第二十四話 変わらない人達。

 もう、文化祭どころではないのではなくて?

 校長室前の出来事は、瞬く間に口から口へと伝えられた。そしてついにはファイヤーストームに火が入ることもなく、大半の生徒は憮然としたまま帰宅してしまった。

 こんなの、最低の文化祭だわ?


 アラシは生活指導の先生が話を聞く、と連れて行ったけれど……あの様子ではきっと本当のことなんて話すはずがない。悪いことをしたなんて、彼は微塵も思っていないんですもの。


 比留間先生は「あんな問題のある生徒をほっといていいのか?」なんてこれ見よがしに他の先生に声をかけていたけれど。皆さん、武藤先生の手前か、内心ではそう感じていそうなのに、頷きもせず足早にその場を去ってしまった。


 なんなんだろう?

 こんなにやり切れない思いしか残らないなんて。

 私には彼の心なんて変えられなかった。

 ただ、皆に謝ってほしかっただけなのに……。



 翌日は午前中だけ後片付けとなっていた。きっと、誰もが投げやりな気持ちに満ちていただろう。だからか、全ての片付けが終わったら、まるで憑き物が取れたみたいに、あっけなく校内には文化祭前のいつもの落ち着きが戻っていた。


 美術部ではるみちゃん達が教室で新たな作品制作に向かう間、私達三人の幽霊は雨守先生の準備室にお邪魔することが多くなっていた。

 そんな文化祭から数日後の放課後、私は「あの後」のことを聞くことになる。


『彼が来たんですか? ここに?』


 びっくりしてしまった私に、雨守先生は頷く。


「ああ、夕べな。

 自分から退学届を出しに来た帰りだったようだ。

 厄介払いできたような顔していたという、武藤先生への悪態をつきながらね。」


『いったい何をしに? まさかまた逆恨みかなにかで?』


 あれから彼がどうしてるのか、それがずっと気がかりだったもの。先生は軽く首を振る。


「いや。

 俺が幽霊を見えるようにしただけだったら一過性のものだが。

 彼は深田と完全接触しただろ?

 その影響が大きいんじゃないかな。

 あれからどこにいても幽霊が見えるし、どうにかならないかってな。」


 すると隣で聞いていた後代さんが、顔を上げた。


『どうもこうも彼、私を見るなり喧嘩をふっかけてきたわ。』 


「いや、売ったのは後代だから。」


 後代さんの言葉を雨守先生は声に出して笑った。でも。


『後代さんを怖がりもせず?』


「ああ。普通に言い合いしていたよ。」


 そしてアラシが一人で美術教室に戻ってきて皆のパネルを踏み抜いていった時の様を、後代さんは腹いせに真似をして見せたらしい。


『ここに来るにもどうせ私の噂でビビっていたんでしょうけど。

 あの日、最初恐る恐る入ってきたところから、

 パネルを割ってる最中のイヤらしい顔つきまで全部。

 事細かにしっかり再現してやったわ。』


「そうしたらアイツ、俺はそんなにみっともなくないって喚いたよな?」


 雨守先生は(失礼かと存じますが)さらにいやらしい笑いを浮かべながら後代さんに絡む。


『そう!

 だから、あんたなんかもっと酷かった!

 女にこんな顔真似させるんじゃないわよって怒鳴ってやったわ!』


 ずっと怒りが収まらない様子の後代さんに、先生はふっと静かに目を閉じて語った。


「でも、それがあいつには良かったんだろうな。

 やっと自分のしたことを初めて客観視できたんだろう。

 最後には『なんだか恥ずかしいくらいバカないことしてた』って、

 呟いてたな。」


 そういうことですか!

 彼は我が身を顧みるなんてこと、今までしたこともなかったんだわ。奇しくも後代さんが気づかせた、ということなのね。

 でも後代さんはなおも先生にムキになって喰いついていく。


『そんなこと言ったってお詫びの言葉も出なかったじゃないですかッ?!』


 すると先生は穏やかな目を後代さんに返した。 


「あれだけひねくれた奴だ。そう簡単には人間は変わらないさ。

 だが、多少なりとも自分のしたことに、後悔の言葉は出た。」


『それで……それだけで、いいんでしょうか?』


 それだけで……。

 自分の力が及ばなかった私には、そんなこと言えないかも知れない。でも、そんな私に先生は静かにお答えになった。


「少なくとも、あの文化祭で公開処刑されたままで終わるよりは、ね。」


 そう! それも気がかりだったのです!

