☆3 能力の解放

 ノックの音が、白い部屋に響く。

「どうぞ」

 ひかりは扉を見据え、応じた。もう彼女は中学の制服に着替えを済ませていた。扉が開かれ、B・Bが入ってくる。相変わらず微笑みを浮かべていたが、洸の色を変えた目と、そこに宿る強い光に気付くと表情を変えた。驚いたような表情から、次に、笑みを微かに深くする。

「……どうするか、決めてくれたかしら」

「はい」

 一度頷いて、洸はB・Bの目を挑むように見た。

「ここで勉強させて下さい」

 ぺこり、と頭を下げる。B・Bはさも愉快そうに笑った。洸の人柄に、彼女は好意を抱いたようだった。洸は表情を崩さなかった。まだ緊張していたこともあるし、これからどうなるのかも全くの未知なのである。

「では、〝栄光の貴鋼石ダイヤモンド・グローリー〟へようこそ……と、まずは改めて挨拶をさせてもらおうかしら。タツミと同じく、私が貴方の担当になるわ。そう……『上司』ってことね」

 彼の言葉を引用して、B・Bは言う。

「まあ、気長に行きましょう。二、三日で結果が出るわけじゃないから。当面の目標は、能力を目覚めさせて、ある程度のコントロールができるようにすること。……大抵は、二、三ヶ月かしら。急いでもいいことは無いわよ。しっかり時間をかけて、自分の力を把握し、暴走させないようにする。それと、他にも色々な訓練を並行してやっていくことになるわ」

 寂しがっている暇もないわよ、といたずらっぽく付け加える。

「今日はまず力の覚醒と、それから貴方の所属する班のメンバーを紹介するわ。それから、そうね。昨日の服のままだから、着替えもしたいんじゃないかしら」

 そうだった。自分の服を見下ろす。膝丈のスカートに、紺のブレザー。まだ汗ばむ時期でもないのでさほど不快感は無いが、もう行くことのない場所の制服をずっと着ているというのも奇妙な話である。

 行きましょう、と先行するB・Bを追って、洸はベッドから立ち上がった。

 白い扉を、すらりとした後ろ姿に続いて抜けようとすると、丁度自分の左側から、聞き覚えのある声が届いた。

「あ、おはよさん!」

「わ、羽良はら君」

龍己たつみでいいよ。ていうか、あれ?」

 龍巳は目を落ちそうなほどに丸くして、洸の顔を見つめていた。

「えっと、何?」

「目! その目ぇ! どうしたのさ?」

「ああ、これ」

 突きつけられた指先が示すのは、洸の瞳だった。洸は戸惑った様子で答える。

「朝起きて、鏡見たら……色が変わってて。いつからこうだったのかはわからないけど」

 洸は今朝(時計では一応7時となっていた)起きてから顔を洗えないかと部屋の中を見て回ったのだ。彼女は一番奥の隅にあった手洗い場で自分の目が青くなっている事に気がついたのだ。

 髪の色より、深い青。

 不思議と、違和感は無い。

 それを聞いた龍巳は、合点がいったと言いたげにぽんと手を打った。

「あ、なるほど。じゃああれだ」

「え?」

「変色型なんだ。こう、色が変わるとすげぇことになるやつ」

「何、それ」

「ほら、マンガなんかでよくあるじゃん、怒ると目とか髪とかの色が変わって、どかーんって普段は出せないような威力の衝撃波とか出すやつ」

「…………うーん」

 洸は助けを求めるようにB・Bに視線を振る。彼女はそうねと口を開いた。

「歩きながら説明するわ。行きましょう。……タツミの話も、あながち間違いでもないと思うわ。ヒカリの場合は〝力を出せる状態になった〟という合図じゃないかしら」

 疑問符を飛ばす洸に、B・Bが問う。

「今まで、身の回りで何か不思議なことが起こったりした?」

「無い……と思います、けど」

「でしょうね」

 B・Bは続けた。

「基本的に、能力が目覚めるのは十代になってからということが多いわ。身体が『力を使うにはまだ不十分』と判断して、暴走しないようにストッパーをかけていたのではないかしら。暴走すると、取り返しのつかないことになりかねないから。それが、心身の成長によって解除された。もう大丈夫、という証なんじゃないかしら。……それこそ、能力はその時の感情の波や、重大な決意などによって目覚めるというデータもある、けっこうメンタルなものなのよ」

「……そうなんですか」

 自分の能力について学ぶことは多くあるだろう。今はまだ、入口に立ったばかりだ。洸がやや緊張した面持ちでいると、B・Bは龍巳に向かって言った。

「さあ、それじゃあ私は他の仕事があるから、タツミ、後をよろしくね」

「はーい」

 龍己は手を上げて元気よく返事をする。

 そう言えば、彼はなぜ部屋の外に居たのだろう。何か自分と関係があるのだろうかと思い、洸は聞いた。

「あの、羽良君は何でここにいるんですか? 最初、迎えに来たのは同じ学校だったからだとしても……」

「ああ、言ってなかったわね」

 失念していたと、B・Bは指を唇に添えた。

「あなたはタツミと同じチームに配属されることになったのよ」

「よろしく!」

 龍己は洸に向かってウインクを飛ばしてくる。このテンションに自分はずっとついていけるだろうか。俄かに不安になる。顔に出てしまったのだろう。すぐにB・Bがフォローを入れた。

