第三十三話 消えた、二人。

「じゃあ、バス停で待ってるから。うん。

 大丈夫大丈夫。

 クラスの皆だってわかってるし、変なこと言う人なんていないよ。

 え? ああ、うん、そだね。先に雨守先生んとこ、かかか顔出そうねッ。

 なっ、なんでもないよ? どもってなんかないないない。じゃ、また明日ね。」


 奥原さんからの電話を切って、るみちゃんはほっと安心してのため息を大きくついた。

 それもそのはず。直前まで「ぱそこん」に描いていたのは、今朝の雨守先生への口づけの場面だもの。


「やば~。久美子勘づいてないよね。」


 るみちゃんなりに抜け駆けしてしまったことを気にしてるみたい。でも大丈夫! 言わなきゃわからないわよ。私もあなたに言ってないし。それこそ知らぬが仏ですもの。

 その夜るみちゃんは思い出してにやけるわ悶えるわ、いきなり妙な声をあげるわで、一人ベッドで賑やかだった。


 翌朝、久しぶりに顔を見る奥原さんの守護霊の少女も、とても嬉しそう。

 足取りも軽く登校してすぐ立ち寄った準備室。でも、雨守先生はいらっしゃらない。


「隣かな?」


 るみちゃんが先に入っていくけど、鼓動が高鳴っていくのがわかる。何食わぬ顔をしてるけど、やっぱり緊張してるのね。昨日の今日だもの。

 そのまま準備室から美術教室へとドアを開ける。


 すると、先生は奥の棚の前に立っていらした。どうやら画材を整理していたみたい。見慣れた絵筆を一本ずつ丁寧に筆立てに。

 その背中にるみちゃんは少し上ずった声をかける。


「雨守先生! おっおはようございます! 久美子、来たよ!」


「そうか。」


 ゆっくり振り向いた先生の顔を見て、やっぱり一瞬、奥原さんの息が止まった。


「雨守先生、その傷……まさか比留間先生に?」


「ああ、でも大したことない。もう痛くもないから。」  


 先生は頬の傷を指先で撫で、窓外に目を逸らせながら、なんでもないことのようにおっしゃった。その時るみちゃんは耳まで真っ赤になって俯いていた。そんなるみちゃんの様子に気づくこともなく、奥原さんは前に出る。


「私のせいで! すみません!!」


 肩をこわばらせる奥原さんに、先生は笑顔を向けた。


「言ったろ? お前は何も悪くない。悪いのは比留間だ。

 それにすぐ前のようにとはいかないだろうが、そこは浅野もいるしな。

 心配するな。」


「……はい。」


「そっそうだよ! 任せて? 久美子!」


 どきっとしたようにるみちゃんが顔を上げた時、予鈴が。


「あ! じゃあ先生、放課後また!!」


 るみちゃんが小走りに奥原さんの手を引くのは、また少し上がってしまった心拍をごまかそうとしてるからかしらね?

 でもちょっと内緒のことがあるくらいの方が、これからの日々も楽しいものになるわよ、きっと。


 そして奥原さんを笑顔で迎えてくれた級友達。

 一時間目の教科の先生が黒板の前に立つと同じく、皆も私語を止めて起立する。

 またいつもの、おだやかな学校生活が始まるのね。本当に良かった。


 これもきっと雨守先生のお陰……あれ?

 不意に、私は不自然なことに気がついた。


 さっき、準備室に……美術教室に……後代さんの姿はどこにもなかったわ?


 それに、先生が整理していた画材って、確か。

 後代さんがいつも向かっていたイーゼルに置かれていたものだったはず!

 あの筆も! 絵の具も!!


 それを片付けていたということは、もう必要なくなったということ?

 きっと、そうだわ……後代さんは、消えてしまっていたんだわ。 


 昨日るみちゃんが先生に口づけしたところを見て、怒ってしまった?

 いいえ、るみちゃんと奥原さんの先生への好意って、後代さんだってとうに気づいていたし。

 怒ったり、やきもちからだとしても、後代さんが死んだ場所の縛りがなくなるなんてことは、ないはず。


 きっとなにか別の理由だわ? 

 いったいなにがあったのかしら?

 先生は気にも止めてなかったかのような様子も気になる。先生は絶対ご存知のはずなのに。なにがあったのか聞きたい!


