★11 一度別れて
足取りは弾むようだった。首には、金属の輝き。
「ありがとう、
にこにこと、彼女はさっきからずっとそればかりを繰り返している。
「嬉しいなぁ。幸せだなー」
「そりゃあよかった」
黒衣は微笑みながら、左手を持ち上げると時計を見た。
針は七時を差している。辺りも、もう大分薄暗い。
「紅恋、悪いんだけど、俺はそろそろ約束に行かないといけない……」
「あっ! そ、そっか」
彼女の足は弾むのを止めた。
「忘れていたっけ……」
「紅恋、本当に悪いな」
「あっ、ううん。大丈夫!」
「一人で帰れるか? 少し心配だけどな」
「大丈夫だって! ちゃんと覚えてるし、明かりのある所しか通らないから。お祭りだし、遅くまで明るいと思うよ」
「ああ、それなら大丈夫だな」
黒衣は少し安心して頷いた。
「じゃあ、あたしちょっとお店見ながら帰ることにするね。待ってるから、早く帰ってきてね!」
「……わかってるよ」
紅恋はバイバイと手を振ると、邸の方に歩いて行った。
彼は広場に向かって歩き出した。さきほどより速い足取りで。さっさと済ませてしまおう。紅恋が待っている。
『風切羽』はすぐに見つかった。毒々しい黄色の鳥が、両翼を大きく広げていて、その翼の間に『風切羽』と書かれていたからだ。
「あら、時間ぴったりね」
その声に彼が振り返ると、外にあるテーブルの一つに若い女性が腰掛けていた。
「座りなさいよ」
黒衣は何も言わずに、女性の向かいにある木で出来た椅子を引いた。
二十代後半と見える女性。ウェーブのかかった豊かな黒髪をたらしていて、テーブルの上に重ねて置かれた手には、真っ赤なマニキュアが塗ってあった。オレンジ色の街の光を反射しててらりと輝くその色が、やけに目を引く。紅恋の紅に比べたら、なんてどぎつく汚い色なのだろう。
彼女の瞳は傍目には魅力的に見えるが、黒衣はその目の奥に動物を狩る狩人のような、獲物を見つけた肉食獣のような光を見た。
「そんな怖い顔しなくたって良いじゃない」
彼女は肩をすくめた。
「俺がどんな顔をしていようと勝手だろう」
紅恋と話している時には考えられない、冷え切った声で彼は答えた。
「ま、いいわ。はじめまして。ベリンダ・ブルーバードよ」
B・Bは手を差し出したが、黒衣は腕を組んだまま手を出さなかった。
彼女はそれを見ると、諦めたかのように手を戻した。
「冷たいわね」
「それはどうも」
「挨拶は無いの?」
「どうせそっちは俺のことなど調べ済みだろ」
「それはそうだけれど」
B・Bは悲しそうに言った。
「いいじゃないの、それくらい。初めて会った者同士、仲良くしましょうよ」
「組織は敵だ。俺だって組織に終われる身なんだぞ」
「威張ることじゃないわよ」
「威張ってなんかいない」
「じゃあ、それはあなたの性分かしらね」
しばし言葉は途切れ、B・Bはメニューを取った。
「あなた何か頼む? 食べたり飲んだりはできるんでしょ」
「必要ない」
「あら、そう?」
じゃあ私だけ悪いけど、と彼女はワインを頼んだ。
「仕事中じゃないのか」
「気になる? いいのよ、お祭りなんだし」
「こっちはさっさとお前とのくだらない話を終わらせて帰りたいんだ。用件だけ言え」
彼女はため息をついた。
「せっかちね。私と居るより、あの赤い髪の子と居るほうがいいの?」
「そうに決まっているだろ」
「あらまぁ、凄い入れ込みよう。あの子に首ったけって感じよ。お父上があなたの事を心配していたのが分かるわね。何百年と生きてきた神の一族が、あんなすぐに死んでしまう人間の小娘に何故……ってね」
「父のことは関係ない」
黒衣は怒りを感じながら強く言った。
しかし、B・Bは下から覗き込むように彼の顔を見て、続けた。獣の目を、黒衣の黒い目から外さずに。
「死の神の若君。あなた、自分が次の死の神の王になると言う事を自覚しているの?」
「俺はそんなものになる気はさらさら無い」
「そうは言っても、あなたはれっきとした跡取り息子じゃない。王子様」
王子様。その単語をB・Bは声に笑いを含めて、からかうように言った。
「そんな風に呼ぶな!」
彼はその怒りを隠しもせずに怒鳴った。
「俺は父と父の見初めた人間の母との間の子だ。混血の俺は、どうせ神になんかなれないのさ。お前らだって知っているだろ」
「あら、そんな事関係ないわよ。あなたのお母さんは元々能力を持つ巫女だったもの。普通の人間じゃないし、力を持っているあなたですものできるわよ」
「やれるにしろやれないにしろ、俺にはやる気は無い。人の命を奪う者の王なんざまっぴらだ」
「必要な仕事なのよ」
「嫌だと言ったら嫌だ。どう生きるかは自分で決める」
B・Bは癇癪を起こした子供に苦労する親のように頭を振った。
「全く……何て子になったのかしら。やっぱり巫女とはいえ、母親が人間だからかしらね。あなたのお父さんは考え無しだったわ」
黒衣は怒りの滲んだ低い声で言った。
「……いくら腹の立つ親だとしても、他人に馬鹿にされるいわれはない」
「馬鹿なのはあなたよ」
彼女は細い指で黒衣を示した。
