☆7 知らないことばかり
「うあー!」
「やっと終わったー……」
息を吐き、体を腿の上に倒した。肉体が疲れを訴えている。とても重い。疲れたせいか、錘もさっきより体に負荷をかけてくるようだ。
「ひーちゃんお疲れー」
「あー」
俺んとこも終わったよーと気楽に近づいて来て、
「お疲れ様です、洸さん」
大丈夫でしたか? とスーが尋ねる。洸は苦笑しながら答えた。
「ちょっとこたえた。大変だったよ」
体力テストの次にあった筆記テストでは、数学から始まり美術、体育まで含む学力調査のテストに、学校では全く教えない、いわゆる「雑学」についてのテストもあった。
少し例を挙げれば、
『ふくろうの首は何十度まで回るか』
や、
『パソコンのキーボード、キーの数はいくつか』
などという問題が、A4のプリントに生真面目に連なっている様子には圧倒された。洸はそれを見た瞬間、左の頬が引きつったのを感じ、無言で回答を書き込んでいる間、こんなもん分かるか! と叫んで机をひっくり返してやろうか、という衝動に少なくとも十回はかられた。
「ねぇ、『〝サード・ストーン〟の移動呪文を答えよ』なんて問題、ありだと思う? っていうか、そもそも〝サード・ストーン〟って何って感じ」
「なんですと! ひーちゃんってば〝サード・ストーン〟知らないの!?」
うそ! と龍巳が目を剥いて悲鳴をあげた。
「初耳だな。なんだっけ」
「僕も知らない。いや、ちょっと聞いたかも」
その後ろでデリストと聡貴は顔を見合わせている。
「はあ? マジで!」
龍巳は目を吊り上げ、ベンチから立ち上がると物凄い剣幕でデリストに詰め寄った。肩を怒らせ、足音まで怒っている。
「おいデリ! あれはさんざん薦めただろーが! 凄いイイから絶対にやれってよ!」
「いや、俺RPGはあんまり好きじゃなくて」
「やれ! 絶対にはまるから! 魔法がすっげーカッコいいんだぜ。新システムでさ、こう、選択すると主人公がさ、こうやって手を構えて……」
龍巳は腰を落とし、懸命に熱演して手を前に突き出して魔法を再現している。だが、奇妙な儀式の踊りにしか見えなかった。
「それはともかく、能力のテストは? あったはずでしょ」
「そうそう、それがまた大変でさぁ」
疲れちゃったよ、とグチる。
特殊能力全般を取り仕切っているというチーフの前で、飛んで見せて動いて見せて。覚醒したてとはいえ、手加減はしてもらえない。慣れない不器用さが祟って、よけいに時間がかかってしまった。
また溜め息が口をついた。
「はーあぁ」
「洸ってば、ほら、元気出なさいよ。皆一度は通る道なんだから」
「だって……見てこれ。手ぇ重いし足重いし、歩くのも大変でしょうがないよ」
重くて重くてどうしようもない腕を上げ、手首にはまったリストバンドをリタに見せる。だが、彼女はあっけらかんと笑うだけだった。
「しょうがないわよ、強くなりたいんだったらね。あたしたちは頑張りなさいよって言うしかないわ。大丈夫、すぐに慣れるから。それにね、あなただけじゃなくて、あたしたち皆錘持ってるのよ」
それは初耳だった。手首にやっていた目を離して、リタの顔を見上げ、問う。
「そうなの?」
「そうだぞー、俺だって付けてるー」
ほらと龍巳も右腕を突き出し、手首に巻きついた銀のブレスレットを見せつけた。左には赤いリストバンドだ。注意して観察してみれば、皆、手に何かしらアクセサリーやリストバンドの様な物を着けていた。
だけど、と洸は眉をよせた。
「それが錘?」
とてもそうは見えない。なにしろ、普通の店で売っているものと遜色が無いほど、カッコよくデザインされているのだ。金属には模様が彫ってあり、石もついていたりする。
だが、リタは真面目な顔で首肯する。華奢なブレスレットを揺らし、解説した。
「そうよ。ガーディは見かけにこだわらないたちだから、あそこには地味なのしか置いてないのよね。ヴィアの所に持ってけば、もっとかわいいのと交換してくれるわよ」
