☆8 開始

 余計な事は考えない。

 目はその目にした物事をただそのままにそれとして頭に伝え、映像を捉えた頭はすぐさま体に命令を出す。体を全部明け渡すのだ。戦闘の、思考に。

 無駄な時間が命取りだ。 

 右から、迫る銀色の影。膝を折り腰を落として回避。すべるように上半身を前に出し、相手の懐に入る。相手が飛び退って避けようとするのを察知する――もう遅い。

 そう簡単に逃がすとでも思っているのだろうか。

 ぐっとつま先に力を込める。体重を上半身へ。体を前へと押し出した。

「……………はあぁっ!」

 声と同時に構えていた右手を突き出し、相手のみぞおちに突き刺すように――体ごと突っ込む。

 ビーッ!

 音が鳴り響き、そして、訓練用のロボットが、重い音を立てて床に伏した。

 その間、数秒。

「ふぅっ」

「よし、そこまで」

 ひかりは、垂れてきた汗を拳で拭った。

 その後、チーフに注意点を聞き、一通り実践をした。よって、洸がトレーニングブース、体術コースの部屋から出てきたのは、みっちりと時間ぎりぎりまで訓練をし終えてからだった。

「よーし、これで今日は終わりーっ」

 大きく伸びをして、肩や首を回す。

 訓練を始めてから、もう三ヶ月が経っていた。


 洸は目覚しい進歩を遂げていた。三ヶ月前は、全く能力について何も知らなかったのに、今は驚くほど、自分の能力、そして体を使いこなしていた。能力についての勉強が、思いのほか面白かったこともある。しかし、普段の生活で、どれだけ体を使っていないものなのかが身にしみて分かった。訓練にも慣れ、身体につけた錘の重さも、もう二十キロを越えている。

 長いと思えた時間を乗り越えて、洸は、確かな力をつけていた。

「疲れたー」

「洸さーん」

 呼びかけられて声の主を追うと、端のベンチに腰掛けて、スーが手を振っていた。

 洸も手を振りかえして、そちらに歩き出した。

「今日はどうだった?あたしと同じ、体術だったよね」

「まぁ、それなり……ですよ」

 体術は苦手なんですよね、とスーは苦笑をこぼす。

 それを見つつ、洸はすっかり慣れた動作で自動販売機にカードを差込んだ。ボタンを押して、落ちてきたスポーツドリンクの缶を取り出す。缶は冷たく、運動の後で熱くなった手のひらには気持ちよかった。

「洸さん、すごいですよね。まだたった三ヶ月しか経っていないのに、もうそんなに力を使えるなんて」

「そう? でもまだ、やっとって感じだよ。スーたちとどうにか同じレベルまで来たかな、ってくらい」

「そんな、ものすごい速さなんですよ。私たちはこれでも、何年も前からここにいるんです。本格的な訓練を始めたのは洸さんが来てからですけど、やっぱりすごいですよ。何しろ、基本中の基本から、今のところまで三ヶ月できちゃったんですから」

 尊敬しちゃいますとスーは微笑む。

「そんなもんなのかな……」

 洸は照れた顔を隠すように首をひねって、缶のプルタブを引いた。かぽしゅと音が立ち、空いた飲み口に口をつけて、洸はスーの隣に腰掛け喉を潤す。

「おおいひーちゃーん!」

 元気のいいでかい声に、顔をしかめた。

 龍己たつみがぶんぶんと手を振って、まっしぐらにこっちに駆け寄ってくる。この三ヶ月の間に龍巳は誕生日を迎え、十四歳になっていた。なんとなく体が大きくなったような気がしないでもないが、内面には果たして変化があるのかどうか。