「まあ、こういう子ばっかりじゃないから、安心してくれていいわよ」

「あ、何かそれ傷つく!」

「はいはい、ごめんね。タツミ、洸をクローゼットルームに連れて行って、それから力の解放。その後、チームルームであの子達を待たせておくから、そこで会いましょう」

「うぇい! 心配ご無用!」

「頼んだわね」

 龍己は敬礼をし、去って行くB・Bに向かって手を振った。洸は正直まだ不安だったので彼女に一緒に居て欲しかったが、頑張ってねと言っただけであっさりB・Bは去って行ってしまった。

 ひとしきり手を振ると、龍巳は勢いをつけて振り向き、洸に笑いかけた。

「ほんじゃいこっか、ひーちゃん」

「えっと、ちょっとそれ、違和感なんだけど」

「それ?」

「その、ひーちゃんっていうの……」

 龍巳は腕を組んで考えていたが、ふと右手の人差し指を立て、洸に向かって真剣な顔で聞いてきた。

「うーん。なぁ、ほんじゃーさ、ひかぽんとひーたんとどっちがいい?」

「どっちもいやに決まってるでしょうが!」

 思わず突っ込んだ洸に、龍巳は笑い声を立てる。

「わがままだなー。呼び捨ても駄目なんだろー? せっかく俺が、ナイスな愛称を考えてあげたのに。ほらもっと、フレンドリーに行こうよ。フレンドリィにさー」

「ううー。あんたみたいな対人スキルが欲しい」

「じゃ、それこそひーちゃんっていう愛称を受け入れるところから。俺のことも好きなように呼んでくれていいし。それでいーだろ?」

 龍巳は洸の顔を覗き込み、頷くのを確認して自分も頷く。

 洸は学校の様子を思い出した。喧騒の中心にいて、何を話しているんだかは知らないが、とにかく一際楽しそうに、大声で喋っていた龍巳の姿だ。洸にとって、その騒ぎは少し迷惑な時もあった。だが時折、彼が所在無さ気に見えたのは、気のせいだろうか。

「羽良君」

「うーん、それ、いいよもう」

「じゃ、龍己君」

「硬すぎかなぁ」

「……龍己」

「ま、そんなとこ?」

 親しくもない異性を呼び捨てにするのに少し抵抗があったが、慣れるしかないだろう。

「龍己は……よく疲れないね。学校もそうだけど、でも、こっちはいつもよりもテンション高い気もするけど」

「うん、だってここたのしーし」

 笑みを崩さずに、龍巳は言う。けれど彼の続けた言葉は、洸にとって予想外だった。

「けどね、学校の方はほとんど付き合いだよ。当たり障りなくってやつ。俺の性格でっていうと、ああいうキャラになっちゃうんだけど」

 驚いた洸の前で、龍巳は頭をかく。

「俺も、時々しんどくなるよ。ああいうところにいるの。悪口言う流れになったりするしさ。そりゃ俺だって、いらっとする時あるよ。……けどさ、人に当たって発散すんのは違うって感じすんじゃん。男子同士のいじめも結構きついし」

 洸は何の相槌も打てなかった。龍巳の言葉に、彼の本音に聞き入るばかりだ。

「しかも、皆見て見ぬ振りか、一緒にやるか、煽るかの三種類っしょ。それがもー、胃が痛いっつーか」

 声に出して笑って、でもそれは苛立ちを出したような、やけくそめいた響きを残す。

「ありゃ、なんでこんな話になったんだっけ。ごめんね、暗い話して」

「や……そんな、別に。大丈夫」

 洸は驚きつつ、龍巳に対する信頼の度合いを上げた。彼がこんな風に考えているなんて、思いも寄らなかった。

「ま、俺もあの学校はもう通わないんだけどね。こっち一本に絞れるからやったーって感じで。テンションも上がっちまうわー」

「そうなんだ」

「ん。俺が通ってたのって、ひーちゃんがいたからっつーか。異能力者は分散させとくより、ある程度固めとくのがいいっていうことで、他にも学区内に異能が居れば拠点にするって話もあったんだけど、住んでる距離が中途半端だったり、ひーちゃんはこれからトレーニングすることになるだろうから、ついでに抜けさせてくれって頼んだ」

 洸は龍巳に、さっきよりはだいぶ力を抜いて話しかけた。

「ねぇ、ここにはずっと通ってるの?」

「ああ、一応生まれた時から登録申請されてるし、学校が終わったら、こっちに来て能力のトレーニングしたり、勉強したり。塾とかスイミングみたいなノリで」

 そういえば龍巳は部活に所属している様子も無く、いつも早々と帰っていた。

「後は普通に暮らしてたよ。俺はね、親父の方はふつーの人間でさ、なんの力も無いんだけど、お袋が異能の血を引いていたんだ。お袋はここの世話になってて、必然的に俺もここに世話になってるって訳だ」

 そゆこと、と龍巳は話を締めくくった。その後は趣味の話など取り留めのない話をしながら、洸たちは整備された白い廊下を歩いていった。思いのほか廊下は静かで、足音もそれほど響かない。人とすれ違ったのも一度か二度で、後は全く出会わなかった。その人たちも、さして特殊な姿はしていなかったため、洸はほっとすると同時に多少拍子抜けした気分だった。

