃ、今の話は覚えちゃいないでしょうね。ま、いいわ。あたしに……あたしたちにもう手は出さないで。次会った時は、問答無用で殺すわよ」
彼女はそう言うと、服を掴んで、気絶した龍巳を扉の外に引きずり出した。
「ま、「せめて、夢の中ではいい夢を」」
見られるわけないでしょうけど、と彼女は言うと、龍巳を扉の外に出したまま扉を閉じた。外はいつの間にか霧のような細かい雨が降っていた。雨はゆっくりと彼の身体を湿らせていった。
冷たいけれど、その冷たさが、今は痛みで熱を持った体に心地いい。
ごめん。
俺、なんもできなかった。
ごめんな。
彼女を思い浮かべながら、龍巳は霞む目を閉じた。
静かに、ひたすら静かに雨が降っていた。
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