☆4 星使いの能力

 先に行ってしまった龍己たつみの後を追いかけて行くと、彼は大きなガラス扉の前に立っていた。

「ま、待ってよ! 龍己が居なかったら、あたし迷子になっちゃう」

「あ、そうだっけ。ごめーん」

 あははと龍巳は誤魔化すように笑った。ひかりに口を開く隙を与えないために、素早く説明を始める。

「まぁそれはともかく! えーっと、この建物って凄い厚みのあるバウムクーヘンみたいな形なんだよね。穴の開いたドーナツを縦にいくつも積んだ感じ、って言ってもいいんだけど。その真ん中の穴のところをずーっっっとエレベーターが通ってて、大体の人はそれで移動するんだけど」

 洸は円筒形のビルを頭に思い浮かべる。

「じゃあ、あたしたちもエレベーターに乗るんじゃ……ないの?」

 洸の疑問に対して、龍己はちっちっと指を振る。

「いやあ、俺だってエレベーターに乗るくらいだったら説明しないよ。そうじゃなくってさ、ほら。見てみなよ」

 龍巳はガラスの扉を軽く叩いた。

「いい? ひーちゃん。あそこに通ってるのがエレベーターね」

 指差す先には太いガラス管が通っていて、その中を、白い楕円形のポッドが滑らかな動作で、上へ下へと行き来している。

「あそこへは別の入り口があってさ。あ、ほら、下ちょっと見てみ?」

 言われるがままに、視線を落とす。真下は真っ暗で何も見えず、ただ闇の中にエレベーターの管が吸い込まれているだけで、古い言い方をすれば、奈落の底まで繋がっていそうな感じだった。

 異変は見られないと洸が思った時、暗闇の上を白い線が、紙の上にマジックで真っ直ぐ線を引くようにして現れた。線の先には、赤い光がちかちかと瞬いている。線は伸びて、エレベーターの管に繋がった。

「あれ、あれが入り口で、あそこでポッドが来るまで待つんだけど」

 その時、ガラスを隔てた向こう側、洸達のすぐ傍を、掠めるようにして何かが落ちていった。一瞬だけ見えたのは。

「きゃ――――っ! 人おっ!?」

「ひーちゃん、声でっか……」

 耳を押さえて顔をしかめている龍巳の肩を引っつかみ、洸は全身の力で揺さぶった。

「うっ、う、うわ、うわ」

「ちょっと何あれ何あれ何あれぇええ! いっ、今、落ち、落ち、落ちっっ! 怪我しちゃうでしょ!? 自殺未遂!? いやっ、違うっ。もう落ちてる! 自殺なの!?」

「うぉお落ち、落ち着け、着い、てぇ、って、ば、ばば」

 洸は混乱状態で龍己を掴んでいる。がくがく揺さぶられ、目を回した龍己はようやく、洸の腕を掴む事に成功した。

 洸は青ざめた顔で、ガラス管の中を見つめている。

「何よう、あれ。何なの?」

「大、丈、夫、だって。ああまだぐらぐらする……」

「早く説明して!」

「わ、分かったから……お願い、ひーちゃんもうちょっと声のトーン下げて……」

 だから、と龍巳は未だに揺れているような気分に辟易しつつ、説明した。揺れは一向に収まる気配が見えない。

「だぁーかーらね……ほら、エレベーターの数にも限りがあるだろ? おまけにこの建物がさ、かなり広いし。待つのも面倒だから、俺みたいな自力で飛べる奴はさ、みんなよっぽどの事が無い限り、ここの空いてるとこを飛んでくんだよ。その為にエレベーターと各階との間が開いてるんだ。空中通路っちゅうか。んで、この扉から中に入るから」

