第14話

『怪奇事件? 銀行から一億円が盗難』


『先日、三橋銀行××支店の金庫から一億二百万円が何者かによって盗み出されているのが確認された。しかし店内に設置されているカメラには侵入者と思しき不審人物は映っておらず、××支店が契約している警備会社の方でも侵入者の確認はなされていない。また誰も映っていないはずのカメラには、一人でに扉が開く様子が映し出されており、三橋銀行××支店は警察に被害届を出し、確認を急いでいる』


 こんなものを見ると実に笑えてくる――雪雄は心の底からそのように思った。

 馬鹿め。あの銀行の人間も警備会社も警察もみんな馬鹿だ。馬鹿しかいない。この記事を見ていると、馬鹿どもが並べられて売り出されているような気分になる。


 銀行の人間も警備会社の人間も警察もなにもわかっちゃいない。常識という『枠』に囚われている馬鹿どもにはそれがわからないのだ。これが超能力によってなされた不可能であることなど想像もできまい。この世界は『当たり前』しかないのだと思い込んでいる。


 そうじゃない。

 この世界は多くの人間が思っている以上に人の想像を遥かに超えたものが存在している。


 この超能力もその一つだ。

 警察も、超能力が使えるようになるアプリがあることなど微塵も思っていないだろう。仮にあの『超能力開発アプリ』のサイトを発見したとしても、子供も騙せない馬鹿なものだと判断するに違いない。


 だけど、それが普通だ。超能力などあり得ない――それが世間一般の常識である。雪雄はそのことを決して愚かだとは思わない。


 愚かだとは思わない、が、想像力に欠けているとは思う。

 常識では測れない存在があることがわからないのは想像力の欠如だ。百年前は人類が月に行くことなど想像もできなかった。そんなことは不可能だと、多くの人間が吐き捨てたことだろう。


 しかし、人類はその不可能を達成した。月に降り立つという偉業を成し遂げたのである。それを達成したものはなにか? 技術の進歩――そうだその通り。そしてなにより人の想像力だ。月に行くことは不可能などではない――そんな想像ができていなければ月に行くことなどできなかった。技術の革新には想像力はいつだって必須だ。いつ世も未来を作ってきたのは強い想像力を持った人間である。


 これだって同じだ。

 超能力があるかもしれない――そんな想像ができる者が果たしてどれだけいるだろうか。きっとその数はとてつもなく少ない。超能力なんてものに真面目に取り組んでいる人間など傍から見れば馬鹿にしか映らないだろう。


 けれど。

 超能力は存在する。

 純然たる事実として。


『超能力開発アプリ』のサイトからダウンロードできるアプリを使えば、どんな奴だってそれが使えるようになるのだ。


 だけど、誰もそんなことには行き着かない。

 何故か?

 想像力が足りないからだ。


 初めから馬鹿なものだと決めてかかっているのだ。それは実に愚かである。常識なんていう枠に嵌りきった者の考えだ。常識で測れないものは存在しないと思い込んでいる。これを愚かと言わずしてなんと言おうか。


 あるいは――超能力、という存在を認めたくないのかもしれない。

 もし、そんなものがあればこの世界は根底から覆されてしまう。だからそんなものは信じない――そんな風に考える者もいるだろう。


 だが、いくらそんな風に思い込んだところで超能力が現実のものであるという事実は変えようもない。その方こそ現実というものは見えていないのではないか。


 常識という煙幕に惑わされて――現実が見えなくなってしまう。

 なんとも皮肉である。


 常識を信じたければ信じるがいい。なにを信じようが自由だ。この国では信仰の自由が約束されているのだから。


 そして警察も同様に常識という煙幕に惑わされているようで、煙に巻くかのように銀行から金を盗んだのは、夏目雪雄という無職の青年であるとも、それが超能力によってなされたことは見当もついていないようだった。