「おつかれ!」

「おー」

 ひらっと手を上げると、龍巳は相変わらずの笑顔で洸と手を叩き合わせた。洸の龍己への接し方は、もう諦めたのか単に慣れたのか、だいぶ柔らかくなってきていた。

 続くように、聡貴、デリストも集まった。何か用事でもない限り、いつからか自然と、全員がそろうまで待つことになっていた。

「あーかったりぃ。やっぱ俺、勉強嫌いだわ」

 デリストが肩をまわすと、ごきごきと盛大に音が鳴った。大きな拳の激突を避けて、聡貴が一歩横へずれる。

「でも、必要だろう。知識は宝だと言うじゃないか」

「適材適所、とも言うだろ。勉強はお前みたいなのに任せるよ」

「そうは言ってもだな、やはりある程度の知識は所持していないと――――」

「あらら、待たせちゃった?」

 今日はリタが最後だった。それじゃ行きましょ、とのリタの声に合わせて、そうだねと相槌を打つ。勢いをつけて立ち上がり、洸は、ぽいっと無造作に缶を投げた。

 缶が飛ぶ。水色の軌跡がトレーニングルームを横断し、向こう側のダストシュートに吸い込まれるように見事納まって、耳に心地いい音を響かせた。

「よっし、入った」

「ひーちゃんナイッシュー」

 腕をあげたね、と龍巳は手を叩いた。当然と洸は頷く。

 チームの面々はホールを出るべく歩き出した。

「にしてもさー、いい加減、B・Bも俺ら使ってくれてもいんじゃねーのー? って感じなんだけど。みんなもそー思わん?」

 龍巳がふとそう漏らすと、同意を求めてチームメイトを振り返った。みんなは一時黙り考えたが、心の中に抱いている結論は同じもののようだった。

「そう、だよな………もうそろそろ、簡単な任務くらいならできるだろ」

「そうかな。僕たちが就くのは、組織の中でもハイレベルな仕事だし……」

「そうね」

 リタは腕を組み、片手をあごに当てて思案しているようだった。数秒、経っただろうか。伏せていた目を上げた。その唇に、小さな笑みが乗っている。

「……そうね、そろそろ……ころあいみたいよ」

 軽く向こうを指差した。こつこつと、急ぎ足の足音。ヒールの立てる硬い音。B・Bが、早足で寄ってきていた。

 彼女の顔にはいつもの笑顔とは違う、引き締まった表情が現れている。

「みんな!」

「どうかしたんですか?」

 スーがいつもとの違いに緊張した声で聞くと、B・Bは頷き、かすかな微笑を浮かべた。

「ええ、ちょっとしたお知らせがあるの。もう、洸がここに来て三ヶ月がたつわ。彼女ももう、慣れてきたことだし……初仕事よ。詳しいことは後でチームルームに来た時に話すわ。支度をしたら、すぐに集合して頂戴」

 空気が張り詰める。それと同時に、面々の顔にはこらえきれない笑みが広がった。全員が揃えたように頷いて、すぐさま、思い思いに散らばっていった。


 *


 備え付けの小さな洗濯乾燥機が唸っている。シャワーを浴びて汗を流すと、機械は止まっていて、中で乾いた服が待っていた。黄色いジャケットをはおりながら、いよいよだ、と思った。

 これがあいつを捕まえるための――――最初の試練。

 始めの、階段。順序を踏んだ、最初のステップ。

 楽しみだ。

 洸は高揚した微笑みを見せ、部屋から一歩を踏み出した。


 チームルームに着いたころには、もう皆顔を揃えていた。

 一様に、緊張していて、しかし胸が躍るのを抑えられないという表情なのが見て取れる。洸が席に着くと、B・Bが待ち構えていたように、ファイルから写真を取り出して皆に配った。

 薄汚れた服を来た、細身の男が写っていた。中途半場に長い朱色の髪が、片目にかかっている。洸は渡された写真に違和感を覚えた。横に座っていたリタの肩をつつく。

「ねぇ、リタ。この写真おかしくない?」

「どこが? おかしくないわよ」

「だって、この人、壁に張り付いてるみたいに見える」

「それでいいの。そう言う能力を持ってるんでしょ」

 それもそうかと納得した。洸は写真を見直す。その男は三白眼と言うのだろうか、やけに白目の部分が多く、それがやつれた顔をさらに貧相にさせている。

「ヒューレスト・ナトル。二十歳。(えー、老けてる! という声が上がった)連続放火魔。サラマンダーの血を引く。壁に張り付いて移動をし、火を吹くことが出来る。組織とは完全に関係を絶っていて、犯行は主に夜。現在十二件の被害があるが、そのうち死傷者は一人だけ。人を殺すことよりも、物を燃やすことのほうに興味があるようね」

 説明が一度途切れたところで、B・Bの顔を見つめた。彼女は全員の視線が自分に向けられていることを確認し、手元で何かを操作した。円になった椅子の中央で床が開いて、大きなテーブルが現れる。近くに来るようにみんなを促し、ボタンを押してテーブルの中央に地図を表示させる。洸は地図を真剣な表情で覗き込んだ。

