第四十三話 聞いてないよ~ッ!!
そして四日の朝がきた。
るみちゃんは肩に下げた「のーとぱそこん」が入ったバッグを担ぎなおす。
待機中は美術教室で絵(えっちなの)を描くつもりみたい。
私は緊張してるというのに、こんな時こそ平常心でいかなきゃだなんて、「すまほ」より大画面がいいだなんて、も~う!
登校坂を上っていくと、少し先を行く三年生集団の中に静香さんが見えた。でも隣をいく忍さんは後ろ姿でも少なからず不安そうなのがわかる。
『るみちゃん、私、ちょっと忍さんと話してくるわね。美術教室で待ってて。』
「ん? りょーかい。」
ふわっと飛んで、忍さんの肩に触れた。ぎょっとしたように振り向いた忍さんは私に驚いたのか安堵したのか、わずかな間に口元が波を打っている。
『薫さん! 夕べも今朝も、片桐から何度も何度もメールが来たの!』
やっぱり!
『静香さん、大丈夫でしたか?』
『無視し続けてるけれど、心配だわ?
あの女、直接静香になにか言いに来るんじゃないかしら?』
『静香さんは進学補習ですよね? その間は手出しできないと思いますけど。』
『そうならいいんだけど。
でもその前に静香は担任の山田先生に会うつもりみたい。
小論の指導を頼むだけじゃなく、全部正直に話せれば少しは安心なんだけど。』
『それなら、お手伝いしますよ!』
*************************************
山田先生は四十代くらいの社会科の先生(世界史が専門のよう)だった。地歴研究室に一人椅子にかけたまま、向かいに立つ静香さんをやさしく見上げる。
「ああ、私が添削するよ。
今度受ける大学の小論文は例年時事問題からの出題だね?
出遅れた感は否めないが、いくつかのテーマで練習していこう。
今日帰ったら早速一本目、書けるかい?」
「はい! お願いします。」
静香さんは今まで片桐からどんな目に遭っていたかは話さなかったけれど、山田先生はにこやかに静香さんのお願いを承諾された。
これでいいかも知れないわね。
忍さんも険しかった表情を、ほっと緩めた、その時。
地歴研究室の戸が勢いよく開けられた。静香さん、忍さんがびくっと身をすくめる。
そこに立っていたのは片桐!
きつい目つきで静香さんを睨み、大股を開いたその姿勢!
なんだか武藤の背の高い版という感じ!!
この女、いきなりこんなところまで来るなんて!
でも、最初に声を出したのは山田先生だった。
「なんですか? 片桐さん、新年早々乱暴だな。」
山田先生は声こそ荒げてはいないけれど、その目はじろりと片桐を一瞥した。
「これは失礼。」
澄まして一言だけ謝りはするけれど、この女は絶対悪いだなんて思ってないわ! 顔を逸らせてうつむいたままの静香さんに、片桐は声を荒げる。
「織衣さん? 夕べから人が何度もメールしてるのに失礼じゃない?
さあ、図書館に来てちょうだい! 新しい課題を出すわよ?」
「嫌です。」
静香さんは目をとじたまま小さく答えた。
「何ですって?!」
片桐は何度もメールを無視されたからか、それでよく眠れていなかったのか。お肌も荒れてるし、お化粧の乗りも悪いようだし怒り方が尋常じゃないわ?
そして静香さんの腕でも掴もうというのか、鼻息も荒く迫ってくる!
止めなきゃ……と、思うより先に!
二人の間に割って入ったのはやはり山田先生だった。それも「ゆらり」と、まるで音が聞こえるような立ち上がり方で。
「片桐さん、遠慮してもらえないか?」
皆の目が山田先生にくぎ付けになった。武藤にやりこまれて胃に穴があいてしまうほど穏やかそうな人なのに、山田先生の目は鋭く片桐に向けられていた。
「な、なんですか? 私は図書委員長だった織衣さんの面倒を」
「彼女の担任は私です。」
山田先生は片桐の言葉を遮るように言い放った。すると片桐は顔を歪める。
「担任がそんなに偉いんですか? 現に織衣さんの面倒をみてきたのは私です!」
「規則を振りかざすつもりはないが、メールで生徒を呼び出してかね?
それは面倒を見ることでも、指導でもなんでもない。」
「私がどれだけ織衣さんのために資料を用意したのかご存知ないでしょう?!」
突然言い合いを始めた二人を、静香さん忍さんと三人、口をあけたまま交互に見つめてしまう。
だんだん感情が剥き出しになていく片桐とは対称的に、山田先生は冷静だわ?
「おおかた生徒が理解できないような資料を山のようにあてがったんだよね?