 銀行から金を盗んでからずっと新聞やネットニュースの記事は隈なく追っているが、それらを見る限り警察はなにかわかっている様子はない。どうやって強固なはずのセキュリティを突破し、銀行から金を盗めたのか、いや、それどころか警察は本当に金が盗まれたのかどうかすら疑っている可能性さえある。


 雪雄を捕まえるには、『枠』の中から考えを飛躍する必要がある。それは不可能を可能にしてしまう力の存在を認めること――超能力の存在を認めることに他ならない。きっと警察は頑としてそれを認めようとはしないだろう。


 何故なら警察は、『枠』の中を取り締まるための機関だから。雪雄が位置する『枠』の外側のことは門外漢である。

 警察が『枠』の中を取り締まる機関である以上、警察は雪雄を捕まえることなどできるわけがない。


 雪雄が行なったことは、間違いなく『枠』の外にある事象なのだ。

 いくら警察が犯罪のプロであろうとも、それは『枠』の中での話だ。『枠』の外側については少なくとも警察より雪雄の方が数段熟知している。


 盗んできた一億円以上もの大金は、押し入れの奥の屋根裏に隠してある。そんな莫大な金額を自宅に置いておくのは少々不安であるが、盗んできた金をどこかに預けるというわけにもいかないのでとりあえずの処置だ。早いうちにどうにかした方がいいだろう。


 できるだけ大金を手に入れたことを他人に知られないように注意するが、万全には万全を期した方がいいはずだ。さすがに部屋を勝手に大改造するわけにもいかないので、とりあえず鍵を変えることから始めるとするか。


 絶対に開けられない鍵、というものがあればいいのだが、生憎とそんな鍵は存在しないので、ピッキングができないタイプの鍵を三つほど着けておけば空き巣は防げるだろう。金には余裕があるので、多少費用がかかったって問題ではない。二百万ほど使えば、このボロアパートにだってそれなりのセキュリティになるはずだ。

 ここから引っ越すのも一つの手だが――盗んだ金をどうやって引っ越し先に持っていくかが問題になる。金を業者に運搬させるというわけにもいかないだろう。なにかの弾みで見つかってしまう可能性もある。


 今後の進退はおいおい考えるとしよう。時間だけはどんな人間にも平等に存在するものだ。仕事という枷から解放された雪雄は、同年代で働いている人間より遥かに使える時間が多い。金以上に時間は上手く使わなければならない。


 命よりも金が重いのなら、時間は金より遥かに重い。時は金なり――なんて言葉があるが、時間と金が本当に釣り合うものではない。どれだけ金を積んでも時間だけは買えないのだから。残酷なくらい平等である。


 二百万――少し前の雪雄にとっては間違いなく大金だった。一年近く汗を流して働いて受け取っていた金額がそれくらいだったはずだ。


 だが今は違う。

 二百万など一億の五十分の一に過ぎない。それに、超能力を駆使すれば一億程度の金などいくらでも手に入れられる。しかし、大金を置いておく場所はないので、この一億があるうちは盗みに入るつもりはない。慎重さを忘れてはならない。アホみたいな浪費をするつもりもないので、金を盗むのは当分先になるだろうが。


 簡単に金を盗むことができるからといって、馬鹿みたいに盗みを重ねるようなこともするつもりはない。


 警察は確かに『枠』の中を取り締まるだけの機関に過ぎない。が、決して無能ではないのである。同じような盗みが短い間に頻発したら不審に思うはずだ。


 だからといって超能力に行き着くことはないだろう。だが、できる限り疑われないようにするべきである。犯罪者が捕まるのは大抵の場合、同じ犯行を繰り返すからだ。いくら巧妙かつ証拠を残さずに犯罪を行なっても、同じ犯行を重ねれば重ねるほど感知されるリスクが高まる。超能力を駆使しても同じだ。


 次の犯行に及ぶ時は、この事件が忘れ去られた頃が望ましい。時間が空けば空くほど同一犯によるものだと思われにくくなる。そのためには今までと変わらない生活を行なっていくことが重要になってくるのだが――果たしてどうだろう。できるだろうか。