「ナトルはとくに貧しい家を燃やすことを好むわ。現在はどうやらカフタにいるようで、前事件を起こしたのは、ここ。この村ね。だから……」

 B・Bの細い指が地図の上を行き来し、指差したところが次々と黄色い光を放ち始めた。

 緩やかに下降し、指が止まる。

「リピスニア。彼の現在地から一番近い街よ」

 そこの少し手前での目撃情報も入っているの、とB・Bが地図の端のボタンを軽く叩くと、反応してすぐに街の図が拡大された。

「今までの行動から推察するに、きっと、この街に現れるはず。あなたたちには、これからすぐ向かってもらうことになるわ」

「すぐ!? B・B、そりゃ、いくらなんでも急過ぎないか?」

 B・Bが目を向けた。きつい光を宿した目。デリストは、椅子の上で身じろぎをした。

「犯行予定日は、今日よ。だからすぐに行ってもらうの」

 今日、と言葉を飲み込んだようにデリストが黙る。あまりにも急な話に、皆も顔を見合わせていた。そんな中でも、冷静にB・Bは言葉を続けた。

「連絡が無かったのは悪いと思っているわ。でも、情報が入ったのがついさっきで。前からナトルの名は初仕事のリストにあがっていたのよ。そして今日、街は明日の祭りの準備で、ほとんどの住人が出払っている。この、絶好の機会を逃す手は無いわ。 それとも、やめるの?」

 その問いかけには、全員が否定の意を示した。いくら迷っていたとしても――それだけは、無い。ならば問題は無いわね、とB・Bは言って、ちらりと笑みを見せた。

「説明を続けるわよ。ナトルの犯行は大抵が夜。現在、リピスニアは夜八時過ぎ、今から移動ルームに行って、現場に向かって。けれど」

 ぴたりと口が閉ざされる。言葉が止まって、B・Bの目はこれまで以上に強く、光った。諭すように。

「いい、付近の住民に被害が及ばないようにすること、まずそれが最優先よ。そして、最悪の場合以外、殺さずに済ませて。捉えることが、条件よ。何か情報を握っているかもしれない」

 それに、とB・Bは言った。

「この任務につくに当たって、こんなことを言ってもいまさらかもしれない。けれど、あなたたちの手を……汚したく、無いわ。あなたたちは能力を認められた、特別な存在ではある。だけどそれ以前に、まだ子供なのよ。無理をせず、命の危険を感じたら、とにかく逃げなさい」

 まっすぐな瞳は全員の目を捉えて離さなかった。強い思いに、言葉が詰まる。少しだけ経って、答えるように、声が上がった。

「………わかってるわ」

 リタが、笑う。

「わかってるわよ、B・B。こっちだってわざわざ、そんなことしたくないもの」

 頼まれたってごめんだわ。必要以上におどけた仕草で、肩をすくめてみせる。

「そう、ですよね」

「……まあね」

 龍己とデリストは特に何も言わなかったが、デリストは困ったような笑い顔、龍巳もいつもと違い、苦笑していた。

 洸は、胸を突かれた気がした。


 あたしは………

 あたしは、両親を殺したあいつを、殺そうとしている。

 それは、汚いことなの?

 違う!

 ふと浮んだ思いに、否定を強く覆いかぶせた。間違っていると、僅かな間でもそんなことを考えた自分を非難するように。

 あいつは仇なんだ。

 忘れた? 忘れてない。忘れられるわけが無い!

 散々、罪を犯したやつだ。

 だから、なんで、それがいけない?

 いけない、わけがない―――

 洸の瞳が一瞬だけ青く燃え上がった。だが、誰もそれを目にしてはいなかった。

 すぐに姿勢をただし、洸は考えを振り払う。話を終えて支度を始めた皆に習い、立ち上がって体の錘を外しにかかった。いつ仕事があるかわからない、普段からいつでも行けるように準備をしておけとB・Bに言われていたので、必要なものは全てバッグに収まっている。支度といっても、後は錘を外すことだけだった。

 だが今の洸には、一つ一つと手や足の鎖を取り外していく時間さえ、随分と長くて疎ましい。気ばかりが焦って、ブレスレットの金具が指先で滑る。苛立って今度こそはと掴みなおし、全ての錘を外すと、開放感が体に満ち溢れた。

「仕事用の移動ルームはいつもの場所とは別よ。最下層になっているわ。とにかく下へ降りていけば着くから」

「了解! いえーい俺一番っ! 先行くよっ」

「龍己、僕を置いてくなよっ!」

 龍巳が真っ先に準備を終わらせ、部屋のドアを開き、移動通路(チューブ)に向かって駆け出した。飛べない聡貴が後を追って走り出す。残された四人も部屋から出て、ガラスのドアの前に立った。見下ろす先には、何時も変わらない暗闇が待ち受けている。ぞくりとしたが、今はもう、大丈夫だと自分に言い聞かせることができた。

