第二十三話 醜い人々。
でも、明日のフィナーレを待たず事態は動いてしまった。
るみちゃんが帰宅して部屋に入るなり、正木さんから連絡が。
『浅野ッ! 見てみッ!! あのバカ、ホントに頭おかしいんじゃないの?』
「なんなの? これ!」
すまーとふぉんを見つめるるみちゃんの目が揺れている。アラシは今夜の書き込みには「鍵」を外していた。そこには……。
《昨日、美術部の奴ら全員で俺に疑いかけてきたじゃん?
あの後、奥原が話があるっていうんで、さっき二人で会ったんだ。
でも前夜祭の時みたいに、後で違うこと言われてもなあって。
それで念のため撮っておいたのがコレ。》
そこには動画もついていた。街路灯の下にアラシと、その前にかろうじて横顔が見えるくらいの奥原さんの姿が。二人が何を言ってるのか声はよく聞きとれないけど、アラシは真面目な顔して、にこやかにさえ見える。
でもこれって今日のことじゃないわ? 一昨日のことよ! るみちゃんが映っていないのは、アラシに下がってと頼まれたからだわ。
アラシの書き込みは続いている。
《「美術部の皆の手前、一緒に生徒会室までいったけど私は疑ってなんかない。」
だってよ!
この雰囲気だっていいだろう?
奥原だけは俺のこと信じてくれてるぜ?》
なにを言ってるの? 奥原さん、生徒会室になんて行っていないし、そもそもそんなことなんて全然言ってないじゃない?!
でもそんな私やるみちゃんの憤りに反して、そこについた反応は案外まともだった。
《お前の妄想だ》《彼女、何言ってるかわかんないじゃん》《隠し撮りなんて変態》って……。うん、それには少し安心。
するとアラシは《なんだよ、ひでえな。もう見せねえよ》と書き込んだ直後、さっきの動画だけを消してしまった。
良かっ……あれ? でもアラシへの返信はまだ続いている。
だんだん《なにその女》《また後で掌返すに決まってる》《お前は遊ばれてるんだ目を覚ませ》だなんて……まるで奥原さんが嫌らしい子のような書き込みが。それがあれよあれよという間に多くなっていってないかしら?
すると唐突に《住所、特定!》って、誰かが奥原さんの住所を書き込んだ。それもすぐに消されたけど消せばいいってものじゃないでしょう?
まさか、こうなることがアラシの狙いだったの?!
るみちゃんと正木さんはほとんど同時に叫んだ。
「まずい! 久美子に知らせなきゃ!!」
*************************************
翌日。文化祭は一般公開も終わり、そのフィナーレのファイヤーストームを残すのみとなっていた。
校庭にはフォークダンスの音楽が賑やかに鳴り響きだしている。来校していたお客さん達が校舎外に出ていく波に交じって、全校生徒もそのほとんどが校庭へと急いでいく。
雨守先生はそんな生徒達を、廊下から横目で眺めていた。
そしてその向かい。
校長室の中は、そんな喧噪とは全く反対にしんと鎮まりかえって……いえ、緊張感だけが廊下にまで漏れ漂っていた。中にはるみちゃんと奥原さん、それに奥原さんのお父さんが来ていたからだ。
私と守護霊の女の子は、校長室のあの幽霊達を避けて廊下に出ていた(毅然としていれば大丈夫だと、雨守先生からは伺ってるけど)。
夕べ、奥原さんの家に卵を投げ込もうとしていた他校の少年二人を、「そんな予感がした」お父さんが未然に捕まえたというのだ。
勿論それは守護霊の女の子が、迫る危険を知らせたからだけど、お父さん自身も正義感が強く、武道のたしなみがあったらしい。その少年達からネットの書き込みのことを聞き出し(それにるみちゃんからの説明もあって)お父さんは学校にみえていたのだ。
この迷惑……いいえ、許せない行為の大元のアラシに、反省してもらいたいと。
お父さんが校長先生に何か訴えている声だけが、時々小さく漏れてくる。
と、突然。
その当の本人が廊下の向こうから、なにか探るような上目遣いの嫌らしい目つきでやってきた!
どうしてここにアラシが?!
彼は壁に寄りかかった雨守先生に気づくと、その顔を一瞬強張らせた。先に口を開いたのは、雨守先生だった。
「フィナーレだろ? 実行委員長が、こんなところにいていいのか?」
「う……うるせえな。俺の文化祭だ。どこにいようが俺の勝手だろ?」
私はアラシの背後に回り、彼の背中に手を当てていた。
『比留間先生です!
「陽子」を語って、奥原さんのお父さんが校長先生に会いに来たって、
伝えたみたいです!』
「そういや、さっきその辺にいたな……。なあ、陽子なんて子はいないぜ?」
雨守先生の言葉に、アラシは一瞬顔を輝かせた。雨守先生は勿論、比留間先生のことを言ったのに、アラシは「陽子」のことだと受け取っているはずだもの。
でも、すぐに疑いの目を向けた。
「本当にここにいたのか? いや、どうしてその名前を?!」
「俺もお前らのネットのやりとりだけは一応聞かされてるからな。
だが陽子なんて名前は、ここ四、五年の美術部名簿にはなかったぜ?」
するとアラシは動揺するどころか、雨守先生をさらにきつく睨みつけた。
「なんだよクソ。あいつまで俺を騙してやがったってのか?