 いや。

 できる。小金を得た途端に節制が利かなくなるなんて馬鹿すぎる。そういう馬鹿な奴が成金などと言われるのだ。どうせこの金は不正な手段で手に入れた金なのだから、大々的に使うには資金洗浄をしなければならないのだし、隠しておいたって税金などを気にする必要もない。それよりも警察にも税務署にも感づかれないことの方が重要だ。奴らに感づかれないよう、この一億円は細々と使っていくことにしなければならない。


 そう言えば――

 と、雪雄はあることを思った。


 どうして自分はあの同窓会の日、美優と話している時に見た『超能力開発アプリ』のサイトのリンクが気になったのだろうか。


 いま考えてみると不思議である。あんなフィッシング詐欺としか思えない怪しげなリンクを踏もうとは普通なら思わない。それくらいの知識は雪雄にだってある。

 何故かは知らないが、あれを見た瞬間、本物かもしれない、と思ったのは紛れもなく事実だ。


 なにかが作用して、そんな風に思ったのだろうか?

 やはりあの時の自分は、自分では気づかないうちに正常な精神状態ではなくなっていたということなのか――それは確かに否定できない。山岡のせいで仕事をクビになって鬱屈した感情がただひたすらに蟠っていたのは事実だったのだ。山岡をどうにかしてやりたいという感情と、どうにもすることなどできないという非情な現実によって、雪雄が苛立ち、そして神経をすり減らしていたことは間違いない。


 だが、それでもあれを本物だと思うだろうか――雪雄は首を傾げる。

 そうは思わない。


 じゃあ一体なにが雪雄を動かしたのだろう。

 普段ならば絶対に踏まないようなリンク先を踏みたくなってしまうなどあり得るのだろうか。


 待て。

 考えてみろ。

 超能力は存在した。あれは紛れもなく本物だった。


 ならば。

 あのリンク先を思わず踏みたくなることもあり得るのではないか。どんな力が作用しているのかはわからないが、超能力があったのだからそういう現象を引き起こすなにかがあってもなんら不思議なことではない。


 しかし――

 そんなことは知らなくてもいいことだろう。なにがどうあったにしても、その不可解な現象のおかげで雪雄は超能力を手に入れられたのだ。どうしてあのリンク先が気になったのかを知ったところでなにか得をするわけでもない。


 下手なことはしない方がいい。

 好奇心は猫も殺すと言う。知らなくていいことを知っても幸せになるとは限らない。

 そんな下らないことを考えたってしょうがない。人が一番先に考えるべきことは、いつだって今日のことなのだ。明日のメシのことよりも今日のメシ――今日がなければ明日はないのだから。


 それに今日くらいは、そういうことを忘れてもいい。

 今日はこれから美優とデートなのだ。せっかく女の子と二人きりで出かけるのに、そんなことを考えているのは相手に失礼である。


 そう言えば、女の子と二人きりで出かけるのはいつぶりのことだろうか――前に付き合っていた彼女とは、高校を卒業してすぐふられたので、それ以来女の子と二人きりで出かけた覚えはない。


 いつも女の影があるような色男である慧の奴に誘われて合コン的なものに参加したことは何回もあるのだが、それを機に親密になって二人で出かけるような仲になった相手は一人もいなかった。一度酒を飲んでそれきりの相手しかいないので、今となっては当然顔も名前も覚えていない。それだから電話番号やアドレスを交換してすらいなかった。


 美優と出かける先は前に話題に出た通り神保町だ。今日はそこを案内してもらうことになっている。最初のデートくらいは男である自分がプランを立てるべきだとは思うのだが、案内してもらいたいと言ったのは雪雄の方なのでそうもいかない。雪雄がデートプランを考えるのは、今日のデートが上手くいって、またデートに誘うことができてからでいいだろう。


