第四十五話 白日の下にッ!

「うわ! ドアから普通に入ってきたからびっくりしちゃった。」


『るみちゃん、これ!』


 片桐が放り投げていたすまーとふぉん、持って来ちゃった。これとメモは床抜けできないもの。


『これで男にメールしましょう? 片桐だけじゃ、役者がそろわないわ!』


「う、うん。薫ちゃん、このスマホのロック解除ってわかる?」


『うん、見ていたわ!』


 男とのやりとりも含めておでこ伝達!


「やった! 番号とアドレス、セットで登録してる。

 それもイニシャルだけなんて、どうしたって怪しい関係だよね。

 いや、それだけじゃないよ……なにこの記録?」


 日記? アルバムには男の後姿の写真まで……あ!

 これ先日のあの参道の写真だわ?


 でも今はそれより。


『ねえ、早くしないと!』


「そうなんだけどね、なんて送ろうかな……。」


 ええ?! ここに来てるみちゃん、まさか先を。


『考えてなかったの?』


「ごめん、計画変更したはいいけど、実はそうなの。」


 ひええええええッ!

 二人ひきつった笑いのまま見つめあっていたら、スマホが鳴った!


『あの男よ?! どうするのッ?!』


「う、ううう。ええい!」


 るみちゃんは覚悟を決めて電話に出た。いきなり向こうが喚いているわよ?!


『おい、お互い身を守りたいのは同じだろう? 冷静に話し合おうじゃないか!』


 るみちゃんは目をぐるぐる回しながら、低く、なんとなく声色を片桐に似せて答えた。


「い、いいわ……。さっきはごめんなさい。嫌なことがあって、つい。」


『なんだ。わかってくれればいいが。なんだか……声が変だな?』


「さ、さっき怒鳴って、かすれた。心配しないで。

 喉痛いから、メールする。待ってて。」


『あ、ああ。……わかった。』


 電話を切るなり、二人とも床にへたり込む。これで時間は稼げるわ。でも、るみちゃんは疲れきった顔で、意外なことを口にした。


「もう、ここらで止めようか?」


 ぎょっとしてるみちゃんを見つめて……はっとした。

 今頃になって気がついたけれど、るみちゃんは汗でぐっしょりだった。

 さっきまで嘘つきまくるのに、るみちゃんも平然とやっていたわけじゃ、なかったんだわ。


「メモリーとメモ、それにこのスマホがあれば、

 匿名であのゲスな新聞社にでも投稿すれば、きっと飛びつくだろうし。」


『新聞社って、比留間先生が逮捕された時に集まっていた?』


「うん。それで片桐さんと男の悪事も暴かれるよ。」


『何をいうの?

 それじゃるみちゃんが軽蔑してたあのいやらしい報道の人達と同じじゃない?

 それにこのすまほの出所を調べないはずがないわ?

 これを盗んだのは私なのに、るみちゃんが犯罪者になっちゃうわよ?』


「そこまでばれたら、その時は仕方ないよ。」


『駄目よ!

 そんなことになったら雨守先生が悲しむわ?!

 私も一緒に考えるから! 最後までやりましょう?!』


「……うん!」


『男へのメールだけど……そうね、こうしたらどうかしら?』


*************************************


 からからから……。


 美術教室の、直接外に出られる戸が静かに開けられた。

 土足のまま、男が上がりこんでくる。


 息を潜め、るみちゃんは黒板前の教卓に隠れて男を見つめる。

 男は動く左目だけで教室を見渡すと、そのまま足音を忍ばせながら廊下へと出ていった。


《時間どおり。私達に気づかなかったね。》


『ええ。男の右側、死角になってるはずだもの。』 


 私とるみちゃんは体をほぼ半分近く重ねて、直接心に呼びかけあう。


《よし。じゃあ、第二弾、いくよ?》


『ええ!』 


 るみちゃんは頷いて、今一度電話をかけた。

 さっき私が司書室に戻しておいた片桐のすまほに。

 電話にでた片桐に「今、着きましたから」と、用件だけ伝えてすぐに切る。


 そしてるみちゃんも足音を立てないように廊下に出て男の後を追う。

 男が二階に出たところで、おもむろにるみちゃんは咳ばらいを一つした。

 驚いた男が振り向いた時、るみちゃんはにっこり微笑んだ。


「あの晩、探してたものって、これ?」


 最後に三段程階段を上り切って、るみちゃんはポケットから出したゆーえすびーめもりーを目の前にかざす。


「お前……あの時、あそこにいた……。」


「へえ、覚えててくれたんだ。嬉しくないな。

 でもびっくりしちゃった。

 コレ。知ってる先輩の名前が、いっぱ~い入ってたんだもの。」


「まさか? それは空っぽだったって……。」


「片桐さんに言われたの? ちゃんと自分で確かめたの?」


「なッ……なんだと?」


「それで新しいデータも合わせて受け取りに、のこのこ来ちゃったんだ。」


「お前……どこまで知ってるんだ?!」


「どこから?って聞いたほうが、いいんじゃないかな?」


「そいつを寄越せっ!」


 男がるみちゃんの右手首を掴み、それを奪い取ったまさにその時、二階のいくつもの教室の戸が開き、進学補習の終わった先生と生徒達が大勢出てきた。

 進学補習の期間は平常授業じゃないからチャイムが鳴らない!