「お先に!」

 リタが一人飛び込んで行く。彼女は能力によって空中浮遊ができるから、心配はいらない。

「スーは飛べたよね?」

「ええ、私には、風が味方してくれますから」

「頼むぞ、スー。俺は飛べないからな」

 デリストは立ち姿からも、微妙に不安が漂っている。

「お前が頼り」

「えっ、あっ! はい! もちろんです」

「デリスト、でっかいのに大丈夫? ……あ、これは悪い意味じゃないから!」

『でかい』という単語に暗いオーラを放出させるデリストに、慌てて洸はフォローを入れた。

「安心してください」

 スーは相棒の楽器を背から下ろし、弦を弾いた。

「高く早く吹く風に、私は歌を捧げよう。世界を撫でる精霊たち。命を励まし、死を見送る。芽吹く若葉を優しく包み、枯れた落ち葉を地に戻す。幸せを運び、悲しみを散らす、風たちよ。送るは歌、そして私からの僅かな頼み」

 スーの声は澄んだ響きを持ってフロア中に響き渡った。流れるような歌は、少なくとも日本語ではうまく表せないようで、さすがのペンダントも訳すことはできないようだった。聞いたことも無い、不思議な歌が響き渡ると、どこからともなく風が吹き出す。くるくると舞って、スーとデリストの体を次第に包みこんでいった。二人は、まるで風のコートをを纏っているようだ。

「送ってくれるように頼みました。ね、大丈夫でしょ」

 スーはにこっと、得意そうに笑った。

「じゃあ、洸さんどうぞ、お先に」

 手で入り口を指し示され。洸は二人に笑い返して、

「じゃ、行くね。お先!」

 暗い底めがけて飛び込んだ。


 *


 しばらくは体を重力に任せるだけでよかった。

 回りの景色はもうそのスピードに、銀と様々な色を散らしたようにしか見えない。物凄い速さで、どんどん上に飛び退っていく。上から掃除機で景色を吸い込んでいるようだ。洸はぐんぐんと体を下へ引き込まれる感覚にももう慣れて、エアフィアと会話をする余裕さえあった。

「最下層は行ったこと無いよね」

「そうだな」

「初仕事、か………」

 リピスニア。そこはどんなところだろうと考えていると、真っ暗だった底が、だんだんと色づいてきた。それが継ぎ目の無い白い床に見えてきたとき、洸はエアフィアの力を一気に解放した。体を包んでいた青い光が溢れて膨らむ。

 勢いよく引っ張ってマントのように体に巻きつけると、猛スピードで落ちていた体が速度を緩め、ぴたり、と停止する。そのまま空中で回転し、下を向いていた鼻を上に戻した。 力を止める。

 床の三十センチほどで浮いていた足が、地面をついた。

 ほっと息をついてから、洸が降り立った所からどいた瞬間、スーとデリストが飛び込んできた。怪我の心配の無い速さで床に降り立つと、スーが先ほどと同じような歌を少しだけ歌った。

 風が消える。すると、デリストは青ざめた顔をして壁に向かって進んだ。足元がふらついている。スーが全く平気そうなのに比べ、まるで病人のような顔色で、口をしっかりと押さえていた。

「どしたの? デリスト」

「俺は、絶叫系が苦手なんだ」

 あのスピードが。言いつつ、壁に寄りかかる。何だか駄目な物が多いんだな。洸はついそう思った。と、いきなり、何の前触れも無く龍己がロケットのようにデリストの腹にぶつかってきた。

 命中。

「………っ!」

 デリストは息をつめると、ぐぎぎぎぎぎぃっと音が鳴りそうな動作で首を曲げた。彼の腹部から落っこち、息を吐き出している龍己を睨み付ける。憤怒の形相だった。その恐ろしさは、般若も真っ青、なまはげもはだしで逃げ出しそうだ。

「あ、あははー、ごめん、な? そ、そう! ふりょ! 不慮の事故なんだよぉう」

 さすがの龍巳も謝罪を口にして、冷や汗を流しながらデリストに向かって手を合わせる。

 だが、

「お前………許すとでも思ってんのか?」

 龍巳に向けて発せられた声は、地の底どころかマントルを通り抜け、ブラジルの地面から取ってきたかのように低いものだった。マグマにまみれて、口から煙が噴出さないのが不思議なくらいだ。