 だから今日はとても楽しみだ。初めてのデートというわけでもないのに、なんだかそのように思えてくる。


 神保町というのはどんな街だろう――雪雄は想像を巡らせた。古本屋がたくさんあるというのは知っているが、それ以上のことは知らない。

 自分の知らない場所に行く――そう思うとなんだか心が逸る思いだ。それは知らない場所に行くという好奇心からなのか、美優と一緒に出かけるからなのかはわからないが。


 携帯電話を見て時間を確認する。家を出るまであと四十分弱余裕があった。集合場所は最寄りの駅なのでゆっくり歩いても十分ほどしかかからない。準備はすべて済ませてしまったので、微妙な時間が余ってしまった。ゲームでもするか、それともニュースサイトでも覗くか――どうしようか考えていると――


 不意に携帯電話が震え出した。どうやら着信のようだった。初めは美優からかと思ったが、かかってきた番号は登録されていない番号だった。


 間違い電話かなにかだろう――相手方が間違っていることに気づかず何度もかけられてもこちらとしても困るので、こういう時はさっさと出てしまって間違いなら間違いであると言った方がいい――そう思って雪雄は電話を取った。


「もしもし」

『よお。久しぶり。随分と派手なことやってるじゃないか。ニュースにも載ったじゃないか。で、今、どんな気分? 教えてくれない? ばれない犯罪をするのってやっぱり気持ちいいのか? この犯罪者』


 電話の向こうから聞こえてきたのは、ボイスチェンジャーを通した男か女かも判然としない甲高い声だった。

 電話の向こうのあまりにも唐突な言葉に雪雄は思わず苛立ちが生まれた。雪雄はできるだけ押し殺した声で言った。


「誰だよ、お前。なにを言ってるのかわかんないんだけど。どうしてあんたに犯罪者扱いされなきゃならないんだ」

『おいおい。なにを言ってるんだ』

 電話の向こうにいる何者かはふざけているとしか思えない甲高い声で言う。


『お前は自分がやったことを忘れたのか? ええ? クビになった会社に忍び込んでパソコンをぶっ壊したり、質屋から一千万近く盗んだり、上司の家に忍び込んで部屋を荒らした挙げ句、そいつに罪を吹っかけたり、銀行から一億円以上盗んだような奴が犯罪者じゃないっていうわけか! こりゃあ傑作だな! お前の中じゃあどういうことをすれば「犯罪者」になるんだ?』

「な……」

 雪雄は電話の向こうから聞こえてきた言葉に思わず絶句した。


『なんで知ってる――そんな風に言いたげだな。なんだなんだ。自分がやったことが完全だとか完璧だったとか思ってるんじゃないだろうなあ? あんまり調子に乗るなよ初心者。カメラやセンサーに映らない、指紋を残さない、どんな鍵も開けられる。警察くらいなら余裕で騙せるだろうが、そんなのじゃ俺を騙すことはできないぜ』

「……っ!」


 雪雄は驚きのあまり言葉が出なかった。

 電話をかけてきたこいつは雪雄が手に入れた能力のことまで知っている。何故だ。どうして知っている。このことは誰にも言ってないはずなのに……。


『おいおい。黙るなよ。もしかして図星だったのか? ちゃんちゃらおかしいなあ、そいつは。それとも俺がお前の手に入れた能力のことを知っているのがそんなに珍しかったのか? お前がなんの能力を手に入れたのなんてあの映像を見れば一目瞭然ことだろう?』

 確かにその通りだ。だが、それは――


『おや? おやおや? まさかお前、超能力を知っているのが自分だけだとか思っちゃったりしてるわけ? 夏目くん、きみはどんな災害は起こっても自分だけは生き残るって思ってるタイプ? それはいけないなあ。想像力が足りないよ、夏目くん。この世界に自分だけが知っているものなんてどこにもないんだぜ?』


