第21話

 また一つ大きな謎が増えてしまった――雪雄は銀玉を弾きながらそんなことを考えていた。


 NHKの集金を装った襲撃者が現れてから二日――それから奴の襲撃は受けていない。


 昼過ぎに浅い眠りから覚め、食事を摂り、それから雪雄はパチンコ屋に足を運んでいた。雪雄の目の前ではパチンコ台がけたたましい音を鳴らしている。


 雪雄はパチンコがそこまで好きなわけではない。慧をはじめとした友人に誘われて行くことはあるが、今日のようにふらっと自分一人で来たのは久しぶりだ。


 当然、一発当てたかったからパチンコ屋に赴いたわけではない。ただの気晴らしと暇潰しである。というか、雪雄にとってパチンコなんてものは金のかかる遊戯だとしか思えない。同じ金額を使えばもっと有意義な遊びができる。


 それにしても、と思う。


 こんな玉遊びに熱中して身を崩してしまう人間がどうしているのだろう。確かに当たれば大した苦労もなく小金が手に入るのはわかるが、ベガスやマカオじゃないから当たったら莫大な金額が手に入るわけではない。身を滅ぼすほど熱中してしまうものとはどうしても思えなかった。


 たとえ少額であっても楽に金を手に入るというのは、想像以上に強い魔力を持っているのかもしれない。


 昼過ぎにパチンコ屋に訪れて台の前に座り、玉を弾き始めてから数時間が経過していた。時刻はすっかり夕方である。


 当然だが、当たるまで居座っていたわけではない。何千円か打ってみて当たる気配がなさそうだったらすぐに帰ろうと思っていたのだが、台に座って最初の千円札を入れて、その千円札で出てきた玉がなくなる前に何故か大当たりしてしまった。


 雪雄の状況が違がっていたら素直に喜べたが、いまの状況でこんな玉遊びで運を消費したくなかったというのが正直な思いである。


 大当たりをしてしまったせいで、どんどんと銀玉の入った箱が積み上げられ、離れるに離れられなくなり、どうせただのあぶく銭だから使ってしまおうと思ったのだが、ちょこちょこと小さな当たりが出たせいでなかなか玉が減ってくれなかった。


 減らないなあ、と思いながら漫然と玉を弾いていたら、いつの間にか夕方になっていたのである。


 数時間粘ったおかげで、大当たりで出た玉はだいぶ減ったが、それでもまだ半分以上残っている。


 なんだか玉を使い切れる気がしないし、腕も疲れたから、そろそろ台を離れて換金して帰ろう。雪雄は台を離れて、銀玉が入った箱を抱えて換金所に向かった。


 店とは関係ないところで換金しているからギャンブルではありません合法です――というのはどう考えても暴論だとしか思えないが、どこかで聞いた話によると警察とパチンコ業界はずるずるの関係らしいのでそんなのがまかり通ってしまうのだろう。これが行われているのが世界有数の先進国なのだから笑えないジョークである。


 銀玉は三万円ほどの金額になった。これで半分くらい使ったのだから、今日の勝ちが結構なものだろう。


 今日のようになんの苦労もなく勝ってしまうことがあるから、はまってしまう人があとを絶たないのか、と思った。


 換金所を出るとすぐに腹が鳴った。もうそろそろ夕飯の時間である。ずっとパチンコ台の前に座って玉を弾いていただけなのに結構疲れたし、腹も減った。あと一時間もすればどこの店も混み出すので、今のうちに済ませてしまった方がいいかもしれない。


 それに今日は予想外の収入があったから、普段より贅沢をしよう。どうせ、この金は身にならないあぶく銭だ。適当に浪費したほうがいい。


 どこに行こうか――そんなことを考えながら暗くなり始めた駅前を歩いていると、背後からの視線に気づく。


 つけられてる――雪雄はすぐにそれを察知した。一瞬背後を振り返ると、六――いや、七人の不良らしい若者が、ひと目も憚らずに堂々とつけてきている。ここまで堂々としていると逆に感心してしまう。


 一見、彼らはへらへらと話をしているように見える――が、その誰もが雪雄に対してじっとりとした視線を向けている。全員、雪雄より歳下の少年たちだった。恐らくまだ高校生だろう。


 全員知らない顔だったが、あの風体からして雪雄が通っていた高校の生徒だと思われる。あそこはこのあたりの不良少年が集まる収監所みたいな学校だ。あそこの悪がきどもだとすれば、全員がなにかしらの凶器――飛び出し式の警棒やナイフくらいは隠し持っていると考えたほうがいい。