「初めての仕事で魂を取るはずだった少女を哀れんで助けて……あの子は親からの仕打ちによる栄養失調や極度の打撲で弱っていて、あの日死ぬはずだった。あの子が力を持っていて、その力が大勢の人を殺めてしまうことが分かっていたから、速めに処分する必要があったのに、あなたがあの子を助けたせいで記録は書き換えられてしまった。死を招く存在が生を与えてどうするのよ」
「関係ないと言っているだろ!」
黒衣は激しくテーブルに拳を叩きつけ、立ち上がった。
「もう用はない。俺は帰る!」
「座って頂戴。話が出来ないわ」
「聞く気などしない。もうたくさんだ!」
「駄目。座りなさい」
B・Bは瞳を彼のそれに合わせた。黒衣は抗おうとしたが身体が言う事を聞かず、元のように椅子に座ってしまう。
「……くそっ。催眠術師か!」
「あなたは私に逆らう事はできないのよ」
彼女の笑みは、もう一人の紅恋と同じ種の物だった。
「なんだって言うんだ!」
「これはちゃんとした情報よ。あの、青い髪の女の子の事」
黒衣は歯噛みして黙った。そんな事もうどうでもよかったが、彼女の目の力には逆らえない。
「赤の子は、青の子の両親を殺しているわ。あの、七年前の時にね。彼女は両親に愛を注がれて育ったから、赤の子の事を憎んでいる。殺したいと思っているはず。だから、私は上手く彼女を動かして、青の子に敵である赤の子を殺させてあげるのよ」
「そんな事……!」
「黙ってなさい」
ピシャリと言うと、彼の喉からは声が出なくなった。黒衣はまた歯噛みした。
(ちくしょう!)
「あの子の憎しみを利用して、間違いを正すの。生きていてはいけない子は、時が過ぎても生きていてはいけないのよ。それに」
B・Bは低い声で笑った。手に取ったグラスの中の液体を回す。暗赤色の液体だ。光の当たり具合によっては、血液の色にも見えた。
「親に愛されなかった子が、親に愛された子に、親を奪われた悲しみで復讐される……その、設定も素敵じゃない?」
「なんてこと……この外道め!」
黒衣はどうにか声を絞り出し、精一杯怒鳴りつけた。
しかしB・Bは腹が立つほど冷静だ。
「役目を果たせなかった人にそんな事言われたくないわ」
「お前は分かっているのか!? 人を殺すと言う事、命を奪うことの重さを!」
「わかっているつもりよ」
「紅恋は……紅恋は、ずっと悲しんでいるんだぞ! それは力を悲しんでいるんじゃない。自分が人の命を奪ってしまったことを悲しんでいるんだ! 時は二度と巻き戻せない。犯してしまった事の大きさを彼女は知っている!」
猛烈な怒りと共に、体中の血液がたぎるのを感じた。言葉が次々に口から飛び出していく。
「お前たちは……」
「うるさいわ。いい加減にしなさい」
「お前たちは悲しむ子を増やすつもりなのか! 紅恋の悲しみを、他の子にも味わわせるなんて」
「うるさいのよ」
その時、B・Bの目が強く光った。その光を自分の目が受け止めたとたん、身体を締め上げられるような感覚が黒衣を襲った。息が詰まる。
「っぐ……!」
「黙ってればいいのに、うるさいわね……元はといえば、あなたがきちんと仕事をしてさえいればよかったのよ。正しい世界を作るのに、そうやって綺麗事ばかり並べ立てて、偉そうに説教を垂れるあなたのような存在が間違っているのよね。知らなければよかったのに……歳の若い子たち、正義を貫きたがる馬鹿な人たちには、犯罪者はただ捕らえるようにだけ言ってあるし、全くそんな事考えずに平凡に生活を送ることも出来る。けれど、正すためには、私は何人だって殺すつもりよ。世界を変えるような大きなことをするためには、犠牲はつき物なの」
B・Bは黒衣の顔に自分の顔を近づけた。
「冥土の土産に私たちの最終的な目標を教えてあげるわ。あなたはどうせ、他の犯罪者のように自分の意識を全て忘れさせて、操り人形になる運命なのだもの。私たちは、力を持たない無能な人間ども、力を持っていても馬鹿な奴らを正してあげるのよ。今はまだ、人間までは手が回らないけど、組織を起こして、力を持つものたちは着々と洗脳している……力を持たない人間は、力を持った者たちの軍勢の前には無力なのよ。じきに、世界は完成される。私と、選ばれたわずかな人たちはその上に君臨するの……さあ、眠って。次に目覚めたときは、あなたは私の思うまま……」
B・Bは妖艶に微笑むと、彼の目を見つめた。
目を背けられなかった。ぎらぎらと光る獣のような漆黒がどんどんと大きくなる。
ふと、長い紅い髪が見えた気がした。
紅恋!
彼は意識を手放した。
*
そのころ、紅恋は色々な小物の出店を眺めながら、帰路についていた。キラキラする宝石のついた小箱、幾つも並べられているお洒落なリング、所々にある木の枝に掛けられたペンダントや腕輪。皆、目を引くものばかりだ。
「楽しいなぁ……雑貨屋のおじさんにお礼しなくちゃ。そうだ!」
独り言を言いながら歩いていた紅恋は、色とりどりの花が並べられた花屋の前を通りかかると、ふと思いついたように手を打ち鳴らした。
「おじさんに会いに行こう! チケットのお礼にお花でも買って……」
喜んでくれるかなぁ?
彼女はにこにこと幸せそうに笑いながら、店の奥に向かって呼びかけた。
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