 そんな逸る気持ちでいっぱいだったのに、その日、先生は授業を終えるともう学校にはいらっしゃらなかった。放課後に訪れた準備室の戸口には「来年の部長を決めておいてくれ」と書かれた貼り紙だけが。

 後代さんがどうなってしまったのか、確かめようのなくなった私の気持ちは、わけもなくだんだん重く沈んでいった。



 そんな私をよそに、やがて集まった四人は美術教室の真ん中で車座に。 


「さて! 次の部長、どっちがやる?」


 るみちゃん、奥原さんの顔を交互に見つめた正木さんに、るみちゃんは右手を真っ直ぐあげて応えた。


「私がやります!」


「浅野~ぉ、大丈夫?」


「お前、抜けてるくせに猪突猛進だからなぁ。」


 大袈裟にぼやいて見せる正木さん、副島君に、奥原さんは恐る恐る尋ねる。


「あの、先輩?

 私達、文化祭の後、二人で相談して決めてたんですが……駄目ですか?」


 すると正木さん、副島君は顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。


「言ってみただけ。二人はきっとそう決めるだろうなって思ってたもの。

 思い立っての行動力は浅野。思慮深さの奥原で、二人三脚で頑張ってね。」


「美術部、よろしくな。」


「はい!」


 こんなにるみちゃん、奥原さんも前向きでいるのに。雨守先生、どこで何をしていらっしゃるの? 

 明日こそお話し、伺えますよね……。



 そして何も知らないるみちゃんの寝顔を見つめながら、憂鬱な夜は明けた。


 でもあくる日、先生は朝からお休みをとられていた。授業がある日にこんなことって今まで一度もなかったわ?

 不安がさらに募ってくる。


 それは過日の先生の言葉のせいだわ。それがやけに夕べから頭の中に渦巻いている。

 「黙って消えるようなことはしない」って、そうおっしゃってくださったじゃないですか。

 その言葉を信じなきゃ……信じたいのに、この不安はなんなのだろう?


 放課後、るみちゃんは奥原さんと二人、「雨守先生が休みなんて珍しいね」なんて言いながら、来年の作品制作のためにパネルの整理を始めた。

 ふと気がついたように、るみちゃんは何も描かれていない一枚のパネルを棚から取り出した。


「ねえ久美子?

 このパネル、ずーっと教室の隅のイーゼルにあったものだよね?」


 奥原さんも少し首をかしげながら覗き込む。


「あ……本当、確かにこれよね。

 雨守先生が置かれていたんだよね?

 結局使っていらっしゃらなかったみたいだけど……。」


 るみちゃんは、にやっと悪戯っぽく笑った。


「もしかしたらこの教室に出るって噂の幽霊のためだったりして。」


『もしかしたらじゃなくて、そうだったのよ。』


 後代さんは、ずっと絵を仕上げたいって、そう思っていたんだもの。


「まさかぁ。

 でもそうだとして、ここに仕舞われたってことはその幽霊、

 もういなくなったのかな?」


『そう。後代さんは……消えてしまった。』


 でも幽霊がいなくなる時って、どんな時なのだろう? 将太君のように生まれかわる時? それとも化けて出てくるのに飽きた時?


「まさか雨守先生、あの世に連れてかれちゃったんじゃないよね~?」


『そっ……そんなはずないわよ!

 後代さんに連れていかれるだなんて……。』


 るみちゃんの冗談めかした言葉に思わず大きな声を上げてしまったけれど。

 まだ会話している二人の声が、いきなり遠のいていく感じがした。


 私は別のことに気がついたから。


 雨守先生、この学校に来られたのは後代さんの声に呼ばれたから……そうおっしゃっていた。

 まさか、消えてしまった後代さんに先生はまた呼ばれて……そんなこと……そんなこと。


 自分の命を軽くみないでって、先生にお願いしたもの、私!


 不安を振り払うように私は首を激しく振っていた。

 瞑っていた眼を開けた時、奥原さんを不安げに見つめる守護霊の少女に気がついた。


 そうだわ、私だけじゃない!

 きっとこの子も、先生がいないことにも不安を感じているはず!


『ごめんね! 今一度、私に力を貸してちょうだい!!』

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