夕べは奥原に手を出すのはやめとけとかしつこく言いながら、
一般公開終了間際に俺に会いに来たなんて……おかしいと思ったぜ。」
「でも疑いながらもここまでのこのこ来たんだ。
正体知らなくてよかったかもな。女とは限らんし。」
雨守先生が言い終わるや否や、アラシは目をむいて叫んだ。
「なんだって?! 女じゃなかったのか!」
「お前の怒るポイントはそこかよ?」
「う、うるさいッ!」
「おおかたお前。
嘘八百並べて奥原を陥れようとしておいて、
その親父が出てきたんでビビったな?」
実際、気にはしてるくせに。でもアラシは口元を醜くゆがめて笑いさえする。
「俺はネットに奥原への恨みなんて書きこんじゃいないぜ?
なにも! 一言も!!」
「周りが勝手にやったっていうことか。海野君の時のように。」
雨守先生は冷ややかな目でアラシを見つめた。
一瞬、アラシは頬を痙攣させたものの、突然勝ち誇ったように両手を広げた。
「ああ、そうさ!
嘘でもなんでもちょっと書けば、
よく知りもしないのに面白がって広める奴なんて大勢いる。
そんな奴らが邪魔だった海野も、俺を裏切った奥原も!
俺の代わりに痛めつけてくれるのさ!!
誰の親父が出て来たところで、
学校なんて逃げるかうやむやにするしか脳がないじゃないか!
俺にたどりつくことなんて、できやしないのさ!!」
「それだけ人の心をないがしろにできるんだ。
いくつものクラブの展示物を壊すのに、心が痛むこともなかっただろうな?」
「まだそんなこと言ってんのか?
それだって誰が見ていたって言うんだよ? あいにくだったな!」
『見ていたわよ! あなたが壊すところを。』
後代さんがね!
もう我慢ならなくなった私は彼の背中に向かって叫んでいた。
「何っ?!」
アラシは私に振り向いた。
『あなたは、何をそんなに強がっているの?
そんなに誰かにかまってもらってちやほやされたいの?!』
「なんだぁ? てめ……。」
勢いに任せて睨みつけてきたアラシは、私を頭からつま先まで二度も見まわし、絶句した。私がこの世のものではないと気がついたから。
雨守先生はそのためにアラシを怒らせたんだもの!!
『ちょっと思いどおりにならなければ、逆に傷つけようだなんて。
人が大切にしているものも! その人の心までも!!
あなたはまるで、体ばかり大きな我儘な子どもね?!』
「死人のくせに偉そうに!」
死人のくせに? くせに?
私なんかじゃ怖くないとしても、そんな風に侮辱される覚えはない。
『死人だから見ていられるのよ、いつだってあなたのことを!
ほら、その人達だって!!』
私は校長室の扉を指さした。つられて目を向けたアラシを、校長室から覗いていたあの幽霊達が取り囲み、舐めるように顔を近づける。
「なんだ?! こいつら!」
「そんな奴らでも、お前のような奴は許せないみたいだぜ?」
同情するような顔をして見せる雨守先生に、アラシは喚く。
「やかましい! いて?!」
アラシがお尻を抑えて振り向くと、そこには拳を突き立てた女の子が。
「お前……さてはあの時もッ?!」
女の子を振り払おうとするかのように、アラシは乱暴に両腕を振り回す。
『そんな小さな子にあなた、恥ずかしいくらい喚いて逃げていたわね?
本当は臆病なくせに。強がるのもいい加減にしたら?
いけなかったことを素直に認めて皆に謝ったらどうなの?!』
「うるせえよッ! どいつもこいつも死人のくせにッ!!」
その時突然、校長室の扉が開き、教頭先生が正面のアラシを震える目で見つめた。
「こ、ここで? さっきから君は何を言っているんだね?」
「なんでもねえよッ。」
悪態をついたアラシの顔は次の瞬間、ひきつった。
いつの間にか雨守先生も押しのけるように、彼の周りには大勢の生徒が集まっていたから。
「山風……さっき言ってたこと本当か? お前がやったのか?」
警備係長の子が、呆然とアラシを見つめる。
「え? バカ、何言ってんだよ。もうファイヤーストーム始まるだろ?
皆、校庭に……。」
にやけながら彼の肩に置こうとしたアラシの手を、警備係長の子はパンと払いのけた。
「お前、最低だよ。別に信じちゃいなかったけど、本当に最低だな。」
周りからもアラシに対する怒りが……一斉にあふれ出す。
「海野君のこと、やっぱりお前が!!」
「奥原さんを懲らしめる? 馬鹿じゃないの? フラれた腹いせ?」
「俺たちバカにするのもいい加減にしろ!」
アラシは周りの生徒を見渡しながら、まだへらへらと笑っている。
「何言ってんだよ? お前ら?」
すると、生徒たちの人垣をかき分けるようにして武藤先生が前に出た。心の底から汚らわしいモノを見つめるような冷たい視線を彼に向けて。
「恥さらしな! あなたの声はずっと、放送で校庭に流れていたのよ?」
どういうこと?!
私と先生は愕然としながら見つめあった。
でも、この場で一番驚いているだろうアラシは、呻くように声を絞り出した。
「な……なんだって?」
青ざめたアラシは、開けたままの口を閉じられなくなっていた。
そしていつの間に近づいたのか、その背中に隠れるように、あの比留間先生が薄い笑みを浮かべてアラシの耳元にささやく。
「だから忠告しただろう? これは自業自得だよ。」
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