 ものすごい怒ってる。

 洸はさり気無く、鬼神のごときデリストと、怯える庶民のような(というかそのままなのだが)龍巳を、呆れた顔で傍観しているリタとスーの傍に寄った。

「ぎゃわー!」

「お前は俺を殺す気か!? 内臓飛び出るかと思ったぞ!」

「大丈夫ーデリストはきょーじんな肉体の持ち主だからー、出たって死なないー。まあ気味は悪いかもだけどー」

「あほかお前! 俺は人間だぞ! そんなことになったら死ぬに決まってるだろうが!」

「どんまーい。骨は拾ってあげるからぁー」

「いい加減にしろ!」

 龍己はデリストに足首を掴まれ、逆さ吊りにされたまま、がくんがくん揺さぶられている。あの状況で軽口を叩ける龍巳を、洸はある意味賞賛したくなった。

「強靭」

 聡貴がぼそりと呟いた。いつの間にか、少女たちの傍に来ていたのだ。顔色が悪く、それに、彼もまた明らかに怒っている顔をしている。

「……聡貴、何かあったの?」

「あいつ、僕のこと乗っけたまま回転飛びしたんだ。ほんとに死ぬかと思った」

 だからぶっ飛ばしてやったんだと、聡貴は開いた本の間に鼻を突っ込み、鼻息荒く吐き出した。そんな話をしている間にも、デリストの怒りは収まらず、それどころかどんどんヒートアップしているようだった。

「てめぇ北極海でクリオネと泳ぎたいのか? おいコラァッ!」

「いいい、いや、デース。あれあんまり可愛いと思わないしー……てゆーかー、なんでクリオネぇ? ちゅーかそれよりもー、ちょっとたつみんは頭に血が登り気味でー、気持ち悪いデース」

 言うだけあって、龍己の顔はトマト並みに真っ赤だった。デリストは、今度俺に何かしてみろ、マジで氷付けにしてアザラシの親子の家にしてやるからな! と奇妙極まりない脅しを掛けていた。だが、怒り狂ったデリストの様子からすると、例えどんなに変な脅しでも、きっと実行するだろうと思われた。それほどの気迫だった。

 まだ怒り覚めやらぬデリストが、ぱっと龍巳の足から手を離したので、龍己は見事に頭から着地し、移動ルームにごいんと鈍い音が響き渡った。

「いってー! つうか気持ち悪う!」

 龍己は頭をさすりながら、よろよろと起き上がった。

「あー……だからとにかく、リピスニアだっけ、そこに行かなきゃならないんでしょ、ほら、早く行こうよ」

 洸は痺れを切らしたみんなの気持ちを代弁して言った。

「ええと、どの扉から行くんでしょうか?」

 見回すと、規模は小さいがトレーニングプレイスと同じように、部屋一面にずらりと扉が並んでいた。向こうと比べると活気も無く、人も、ほとんどいないのだが。

 洸は少し外れた位置にある機械に目をとめた。

「あ、あれ何だろう」

「ほんとね」

「何らかに使用するらしいことはわかるけど」

「昼間か夕方なら、ここにも誰かしら人が居るからなあ」

「あーもう、まどろっこしーなーっ。そんなの、ささっと確かめてみりゃいいじゃん」

 龍巳は言葉通りに四角い機械に近づくと、あっちを見たりこっちを触ったり機械をいじくりまわし始めた。

「ちょっと、そんなことして大丈夫?」

「へーきへーき。お、カードが入るようになってんぜ」

 彼はカード用の隙間を発見したようで、みんなにそう報告すると、そこに自分のカードを突っ込んだ。前面に設置されたウインドウが唸りを上げて動き出す。内側から光を放って、画面が白く、明るくなった。

「おっしゃ、動いた!」

 その頃には、どうやら大丈夫そうだと判断し、チーム全員が龍巳と共に機械を囲んでいた。龍巳はいつも先兵役なのである。なぜならなんとなく、共通の意識としてこいつなら何かあったとしても大丈夫だろうと思えるからだ。実験台と言えなくもない。