「随分、人気がないね」

「あー、こっちはあんまり人、来ないんだよね。病棟とか倉庫だから。勉強するとこはもっと上にあるんだ」

 上、か。一体何階建ての建物なのだろう。歩いている距離などから考えても、何だか広い気がするのだが。そんなに大きな建物なら目立ってしまわないのだろうか。

「よーっし、やっとこ着いたな。おーいヴィアぁっ! 来たぞーっ!」

 そんなことに思いを巡らせていたら、目的地に到着したようだった。

 龍巳は扉の無い部屋の入口に立ち、中に向かって呼びかける。扉が無い代わりに、銀色のフレームがはまった入口の右には同じ材質のプレートが張ってあった。

『クローゼットルーム』

 中を覗き込むと、クリーニング屋と服のショップが合体したようになっていて、棚いっぱいに畳まれた服が積まれていて、ポールが横に渡してあり、ハンガーに衣類がかけられていた。全て色や材質別で分類されている。

 奥から軽い足音が聞こえてきた。

「はいはーい」

「あー、やっと来た。ヴィア、人の事待たせんなよなー」

 ヴィアと呼ばれていたのは、明るい茶髪の女性だった。背が高く、細身の体は華奢だ。

 肌は見ようによっては、淡い緑がかって見えた。歳は見た感じ二十代後半。亜麻色のチュニックと七分丈のパンツを穿き、手首に腕時計のように針を刺したクッションをつけていた。まだお姉さんと呼んで差し支えない年齢だが、その反面、彼女の木の葉の色をした瞳は、長い年月を重ねた知識の深さを知らせる、とても数年で培うことのできそうもない深さを宿していた。

 しかし洸が一番驚いたのは、彼女の耳の先が鋭く尖がっていたことだった。

 洸を尻目に、ヴィアはたおやかな外見に似合わず快活に笑った。

「はーい、ごめんねー。ちょっと仕立てが……あら、タツミじゃない。どうしたの? この前のズボン、何か問題でもあった?」

「やー、あれは何の問題も無いんだけどさ。今日は、俺じゃなくってこっち。ひーちゃん」

「……ひーちゃん?」

 ヴィアはそこでやっと洸の方を向いた。

 洸がおずおずと頭を下げると、ヴィアの笑顔が弾けた。

「あらまあ! 新しい子? 可愛い!」

 ヴィアは電光石火の勢いで洸の手をとると、大きく上下に振った。どうやら握手のつもりらしい。

「こんにちはっ、はじめまして! あたしはヴィア。エルフなのよ」

「エルフ!」

「今年でー、えーと三百歳? だっけか」

「やーね、まだ253歳ですー」

「にっ、二百っ?」

「そうなのよー。これからもどうぞよろしくねーっ!」

 この人は―――『人』と言っていいのか分からないが―――かなり陽気な気質らしい。

「あっ分かった、うん、この子の服よね。確かに動きにくそう。制服ってあたし嫌いなのよね。あたしに任せて頂戴! はいはいこっち来て! あ、タツミはそこで待っててね!」

「はいよー」

 興奮気味に洸の手を離さないヴィアに、ひらひらと龍巳は手を振った。ヴィアは勢いよく洸を部屋の中へと引きずり込んだ。

 部屋の中に入ると、また印象が違う。一瞬花畑の中に投げ出されたように感じた。

 柔らかなパステルカラーから、鮮やかに弾ける原色、品のいい暗色まで、視線を巡らせば何でもありだ。何種類もの赤、何種類もの青、何種類もの緑、何種類もの黄色。ピンク、紫、黄緑、水色。

 壁一面、それからポールが並べられた色とりどりの服で埋まっていて、世界中のどんな色でもありそうだった。洸はその生き生きとしたカラフルさに目を見張った。 

 その光景に言葉も忘れて洸は見入った。と、ぽんと肩を叩かれる。叩いてきた手の大きさに対して、やけに肩が重い。不審に思って、背後を振り返った。

 そして洸は微笑むヴィアの姿を見て。

 なぜか、命の危険に近いものを感じた。


 *


「……はー、ひーちゃんも大変だぁー」

 龍己は壁に寄りかかり、のんきに呟いた。BGMは、洸の悲鳴とヴィアの嬌声だ。予想はしていたのだが、余り楽しいとは言えないミュージックだった。

 ああいうやりとりを見ていると、自分は男でよかったと思う。しみじみと頷く。

「ねぇ! こんどこれ着て! こっちも! あとこれ!」

「いや、そんな可愛いのはちょっと!」

「可愛いからいいんじゃな~い」

「いやいやいや、ちょっと無理です。ていうか、実用性ないですよね」

「可愛いは正義!」

「噛みあわない!」

 洸はヴィアのお気に入りになったらしい。

 龍巳は大変だと再度呟き、軽く目を閉じた。

 どうせヴィアにかかったら、すぐに済む訳が無い。だったら、少し寝ていようと判断する。龍己の特技の一つはどこでも寝られるということだ。

 

 *


「起きて」

 洸に肩を揺さぶられる。だが龍巳は、まだ眠そうに顔をしかめた。

「うあー、いくぞ魔王ー。この勇者たつみんが退治してやるぅー」

「平和な夢だな」

 寝ぼけまなこをこすり、龍巳はようやく夢から目覚める。

「お、終わった? 随分かかったと思うけど……って、その顔」

 洸の顔色は優れない。短時間だったというのに。

「ちょっと、色々あってね……」

 げっそりとした面持ちで、洸はくすんだ緑のキュロットスカートの端を引っ張った。「スカートをはかないんだったら、何をしてでもぜっっっっったいに部屋から出さない」とヴィアに半ば脅迫のような形で詰め寄られ、どうにか半歩譲って、キュロットでよしとしてもらったのだった。

