第七話 受けとめて欲しいのに。

「だからその話は……。」


 雨守先生は目を逸らせたけれど、私はかまわず叫んだ。


「後回しにしないでください!

 大事なことなんです。

 私、るみちゃんを妬んでしまったばかりでなく、先生に会いたい一心で!

 それでこの体を借りれば、自分でも会いに行けるって!!」


「それで憑依を……。」


 雨守先生は困惑されたように言葉を詰まらせる。でも、私はもうためらわなかった。


「それに、私が雨守先生を好きになってるっていうことは、

 るみちゃんだって同じなんですよ?」


「え?」


 るみちゃんの気持ちを私が言うべきではないと思っていたけれど、知っていていただかなくては!


「そして私がるみちゃんを妬んだように、るみちゃんは奥原さんを……。」


「なぜそこに奥原が……。」


 雨守先生、本当に鈍ぅございますっ!!


「奥原さんは雨守先生をだいぶ以前から尊敬していますっ! 

 有名な画家でいらしたんですよね?!」


「っつ! そういうことか……。」


 雨守先生は片目を閉じ、苦虫を噛みつぶしたような顔で右手で額をパチンと叩いた。


「お分かりいただけましたか?

 先日るみちゃんが奥原さんにきつく当たっていたのは、

 以前から雨守先生を知っていた奥原さんには、敵わないっていう思いからで。」


「俺はそんな、人の好意を受けるに値するような人間じゃない。」


 雨守先生はまた顔を逸らせ、首を振る。


「そんな! 逃げないでください!!」


 ムキになって叫んでしまったけど、雨守先生は振り返ると私をまっすぐ睨んだ。


「逃げはしない。 

 だが、今は浅野の行方を捜すのが先だ。違うか?」


 あまりの気迫に、黙って頷くよりなかった。

 雨守先生はうっすらと額に汗をにじませながら、目を閉じ、遠くに注意を向け始めたように見える。やがて顔を上げると、また首を振った。


「どこにいるのか、浅野の声はまったく聞こえない。

 深田さんなら、浅野の微弱な霊波も捉えているはずなんだが。」


「でも、私、るみちゃんがどこにいるのかなんて……。」


「ちょっとすまない。」


 雨守先生はそう謝りながら、突然私の顔を、両手で包むように持った。そして身を乗り出すと、そのままご自身のお顔を私に近づけて……額と額をくっつけた!

 先生は目を閉じているけどっ! けどけどけどおっ!!

 わ、私の唇のすぐ先に先生の唇がっ!!


 今、絶対心臓が一瞬止まったわ?!

 ふっと雨守先生はお顔を離したけれど、私の胸はまだ音が聞こえるくらい早鐘のように鳴り響いているっ!


「こんな不意打ち!

 ひどいですっ!!

 好きにさせておいてなんてことをするんですかッ!!」


 真っ赤になって怒ってしまったけれど、雨守先生は真面目な顔のままだった。


「謝らないよ?

 こうしなければ微弱な浅野の霊波を俺が感じ取ることができなかったからだ。」


「それじゃ、わかったんですか?」


 い、今のはそのための?

 まだ落ち着かない胸を抑えながら、雨守先生を見つめる。


「ああ! 学校だ。きっと美術教室。急ごう。」


*************************************


 夜の学校なんて、私も初めて。

 この時代、宿直の先生はいらっしゃらないみたい。その代わりに機械警備というものがあるらしい。誰もいないのに夜の学校を見張ってるなんて、つくづくこの時代の人たちは魔法のようなものを使うと思う。


 雨守先生はその機械警備を解除して、校舎内へと入る。明かりもつけず、ほのかな月明かりがさす廊下を歩いていく。


 と、その途中。

 校長室のドアからはみ出すように、中から何人もの幽霊の顔が私達を見つめていた。なんといいましょうか、後ろ暗いことでもあったのか、見るからに卑屈な、陰湿な感じ……。


「雨守先生? 

 なんなのでしょう? あの校長室から覗いている人達は……。」


「え? 深田さん、奴らが見えてるのか?」


 雨守先生は驚きの声を上げた。


「はい。」


「俺、君をいつ怒らせたっけかな……?」


 眉間に皺まで寄せて、雨守先生ったら!


「もうお忘れになったのですか?!」


 私は自分で顔を両手でつかんで膨れて見せた。


「あああ……さっきのあれか!」


 あれかって? あんまりですっ!!

 でも、断ってからされても、きっと困っただろうけれど……。


「一体、どういうことなんですか?」


 そう。なぜ私は、いきなり他の幽霊が見えるようになってしまったのでしょう?

 雨守先生は彼らから私を守ってくださるようにして、校長室の前を横切る。やっぱり、頼もしいお方だわ。

 でも、雨守先生はこれもやっぱり私がそんなことを感じているとは気づく様子もなく、まるで詫びるように説明してくださった。


「俺の特殊能力……相手を怒らせ、心に隙を作って幽霊を見せるって技。

 すまん、さっきその気はなかったんだが。」


 ええ……るみちゃんのことが第一でしたもの。


「でもなんだか、私達を誘い込もうとしているようで、気味が悪いです。」


「奴らは己の生前の卑怯な行為を恥じてはいるが、

 地獄に落ちるのが嫌で、ああして彷徨ってるような連中だ。

 それでいて似たような幽霊が増えるのを、手ぐすね引いて待っている。」


「学校に、なぜそのような人たちが?」


 まだまっすぐ伸びる廊下で途中の角を曲がるとき、不思議に思って今一度校長室を振り返った。ずっとあの人たちは、そこで蠢いていた。

 すると、なぜか雨守先生は一度小さく笑顔を見せて下った。


「深田さんは戦時中でも、きっといい先生に恵まれたんだろうね。」


 そしてすぐ、顔を曇らせる。


「案外学校ってところには、昔からああいう連中が巣くってるものだよ。」


「い、いやですね。」


 でも……なんとなく私は悟った。

 雨守先生はきっと今までも、そういう人達を相手にしてきたのではないだろうか、と。


「君はその体に入ってる分には問題ない。

 だが、浅野を奴らより先に見つけないとな。

 今の浅野は、あいつらにとっては歓迎すべき仲間だろうからな。」


 るみちゃんを、あんな人たちの仲間になんて貶めてしまってはダメだわ。早く、この体を返さないと。


 そして雨守先生を先頭に、私たちは校舎の端の美術教室にやってきた。


 一歩入るなり、私は思わず息をのんでしまった。

 体が固まってしまったかのように、そこから動くことも忘れて。


 教室の奥。

 その片隅に置かれたキャンバスに向かう一人の女子生徒の姿が、窓から差し込むほのかな月明かりを受けて、そこにあったから。

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