「移動ルームへようこそ。行き先はどちらですか?」

「うぉっ! しゃべった!」

「そうか、悩むまでも無かったな。こんなに簡単になってるんだ」

 聡貴は頷き、リピスニアに行きたい旨を機械に伝えた。その後も、彼がてきぱきとなにやらキーをいじって、全てこなしてしまってくれた。

「209ブロック リピスニア 認証。該当ゲート、オープン」

 画面に部屋の図が表示されて、その内一つの扉が赤くなった。遅れて左側の、右から三番目の扉が開く。

「よし、龍巳。もうカードいいよ」

「おしっ、さーんきゅー!」

 龍巳が画面に向かって片手を上げ、カードを抜き取ると機械はまた沈黙した。洸たちは連れ立って、緊張した面持ちで扉をくぐった。

 小さくて低い、電車のホームを想像してほしい。少し近未来風に、床は青みがかった銀だ。天井からは明るいライトが光を投げかけていた。ホームの端にステップがついていて、そこから下に降りられるようになっている。

 降り立つと軽乗用車くらいの、丸っこい形をした乗り物がある。ずらりと並んで、静かに起動される時を待ち受けていた。

「うわ、何かのアトラクションみたい」

「可愛いですね」

 それぞれに感想を漏らしながら、手近な機体に触れる。

「うおー! 開いたーっ」

 前方から空気の抜けるような音が聞こえて顔を向けると、龍巳が列の一番先頭で大げさな「びっくり」ポーズをとっていた。何かと行動が素早い奴だ。はしっこいというか。

 そっちの方まで歩いていって、洸はどれどれと中を覗き込んだ。球体の、前三分の一がすっぱりと切り落とされた形をしている。どうやらそこから中に入るようだった。これから乗り込む入り口の横には、細長い形のガラスが上から階段状に並んでいる。出発時はこのガラスで覆われるようになっているらしい。ガラスが開いているせいで、中の座席や、レバー、ボタンのついた装置といったものが現れていた。座席の数は、二つ。

「二人乗りかぁ」

「おーし、そんではひーちゃん一緒に乗ろう!」

「はぁ!?」

 叫ぶのと同時に、龍巳が洸の腕を掴んで中へと滑り込んでいた。その勢いで体が揺れる。上から順番にガラス扉も閉じてしまった。

「ちょっと、何すんの?」

「えぇ? 出発でしょ」

「……はいはい、もういい」

「わかってもらえたようで、恐縮っすぅー」

 龍己はいつものとおり笑い、かしんとシートベルトをはめた。ほんとに、素早い奴だった。

「ようこそ! 移動用ポッド、T・T(トリップ&トラベル) type A 01です!」

 突然耳元で涼やかな少女の声が聞こえて、洸は座席の中で飛び上がった。思わず、辺りを見回す。

「ひゃっ、だっ、誰!?」

「私は移動用ポッド、T・T type A 01に搭載された人工知能です。コードネームはシュレインと言います。カードを差込み口に差し込んでください」

 驚かせてしまったでしょうか、と恥ずかしそうに彼女が言うと、それぞれの座席の前にある細い隙間の上のライトが点滅した。龍己はすでにしてしまったベルトに腹を押さえられ、大儀そうにカードをひっぱりだすと、二つ折りになって差し込んだ。洸もカードをいれる。

 ライトがしばし点滅した。ピーと音が鳴って消える。

「確認完了 チーム 第199 所属 タツミ・ハラ ヒカリ・ホシムラ」

 先ほどの感情豊かなセリフと打って変わって、まるで書類を読み上げるような冷静な声だった。スピーカーは天井にあるようで、降ってくる声の主を探すように見上げていると、シートベルトが動いて洸の腰に巻きついた。

「走行中は、万が一の事態に備えてシートベルトを締めていただきます。目的地は209ブロック、ドルク国、レピスナでよろしいですか?」

「オッケー!」

了解ラジャー。現地到着は三十分後です」

「そんなに早いの?」

 シュレインは、ええと応じた。

「私たちはここで開発された、全く新しいエンジンを搭載しています。車体もその振動をほとんど吸収するように設計がされていて、とても快適に過ごしていただけるようになっています。それに、私たちは別次元の通路を通りますので」

「別次元!?」

「我々は時空間の画期的な移動の仕方を発明し、それに適応した機体が私になります。ドコデモドアというアイテムの原理とよく似ております」

 微笑みのニュアンスを滲ませながらシュレインは言った。

「ええ。ですから、決してここが目的地に近いわけではないんですよ」

 洸に説明し、少し間を置いてから彼女は言った。

「……同チームの方も全員お乗りになられたようですね。それでは出発します。5.4.3.2.1.」

 カウントが過ぎるのが早すぎる気がした。動き出す際の衝撃を予想し、自然と体が硬くなる。

「0!」

 シートベルトに押さえられてなお、全身が前のめりになった。おもちゃ箱から放り出された人形になったような気分で、多分、何事か叫んだような気がする。

 このままこれがずっと続くの?