 あんなふうにアラシを貶めることができたのは、周りの人達からすればすっきりしたことかも知れない。でも、肝心の彼が変わらなければ、なんの意味もないはずです!

 あの放送は彼の反省を促すようなものではなく、きっと悪意に満ちていたはずですもの!!

 そんなことをしたのは。


『比留間先生が流していたに違いないですよね? あの放送って!』


 実はあの日、校長室の中にもその放送は流れていたらしい。るみちゃん奥原さんだけじゃなく、皆最初は何事かと驚いたけれど、すぐに理解したのだって。でもどこでこんな放送を流してるのかと教頭先生が確かめようとドアを開けたら、そこでアラシが喚いていた……。


 奥原さんのお父さんは「本人が事実を認めたなら、あとは謝罪を」とだけ求め、今回は警察沙汰にはしないとして帰られた。

 謝罪なんて、到底彼の口からは出ないだろうけれど……。


 先生は私をまっすぐ見つめながら、静かにうなずいた。


「ああ。

 陽子の名で呼び出したアイツを校長室近くで何か理由をつけて暴れさせ、

 それを流そうとでもしてたんじゃないかな。」


 もっともこれは憶測だがね。と小さく苦笑いして先生は続ける。


「それが思いがけず俺という邪魔が入ったものの、

 言い合いを始めた内容が比留間にとってはかえって好都合だったんだろう。

 そのまま続行した、というところだろうね。」


 そうはいっても。


『そんなことができるものなんですか?

 あの時、比留間先生はそこにいなかったのに。』


 すると先生は、黒い上着のポケットから、糸のついたような小さな円筒形の物体を取り出した。


「実は周りが騒ぎだした間に、こんなものを廊下の観葉植物から見つけた。」


『なんですか? それ?』


 私達幽霊三人は覗き込む。先生はそれを守護霊の女の子の掌に渡した。小さな手でこねくり回す彼女を見つめ、先生は冷めた目つきながらも説明してくださった。


「指向性の高い小型ワイヤレスマイクだよ。

 そんなものは通販で簡単に手に入る。

 それで拾ったあいつの言葉を放送に乗せたんだろう。

 この学校は全ての研究室の内線電話から放送できるからね。全校に。」


『でもそれ、雨守先生が見つけてしまったのでは?』


 きっと比留間先生……。


「焦ってるだろうな。

 誰に奪われたかと疑心暗鬼にもなってるだろう。

 でも保身を考えれば、しばらく迂闊なことはしないだろうさ。」


 呆れたようにつぶやく先生に、後代さんは眉を寄せた。


『そんなにまでして山風君に問題を起こさせたかったなんて。

 武藤先生を困らせたいのだとしても、先生としては本末転倒ですよね?』


「ああ。だが彼自身こんなことしてるようだと、いずれ問題起こすだろうな。」


 雨守先生は椅子を軋ませながら、窓外へ目を向けた。

 その冷たい眼差しを見つめながら、私は最近になって気づいたことがある。

 雨守先生は生きた人、特に大人に対しては容赦のない突き放した態度をおとりになる。だからというわけじゃないけど。


『比留間先生に、注意はしてあげないんですか?』


「こじれた大人には、何言っても変わらないぜ?」


 そういって私に横目を向ける。でも、変わらないのは……変えられなかったのは。


『それは、山風君だって。』


 私には、変えられなかった。

 だから、ずっと思いつめていたままの表情をしていたのかしら?

 不意に先生は優しい目で私を見ると、ふっと小さくお笑いになった。


「その山風だけどな。

 最後には幽霊見えるのをどうにかして欲しいとは、思ってなかったようだぜ?」


『どういうことですか?』


 すると、後代さんが見えてはいない私を真っすぐ見つめてきた。


『私だけじゃなく、きっと深田さんの言葉が大きく響いていたんじゃない?』


 またまたどういうことですのッ?

 先生は椅子に座ったまま、更に背もたれを後ろに倒し、天上を見上げて呟いた。


「アイツ。

 幽霊しか俺に真剣に話をしようとしてくれないなんてなあ……だとさ。」


『だからしばらく、このまま過ごしてみる、ですって。

 失礼ね!って、全幽霊を代表して文句言っておいたわ!!』


 後代さんは仏頂面で、むすっとしながら続けたけど。


 そう……彼を変えることはできなくても、そのきっかけができたなら。

 真剣に話してくれる人の言葉を、聞こうという気持ちが出てきたのなら。


 それだけでもいいですよね?


 天上を見上げて椅子を揺らす先生を見つめながら、私にはそう思えた。

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