 卒業して以来、あそこの悪ガキどもに目をつけられるようなことをした覚えはない。だから、あいつらは奴が差し向けた刺客だろう。この間、雪雄が自宅を襲った刺客を撃退したから、一人ではまた返り討ちにされると考え、人数を増やしたといったところだろうか。先ほど見た限りでは、雪雄をつけてきている少年たちはどことなく様子が変だった。奴によって催眠をかけられているに違いない。


 七対一ではどう考えても分が悪い――というかまともにぶつかれば勝ち目などゼロだ。不良といっても、大人数で囲んで袋叩きにすることしか知らない、まともな喧嘩のやり方も知らない連中のはずである。


 雪雄はこの駅前から離れたところにある、細い裏通りを目指す。


 複数を相手にする時は囲まれないようにするのが原則だ。ここから百メートルほど先の角を曲がったところにある通りならば、道が狭いから囲まれる確率はぐっと低くなる。


 そして、複数人を相手にする時のもう一つの原則。


 雪雄は角を曲がる前にわざと一度背後を振り返り、走り出し――不良少年たちに逃げた、と、思わせた。狙い通り彼らは走り出したようだ。雪雄は角のすぐ近く不良少年たちを待ち受ける。


 駆け足が近づいてきて、不良少年の顔が見えた瞬間に――雪雄は思い切り右ストレートを不良少年の顔面に繰り出した。


 複数人を相手にする時の原則――それは先制攻撃を仕掛けて、一人だけでもぶちのめしてしまうことだ。思わぬ先制攻撃を食らって仲間の一人がやられたら、誰かを袋叩きにするようなことしかしたことのない連中は、これで戦意をいくらか削ぐことができる。


 予想外だったうえに、こちらに向かって走っていたところを思い切り殴られた少年はなんとも悲惨だった。こちらに向かって走ってきていたことで威力が倍加した右ストレートを食らった少年は見るも無残に鼻を潰された挙げ句、鼻血を撒き散らしながら後頭部を地面に叩きつけられそのまま昏倒した。


 先陣を切った少年がやられるのを見て、曲がり角の向こうから動揺の声が聞こえてくる。こちらの目論見通り、先制攻撃は大成功だ。すでに仲間が一人やられているので、同じ手は食らわないだろう――そう考えて雪雄は曲がり角から五メートルほど後退した。少し間を置いて少年たちがやってくる。


 道が狭く、横に並んだら相手に攻撃しにくくなるので、お行儀よく一人ずつ縦に並んでのご登場だった。こうなれば数的不利はないも同然である。そのうえ相手は予想外の攻撃で仲間を一人やられているせいで浮足立っているのが目に見えてわかった。


「なんだよお前ら。大人数で相手を囲まないとなんにもできないのか? 情けねえなあ。これで不良気取りかよ。笑えるね」

「て、てめえ……」


 一番前にいた少年が雪雄の挑発に青筋を立てながらそう言った。


「そんなことなら、不良なんてさっさと卒業していい子ちゃんになったらどうだ? 今のお前らを見て、お前らの親は悲しんでるぜ」

「う、うるせえ黙れ!」


 一番前の少年がそんな風に喚き、隠し持っていた警棒を取り出して突撃してくる。どうやら本当に喧嘩のけの字も知らないようだった。


 右斜め上から振り下ろされた警棒を、相手の手首をつかんで捻って防ぐ。手首を捻られた少年は呻き声をあげて警棒を取り落とした。反射的に警棒を拾おうとして下がった顔面に、すかさず下から拳を叩き込む。


 アッパーを食らった少年は口から血を流しながらたたらを踏む。雪雄は、少年がよろけたところを追撃するように顎に向かって拳を繰り出す。的確に顎を殴られた少年は脳を揺さぶられて昏倒し、そのままアスファルトの上に崩れ落ちた。


 後ろに残っている五人の少年たちにさらに動揺が広がる。数的に有利だったはずなのに、いとも簡単に二人がやられたというのは、まともな喧嘩をしたことがないであろう彼らにとっては相当の衝撃だったようだ。


 これで、彼らにはこのまま馬鹿正直に一人ずつ突っ込んだらやられてしまうというのを充分に印象づけられただろう。


 普通ならばこれで退散するところだろうが、少年たちは奴によって催眠をかけられているからその限りではない。やぶれかぶれになって、同士討ちも辞さずに全員で突っ込んでこられたらどうしようもない。


 一見、雪雄がこの場を圧倒しているように思える。

 しかし、有利なのは依然として少年たちの方である。今の状況は狭い路地に入って相手を取り囲めない状況になっているだけに過ぎない。七対一も五体一も、雪雄からすればほとんど同じである。