洸は服を決める際のヴィアとの戦いを思い出し、あそこには差し迫った用事がない限り、行く気が起きないと微妙な表情を浮かべた。まだアクセサリーが錘だとは信じきれず、洸が唸っていると、デリストが「それじゃ、ちょっとこれ持ってみろよ」と自分が付けていたピアスを外し、差し出した洸の右手に落とした。
洸の手に、予想だにしなかった重さが掛かる。
「な……!?」
とても腕を上げたままで保っていることなどできなくて、左手も出して支えようとする。しかしすぐに取り落としてしまった。
デリストはいとも簡単にピアスを拾い上げ、また同じ場所にはめなおした。
「ちなみにこれ、二十キロな」
「うそ!?」
五ミリも無い、小さな金のピアスなのに。龍巳があからさまに馬鹿にした顔をして言う。
「そんなに耳鍛えて、どうすんだよって話だよなー。こいつ、耳で空飛ぼうとしてるんだきっと」
「お前な、ちゃんと全身に重さがかかるって聞いてんだろ」
デリストが龍己の首を絞めにかかった。龍巳はぐえっと言って、首に回った腕をタップする。それにしても、錘を身につけて普通に振舞っているメンバーに対して、驚きが拭えない。見た目は、自分と同じただの子供にしか見えないのに。
「洸さんが来たのは昨日ですけど、私たち、結構前からチームとして活動しているんです。あ、本番には出てないですよ。ただチーム自体は前からあったっていう……一緒にトレーニングをしてるってだけですけど」
スーは洸の疑問に答えて、これだって一応十キロあるんですよと両方の手首にぶら下がっている細い鎖のブレスレットを見せた。
「信じらんない……」
洸は目を見張った。リタの指輪を貸してもらって今度は慎重に受け取り、重さを確認する。これは重いのだ、と覚悟ができていても、やっと両手で持っていられるくらいだった。傍から見たら、洸が演技をしていると見えるだろう。
(何でこんなに重いんだろう?)
材質のせいか、何か、特殊な加工技術なのだろうか。一般的な種類の金属ではないのかもしれない。首を傾けながら、リタにお礼を言って指輪を返す。そこへ、龍巳が手をあげて提案した。
「とにかくさー、ひーちゃんに説明がてら、『スタディ』の方よって、早く昼飯食べに行こうぜー」
遅くなったけどと付け足す。洸はその台詞を聞いて急に空腹を感じた。テストに必死で感じている暇がなかったのだ。それもそうだと皆は次々に同意を示し、大きな扉を通り抜けて白い廊下へと足を出す。
歩く途中、龍巳がその『スタディ』について軽く説明をしてくれた。皆も、説明が足りないところはちょくちょく口を挟んで教えてくれて、それをまとめると、次のようなことになるらしい。
アカデミーは基本的に二つの場所があって、主に座学を重点的にした、『スタディ・プレイス』と、教わった知識を実践したり、戦法に取り入れて試したり、能力を上げるために特訓をしたりする『トレーニング・プレイス』に別れているのだと言う。
洸たちが今いたのは、『トレーニング・プレイス』の方だ。
「クラスは凄く多いの。今持っている能力のほかに、素質があるのなら別の能力を覚えることも可能なのよ」
『スタディ・プレイス』と『トレーニング・プレイス』の違う箇所は、『スタディ・プレイス』は個別の教室が並んでいるだけで、入り口が一つにまとまっていない事だ。時間割によって使用する教室も違うし、一クラス十人前後と言う少人数制を取り入れていていることと、学ぶ種類の豊富なことが理由だろう。
「あ、着いたぞ。ここから、科学のクラスだ」
デリストが指差すところに上から看板が下がっていて、『スタディ・プレイス』と書かれていた。廊下の壁には、『科学クラス』と書かれた大きなプレートが張ってあり、幾つもの扉が並んでいた。
「科学……?」
「そうよ。タイプ別に分かれてるの。今はだいぶ落ち着いているけど、前なんか錬金術クラスは受講希望者がすごく多くて、空きが足りなくなったんですって」
