第三十七話 さようなら……そして。

 翌日、先生は何でもなかったかのように、学校に来てくださった。

 そしてるみちゃんの講座は今年最後の美術の授業。先生の最後の授業でもあるということを、るみちゃん達はまだ知らない。


 奥原さんの守護霊の女の子は、ずっと先生にしがみついて笑顔が絶えない。昨日、寂しい思いをしていたもの。今日のこの時間くらい、先生を独占したいわよね。

 そんな女の子の頭を時折撫でるようにしながら、雨守先生は彼女をそのままにしていた。

 私は後代さんがいつもいた教室の隅に立って、じっと先生を見つめていた。その姿をこの目に焼き付けておきたくて。


 そして授業の終わりに、先生は皆を見渡した。


「これで終わるが、皆に言っておきたいことがある。」


「なんですか? 改まっちゃって。」


 るみちゃんの声に、男子の誰かが囃し立てる。


「ばーか、学期末だからだよ。」


「ばかだけ余計じゃん!」


 先生はにわかに騒ぎ出したるみちゃん達をなだめ、静かに話し始めた。


「風景でも、猫のしっぽでも、マンホールのデザインの違いでもなんでもいい。

 いいなあと自分の直感が閃いたものがあったら、しっかりその目で見ておけ。

 その時にしか、見られないものをよく見ておけ。

 そしてその良さを人に伝えられるように、表現力を磨いてくれ。」


「それならカメラで撮ればいいじゃないですか?」「デコるとかわいいよね~。」


「面白いのを撮ってネットにあげろってことですか?」


 反応のいい生徒達に先生は答える。


「いいや、そうじゃない。

 確かに皆の持ってるスマホのカメラは性能もいい。

 写真は記憶の助けにもなるし、その表現も多岐にわたる。

 だが、ものを見るのにカメラは二の次だ。」


「え? それじゃ、伝えようがないじゃないですか?」


 眉間に皺を寄せた一人の男子の目を見つめ、先生は言う。


「どんな高級なカメラより、君達のその目は優れている。

 見たいものにすぐに焦点を当てられる。

 カメラならぶれてしまう動きの速いものでも、

 逆光になってしまうようなものでも、

 君達の目は瞬時に見たいものを追い、明るさも合わせられる。」


「それならスマホでもいけるよねえ?」「そうだよなあ。新機種すごいよ?」


「先生、それ宿題ですか?」


「いや、覚えておいてくれればいい。」


 そして先生は、私を真っ直ぐに見つめてくださった。 


「まずは自分の目に焼き付けてくれればいい。言いたいことはそれだけだ。」


 今、同じ思いが伝わりました!

 先生、短い間でしたが私にも授業をして頂いて、ありがとうございました!!