 洸は甘さのあるデザインを余り好まないので、動きやすさと機能性を重視して服を選んだ。さすがにヴィアのセンスはいいようで、揃えられている服は全て仕立てのいいものだった。ただ選んだ服の色味のせいか、洸の姿は長い髪がなければ、少年でも通りそうだった。

 水色の襟ぐりの広いTシャツを中に着て、デニムジャケットをはおり、下は膝までのキュロット。足元は茶色のショートブーツだ。

 ヴィアは不満げな顔で可愛いワンピースを名残惜しそうに持っている。

 何しろ、ヴィアがこれはこれはと持ってくるのは、どれもこれも可愛い系の、最低でもどこか一箇所はフリルかレースかリボンがついている物ばかりで、これは当てにならないと思った洸は自分で服を探すことにしたのだった。

「ねぇねぇー、地味よー。地味すぎるわよー。ほら、男の子みたいだし。もっと可愛いの着ない?」

「また次の機会に」

「それって今ってことにしない?」

 これでは切りがない。洸は夢の中に戻りかけていた龍巳の腕をつかみ、お邪魔しましたと挨拶した。ヴィアは残念そうな声で二人を呼び止めた。

「わかった、わかったわよ……ちょっと待って、まだ渡さなきゃならないものがあるから」

 ヴィアはぶつぶつ文句を言いながら、一度部屋へと引っ込み、すぐに戻ってきた。よく見ると、彼女の手に細い銀の鎖が下がっている。

「はい。洸、手を出して」

 洸が言う通りにすると、ヴィアは洸の手に鎖を落とした。細い鎖の先に、銀の小さな流れ星がついた可愛らしいデザインのペンダントだった。

「何ですか? これ」

 見た感じ、普通のペンダントにしか見えないが。

 渡された意図が見えず、洸は問いかけた。

「これは翻訳機能付のペンダントよ」

 ヴィアは、人差し指を立てて説明した。

「このペンダントトップの中には小さい機械が入っていて、これを着けていれば、相手がどんな言葉を話していても、自分の国の言葉に聞こえるの。自分が普通に喋っても、向こうの人にはそれがちゃんと向こうの言葉に聞こえるしね。これから他の国の言葉や種族の言葉が分からないと困るでしょ。私も使っているの。だから洸たちとも会話が出来るのよ」

 ヴィアは自分の耳を引っ張ってみせた。耳たぶに、小さなガラスのピアス。洸はペンダントを眺めてから、金具を外して身につけた。流れ星が洸の胸元で揺れて、落ち着いた。

 それを見ると、ヴィアは満足げに両手を合わせた。

「やっぱりね、とても似合ってる。ああ、ほんっとに女の子はいいわ。残念ねぇ。またいつでも来てね。モデルは募集してるから。今度来た時には、着てみるよね?」

 もちろん髪形も変えて。期待に満ちた瞳で髪を撫でるヴィアに、洸は曖昧に微笑んだ。

「じゃあこれはどうする?」

 ヴィアは、洸に彼女の制服を差し出した。

 一年と少し、着た制服だ。それは、彼女が学校という場所の一部だったことの証だ。

 洸は少しの間だけ見つめると、口を開いてヴィアに答える。

「……処分、しちゃってください」

 もう戻る事は無いだろう。それなら、これはもう二度と必要のないものだ。

「そう……わかったわ。じゃあ処分しとく。これから、がんばってね」

 またねと手を振るヴィアに別れを告げると、二人は廊下を歩き出した。


 *


 部屋から遠ざかったところで、龍巳が洸にたずねた。

「……制服、いいのー?」

「いいの。もう、着ないしね」

 龍巳は何も言わなかった。

 このまま妙な沈黙が続くのも嫌だったので、洸は軽く腕を広げ、龍巳に向かって少し気になったことを聞いてみた。

「それより、あたしこんな普通の格好でいいの? 何か必要な物とか、特別な格好とか……そういうのは、無いんだ?」

「うーん、装備はこれからもらいに行くよ。後、服は強化繊維で出来てるから、燃えにくかったり、刃物で切り付けられても切れなかったりするらしいよ。エルフの防護呪文ってすごく強いんだ」

 龍巳に言われ、洸は改めて服を見下ろす。一見普通の服だが、そう言われると魔法のアイテムのような気がしてしまう。

「それにさ、下手に変わったかっこしても、目立っちゃうしょ。俺だってほら」

 龍己は二歩ほど洸の前に出て、くるりと軽く回って見せた。今は角も翼も無く、黒のTシャツにジーンズ、赤のラインの入ったスニーカー。それにリュックサックを背負っている。どこを歩いていても不自然さのない、至って普通の少年である。

「さぁて、次は博士んとこか」

「博士?」

 洸が質問しようと思ったその時。彼女の横を、尾を引いて蛍のような光が通り過ぎた。

「え!」

 彼女が驚いてよく見ようとすると、それは失礼ねとでも言いたげにちかっと瞬いて飛んでいってしまった。かすかに光る中指くらいの大きさの小さな人間だ。背中にトンボのような、透き通った羽が生えていた。

「嘘! あれって、よ、よよよ」

「おお、やっと出てきたよー」

 龍巳はうろたえる洸に目もくれず、ほっと胸を撫で下ろす。

「あれっ、ひょっとして妖精!?」

「うんそう」

 龍巳はあっさりと肯定した。

「こ、ここ……あーゆーのも、いるの……?」

「ひーちゃん、『あーゆーの』は失礼だよ。もちろん妖精だっているさ。なんだか今日は人間以外の人に会わないから、俺もー一体どうしたんだろう、って思ってたけど、なんだ、別に何かあったって訳じゃないんだ」