 あーぐらぐらすると龍巳は頭を抱えた。そんな龍巳に対し、洸は焦ったように言った。

「ちょっと待ってよ。そんな事言ったって、あたしは飛べないよ? どうすればいいの?」

「あ……あぁー、そっか。忘れてた」

 自分が飛行できるからだろうか。彼は全く思い当らなかったという様子で口を開けている。龍巳は唸って腕を組んだ。すると何か思いついたのか、彼は手を打って洸を指差した。

「そうだ! もしかしたらさぁ、ひーちゃん飛べるんじゃないの? ほら、そういう能力的な! 星って空に浮いてるわけだし」

「は、え、えー! そんな、できないって……」

 反射で否定を口にして、洸は気が付いた。

 できないとは、言い切れない。

 龍己の言っていることは、それほど無茶な指摘ではないかもしれない。ここは今までいた場所じゃない。クラスメイトだって空を飛ぶ、エルフも、妖精も居る。通常の理屈は通用しないと考えた方がいい。押し黙った洸に、龍巳はきょとんとした顔をしている。

 今までの常識は捨てた方が、良さそうだ。この世界に適応するならば。もしかしたら、ひょっとしたら。

 飛べるのではないだろうか?

「うん、もしかすると……飛べる、のかな」

「だろ?」

「あ、でも。やっぱ、どうしたらいいんだろ。やり方、わかんない……し」

「そんなん悩むほどのことでもないじゃあん。とっとと二等星、呼んでみれば」

「ん、うん。わ、わかった」

 洸は石をポケットから取り出した。あの精霊の名前は、そう、エアフィアだ。

「えーと。……え、エアフィア、さん?」

 洸はおずおずと呼びかけた。石に向かって人(?)の名前を呼ぶことになるなんて、考えもしなかった。もしかしたら呼んでも出て来ないんじゃないか、と不安になったが、しかしどうやらその心配は必要なかったようだ。洸が呼びかけてすぐ、石からはまるで霧か霞のような青い光が噴出してきた。光は上に伸びるようにして一塊に集まり、人の形を作り出した。

「呼んだか?」

「あ、うん」

 洸は固い面持ちで頷いた。緊張している様子を見て精霊は笑い、体を屈めて洸と目線を合わせた。

「そんなに緊張しなくとも、別に私は主の事を喰らったりなどはしない。安心されよ」

「う、うん」

「それと、呼ぶときはただ、エアフィアと」

「わ、わかった。

(そんな事言われると、もっと緊張するんだけどなぁ)

 洸は深く息を吸って、本題を切り出した。

「あのー、えっと、ちょっと質問なんだけど」

「何だ?」

 エアフィアは興味深げに洸に聞いた。眼差しは優しい。それに少し安心して、洸は口を開いた。

「あの、あなたの、エアフィアの力を借りて、あたし……空を、飛べる?」

 言い終わった途端に顔が熱くなってきた。なんだか自分が間抜けな事を口走っているような気分だ。それはそうだ。『飛ぶ』なんて単語を、こんな風に言うことになるなんて、想像するはずもない。小さな子供になった気分で、赤くなった顔を隠すように下を向いた洸に、エアフィアはさも当然そうに首を縦に振った。

「できるとも」

「え! ホントに?」

 洸は驚きに目を見張る。横では、龍巳が得意げに反り返っている。

「ほーら、なー? 俺の言った通り!」

「で、でも、どうやったらいいのか……」

 うろたえる洸に、エアフィアはゆっくりと噛んで含めるように言った。

「気持ちは分かる。だが、そううろたえる事は無い。洸は私の力を解放して、私に体を預けてくれればそれでいい。後は教えるまでもない、すぐに分かるはずだ」

 洸はまだ不安だったが、自分に仕えると言ってくれたエアフィアが、飛べると言っているのだ。そうまで言った彼が、果たして嘘を吐くだろうか。

 洸は深く息を吐いて手を握り締め、エアフィアの瞳に視線を合わせた。

「分かった。やってみる」

「その息だ」

「そうとも! だいじょーぶ。俺もいるしっ!」

「あ、うん。ありがと」

 洸は、曖昧に礼を言った。どうも彼のキャラクターが掴みきれない。

「よし、さっさと行こうぜ!」

 龍巳は笹舟の所で使ったカードをまた取り出し、ガラス扉の右横についているカードスロットに通した。鍵が外れるような音がして、微かな機械の唸りと共に、窓は右側に吸い込まれて行った。