*************************************


 翌日。

 るみちゃんと奥原さんは、終業式があった体育館からホームルーム教室に戻る途中、女子トイレの個室に一緒に駆け込むなり、ほとんど錯乱状態になった。


「なんで? ねえ、なんで雨守先生辞めちゃうの?!」


「わかんないわよ! 私、教えていただきたいこと、まだいっぱいあるのに!」


 奥原さんの守護霊の女の子も、すでにぽろぽろと大粒の涙をこぼしている。

 私はしゃがんで彼女を抱いた。


『やだ! やだ! やだ!』


『うん、うん、そうだよね。』


 一緒になって、こらえていた悲しみを涙にして流すしかできなかった。

 と、突然、トイレのドアが叩かれた。ぎょっとする四人。


「浅野~奥原~、出てきな~?」


「「正木先輩!」」


 るみちゃん奥原さんの声が重なった。慌てて個室を出る私達。正木さんは少し赤い目で二人を軽く睨んだ。


「泣くのはまだ早いんじゃない?」


 廊下に出ると、女子トイレの前で少し困ったように頭を掻きながら、副島君も待っていた。

 やはり赤い目をしながら、副島君はぎこちなく笑って見せる。


「俺と正木は、朝、受験の相談に行った時、

 もう雨守先生から退職するって聞いちゃってたからさ。」


 正木さんも二人に微笑む。


「だから二人は、ゆっくり先生に挨拶でも告白でもしてきなさいよ。

 この後ホームルーム終わったら、帰るだけでしょ?」


「「せ、先輩~ッ!!」」


「だから泣くのは早いしここじゃないって!!」



 その後。

 美術準備室に雪崩れ込むなり、るみちゃんと奥原さんは泣き出しながら先生にしがみついていった。

 もちろん、女の子も。

 当然、私も。


「おい、落ち着け。何言ってんだかわかんないよ!」 


 先生の言葉だけはわかったけれど。

 もう私達はお互い何を言ってるのかわからない状態になっていて。


 それでも先生の困ったような、だけど優しい笑顔を、私たちは忘れない。 


*************************************


 るみちゃんと奥原さん、それに守護霊の女の子は、最後にはひくひくと嗚咽をもらすだけになっていた。

 昨日、私は十分にお話ししたし、お別れも言えたもの。

 皆が落ち着くまで、そっとしておこう……。


 私は一人、壁を通り抜けて美術教室へと移った。


『え?! 後代さん!!』


 成仏したと聞いていたはずの後代さんが、教室の真ん中に立っていた。

 飛びつくように私は後代さんの手を取って自分の手を重ねる。


 すぐに後代さんも、私と気がついてくれた。


『あ! 深田さんね。良かった。お別れ言いそびれていたから。』


 後代さんには私は見えていないけれど、私に顔を向けて微笑んでくれた。

 言葉ではなく、後代さんの心に直接呼びかける。


『それで、わざわざ? いいんですか? 成仏しなくて。』


『うーん、実はちょっと、未練が出来たというか。』


 後代さんは困ったような、はにかむような表情を見せて俯いた。


『浅野さんが雨守先生にあんなことするから……。

 もやもや~ってなってしまって。』


『も? もやもや?』


 あ! あの先生の傷への口づけの場面!! 

 後代さん、目を見開いて固まったまま後退していったもの!!


『そう。だから私、自分の気持ちを確かめたくて。』


『先生への気持ちですよね? 好きなんでしょう?』


 後代さんは少し照れたように笑う。


『どうなのかなぁ?! ただ、先生のお手伝いもいいかなって。』


 でも、それでは後代さんだって危険な目に遭ってしまうのでは……?


『深田さん、私のこと心配してくれてるのね。』


 後代さんのとても落ち着いた声に、驚いてしまった。


『え? まだ、私は何も。』


『なんとなく、今、伝わったから。

 修学旅行の後のことでしょう? 

 先生も黙ってたから、深く聞いてないけれど。

 深田さんが何か大変な目に遭ったのは、わかったもの。』


 やっぱりあの時、後代さんも感じ取っていたんだわ。

 後代さんは、意を決したように強く頷いた。


『でも、なにがあっても先生についていきたいって気持ちなの。

 一度死んだ身だし、先生のお陰でこの教室から動けない呪縛も解けたし。

 今更消えることになっても、悔いはないもの。』


『そうですよね、そんな気持ちになりますよね。先生といると!』


『深田さんも、本当はそうしたかったんでしょう?』


『ええ。でも、私にはるみちゃんがいますから。

 先生に出会えただけで、満足です。』


『そうなんだ。そう言い切れるって、素敵だな。』


 そんな言葉をかけられて、また驚いてしまった。


『そっ、そうですか?』


『うん。

 深田さんって、ホントに人に対して正面から深く関わるよね。

 そういう姿勢、見習いたいと思うもの。』


『そんなッ! 私、見習われるだなんて、全然。』


『謙遜謙遜♪ じゃあ私、行くね!』


『はい。後代さん、先生を、よろしく。』


『おっ、大げさだなぁ、よろしくだなんて。そんなぁ~。』


 私は重ねた手に、力を込めた。


『いいえ。私の分も、よろしく!!』


 後代さんはその手をじっと見つめ、すっきりとした表情を私に向けてくれた。


『……はい!

 深田さんが浅野さんを守っているようにはいかないかも知れないけど。

 先生の邪魔にならないように頑張る!』


『後代さんなら、きっと大丈夫です。』


『ありがとう。今度会える時には、深田さんの顔、見たいな。』


『ええ。いつかきっと、また会いましょう!』


『ええ!』


 さわやかな笑顔を輝かせて、後代さんの姿は、すうっと美術教室から消えていった。




 後代さんと、そして先生と別れて。


 放心したまま登校坂を下るるみちゃん、奥原さんの後に続く。

 奥原さんをバス停で見送ると、るみちゃんは一人、停留所のベンチにどっかりと腰を下ろした。

 私も隣に腰かける。


 るみちゃんはため息をついて、ようやくちゃんと聞き取れて理解できる言葉でぼやいた。


「あ~あ。

 せっかく部長になったのにな。

 先生に近づくチャンス、増えるはずだったのに。」


『そっ、それが目的で部長になったの?』


「当然でしょう~?」


「『え?』」


 私とるみちゃんは見つめ合った。


「だ、誰? なんで透けてるの?!」


 うわっ!

 皆で先生に抱き着いていた時!

 私、るみちゃんともみくちゃになっていたんだわ!!

 それで!!


『あはッ!

 あはははは……はは。はじめまして……でもないんだけれど。

 私、あなたの守護霊の、深田、薫です。』









守護霊、深田薫の憂鬱

第二部に続きます。

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