第15話

 あいつは一体何者だ。雪雄がやった一連の犯罪行為を暴いて、挙げ句の果てには超能力のことを忘れなければ殺すなどと言ってきた。なにが目的だ。わけがわからない。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。せっかくなにもかもが変わったところだったのに。ただの頭のおかしいサイコなのか。それとも――


 奴にはわかりやすい狂気は感じられなかった。話す言葉は理路整然としていたし、知性もあった。わかりやすく狂っているとは思えない。


 殺す――

 その言葉が雪雄の脳内に反響する。


 本当にあいつは雪雄を殺すつもりなのか。超能力の存在を忘れることを拒否した雪雄のことを本当に殺すつもりなのか――それがわからない。

 そもそも殺すにしても、奴は一体どうやって雪雄を殺すというのか? 電話をかけてきたあいつ自身がナイフを持って襲いかかってくるとでもいうのか――


 そんなことをしてくるとは思えない。奴も雪雄と同じ超能力を持っている。そんな捕まるリスクが高い手段を取るとは思えない。


 奴の持っている能力は恐らく『電子操作』と『電子解析』だ。雪雄が侵入した銀行の監視カメラの映像などをハッキングして覗き見て、それに映っていないはずの雪雄のことを特定したことからそれは明らかだろう。三つ目の能力はわからないが、たぶんその二つの能力と相性のいい能力のはずだ。


 確かに『電子操作』と『電子解析』は現代のネットワーク技術を脅かすほどの力も持った恐ろしい能力なのは間違いない。現実に命を脅かすことできる能力ではないはずだ。誰かを殺すことに適した能力ではないのか明らかである。


 ならばあいつはどうやって雪雄の命を狙ってくるというのか。なんらの能力を使ってくることはわかる。


 だが、人を殺すことに適した能力があっただろうか――雪雄は『超能力開発アプリ』のサイトに登録されている超能力のことを思い出した。


 雪雄の持っている能力――『電子偽装』と『錠前突破』と『指紋消失』の三つを使えばどんな場所でも侵入ができるから、居場所さえ特定できてしまえば、深夜、雪雄が寝ている間にこの部屋に侵入して殺すことはできるだろう。


 しかし、一人で使える能力は三つまでだ。そして奴が持っている三つの能力のうち、二つはわかっている。わかっている二つの能力は人殺しに適した能力ではない。それなのに何故、あいつはあれほど簡単に雪雄のことを殺すと言ったのだろうか。ただの脅しならばそれでいい。無視すればいいだけの話だ。だが、電話の向こうから聞こえたあの声が脅しで『殺す』と言っているとはどうしても思えなかった。


 なにか――

 超能力には雪雄の知らないなにかがあるのだろうか――それは充分あり得る。雪雄は超能力のことを知ってからまだ日が浅い。超能力について知らないことはまだあるはずだ。


 そして、あいつの話している様子から考えると、超能力について熟知しているようである。あいつが知っていて、雪雄が知らないことがあったとしてもなにも不思議ではない。


 姿が見えない相手にわけもわからないまま命を狙われる――その事実に雪雄は身震いした。


 どうしてこんなことになったのだろうか。つい何十分か前までは最高に気分がよかったはずなのに――


 そこで雪雄ははっとなって、美優とのデートのことを思い出し、慌てて時間を確認した。約束の時間まであと二十分を切っている。せっかくの女の子とのデートで時間に遅れるのも印象が悪いからそろそろ家を出た方がいいだろう。


 雪雄は財布とスマートフォンをポケットに入れ、鞄を持って外に出た。外は昨日の天気予報通り綺麗に晴れていた。

 雪雄は美優との待ち合わせ場所である駅前を目指して歩き出す。


『近いうちに殺してあげるから楽しみに待っているといい』


 電話の向こうから聞こえたあいつの言葉が脳内で再生された。


 本当に自分は命を狙われているのだろうか――そう考えるとなんだか不安になった。背後を振り返る。怪しい人間は誰もいなかった。いつも通り変わらない日曜日の朝である。それでも、刃物かなにかを持った誰かがいきなり背後から現れて雪雄に襲いかかってくるのではないかと思えてしまう。


 今、自分の目の前に広がっている光景にいる人間の中に、あの電話の主がいるかもしれないと思うととても恐ろしかった。


 いや、と雪雄は首を振って思い直した。

 いくらなんでも考え過ぎだ。あの電話があってすぐ命を狙われるとは思えない。そもそも、まだ雪雄の住所を特定など――


 どうしてそんな楽観的なことが言える。自分の中にいるもう一人の自分はそう告げた。


 相手は超能力を持っているのだ。それも持っているのは情報収集の能力が極めて高い能力である。雪雄の住所などすでに知られているのではあるまいか?