 よかったよかったと龍巳は頷き、洸に向かって、にやりと意地悪げに笑ってみせる。

「これくらいで驚いてたら駄目だよ。もっと凄い人が、ここにはいっぱい、いーっぱい居るんだから」

「もっと、凄い人……!?」

 想像もつかない、と洸は軽く首を振った。

「妖精は知能が高いから、高知能生物として人間やエルフと同じくくりなんだけどさ。ここ、そう言う人の他にも、向こうだと暮らしにくくなってる幻想動物の保護もやってるんだよ。向こうに居られなくなったから、こっちへ来たんだってさ」

 しかし、龍巳に言わせると、ヴィアみたいにここに適応できる人は珍しい方なのだそうだ。大抵のエルフは、組織が保護している森で、さっき言った幻想動物たちと共に暮らしているらしい。

「頑固な人も居るんだけどねー。いまだに、ずっと住んでた村から離れない人とか。その地域でないと物理的に生活できない人もいるけど。そしたら、お互いにとっていい形でその地域の保護活動をするんだって」

「……でも、想像っていうか、本当は居ないから『幻想』動物じゃないの?」

 洸の疑問に龍巳は首を横に振り、否定する。

「ちっちっち。幻想動物って言われてる生き物は、実は存在するんだぜ! だからこそ、あんな風に絵とかも残ってるわけさ。今はほら、環境汚染とか色々あるだろ? そう言うののせいで住める場所が減って、森とか山とか湖とかの、まだ綺麗な所の奥深ーい場所でひっそり暮らしてるんだ。保護は金も時間もかかるから大変だって」

「へーえ……」

 洸が感心してそう声を漏らすと、龍巳はにっと笑って足を止めた。

「ま、急がなくたって、また教えてもらえるよ。何しろ、これから勉強するのはそういうことだからさ。とりあえず、今はもう着いたからさ」

 親指でドアを指差す。横のプレートには [第三研究室] と書かれていた。

 龍己はジーンズの後ろのポケットから金色のカードを取り出すと、それをプレートの下に刻まれた僅かな隙間に差し込んだ。キィンと澄んだ音が鳴って、続いて空気の抜けるような音が続く。そして、それから少し遅れて、ドアが左右に開いていった。

 龍巳は扉の内側に入り込むと、おどけた仕草で右手で研究室の中に招いた。

「さぁ、どーぞ」

「うわぁ……!」

 洸はそこに足を踏み入れ、声をあげた。

 その部屋はまるで、映画に出てくる研究室を、丸ごとこの場所に引っ張りだしてきたようだった。足元を蛇のように這う、何本ものコードを踏みつけないように気を配りながら、洸は部屋の中を進んだ。様々な形のガラス管や大げさな機械、煙を上げているフラスコ。 

 お決まりの物があちこちに散らばっていて、それを、パソコンのディスプレイから発せられる、ぼんやりとした薄青い光が照していた。

 壁は一面が棚になっていて、やたらと古そうな本が並んでいたり、そうかと思えば、なにやらピンクや赤、緑、青など、とんでもない色をした液体の入った怪しい瓶が並んでいたりする。どんな効果があるのか全く分からない液体を見て、洸は少し不安になった。あれが零れ出すようなことになったら、一体どんな状況になるのか全く見当がつかない。そして、一見その辺に転がっている石と変わらないものもきちんと棚に並べられていた。

 一体何に使うのだろうか。

「すっごい……セットみたい」

「すげぇっしょ。俺も驚いたもんねぇー」

 何度見てもビビるよな~と、一人興味深そうに辺りを見回している洸を置いて、龍己は部屋の奥へと呼びかけた。

「おーい! ドクターっ! 笹笛ささぶえ博士~っ!」

「……おや、龍己君じゃないかぁ」

 機械の唸りが聞こえてくる。見上げると、上から数十冊の本と一人の人間を乗せた、小さなリフトが下がってきた。乗っているのは、ひょろりとした青白い顔の男性だ。べたついた黒い髪に、黒縁の分厚い眼鏡。その中に気の弱そうな瞳がある。

 彼はこれまた定番の、あちこちに怪しいしみを作った、「白衣」と呼べるのかどうかも危ぶまれる、汚れてよれた白衣をはおっていた。いくら白衣の本分が汚れることだったとしても、見るものの哀れを誘う汚れ方だ。洗濯機に入れられたことがあるのかも疑わしい。

 その姿はどう見ても、研究室と必ずセットになって、怪しげな研究をしているマッドサイエンティストそのものだった。彼ほどこの部屋にふさわしい人間は、この世に存在しえないだろう。

「言っておくけど、僕の名前は笹笛じゃなくて、笹舟ささぶねだからねぇ。間違えないでくれよぉ」

 彼は弱々しく笑うと、白衣と同じようによれよれとした張りの無い声を発した。

「あれぇそうだっけか? いやーごめん! 気をつけるって」

「……この前もそう言ってたじゃないかぁ」

 男の細い声と、語尾が震える話し方に、洸はあまり好感が持てなかった。悪い人ではなさそうなのだが。妙に暗い雰囲気をまとっていて、それこそ、人魂でも背負ってそうな風体だ。