「ああ、あの漫画だ。『鋼鉄の鳴動士』はやってるしね」
最近のマンガのタイトルを挙げる。
「すごいよね。錬金術ってマイナーなのに、一気に有名になっちゃってさ」
「そうそう」
「ちょっとやってみたいような気もするな」
「やめとけって! 何言い出すんだひーちゃん!」
興味津々でどこにあるんだろうと見回す洸に、龍巳は急いで止めに掛かった。
「やめといた方がいいって。錬金術さ、俺もちょっと憧れ~みたいな感じで申し込もうと思ったんだよ。したら待ってんのは多いし、術書は高度な解読が必要だし、科学だろ? ちょっと見たけどもー小難しくってさぁ」
「ふーん」
「しかもさ、本来は薬とかいじる方が多いんだって。元は不老長寿の薬を作ろうって研究だから、攻撃にすぐ使えるようなのは研究中なんだと。もうちっとしたら、そっちも習えるようになるかもしんないって」
そしたらまたきっと申し込み増えるよなー、と龍巳がいう。洸はびっくりした。へぇっ、と打つ相槌にも驚きがこもっている。
そのまま行くと、壁の色が暗い紫色に変わった。「魔術タイプ」と書いてある書体は、ねじくれた不思議な形だった。天井には星図のような物がちかちかと瞬いている。
「ここはスタディの中でも一番クラスが豊富なんだ」
僕も興味があって、今度どこかに入りたいと思ってる。そう言って聡貴は本から顔を上げた。
「黒魔術に白魔術、どちらにも属さないもの。それも細かく分類すると、呪文を口にしないといけない物、念じるだけの物、書かないといけない物なんかもあるし。杖代わりに魔道書自体を使うなんていうのもあったな。占いもここに含まれるし、種族魔法について研究しているところもある。トレーニングブースには箒の飛行訓練もあるよ」
「いいなそれ! あたしも見てみたい」
すると、隣を古びた書物を持ってかけて行く少女がいる。ぐらぐら、といかにも危なそうだったが、巻物も本も、落ちかけると勝手に自分で上のほうに這い上がってくるので、心配はいらなそうだった。
魔術タイプのところを通り過ぎると、卵色の壁にうねる木の枝の様な物が描かれている。これはまた、見たことも無いような文字だった。
「 (そうさくタイプ)」
「何これ、見たことない文字。なのに、読めるけど……」
「ああ、翻訳機は特殊な波動を出してて、常に辺りから言葉を拾ってるんだ。だから「聞く」に限らず「見る」でもわかるようになってる。まぁ俺も詳しくは知らんけどな」
「ふーん?……でも、龍巳! ほら、博士のところでは読めなかったやつ、あったよね、あの紙。あたしペンダントつけてたよ? ヴィアのあとに行ったんだから」
「能力調べのやつのことか? あれは何か魔法なり何なり掛けてあるんじゃないか? だって見分けるためのものだろ、機械が反応して読めちまったら意味ねえし」
デリストの言葉に、龍巳は眉を寄せて頭を抑えた。
「ややこしいなー。頭痛くなりそーだ俺」
「ま、それはいいんだけどさ」
そしてまた新しい所に差し掛かった。五本の線が壁に引かれ、ト音記号や二分音符が壁を跳ね回っている。
「ここは音楽について学べますよ。魔力をもった笛とか、力を持った楽器は数多く世界に存在しますから。あ、演奏だけじゃなくて、作曲についても学べるんです」
あたしここで勉強してるんですよ、とスーは言った。
「あたしはおばと二人暮らしだったんですが、そのおばが古道具屋を営んでいて、この子はそこに売りに出されていたものなんです」
「へぇ………」
そうなんだ、と言うとスーは頷いて続けた。
「はい。何か、うちは魔力のある家系みたいで、不思議な道具が集まってくるんですよ。普通の世界で暮らしている、特殊な方たちも売りに来たり買いに来たり……
これはエルフの有名な方の作だそうなんです。持ち主がいなくなって売りに出されていたんですけど、当時あたし、五歳くらいで、お店の中を覗いていた時にこの子が隅で埃を被っていたのを見つけて、とても惹かれて触れたんです。