 現に奴は雪雄の番号を特定していた。雪雄の住所などは、市役所のデータベースでもハッキングすれば簡単にわかる。奴の持っている能力はそれを簡単に行なえるはずだ。それを考えればいつ雪雄が狙われてもおかしくはない。


 どうする――

 奴が襲いかかってくる前に逃げるべきだろうか――いや、そんなことをしても無駄だ。奴の能力を使えばどこに引っ越したって簡単に特定できてしまう。奴から逃げるには本格的な高飛びをしなければ逃げられないだろう。


 それをやったとしても、この情報化社会においては奴の持っている能力は最強だ――その気になれば世界にどこにいても特定できるだろう。それこそ、コンピューターもなにもない未開の地に逃げ込むしかない。


 奴から逃げるのは無謀だ。

 ならどうするべきか。

 そんなのは決まっている。

 奴を殺すしかない。そうすれば姿の見えない殺人者の影に怯える必要もなくなる。


 だが、それも現時点では不可能だ。こちらは奴の情報をまったく知らないのだ。住所も名前も、顔さえも知らない。雪雄にかかってきた電話番号も現在使われていないものだった。恐らくそこから特定することは無理だろう。


 ならば取るべき手段は一つ。

 雪雄に襲いかかってきたあいつを返り討ちにしてやるしかない。

 それしか考えられないが――奴自身が直接出向いてくるだろうか。


 あいつだって雪雄を殺すために直接出向いたら、なにかがまかり間違って返り討ちにされるかもしれないことは考えに入れているはずだ。


 となると、雪雄を殺すのには何者かを差し向けてくると考えた方がいいだろう。

 くそ――八方ふさがりだ。どうやっても逃げ場がない。このまま殺されるのを待っているというのか。奴の情報が一つでもわかれば、探偵かなにかでも雇って情報を収集させることができるのだが――


 奴の言う通り、超能力を消し、その存在を忘れてしまうしかないのか――


 駄目だ。そんなことはできない。あんな奴の言いなりになってたまるものか。奴の言う通りにしたところで、奴の言うように命が保証されるわけではないのだ。それだけは絶対にしてはならない。超能力を消してしまったら一縷の望みすらなくなる。超能力に対抗できるのは超能力だけだ。奴の居所さえわかってしまえば、こちらだって攻勢に打って出られる。そのためにも奴の言いなりになることだけはしてはならない。


 あれこれと考えているうちに、美優との待ち合わせ場所である駅前ロータリーに辿り着いていた。彼女といる時だけはそのことは忘れよう。時間は――集合時間の五分前だった。視線を動かして美優の姿を探す。彼女の姿はすぐに見つかり、彼女と目が合う。美優はこちらを見て微笑み小さく手を振った。


 雪雄は小走りで美優の元に近づいて、

「ごめん。待たせちゃったかな。早めに来たつもりだったんだけど……」

 まだ待ち合わせの時間の前とはいえ、待たせてしまったことを申し訳なく思いながらそう言った。


「ううん。そんなことないよ。私もついさっき来たばかりだし……」

「そうか。ならよかった」

「あの、夏目くん?」

 美優は雪雄の顔を覗き込んでそう言った。彼女の綺麗な顔が近づいて、雪雄は思わずどきりとする。


「なんだか顔色悪いけど――大丈夫?」

 美優は心配そうな口調で言った。

「あ、ああ。大丈夫だよ。今日出かけるのが楽しみで昨日なかなか寝れなかったんだ。顔色が悪いのはそのせいかな」


 雪雄は嘘を言った。

 しかし、彼女に本当のことを言うわけにもいかない。そんなことをすれば、あいつは要求を拒否した雪雄を殺すために美優に手を出すことも考えられる。それだけは避けなければならない。


「もう! 上手なんだから。そんなこと言ったってなんにも出ないよ」

 美優は少し恥ずかしがるように笑ってそう言った。彼女のそんな可愛らしい表情を見て、雪雄は少しだけ心が落ち着く。


「ははっ。別になにも出さなくてもいいよ。それじゃ、他に誰か来るわけでもないんだし、行こうか」

「あ。そうだね」

「俺は神保町のことなんて全然知らないからさ、今日のところはエスコートを頼むよ」

「うん。そういうことしたことないんだけど頑張ってみる」


 そんな美優の言葉を聞いて雪雄は表情が緩んでしまいそうになった。本当に彼女は可愛らしい――雪雄は心底そう思った。


「どうしたの? 私の顔になにかついてる?」

 美優が首を傾げて質問してくる。雪雄は慌てて取り繕った。

「あ、いや、なんでもないよ。女の子と出かけるのなんて久しぶりだからちょっと戸惑っちゃってさ」

「そうなの? 夏目くん、結構もてそうなのに」

「そんなことないよ。高校を卒業してからというもの、出会いが全然なくって」

「ええー? 本当?」

「本当だよ。衣笠にそんな嘘を言ってもしょうがないじゃないか」


 雪雄は少し呆れてため息をつく。

 そんな楽しい会話を交わしながら雪雄と美優は駅の中へと入っていった。

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