「!?」

 龍巳が振り返ると、そこには、真っ青になって、一瞬のうちに今いた位置から1mは後ずさった洸の姿があった。

「ん? どしたのひーちゃん。音立てて後ずさるなんて。そりゃたしかに笹笛博士は近寄りがたいけどさぁ」

「……酷いなぁ、龍己君。だから僕は笹舟だってばぁ」

「あ、ごめんごめん。だってさぁ「笹舟」と「笹笛」ってなんか似てない?」

「な、なん、な、あ……」

 洸は回らない舌で話そうと賢明に努力をしながら、笹舟の肩の辺りを震える指で示した。

「なんっ、何で。そ、そのその人っ、ユーレイ!?」

 怯えた顔をしてようやくそう言いおえた洸と、彼女の指の指す先に漂う浮かぶ炎を見比べ、ああと龍己は手を打った。

「ドクターは霊感あるんだよ。だから引き寄せちゃうんだ」

 害は無いよ、と龍巳は笹舟の背後でゆらゆらと動く、一対の青い炎を軽くつついた。

「片っ端から成仏させるのも疲れるしねぇ……この子達も望んでないし、悪い子でもないしぃ。人魂は意外と明るくてねぇ、ランプがわりになっていいんだよぉ」

「そんな怖いランプがあってたまるか!」

 洸がやや強く突っ込むと、人魂たちはびっくりしたのか、ひょろろろろろろ……と飛んで笹舟の後ろに隠れてしまった。

「あああ、気にしないでいいんだよ~、青一あおいち青二あおじ~。あの子はちょっとお前たちが怖いだけなんだよ~」

 笑いを含んだセリフに二つの人魂はしゅるしゅると縮んで、部屋の隅っこの所に飛んでいってしまった。すると彼は、ああ~傷つかないでくれ~とよたよたと隅っこに走って行き、人魂を必死に慰め始めた。

 洸はいまだ警戒している様子でそろそろと龍己に近寄り、二人はそれを見ながらしばし無言だったが、しばらくするとどちらともなく会話を始めた。

「……人魂に名前付けてるし」

「けっこー、変わりもんなんだよな、博士」

「結構どころじゃないから」

「でもさ、根はいい人なんだよ。あの白衣をやめて、髪の毛を切ったら意外とモテると思うんだけどな~」

「いや、まずお風呂入るべきでしょ」

「……そうだねー」

 そのまま、彼が青一、青二を慰めること十数分。

 どうにか機嫌の良くなった二匹は、また、ふよふよと笹舟の周りを漂い始めた。

「それでぇ、いったい何のよう~?」

「あ、ひーちゃんの能力目覚めさせてもらいたくて」

「ひーちゃん~?」

 首をゆっくり傾けた笹舟に、洸は一応頭を下げた。

「星村 洸です」

「そうか、見覚えが無いと思ったら新入りの子か~。僕は笹舟 理だよ~。ここで、能力の研究や道具の開発をしているんだぁ」

 そう言うと、笹舟はほにゃらとした、どうしようもなく緩みきった笑みを浮かべ、手を差し出して来た。だが、彼の右手には紫黒い変な液体がついていたので、洸は遠慮することにした。

「ああ~、いけない~。ごめんねぇ、これ、普通の人には有害なんだよ~」

(何で平気なんだ!)

 笹舟は洸の向ける奇異の目をものともせずに、顎に手を当てて洸の顔をじろじろと眺めた。

「ちょっと失礼」

「わ!」

 笹舟は胸元からルーペを取り出すと、洸の髪を一房つまんで観察しだした。

「これは染料で染めてるのかな?」

「あ、はい。そうです。そのままだと目立ちすぎるから、黒くしてて」

「ふんふん、髪と目に特殊能力の顕現があるタイプだね。通説から行くと、青いカラーは水系かな~?」

 龍巳は授業を受けている時のように手を上げた。

「はいはーい」

「はい、龍巳君~」

 指名された龍巳は手を下ろして、

「あのさ、俺ひーちゃんの話聞いた時、前に博士が話してた空系の話思い出したんだよね。だって〝星村洸〟じゃん?」

「ああ、なるほどね~。一族の能力をそのまま名前に反映させているのか。じゃあベニアズマ一号、水系と空系のテキストをお願いね」

 笹舟がそう言うと、頭がサツマイモの形をした紫色のロボットが部屋の奥からひょっこり姿を現した。

「……ベニアズマ?」

 笹舟は自分のロボットを人に見せるのが嬉しいのか、うきうきとした顔だった。

「僕焼き芋が好物でねぇ~。焚き火で焼くとまた美味しいんだよねぇ~」

「あ、俺も! やっぱ秋は焼き芋!」

「だよね~、でもB・Bはこの中で焚き火をすると『火事になる』って怒るんだ~」

「酷いんだよな! 焼き芋は焚き火でなきゃ!」

(絶対つっこまないぞ)

 突っ込み不在の状況に洸は決意を固めたが、二人は〝焼き芋トーク〟を繰り広げ始めた。

 その間にベニアズマ一号はキャタピラで移動し、書類の収められた浅い引き出しの前で止まった。該当する引き出しから、黄ばんだ紙を銀色のアームで取ってこちらに来る。

 笹舟は紙を受け取ると、ベニアズマ一号を撫で撫でして褒めた。

「お利口だね~」

「すごい……」

 ふざけた頭なのに、侮りがたしベニアズマ一号。

 そんな風に呟やいた洸に、笹舟は相変わらず、ふにゃっとした笑顔を崩さず紙を手渡した。

「これ、読めるか見てみて~?」

「あ、はい。えーと」

 言われるままに、洸は紙に目を通した。笹舟が少し偉そうに、背を逸らしながら説明をする。

「それには、水系一族と空系一族の伝説が、それぞれの古語で書いてあるんだよ~。一番簡単な見分け方だからね。大抵血筋によって能力を受け継いでいる一族は、教わらなくても文字を覚えてて読めるんだよね~」