 三年生はそれまで静かに模擬テストを受けていたから、男はこんなに大勢の人が周りにいただなんて、思いもよらなかったに違いない!!


 るみちゃんはすかさず叫ぶ。


「助けてぇッ!! 痴漢ですッ!!」


 すぐに何事かと周りに大勢の人が駆けてきた。その中にいた山田先生が男を羽交い絞めにしてくれた。

 「こいつ土足じゃないか!」「警察に!」そんな声も響いている。


 と、同時に図書館から飛び出してきたのは片桐!

 ここはその真ん前ですもの!!


「違いますッ! その人は痴漢なんかじゃない!

 そのメモリーは私が渡したものですッ!!」


 大勢の人垣を前にしていきなり叫んだ片桐に、るみちゃんは男の手に渡っためもりーを指さした。


「それ、片桐さんが渡したものに、間違いないんですね?

 学校に勤めてる人が、

 どこの誰だか知らない人に渡したらいけないものですよね?!」


 片桐は愕然とした。

 「すまほ」を戻した時に、婦人警官は男も一緒に連れてくると、私が片桐に思い込ませておいたから。

 だけど、ここにはその婦人警官なんていないんだもの。


 大勢の先生、生徒達の視線を浴びて、片桐はよろよろと後退りする。

 目だけは恐ろしいほど大きく開けたまま、ただでさえ化粧で白い顔を蒼白にして。


「……違う。私、関係ない。そんな人、知らない。」


 周囲に目を泳がせて呟くように言う片桐に、男は怒鳴った。


「裏切るのか?! 片桐ッ!! 

 今度こそデータを渡すだなんて呼び出しやがってッ!!」


「データだって?

 いったい何のだ?

 なんでこの男は知ってるんだ? 君の名を!」


 片桐に振り返った山田先生の、男を羽交い絞めにしていた手が緩んだその瞬間!

 男は山田先生を振り払って目の前のるみちゃんを突き飛ばした。


 階段の手前でそんなこと!

 殺す気がなかったなんて言わせない!!

 後ろによろけたるみちゃんの体を、階段落ちの寸前で受け止める。


「ありがとう! 薫ちゃん!!」


 続いて私は階段を降りようと向かってきた男の体を正面から突き抜けた。勢いで男はよろよろと再び山田先生にその体を受け止められる。山田先生はそのまま男を床にうつぶせに押し倒し、肘を背中に捩じり上げながら馬乗りになった。


 男はこれでいいわ。片桐は?


 両脇を他の先生に固められた片桐の肩に触れ、今何を考えてるのか確かめる。


 なによ、これッ?!

 片桐の本心を覗き見て、虫唾が走った。

 この女はこの期に及んで、どう言い抜けたら自分だけは罪をかぶらずに済むか、それだけに考えを巡らせている。醜いったらないわ。

 せいぜい頭を使えばいい……。


 片桐に向かってまだ喚き続ける男に近づき、私はその顔を覗き込んだ。

 私が男の身体を突き抜けたから、今、私は見えているはず。


『ねえ。さっき、るみちゃんに聞かれたこと、答えてないわよ?

 私達、いつから知ってると思う?』


「そんなこと、知るか。」


 男は私を憎らし気に睨んだ。私は冷めた目で返した。


『六年前のことからよ?』


「なに言ってんだ? お前。」


 忘れたというの?

 この男にとっては、その程度のことだったなんて。やっぱりこういう人って自分を振り返りもしないし、変わりはしないんだわ。


『一つ、いいこと教えておいてあげる。

 あの女、いつかあなたを強請る気だったみたいよ。

 すまほにあなたとのやり取り、全て記録してあったもの。写真も添えて。

 せめてあなたは、嘘のないように話したら?』


「く……くそぉ。あのアマ……。」


 最後に片桐を憎悪して睨みつけていたけれど、この男は私が幽霊であるということにすら、気づいていなかった。


 きっと、あなたを呼び出したメールは私達が送ったものだということにも、まだ気づいてもいないんでしょうね。

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