それは君の自己満足だよ。
そんなものは指導とは言わない。」
「なんですか?
どうして私が山田先生に怒られなければならないんですかッ?!」
これって「ぎゃくぎれ」というもの?
片桐の怒りの矛先が完全に山田先生に移った時、山田先生の目にも、初めて怒りの光が走ったように見えた。
「君は大人しい三年生を囲い込んでは小論指導だと言って、
随分滅茶苦茶なことをしてきたらしいね?」
「織衣さん! あなたがそんなことを?!」
静香さん忍さんはまたもびくっと身を縮めた。その片桐の視線から庇うように、山田先生は一歩踏み出す。
「彼女じゃない。他の先生から聞いたんだよ。
毎年、それで泣いてる生徒が少なからずいるそうじゃないか。
合格すれば自分の指導のお陰だと恩を着せ、
不合格なら生徒の力不足だと笑って突き放すんだろう?」
「な、なんですって?! いい加減なことを!!」
片桐が喚いた時、それを上回るように山田先生は怒鳴った。
「そんなものはもううんざりだ! そんな教師も司書も必要ない!!
はっきり言おう!
今後、織衣さん、いや、本校の生徒につまらん手出しは止めてくれ!!」
「そっ、それが、教育者の言葉ですか? 呆れたッ!!」
片桐は奥歯が鳴り響くほど噛みしめると、勢いよく戸を閉めて去っていった。本当に武藤の再来だわ。
身をすくませたままの私達(実際には織衣さん)に顔を向けた時、意外なことに山田先生は悲しそうな顔をしていた。そして大きくため息をついた。
「すまなかったね。こんな情けない場面を見せてしまって。」
「いいえ。でも、あれだと先生が、片桐さんから悪口を……。」
「かまわないさ。
口をきかなくたって仕事はできる。大人ならね。
だがもう君は、あんな人と関わらなくていいから。
さあ、補習に行ってきなさい。」
本当に心から安心できたのか、静香さんは一筋涙を流すと、一礼して研究室を出る。
『静香さんはもう大丈夫だと思います。忍さん。』
『ええ、何がなんだか、びっくりしちゃったけど。またね、薫さん。』
……二人の背中を見送って。
それにしても、私、何もしなかったのに。
山田先生はどうして静香さんや忍さんの気持ちを汲んでくれたの?
少し気になって山田先生が何を感じていたのか、その肩に手を置いてみる。すぐに山田先生の苦し気な思いが伝わってきた。
山田先生は、入退院で織衣さんの面倒をみる機会を逃していたことを、気にされていたんだ。
織衣さんが不合格になってようやく、他の先生から「実は片桐さんが、……」と、あの話を聞いた。
そんな問題が過去からあったのなら情報を共有すべきだ、行き過ぎた指導は止めさせるべきだと、山田先生は校長先生に訴えたらしい。
校長先生は注意しておくと答えたけど、昨日今日の片桐の剣幕をみれば、上辺だけの口頭指導に過ぎなかったのだろう。
自分のクラスの生徒に火の粉が降りかからなければ、他の先生は特に関心も示さない。
そんな先生達の姿勢にも、山田先生は一人悩んでいたんだわ。
山田先生の肩から手を離し、私は地歴研究室を後にする。
先生にだって、捨てたものではない人だっているんだわ。ここに雨守先生がいらっしゃれば、山田先生も心強いだろうに……あ。
私ったら、また「雨守先生がいたら」なんて考えてる。
夕べるみちゃんが言ったじゃない。
そうよ。私達に出来ることをしなきゃ!
美術教室に入るや、澄ました顔で「すまほ」を弄っていたるみちゃんにおでこをくっつける。ちょっとした私の動揺も含めてだけど、るみちゃんはすぐに理解してくれた。
「凄いね……先生達もこんな言い合いすることあるんだ。
私だってその場にいたら身がすくんだと思うよ。
っていうか、その光景見せてもらったから実際すくんだよ。」
『うん、びっくりさせてごめんね。でも、きっと静香さんはもう心配ないわね。』
「そうだね。
だけど片桐さんはまだ怒りが全然収まってないと思うよ?」
そして天井を指さした。美術教室の真上は図書館。
「さっき、すっごい足音響かせて入ってきたから間違いない。」
『じゃあ、新たにデータを抜き出すのは落ち着いてからよね?
時間かかりそうよね……。』
「かも知れないね。だから、作戦変更!」
『へッ! 変更? 今から急に?』
「既に冷静じゃないならちょうどいいもの。作戦第一弾、行くよ!」
るみちゃんは「すまほ」をかざしてにやりと笑う。
そして画面の「送信」というところを「たっぷ」した。
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