「はぁ……そうなんですか」

 洸は首を捻りながら、一応文字を追ってみる。

 しかし、片方は向きを変えたり目を細めたりしても、どう見ても単なる歪んだ模様にしか見えなかった。

「………なんか、こっちは駄目みたいです。意味わかんないし」

「水系は駄目か。そっちは~?」

「うーん」

 洸は眉を寄せ、もう一方の紙に目を移す。

 字も掠れていて、普段見慣れている漢字やひらがなとは違うため、判読が難しい。やっぱり駄目なんじゃないかと思いかけた時に、頭の中の壁が壊れるように突然言葉が分かった。


 天地黎明の夜明け。神は我らに星々と会話をする能力を授けた……


「あ!」

「お? 読めた?」

「う、うん」

 洸は慌てて頷いた。こちらも先ほどと同じく見たこともない文字のはずなのに、意味が理解できた。見た瞬間に感じた難しさは既に無く、するすると読み取れる。

「ああ、空系だったんだね。じゃあこっちおいで~」

 笹舟はうんうんと頷いて、よたよたおかしな機械の所へ歩いて行った。一つの機械の前で立ち止まると、その前に立って、彼は高らかに言った。

「これこそ……〝能力わけマッシィ~ン〟!」

「うわぁそのまんま」

「だよな」

 ぱらっぱっぱぱー

 どこからか気の抜ける効果音が聞こえて、おまけにその機械がぴかーっと光った気がした。よくよく見れば、笹舟の手元には小さなリモコンがあり、機械の後ろにライトと、音楽を再生しているパソコンがあった。ベニアズマ一号が管理している。

 芸が細かい。

 その機械はおわんを伏せたような形で、大きさは大体2mくらいだろうか。おわんには、ハリネズミのように、色々レバーなのか飾りの棒なのかよくわからない棒が刺さっている。

 正面には、親指くらいの大きさの丸いボタンがいくつか並んでついていた。笹舟が機械の脇についているレバーのうちの一本をがこんと引き下げると、機械の上のほうの電球が点滅した。

「ささ、このメットを被って~」

 そう言っていそいそと渡されたのは、コードが連結されているが明らかに工事現場用のヘルメットだった。コードは長く伸びて、機械の下の部分に繋がっている。黄色いヘルメットには安全第一と書いてある。洸は強烈な不安に襲われ、自分の視覚を猛烈に否定したくなった。

 これって夢? ああ、夢。夢だよね? そっかあ夢かあ。いや現実だけど。

「ねぇ……これほんとに大丈夫なんだよね……」

 なんと言うか、非常に馬鹿馬鹿しさが強調された一品である。そういえば、この研究所は確かにすごいが、近未来的というよりは、なんとなく〝ちょっとレトロな未来のイメージ〟という感じなのだ。なにより彼の開発したものはチープさが目立つ。