 少年たちは数で上回っているから有利であるのを、最初の不意討ちと先ほどの攻防で忘れているだけなのだ。それを思い出させないためにも、こちらが攻撃に転ずるわけにはいかない。少年たちも一対一で向かったらやられるというのを印象づけられてしまっているので攻めてこない。


 狭い裏路地でじりじりと膠着状態が続く。このままこの状況が続けば不利なのは雪雄の方だ。どうにかしてこの膠着状態を脱しなければならない。


 ――そろそろ潮時か。雪雄はそう判断した。


 相手の方が数で上回っている以上、基本的に雪雄に勝ち目はない。戦意を削いだ今なら相手をまくのはそれほど難しくはないはずだ。一列に並んだ少年たちを見据えたまま、後ろに向かってすり足をした時――


 突如、背中に衝撃が走った。


 雪雄は小さく悲鳴を上げ、片膝をついた。なんだ。なにを食らった。まだ他に仲間がいたのか。予想外の攻撃に雪雄は困惑する。立ち上がってなりふり構わず逃げようとしたが、手足が痺れて動けなかった。


「ブラボーブラボー。七対一でも怯まないとはなかなかできるなあ夏目」


 雪雄のことを賞賛するような声が背後から聞こえてきた。

 この声は――

 雪雄はこの声の主を知っていた。


 雪雄が背後を振り向くと、そこには黒のスーツ着た、風体からしてチンピラであることがわかる若い男が立っていた。その手にはスタンガンを持っている。どうやら雪雄はあれを食らったらしい。


 この男は――


「つーかよお。お前らなにやってんだ? なに一人相手にビビッてんだよ? ああ? 馬鹿みたいにこんなところにおびき出されてんじゃねえよ」


 男の感情を感じさせない恫喝の言葉で少年たちは顔を青くする。その様子からして彼らはあの男のことを相当恐れているらしい。


「久しぶりだなあ、夏目。いつぶりだ?」

「さあな。そんなこと知らないよ。斉藤」


 雪雄は、この不良少年たちを束ねている男――高校の同級生でもある斉藤洋一にそう言った。


「てことは、こうやって顔を会わすのは高校を卒業して以来か」


 斉藤は昔のことを心底懐かしがっているようにそんなことを言った。


「そうだな」


 雪雄は短い言葉を返した。

 斉藤――まさかこいつが出てくるとは思わなかった。


 学校一危険な男で、高校を卒業したあとは暴力団に入ったと噂されていた同級生である。斉藤も奴によって催眠をかけられているのか――雪雄は様子を窺った。斉藤にも、少年たちと同じ違和感があった。恐らく、催眠がかかっている。


「俺は、お前のこと嫌いじゃなかったし、今も嫌いってわけじゃねえから、こういうことはしたくねえし、一緒に酒でも飲まねえかと言いたいところなんだけどよ。今日はそういうわけにはいかねえんだよなあ」


 斉藤はへらへらと陽気に笑っているように見えるが、その言葉には一切感情が籠もっておらず、冷たく平坦なものだった。


 そういうところは相変わらずだ――と、雪雄は思った。


 この斉藤という男は、一見、陽気に見えるのだが、実際はとてつもなく冷酷で、慈悲もなにもない奴である。いつもへらへらと笑いながら、普通ならば躊躇する一線を平気で踏み越えてくる奴だ。同級生だった雪雄は、そういう斉藤の姿を何度も見たことがある。雪雄は今まで一度も、斉藤がわかりやすく怒っている姿を見たことがない。本当に怒ったことがあるのかさえも不明である。


 それ故にこの男は危険で恐ろしい、高校生の時、雪雄はそう思った。


 この男はいつもへらへらしているから、まったく感情が読めない。そういうわけだから高校時代も、知らない間に奴の逆鱗に触れて、へらへらと笑いながら半殺しにされた者があとを絶たなかった。


 真の意味で危険人物というのは、怒鳴って睨みちらしている奴ではなく、斉藤のようになにをしでかすのかわからなくて、感情が読めない人間のことである。


 先ほどだって雪雄にスタンガンを当てるのに躊躇など一切しなかったはずだ。そんなことに痛痒を感じるような人間ではない。


「それでよう。俺はお前に訊きたいことがあるんだけどさあ」


 相変わらずへらへらと笑いながら斉藤は言う。


「お前、聞いた話によるとなんだかすっげえ大金持ってるんだってなあ」


 斉藤の言葉を聞いて雪雄の心臓は跳ねあがった。

 なんでそんなことこいつが知っている――


「お、その反応はどうやらマジみたいだなあ。おお。いいねいいねえ。ほら。さっさと喋れよ。身体は痺れて動かねえはずだけど、喋れるだろう? 俺は心優しい男だから同級生に酷いことしたくないんだよ。お前がさっさとその金の在処を喋ってくれれば、俺も穏便に済ませてやるからさあ」