 あれほど凄い研究室があるんだからこういう機械だってもっとしっかり作っとけなんか怪しげな人魂連れてる変人じゃんかそれなのに仕事もできないのかよこんちくしょう人選間違えたんじゃないのか。一息にそう思って、洸は笹舟とその付属物×2を呪った。と、しかしありがたいことに、洸の意に反して振動はすぐに納まった。もう、普通の部屋に座っているのと大差ない。

「! ………………シュ、レイン?」

「何ですか?」

 本当に返ってくるのか危ぶまれたが、ちゃんと声が返ってきて安堵した。

「これ、ちゃんと、動いてる……?」

「もちろんですよ、洸。前を向いて、確かめてみたらどうですか?」

 洸はいぶかっていたものの、俯けていた顔をあげて目を見張った。辺りにはほとんど、景色といっていいものが無かった。一面が白。時折、その中を何か影が走っていくようにも見えるが、気のせいだと言われても疑えないほどのものだった。耳に届くのは微かな唸りだけだが、それがかえって、凄いスピードなのだということを強調させていた。どうやら、そうとう速いらしい。画面に顔が平らになるまでぶっつけていた龍巳も、驚いている。

「ひょえー、すっげーなー。こんなん向こうでもあったら、すげー便利だと思わん?」

 飛行機全然いらねーじゃん、と物珍しそうに眺める龍巳。感心するのはいいのだが、顔がまっかっかだった。何だか間抜けだ。

「はぁ……すごいね。納得した」

「はい。ところで、何かお召し上がりになりませんか? 各種ゲーム、漫画、映像ライブラリなどもありますよ」

「おー食べる食べる! 結局昼食べ損ねたしー」

「信じられないなぁ。すごいね、至れり尽くせりって感じ。何があるの?」

「色々ありますけど、あ、メニューをどうぞ」

 その途端、あっと言う間に窓が画面にはやがわりした。数十種もの食べ物、飲み物が映し出される。感激して、龍巳が目を輝かせていた。

「すっげー! じゃあ俺これとこれと」

「ちょっとちょっと、そんなに食べてどうするつもり? これから動くんだから、そのこと考えた方がいいって」

「あー、そっか。ざーんねーんー」

 大人しく龍巳はいくつかを取りやめて、どれにすべきか眉を寄せて悩んでいた。そして最終的に、龍巳はホットドッグとコーラとポテトとナゲット。洸はチーズバーガーとスポーツドリンク、野菜サラダを選んだ。二人がシュレインに頼むと、電子レンジのチン! という音が鳴って、座席の後ろにあった扉から紙パックに入れられたそれらが出てきた。

 湯気の立つ料理をつまみながら、それぞれ勝手に好きなことをし始める。起こる人間も居ないので、行儀もへったくれもないと龍巳は食べる合間にゲームをし、洸も食べながら漫画を読んだ。

「ふう。たまにはリタがいないといいよね。世話焼きなんだから、目の前じゃこんなことできないって」

「あ、それ俺も思った。だってさー、ちっとでも肘ついたりして見ぃよ。鉄拳、ドコン」

 ドコン、と拳を振り下ろす仕草をする。うんうんと頷きながら、洸はふと思いあたり、漫画から顔を上げた。

「ねえ龍巳、ここ――ダイヤモンド・グローリーって、一体どこにあるの? 位置。日本? それとも、他の国なのかな?」

 少なくともレピスナに近い場所ではないと言うことは分かったが、日本ではないのではないだろうか。ニュースなどでも、聞いたことが無い社名だ。あんなに大きい、巨大な建物、どこに建てても、存在を知られずにいられるなんてことは不可能だろう。

 洸はレタスを噛んで口の中で細かくした。野菜は瑞々しくドレッシングも効いていて、とてもおいしい。

 龍巳に連れてこられた時を思い出す。

 へんてこな装置を使って来たのだった。あんな移動の仕方で、どこにあるかなんて見当もつかない。

「龍巳、知ってるんじゃない? ここは長いんでしょ」

「あー、うん。聞いたことある」

「どうなってんの?」

 教えてよと洸は聞いた。

 龍巳は長いポテトを口にくわえて、コントローラーを操作しながら洸に答えた。

「何かねー、あそこ、異空間なんだってさ」

「……は?」

「普通に日本とかある世界とは繋がってるけど、直接的には……うお! やられる!」

「だから、何それ? 訳分かんないんだけどっ」

 龍巳は肩をすくめて、ゲームを一時停止にした。

「向こうからも来れるしこっちからも行けるけど、普通の人が向こうから入ってくる。例えば迷い込む、なんてことは無いようになってんだ。行くには特殊な道具(アイテム)か、入り口の場所、さらにキーワードを知ってなきゃ駄目になってる……。ほら、ひーちゃん連れてくるときも、こっちから持ってったのでルート作らなきゃならなかったっしょ」