そうしたら触れた途端、ぱぁんっと光がはじけて、この子が浮き上がるとあたしの腕に収まったんです。弾いて欲しいと訴えられたような気がして………気がついたら、勝手に手が動いていました。楽器に触れたさえなかったんですが、絃が手の下で跳ねて、自分でも驚くくらいきれいな音楽が響き渡って……あの時の事は忘れられません」
スーは幸せそうに楽器に触れた。洸は続きを促した。
「それから?」
「はい、おばは音楽に驚いて店の奥から飛び出して来ました。誰が絃を弾いても音が鳴らなかったので、売り物にならないとほっておいた楽器が音楽を奏でていて、しかもそれが、一度も楽器に触れたことのない幼い姪が弾いているだなんて……さぞかし驚いたんでしょうね。その後、あんたはこの子に選ばれたんだねと、渡してくれて、その日のうちにあたしはここに来たんです」
「そうだったの? あなた前からそれ抱えていたけど、理由を聞いたのは今日がはじめてだわ」
リタも話に参加してきた。えっとスーは瞬きした。
「あれ? 言ってませんでしたっけ」
「おばさんはどうしてるの?」
「まだ元気で、外で店をやってますよ。たまに遊びに行くんですけど、元気がよすぎて、あたしはいつもペースに置いて行かれそうで………」
他にも雑談を交わしつつ、それからも色々なクラスの前を通り、階段を何段か下ると食事のできる場所に着いた。
幾つかの店が円を描くように並んでいて、好きな店に好きなものを頼みに行き、中心に集められているテーブルで食べる、という形になっている。昼時は過ぎていたが、まだ、ちらほらと食べている人たちがいる。皆は大きめのテーブルに、足りない分椅子を引きずって来て集まった。
「えーっと、どーしたらいいかな」
和食洋食、中華フランス、なんでもありだ。どこも特色を前面に押し出して洸を誘い、目移りしてしまう。それにどこもおいしそうだった。
「洸! 私大体ここのお店なんだけど、どう?一緒に」
「あ、じゃあそうしようかな」
洸はリタと一緒に、色鮮やかな洋食屋のカウンターの前に立った。
「こんにちはー」
「はいはいー………っと、おや? リタちゃんその子はどうしたんだい?」
奥から返事をして出てきたのは、白いコック帽に同じ服と前掛けをつけた、ばかでかいエビだった。たった今茹で上がったかのように真っ赤で、ごしゃごしゃといっぱいある足を前掛けで拭いている。
(エビぃ!?)
洸はざっと髪が逆立つような気がした。
体を強張らせ後ずさりしそうになったが、リタはエビに笑顔で答えを返した。
「うちの新しいチームメイトよ。ブロッサムさん」
「……こっ、こんにちは!」
洸は混乱する頭の中でも挨拶しないのは失礼だと思い、慌ててそう言った。頭を下げてしまえば、顔を見なくてすむというのもあった。
「あー、こんちは」
ブロッサムさんはひげをわさわさと揺らしながら言った。
(うわぁ………こんな人(人?)もいるんだ……)
内心冷や汗をかきながら、洸はどうしたものかと戸惑っていた。しかしリタはいたって平然として、下敷きほどの大きさのメニューカードを持って選んでいた。
「そーね………今日は体術やって疲れたし、ハヤシライスにするわ。飲み物はアイスティーで。洸は?」
「へ!? あ、えっと」
洸はカードを覗き込んだ。そこにはいかにも美味しそうな洋食の写真がいくつも並んでいる。のだが、店主のインパクトが強過ぎて、落ち着いて選べやしなかった。
「え、えーと、じゃあオムライス………かな。飲み物は……ジ、ジンジャーエール」
「はいはい。ハヤシにオム。ティーのアイスとジンジャーエールね。しばらく待っててくれるかい? お会計を先にすませとくよ。カードは?」
二人はカードを差し出した。ブロッサムさんは細い腕で二枚を受け取り、レジくらいの大きさの、もっと簡単そうな機械に差し込んだ。洸はカードを渡す時に、不自然なほど細い彼の腕に(いや、エビってことを考えたらそんなに不自然じゃないのかもしれないけど………)指が触れ、失礼ながらびくっとしてしまった。