 斉藤はへらへらと笑いながらそう言って、雪雄の顔面を横から蹴りつけた。頬に革靴の爪先が突き刺さると同時に、雪雄はそれで三メートルほど吹っ飛ばされる。


 雪雄はまともに痺れて未だまともに動かない手足をなんとか引きずって、壁に寄りかかった。斉藤がかつかつと高い足音を立てながら近づいてきて、


「なあ、頼むよ。やくざも大変なのわかるだろう? 大っぴらにシノギをやれば警察に目をつけられるし、どこもかしこも暴力団排除だなんだ言っててさあ。利益上げろっていわれてもなかなか上手くいかねえんだよ。どうやってそんな大金手に入れたのか知らねえけど、どうせあぶく銭だろう? いいだろ? 俺たち同級生じゃないか。同級生のことを助けるためだと思ってその金さっさと渡してくれよお」


 下手に出ているような口調で喋ってはいたが、その口とは裏腹に斉藤は壁に寄りかかった雪雄をつかみ上げて立たせ、それからぎりぎりと首を絞め上げていく。まだ手足が痺れているため暴れることすらできない。


 こいつが金のことを知っているのは、間違いなく奴のせいだ。あいつが、このやくざ者に金のことを漏らしたに違いない。雪雄の足はすでに地面を離れていた。それでも斉藤は絞め上げる力を緩めようとはしない。


「ああ。悪い悪い。こんな風に首を絞められちゃあ言えるもんも言えねえよな。悪かった」


 そう言って斉藤は無造作に雪雄の首から手を離した。まだ手足が痺れて動かない雪雄は、身体を支えることができずそのまま地面に崩れる。


 雪雄はなんとか呼吸を整えてから、


「もし、俺がここで言わなかったらどうするんだ?」


 と、息も絶え絶えに斉藤に質問した。

 それを聞いて斉藤は、


「そうだなあ」


 と、言って先ほど蹴りつけた方とは逆の方に蹴りを放った。再び雪雄の頬に革靴の感触が突き刺さり、また三メートルほど吹っ飛ばされる。


「とりあえず、死なない程度に痛めつけたあと、どっかに監禁して――薬やらなんやら色々使って吐かせるかなあ。お前だってそんな目に遭いたくないだろう? なあ頼むよ。俺、こういう野蛮なこと好きじゃないの知ってるだろう? だから言ってくれよお。お前のために言ってるんだぜ」


 斉藤は相変わらずへらへらと笑っている。やはり感情は読めない。蹴り飛ばされた雪雄のもとに近づいてきて、今度は腹に向かって蹴りを繰り出した。鳩尾の下あたりに革靴の感触が突き刺さる。


「じゃあ……言ったあとはどうするつもりだ?」


 雪雄はなんとか言葉を振り絞った。

 斉藤はそれを聞いて、


「そういやそのこと考えてなかったなあ。金にばっかり目がいってすっかり忘れてたぜ。金の在処を言わせて、はい、終わり、ってわけにはいかねえもんなあ。もうすでに結構やってるしなあ。後始末は必要だよなあ。やっぱり。警察に捕まるのはやだし――どうしようかなあ」


 本当に失念していたという口調でそう言うと同時に、雪雄の顔面を思い切り踏みつけた。革靴とアスファルトに板挟みにされ、雪雄の脳は圧迫され頭蓋骨が軋む。


「面倒だし吐かせたら殺しちゃうか」


 斉藤は雪雄の顔を踏みつける力を弱めないまま、へらへらした口調で言った。雪雄は平然と言われたその言葉を聞いてぞっとする。


 金の在処を言おうが言わなかろうが、どちらにしてもこのままでは雪雄は斉藤に殺されてしまう。


 どうにかして逃げなければならないが、状況は絶望的だ。まだ手足はまともに動きそうにないし、斉藤は少年たちのように簡単にぶちのめすことができる相手ではない。


 斉藤は雪雄以上に喧嘩慣れしているし、そもそも体格が違いすぎる。

 斉藤は雪雄より身長は二十センチ以上差があるうえに体重にいたっては三十キロくらい差がある。そんな相手とまともに殴り合って勝てるのは不良漫画の主人公だけだ。


 体格の差、というのはとてつもなく大きい。ボクシングを始めとした格闘技が、細かく階級が分けされているのだってそれが理由だ。


 そのうえ、路地の入口の方には少年たちがいるから、あそこを突破するのも無理だ。人数の差は体格の差以上に大きい。


 さらに斉藤はスタンガンを持っている。あれを使われたら雪雄は一瞬で無効化される。先ほどは威力を抑えていたようなので、手足が痺れる程度だったが、出力を上げれば一瞬で意識を失わさせることもできてしまうはずだ。