 龍巳は同情するように肩を叩いて、共感を示した。

「まあ、すんげーよくわかるよ。気持ちは。でも被んないとほら、話が始まんないからさ」

 洸はしぶしぶヘルメットを被った。笹舟はヘルメットと同じく、マシーンと連結したコードが繋がっている、大きなパソコンの前の椅子によいしょと腰掛けた。

「これで良いですか?」

 不安げにそう言うと、笹舟はへにゃんと笑って頷いた。

「うん。そしたら、ヘッドホンをつけて、自分の内側に集中してみてくれる~?」

 よく見ると、マシーンから伸びたコードは途中で二股になっていて、その先にヘッドホンもつながっていた。龍己が手渡してくれるのを、後ろ側から耳に装着する。

「えっと、内側……?」

「最初はね、目をつぶってるだけでいいよ。こっちで、気付くのが楽になるような……そうだな、波みたいな物を送ってるから、すぐにわかると思うよ~」

 洸は半信半疑で目を閉じた。ヘッドホンからは、一定のスピードで電子音が流れていた。

 自然と音に集中する。すると、この部屋が研究室であることや機械の存在、龍己や笹舟の気配からも遠ざかっていく気がした。


 *


 そこは、暗闇だった。


 しかし、暗闇と言ってもそれは、自分をおびやかすものではなく、むしろ暖かく包んでくれているような、そんな闇だった。

 洸は心身共にリラックスした気持ちで、ゆっくりと辺りに手を伸ばした。その時、前方に、穏やかなテンポで明滅する白い光が―――見えた、気がした。

「光ってるのがある……と思う」 

 暗闇の中、上から降るように、少しくぐもった笹舟の声が聞こえる。

「それが君の力なわけだねぇ。これから、こっちで力を開けるように手伝ってあげるから、それを開いてごらん~」

「開く、って……」

 よく分からない。

 しかし、とにかく―――やってみよう。

 自然と、そう思えた。

 洸は目を閉じたままでイメージに自身を委ねた。

 その光に向かって歩き出す。不思議なことに、足が踏む感覚がある。体が動く感覚がある。動いていない、はずなのに。水中を歩くときのように、闇が体に絡みつく。

 いや、絡みつくという表現は正しくない。それよりももっと優しく、撫でるように、彼女の傍らを通り過ぎる。


 暖かい風に吹かれているような、暖かい水に濡れているようなそんな感覚があった。

 いつの間にか、光が目の前にあった。

 鼓動を繰り返す心臓のように白い光が、明滅する。

 暗くなり、そして緩やかに明るくなって、それを際限なく繰り返す。

 手を伸ばしかけて―――洸は、一瞬ためらった。


 それはとても美しかった。無垢で、純粋で、それでいてとても強いものだ。触れては、いけない。

 使い方を誤れば、死が待っている。

 その言葉が素直に納得できる、強さ。

 肌に触れる優しさと、裏に秘めた、強烈なもの。


 それは本能の警告のようなものだった。

 触れれば、今までどおりではいられないという、実感があった。洸はぐっと手を握り締め、目の前の輝く光に向かって、手を伸ばした。

 これを手に入れられなければ、何もかもが、始まらない。

 思いに突き動かされた腕が、前に伸び――――


 白い光を、つかんだ。


 次の瞬間、洸の周りは一変した。布を剥ぎ取るように、辺りの様子が変わる。満天の星の輝く、深い、濃い黒と紺の夜空。洸は、そこを飛んでいた。風のように速いのに、それなのに、何故か、顔にも体にも吹き付ける強さを感じない。自分自身が風のように、空を切って滑る。

 はるか遠くにあった一つの星があっと言う間に大きくなって、洸の目にはその星の光しか映らなくなった。

 洸の体を中心にして、突風が研究室の中に吹き荒れる。瓶が何本も落ちて割れ、真っ白な煙がしゅうしゅうと細い筋を作った。机の上に高く積みあがった本の山は次々に崩れ、床に落ちた本のぺージが、凄い勢いで捲られていく。

「うぉ!」

 龍己は体をかがめて腕を前に出し、顔を庇った。

「来たぞぉ~!」

 笹舟はバタバタと白衣を翻し、目を輝かせて叫んだ。洸のヘルメットは吹き飛び、髪が広がって吹く風に揺れる。彼女の目は青さが増し、ランプのようにこうこうと光っていた。

 棚に並べられた石の内の一つが飛んできて、洸の目の前に浮かんだまま、ぴたりと、静止する。すると、見る間に青い光が石からあふれ、だんだんとそれは人の形をとっていった。

 吹き荒れる風の中心に洸はいた。そこでは風は温かく、洸を包み込むように、優しく吹いていた。

 人の形をとった者は、名乗った。男か女かが判然としない、不思議に響く声で。

「新しき星使いの少女よ、私はお前の力が気に入った。我、二等星エアフィア。汝の名を問おう」

「あたしは……あたしの名前は、星村 洸」

 洸は、両目を止まらない光に輝かせたまま、顔に現れる戸惑いを声に滲ませ、答える。

「洸。新しき我が主」

 エアフィアは薄れ始めた姿で微笑み、手を伸べた。冠を授けるように頭に両手をかざすと、輝きが洸の頭の周りを彩った。

「忠誠を誓おう」

 青い光がおさまった。エアフィアは消え、石は空中から降り、洸の手の中に落ち着いた。途端に風も止まって、龍巳の頭には計ったように分厚い本が落ちてきた。

 うぎゃあという龍巳の悲鳴も耳に届かず、洸が呆けた顔で手の中の石を見つめていると、気の抜けた拍手が聞こえてきた。

「いやぁおめでと~。お疲れ様~。二等星が味方になってくれてよかったね」

 笹舟はかなり興奮している様子で、眼鏡が斜めになっているのにも気付かずに、息巻いていた。

「……二等星?」

 洸には、手の中の石に再び目を戻した。それは、やはりただの石ころにしか見えない。

 しかし笹舟は何度も頷いた。

「そうだよ~。それは星なんだよ~。もうちょっと詳しく言うと、燃え尽きた星の欠片だね。さっきのは星の精霊。うんうん。ともかく、これで力の解放は終了だよ。いやぁ、そうか~。そうそう、たしか、星使いの話の載った本。あれもどこかにあったような気がしたな~」

 顎を撫でながら、笹舟は笑っている。

「それにしても、こういうのはほんと、いつ見てもどきどきするねぇ」

「星の……精霊」

 洸は感慨深げに石を撫でる。小さな石。それは冷たいはずなのに、ほんのりと、彼女の指先を暖めた。

「よーし、何はともあれ、これで、ひーちゃんも俺らの仲間ってこったな」

 龍己はたんこぶをこしらえて涙目だったが、それでも笑顔を作った。まだ釈然としないまま、洸は手の中の石を見つめた。光の加減で、きらきらと僅かに光を発しているようにも見える。

「実感、湧かないよ」

「そんなもんだよ。でも理屈上さ、力は使えるようになってるはずだぜ」

 龍巳はジーンズのポケットに手を突っ込んで、笹舟を振り返った。

「んじゃあありがとね、ドクター」

「ありがとう……えっと、これ、貰っていいんですか?」

「いやあ、取り上げたら二等星に怒られちゃうよ」

 主人を見つけたんだから、置いとかせてくれないよぉ、と笹舟が言うので、洸はありがたく受け取ることにして、ジャケットのポケットに落とした。

 人魂の青一、青二と共に、手を振って別れを告げている笹舟と別れ、洸たちは部屋を出た。洸が今度はどこに行くのか問おうとすると、龍巳は足を止め、顎に手を当ててうむむ、と唸った。

「これからしばらく歩くんだよな~。なぁ、もっと早く行きたいだろ? これから行くのはすげぇ上のほうなんだ」

「そうなの?」

 すると、龍己は何かを思いついたかのように、そうだと唐突に走り出した。

「えっ、ちょっ、ちょっと!」

 洸は驚き、龍巳の後を追って、慌てて床を蹴飛ばした。


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