第六話 取り返しのつかないことだなんて。
「もう学校になんて行けないよ。いっそ死んじゃいたい!」
家に帰るなり、るみちゃんは自室に閉じこもってしまった。
制服のままベッドに身を投げ出し、枕に顔を押し付け、外に声が響かないようにして泣き続けていた。
あの時……雨守先生と保健室から戻ったるみちゃんは、ことの顛末に呆然となった。
奥原さんがテーブルに倒れこみそうになった時、カッターナイフが勝手に壁に飛んでいったと、新入生の誰かが騒ぎ出したらしい。それに雨守先生もお怪我をされて……。るみちゃんも倒れて……。
見学に来ていた新入生たちは皆、『放課後の幽霊』が出たのだと怯えてしまい、倶楽部長の正木さんや副部長の副島君がとりなすのも聞かず、全員が入部を辞退してしまったという。
奥原さんは自分も作業中お節介しすぎたからと、失神したるみちゃんを気遣ってくれたけど。
正木さんがるみちゃんに吐いた「倶楽部存続できなくなったら浅野のせいだよ?!」という言葉が、るみちゃんには深く突き刺さっていた……。
るみちゃんは皆に、もちろん奥原さんにも謝まったけれど。
「おい、待て!」
雨守先生の言葉も聞かず、黙ったまま美術教室を飛び出してきてしまったのだ。
そして次の日。
るみちゃんは部屋を出られなかった。夕方奥原さんと雨守先生が、心配して家まで来て下さったけど……どうして二人で来てしまうのですか?!
それじゃ、るみちゃんが顔を出せるはずがないじゃないですか。
また泣き濡れて、泣き疲れて、そのまま眠ってしまったるみちゃんの脇に、そっと腰かける。
このままでは、るみちゃんは学校にいけない。
……私も、雨守先生に会えない。どうしたらいい?
雨守先生がここにいてくださったら、どんなに心強いか。
あれ……。
むしろ、今なら?
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もう日付が変わろうとしていた。
見知らぬ場所の駐在……いえ、今は派出所と呼ばれる小さな建物の真ん中の椅子に、私は一人ポツンと座らされていた。右の掌に握ったメモは、汗でくしゃくしゃになっていた。
そこに息を切らせて飛び込んできた方の顔を見るなり、嬉しくなって涙が出てしまった。
「雨守先生っ!」
すぐ私の傍らにいて、渋い顔をしていた若い警官が立ち上がり、先の電話と同じように事情を説明する。
「助かりました。
明かりも待たず、一人で道に迷ったように歩いていたので保護したんです。
『浅野』と名乗るだけで自分の家がどこにあるのかさえ分からない様子で……。
雨守先生に会いたいと、住所と電話番号のメモを持っていたものですから。」
「すみません、ご迷惑かけました。連れて帰ってもいいでしょうか?」
「ええ、よろしくお願いします。」
「さあ、行こう。浅野。」
初めてお会いした日、皆で伺っていた連絡先を控えて来てよかった。
これでまた、二人でお話しができる。
るみちゃんのことも、相談に乗っていただける。
ほっとして雨守先生の後についていくと、先生は軽トラックという車で迎えに来てくださっていた。
でも隣に乗せられた瞬間、私はるみちゃんのことなどすっかり忘れてしまった。だって、雨守先生との距離がとても近い!
胸が高鳴る……そう、今、確かに胸の鼓動は速くなっている。耳に体中の血が集まって、熱くなるのも自分で分かった。
さらに雨守先生は、シートベルトというものをつけるために、私の身体に覆い被さるように……そんなに近づいたら……駄目ッ!
もう、死んでしまいそう。
「一体どうしたんだ? 深田さん!」
カチッとベルトを締めた音が響いた。雨守先生は、まっすぐ私を見つめていた。
「え? 雨守先生、私がお分かりになるんですか?」
ドキドキしていた胸が、いきなり止まったんじゃないかというほど驚いてしまった。
さっき「浅野」と呼んだのは、警官の手前だったからということ?
でも、なんて素敵なのかしら!
るみちゃんの体なのに、雨守先生は私のこと、すぐわかってくれていたなんて!!
先生は車を走らせた。
「道に迷った、なんて聞かされればな。
連れられてどこかに行くのとは違って、
幽霊は生前知っていた範囲でしか自分では動けない。
君はこの辺りをまったく知らなかったはずだからな。」
「では、私を心配してくださって?」
思わず身を乗り出して問いかけてしまうけれど、雨守先生はそれには答えず、今は前だけを見つめて運転をされている。
「君は知らないだろうから教えておく。
そのまま浅野に憑依し続けていたら、浅野は死ぬぞ?」
「そんな?! 嘘ですよね? だって今も、こんなに胸が。」
そうよ。高鳴っている心臓の鼓動が、はっきりとわかるもの。でも雨守先生は首を振った。
「大方眠っていた浅野に憑依したのだろうが、なぜそんな真似を?
今、浅野の意識は、そこにあるんだろうな?」
るみちゃんの、意識?
「それは……わかりません。でも、いるはずじゃ……。」
「わからないだって? 浅野の気配は感じないのか?」
どういうことですか?
るみちゃんの体を借りた時、最初から何も……。
きっと寝てるんだとばかり……。
「そんなのわかりません。私、雨守先生に会いたい一心でしたからっ!!」
突然、押し殺していた自分の気持ちを叫んでしまった。あっと口元を手で押さえるけれど、遅かった。こんな風に言うつもりなんて、なかったのに。
頬を火照らせ、胸が苦しくなってしまった私を横目でちらと見ると、雨守先生も瞬きを忘れたかのように、目を見開いていた。
そして車を車道の脇に停めると、私をじっと見つめてくださった。
「深田さん。すまないが、その話はあとだ。」
期待外れの言葉に、胸が痛む。でも雨守先生の真剣な目に、何も言えなかった。
「今、どうやらその体に浅野の魂は居ない。どこかに行ってしまったようだ。」
「私が……るみちゃんの体に入ってしまったからですか?」
「いいや。
普通、そんなに簡単に魂は抜け出るようなものじゃない。
深田さんが憑依する前、浅野の言動におかしな点はなかったか?」
「そう言えば……死にたいって。」
何度もそう言って、ずっと泣いていたわ?
雨守先生は目を細めた。
「まずいな……。
自分でもイタイ奴だと自虐的になってしまってるだろうからな。
だが生きることにも、迷うことにも執着をなくした魂は……。
いずれ消滅してしまう!」
「魂が、消える?
それって……私のように、幽霊にもならないということですか?」
息を詰まらせた私に、雨守先生は深くうなづいた。
なんてことを私はしてしまったのだろう?
知らなかったこととはいえ、急に身がすくんでしまった。
私が守ってきたるみちゃんが、消えてしまうなんて。
愕然とした私に、雨守先生は凍るような目を、まだ向けていた。
「そして守るべき対象がそうなれば、守護霊の君も……。」
「私……も?」
「同時に消える。」
そんな……。
るみちゃんが赤ん坊の時から、ずっとその成長を楽しみに寄り添ってきていたのに。
私の時代と違って、平和というものを満喫しているるみちゃんを、安心して見つめてきていたというのに。
そんな今までの光景が、走馬灯のようによぎる。
私の想いが報われないからと、奥原さんだけじゃなく、るみちゃんまでも羨んで……いいえ、妬んでしまったから。きっとそんな私の思いがるみちゃんの思いにも拍車をかけてしまって、奥原さんにあんなことをさせてしまったから。
「私が、いけないんですか?
先生を……好きになってしまったから?」
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