 そして斉藤は躊躇するような人間ではない。


「で、訊きたいんだけど、海に沈められるのと、山に埋められるのどっちがいい? お前は友達だし、それくらいは選ばせてやるよ」


 斉藤は楽しそうな口調で言う。奴の中では、雪雄を殺すことは決定しているらしい。


 くそ――どうする。

 雪雄は踏みつけられ、地面に突っ伏したまま考える。


 どうやったらこの状況を打開できる――斉藤と少年たちから逃れるにはどうすればいい。


 奴はなんらかの手段を使ってこれを見ているのだろうか。今までのことから考えればそうなのは明白だ。雪雄の今の状況を見て、奴はけらけらと笑っているに違いない。そう思うとふつふつと怒りが湧いてきた。


 怒りが湧こうがなんだろうが、今の状況を突破することはできない。

 諦めるしかないのか――

 雪雄がそんなことを思っていると、斉藤の元に少年が近づいてきた。


「まずいですよ、斉藤さん。警察です」


 少年のその言葉を聞いて、斉藤は、


「ちっ」


 と、まったく表情を変えずに吐き捨てて、


「捕まったら面倒だからさっさと逃げるぞ」


 そう言って路地の向こう側へと消えていった。少年たちも、雪雄によって倒された二人の少年を抱えてそれに続く。


「貴様ら! 待て!」


 そんな怒鳴り声とともに、裏路地の入口に三人の制服警官が現れ、そのうちの二人が逆方向に逃げる斉藤たちを追って行った。


 残った一人が倒れている雪雄の元に近づいてきて、


「大丈夫かね」


 と、訊いてきた。


 警官のその言葉を聞いて、雪雄は心の底から、助かった、と思った。


 警官が三人現れた、ということは恐らく、近くの住民か通りすがりの人間がこの騒ぎを見て通報したのだと思われる。どちらでも構わないが、その通報によって雪雄が急死に一生を得たのは間違いない。


「殴られているようだが――救急車を呼んだ方がいいかね?」

「いえ。大丈夫です。大したことはありませんから」


 雪雄は警官の申し出を断った。


「そうか。きみがそう言うなら無理強いはしないが――簡単に事情だけ聞かせてくれないか? なにがあったんだい?」


 警官の口調には詰問しようという感じはなかった。雪雄のことを被害者だと思っているのだろう。


「わかりません。外を歩いていたら高校生ぐらいの集団につけまわされてこんなところに追いやられて、暴力を振るわれて――」


 少年たちのうち二人をぶちのめしたことと、自分からこの路地に入ったことは言わなかった。ここは自分が完全に被害者であることをアピールした方がいいと判断したからだ。


「きみを追い回したという高校生くらいの集団というのは知り合いかね?」

「いえ。まったく知りません」


 斉藤のことを言うべきかどうか迷ったが、結局言わないことにした。被害者になり切るには赤の他人であった方が都合がいいはずだ。


「そうか。暴力を振るわれた以外になにかされたかね」

「いや、それ以外はなにも。大丈夫です」


 手足の痺れが抜けてきたので、雪雄はよろめきながらなんとか立ち上がった。


「見たところ怪我はそこまで酷くないようだが――もし、なにか異変を感じたらすぐに病院に行くんだよ。それから念のため、名前と連絡先と住所を教えてくれるか?」


 雪雄は自分の名前と電話番号、それから住所を警官に告げた。警官はそれを手帳に書き留める。


「きみに暴力を振るった連中のことがわかったら連絡しよう。もし、今後トラブルが続くようならすぐ警察に被害を届けるように」

「すみません。ありがとうございます」


 雪雄は一礼した。


「家まで送っていこうか?」


 警官は雪雄に質問する。


「あ、いえ、大丈夫です。一人でも大丈夫ですから」


 雪雄は警官の申し出を断った。


「そうかね。では、今のところ大丈夫のようだし、私もあいつらを追うことにする。大丈夫かね?」

「はい」


 雪雄のその言葉を聞くと、警官は頷いて路地の先に走って行った。薄暗い裏路地なので警官の姿はすぐに見えなくなった。それから雪雄は斉藤たちと警官が向かった方向とは逆方向に足を進める。


 この状態では外で食事をするわけにかいかないし、今日はさっさと帰ろう――雪雄は覚束ない足取りで帰路に着いた。

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