 ああ、あれはそういうことだったのか。洸は頷いた。

「ここと向こうは同じ空間にゃ無いんだってさ。そういうこと。あそこ、窓無いだろ?外ってもんが無いんだよ。存在しないらしいって。あっても出て行きようが無いし……えーと、どうやって作ったのかは詳しくはわからないんだと。基盤は結構昔にできてたらしいからね。でも、きっと何か特殊な能力を使ったはずだって」

 まあ、どこにあろうと別にいいんだけどさ。龍巳はそう言うとゲームを再開した。

「ここがどこだろうが、楽しいことに変わりはねーだろ。それだけで、じゅーぶんだよ」

 ゲームの効果音をバックに、洸は上を向いて尋ねた。必要はなくとも、ついついそうしてしまう。

「そうなの? シュレイン」

「そのようですね。詳細はプログラムされていないので分かりませんが」

 全く、なんてとんでもない場所なんだ。

 まさか異空間なんてものが出てくるとは思わなかった。洸は漫画に目を戻して、続きを食し始めた。うん、文句なくおいしい。

 二人が食べ終わって、洸が漫画を二冊ほど読み終わった頃、今度はごく静かな振動が来た。顔をあげると、シュレインの声が聞こえる。

「現地到着しました。シートベルト解除します」

 留め金が外され、シートベルトが自動で戻されていく。

「OPEN」

 画面に大きく赤い文字が表示されると、行きとは逆に、洸の側のガラスが横へ引き戻されて行った。一瞬忘れかけたカードを抜き取り、洸は今後の一切を変える一歩を踏み出すべく、立ち上がった。

 が、なぜか、龍巳の方に動く気配がまったく無い。

「龍巳?」

 眉をひそめて振り向くと、龍巳は、自分の側の窓に表示させたゲームに熱中していた。もう仕事のことなど頭に無いのだろう、うぉおおおと叫びながらボタンを強烈に連打している。

「見てろ! ちくしょ、こんにゃろう!」

 洸は呆れた。この期に及んで……よくまあ、そう夢中になれるものだ。しょうもない、と言いつつシュレインを呼び出した。

「あぁああああ~!?」

 真っ暗になった画面の前で、龍巳はコントローラーを握り締め絶叫した。洸が主電源を落としたせいで、全てが振り出しに戻ったのである。涙目に怨念をめいっぱい湛えて、龍巳が訴える。

「何すんのひーちゃんー! せっかくステージクリアできそうだったのにぃっ!」

「そんなことやってる場合じゃないでしょうが! あんた忘れたの? 任務があるって言うのに……置いてくからね!」

「うげっ、それはやだ。困る。ああーわかったわかった、今行くよぉ」

 あああああああ、なんて声を上げて、必要以上に嘆く様子に哀れを感じたのか、シュレインが、あのうと遠慮がちに声を出した。人間で言うのなら、ちょっと手を差し出す感じだ。

「龍巳、そんなに気になるのなら、私が今のゲームのバックアップデータを、ソフトと一緒にあなたの部屋に送っておきますよ。さすがにバトルの最中を再現することはできませんが、直前までのデータは私の中に書き込まれていますから」

「えっ、嘘、マジでー! うわあシュレインありがと! やったーボス戦ができるー♪」

 龍巳は急に喜び手を振り上げて踊りだしたので、頭を天井にぶっつけた。その反動で狭い機体の中、器用にひっくり返り、今度は額を正面の機械に頭突きする形でぶち当てる。その物凄いぶつかり方に、洸は自分まで顔をしかめた。

「ったく……あんた本当にふざけてんじゃないの? いい、もう置いてくから」

「いっでえぇー……って、え!? それは困るんだってば!」

 頭を抑えてしゃがみこんでいた龍巳は慌てて立ち上がりかけ、あっと思い出して少し頭を低くして出てきた。洸はシュレインにお礼を言い、辺りを見回した。青銀色の壁。組織の発車場のホームを、幅だけ切って小さくしたような、ごく似た形状のホームだった。

「皆、居るー?」

「こっちですー」

 スーの返答が聞こえ、洸は声のする方に向かって走り出した。

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