「じゃあ、お先ーっ」

 龍巳はコンビニから出て行くかのように、気軽な様子で右手を軽く上げたまま、開かれた扉の中に足を踏み出した。

 その下には、何も無い。

「ちょ……龍己っ!」

 瞬く間に龍巳の体は洸の視界から消え、洸は慌てふためいて扉に駆け寄った。落ちないように両脇の壁をしっかりと掴み、何も無い空間に首を突っ込む。だが、見下ろした先には奈落が口を開いているのみだ。龍巳の姿は、影も形も見当たらなかった。

「龍っ……」

「あらぁ~、心配~?」

 青ざめた洸が名を呼ぼうとすると、頭上から、のんきな声が降って来た。見上げると、彼は洸の頭の上に浮かんで、にやにやと翼と角をはやして笑っていた。

「うふ。どう? 角も羽もカッコいいっしょ?」

 悠々と空中を浮遊する龍己に対し、洸は不安が解けたと同時に焦ってしまったのが恥ずかしくて、顔を赤くした。

「ほらほらぁ、早く行こーよー」

「ちょ、ちょっと」

 洸は、先に行きたがる龍己を見て、それから足元の暗闇を見て、そこに踏み出すことにやはり背中に汗が滲むような恐怖を覚えた。恐怖を遠ざけるように、目を閉じた。

 深呼吸を繰り返す。気持ちを落ち着けて、自分によく言い聞かせる。

(大丈夫。きっとできる)

 洸は目を開け、手の中の石を確認して、自分を待ち受けている扉に向かって、床を思い切り蹴って飛び込んだ。

 視線が下を向く。次の瞬間には凄い風が洸の体を巻き込み、暗闇へと押し進めていく。何処までも続く暗い底まで、落とし込まれそうな錯覚に包まれる。音を立てて風が耳の横を通り過ぎるのを、洸は焦りに駆られたまま、ただ黙って聞いていた。

(どうしよう、どうしたらいい!)

 タイミングが掴めない。そういえば、「開放」の仕方さえ、教えてもらっていないのだ。洸の手は、硬く握り締められたままだった。

(怖い!)

 思わず目を閉じたその時、手の中で星が暖かくなった。はっとして、洸は自分を叱咤した。

「……くそっ!」

(弱気になってどうする!)

「解放!」

 恐怖も不安もかなぐり捨てて、洸は叫んだ。どくんと胸が大きく音を立てる。途端に、自分の中の力の塊が、いともたやすく解けていくのを感じた。

 熱いものが花開くように、体の中心から湧き上がり、頭から足先まで、勢いよく駆け巡った。足りなかったものが、自分の中に戻ってきたかのような感覚があった。新しい力はとどまることなく流れ出ている。

 洸の右手から、先ほどとは比べ物にならないほどの青い光が溢れ、洸の身体を包みこんだ。落ちて行くのが、緩やかに止まる。あれほど恐ろしい勢いで洸を引きずり込もうとした風が、今は頬を優しく撫でていた。

「と、まっ……た……」

「ひーちゃーん!」

 額に滲んだ冷や汗をそのままに、見上げると龍巳が―――ここから見ると、豆粒くらいの大きさしかなかった。これで、自分がどれだけ落ちてきたのかがよくわかる―――手をぶんぶんと振っていた。