「はい。じゃあこれ、受け取り札ね」
洸は失礼と思いつつ、指先をこすりながら、カードを受け取ると席に戻った。
「あんな人もいるんだ………」
「そうよ。基本的に「何でもあり」って思ってたほうがいいわね」
「……ありがたい助言をありがとう」
しっかり覚えておこう。うん。
テーブルに戻ると、もう大体のメンバーの前には料理が並べられていた。
「ひーちゃんお帰りー」
「お帰りってほどでもないと思うけど」
龍巳の前には牛丼の丼と水の入ったコップ、割り箸が置いてあった。先に食べてるねーと言いつつ、ぱきんと箸を割ると、龍巳は物凄い勢いでかきこんで食べ始めた。まるで掃除機である。聡貴は顔をしかめた。
「そんながっついて食べるなよ。意地汚い」
「しょうがねーだろー。だって腹減ったんだもんよ」
「胃に穴が開くぞ」
「そんなやわな腹はしてませーん」
そう言いながらでも箸は止めないところが凄い。だが実は、龍巳はもごもごと口のなかに物を入れたまま喋っていたので、
「しょうられーらろー。らっへはらへっらんらもんよ」
という風にしかならなかったのだが、ペンダントのおかげでちゃんと聞こえたのだった。
洸は翻訳機の高性能さに驚き、感心した。
「あら、そう言う聡貴だって、いつもは片手で本持ったままで食べてるくせに」
「今日はそんなことしてないだろ!」
聡貴は月見うどんだった。じっと彼が丼の中身を見つめているのを見て、龍巳はにんまりと笑うと、もぐもぐと噛みながらうどんを箸で指し示した。
「
「なっ、そんなわけないだろっ!」
「あー……もぐもぐ(にやり)
「いい加減その喋り方やめろよっ! 下品だしムカつく!」
「そうですよ龍巳さん。行儀悪いですよ?」
スーも聡貴に続いて彼をいさめたが、龍巳はそれをまったく気に留めずに食べ続けた。
「
「こいつっ……ああもう我慢できない、覚悟しろぉっ!」
「食べてる所で戦うんじゃない! 礼儀をわきまえなさい!」
にやにやしている龍巳に聡貴は箸を握り締めて飛び掛ったが、リタに鉄拳をお見舞いされて、龍巳は牛丼(ほぼ空っぽ)の丼に顔を突っ込み、聡貴は頭を抑えて涙を浮かべることになった。
「~~~~ゔゔっ」
とんでもなく痛そうだ、と洸は顔が青くなるのを感じた。リタはもうちょっと手加減したほうがいいのではなかろうか。やれやれ、とデリストが自分の手のひらに少し氷を出すと、聡貴の頭にあてがってやる。同じように龍巳にも氷をほうったが、なぜか、顔を起こさない。どうやら気絶しているようだった。
「あーっ! もう! 腹立てたら余計お腹減ったわ」
「そ、そうだねぇ………」
それは余計な運動があったからじゃないか、と洸は思ったが、その思いは胸の奥の奥にしまって置くことにして、適当な返事を返した。余り刺激しないほうがいいだろう。
「洸、どう? お疲れ様」
「B・B!」
B・Bがいつ現れたのか、近寄ってきた。彼女の登場は唐突で、洸は一瞬ぎょっとした。が、それは表に現さないようにし、答える。
「結構、大変でした。でも、まぁまぁです」
「そう、それはよかったわ」
B・Bの洸を見る目は、変わらず温かかい。その目が次の瞬間きらっと光ったかと思うと、とんでもないことを告げた。
「じゃ、午後もがんばりましょうね。今度はスタディブースで勉強があるから」
洸はテーブルに突っ伏した。
仲間は全員それを見て大笑いし、洸はそんなに笑うなと言ったが―――なぜか、顔が笑ってしまう。
ここは楽しい。
洸は感じていた。
決して忘れたわけじゃない。あいつへの憎しみも、両親への悲しみも。でも、皆と居る時だけは忘れていられる。
過去の記憶は、思い出したくない。覚えていて、楽しいものじゃない。だから少ししまっておく。
敵と対面するその日まで。
相手を、完膚なきまでに追い詰める、その日まで。
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