「だいじょーぶー?」

「平気ー!」

 声を上げると、龍巳もまた返事をしてきた。

「よっしゃ! ほんじゃーここまで上がってきなー!」

「わ、わかったあっ!」

 洸は龍巳に向かって声を投げ、視線を石に移した。

 さて、上がるためにはどうしたらいいだろう。やはり聞くのが一番早いだろうと、洸はエアフィアの名を呼んだ。

「エア……フィア? ちょっといい?」

「ここに居る」

 洸の頭の横、少し高い位置で、青い光が形を作り、エアフィアの姿が顕現する。彼は生き生きと目を輝かせていた。心なしか、さっきよりも形がはっきりしているようだ。

「龍巳の所まで行きたいんだけど……どうしたらいいの?」

「よし。いいか? まず、もう少し自分の中から力を出してみることだ」

「……わかった」

 洸は軽く眼を伏せた。目は閉じなくてもいい。そうしなくても、コツが分かってきたのか、自分の中に集中する事ができた。流れ出る力を、もっと、多く汲みとるようなイメージ。少しもしないうちに、自分を取り巻く光の量が増えた事を感じ取る。

「いいぞ。次に、足の方に力を集中させる」

「えーっと……」

 少し戸惑ったが、足、足と念じると、両足に渦を巻きながら光が纏わりついていった。体を包んでいた光が薄くなり、両足に、青い光でできたブーツをはいたような形になる。

「これでいいんだよね?」

「ああ、そのとおりだ」

 エアフィアは頷いた。洸は身体を包む光が薄くなったことが、まだ少し落ちつかない。視界が開けたのはいいのだが、体が守られているという安心感が薄れている。

「動く時はいつも、光をその形に纏わせること。さっきのように体を包む形は、防御や、急ブレーキを掛ける際のクッションになる。後は、自分の中のイメージ次第だ」

「うん、ありがとう」

 洸が頷くと、エアフィアは満足げに微笑み空気に溶けた。洸は改めて、上に向かって向き直った。龍巳に焦点を合わせ、足に纏わりついた光を意識する。そこに力を集め、洸は膝を曲げて息を吸い、一直線に飛び上がった。あっと言う間に風に包まれる。その中を切り裂いて、龍巳に向かって進む。

(やった!)

 歓声をあげようとした時だった。

「う……う、わぁああああっ!」

「……うわ! うああああああっ!」

 歓声は、上げる暇無く悲鳴に変わった。前方に居た龍巳に盛大に衝突して彼を巻き込み、もつれ合って飛ばされてから、ようやく停止する。

「いってぇ~……つうか、びびったー」

「ご、ごめん」

 龍巳に向かって行く所までは良かったのだが、いかんせん力んでしまったのだろう。思ったよりもスピードが出過ぎて、慌てて止まろうとした時には、もう龍巳が目の前にまで迫って来てしまっていたのだ。

「ひーちゃん、初心者はこんなスピード出しちゃあ駄目だよ。青葉マークでぶっ飛ばして店に突っ込んじゃったみたいじゃんか」

 洸はすまなそうにうなだれた。

「ごめん……」

「いやいや、いいよ。初めてにしちゃ上出来じゃん? 回数こなさなきゃ、うまくならないって」

 龍巳はなんでもそうっしょ、とからりと笑う。その笑顔に励まされる気がした洸だった。

「うん、そうだね」

「ほんじゃ行こっか。とっとと、行くんだろ?」

 下を向いていた顔が綻び、龍巳につられるように笑う。

 立ち止まっている暇は無い。これから、うまくなればいい。

「うん、これから、どうしたらいいの?」

(教えてよ)

 高揚する気持ちを抑えきれない。不思議なくらい気分がすっきりとして、驚いた事にどうやら自分はこの状況を楽しんでいるらしい。まるで夢のような、想像したこともないとんでもない世界だ。

 その世界に、いつの間にか洸は適応し始めている。

 少しだけ奇妙な感覚を覚えたが、だが、この場所は自分に合っているような気がした。

 そうこなくっちゃと龍巳が応じた。

 

 早く、教えてもらいたかった。この冒険の進み方を。


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