 電話の向こうから雪雄を嘲笑う甲高い笑い声が聞こえてきた。

 電話の向こうから聞こえてくる声はとてつもなく挑発的だ。しかし、雪雄は動揺してしまってなにも言い返せない。


 何者なんだ――こいつは。雪雄の頭の中に巡るのはただそれだけだった。

 雪雄のやった一連の行為の真相に加え、手に入れた能力のことまで知っている。

 こいつは――一体。


「どうして、そんなことを知っている?」

 動揺を押し殺し、雪雄はなんとか言葉を紡いだ。

『どうして! どうしてと来ましたよ! 俺がどうしてお前がやったことを知っているのかなんて一つしかないじゃないか。想像力が足りないなあ、夏目くん。それでも「枠」の外側に出た超能力者なのかい? そんなのじゃあまるで駄目だぜ。きみが馬鹿にしてる警察と一緒だ。そう思わないか?』


 電話の向こうにいる何者かは雪雄を侮辱するような口調で言う。ボイスチェンジャーで変えられているせいかその声は何割も増して憎たらしく聞こえる。


「お前……まさか――」

 雪雄に電話をかけてきたこの人物は――

「お前、あのサイトのことを――いや、超能力のことを知っているのか?」


 電話の向こうにいる人物が雪雄のやった一連の行為の真相を知っている理由はそれしか考えられない。

 雪雄がやったことは『枠』の内側――超能力というものがないと信じられている世界では完璧なものかもしれない。


 しかし、雪雄と同じように『枠』の外側――超能力があることを知っている人間にとってはそうではないはずだ。超能力に対抗できるのは同じ超能力しかない。こいつが超能力のことを知っているのならば――いや、あるいは――


『知ってる? なに間の抜けたこと言ってるんだ。そんなの当たり前だろう。知らなきゃ超能力なんて使えないぜ。やっぱり想像力が足りてないなあ、夏目くん。いくら超能力の存在を知ってたって、きみのやったことを暴くには同じ超能力が必要だってことがわからないのか?』

「……」


 雪雄は苛立ちで歯を軋らせる。

 だが、その通りだ。いくら超能力の存在を知っていても、雪雄のやったことを暴くには同じ超能力が必須だ。ただその存在を知っているだけでこんなことはできないだろう。


 ならば、こいつは一体なんの能力を使ったのか?

 雪雄は考える。


 銀行をはじめとした監視カメラの映像が外部に公開されているとは思えない。そうなると当然不正な手段を使って監視カメラの映像を見たことになる。この電話の主が警察関係者ならば不正な手段を使わずとも監視カメラの映像を見ることは可能かもしれない。確かに可能性としては否定しきれないが、それは低いと雪雄は考える。


 ただ、警察に身を置いているような人間が、超能力の存在を知り、なおかつそれが実際に使えるものであると知っているとは思えなかったからだ。


 それに、ボイスチェンジャーかなにかを通してはいるが、喋り方からしてこの声の主は若い。雪雄と同年代だろう。雪雄と同年代で警官であっても不思議なことではないが、二十歳そこそこの若輩警官が、銀行から煙に巻かれるように一億円以上が盗まれた大事件の監視カメラの映像をやすやすと見させてもらえるとは思えない。


 だから、電話の相手は不正な手段を用いて監視カメラの映像を見たに違いない。

 ならば、一体なんの能力を使ったのか――

 考えられるのは一つしかない。


『電子操作』の能力によるハッキングだ。あの能力を使えば、監視カメラの映像を覗き見ることはできるだろう。


 しかし、雪雄はカメラには映っていないのである。ただハッキングして監視カメラの映像を見ただけでは一連の行為が雪雄の手によって行われたとはわからない。

 雪雄はすぐに『電子操作』とセットで使われる能力のことを思い出した。


『電子解析』だ。あの能力を使って『電子偽装』の能力を打ち破った。そうに違いない。


 そうなると、この電話の主は、雪雄が使いこなすことができないと判断した二つの能力を充分に使いこなしていると言える。だから、こいつはついこの間、超能力を手に入れたばかりの雪雄よりも遥かに超能力の扱いに手慣れているはずだ。

 奴の能力は雪雄のものより強力なもののうえに、その練度まで遥かに上回っている。どうしても分が悪すぎる――どうするべきか。


「お前……なにが目的だ」

 雪雄は感情を押し殺した声で訊いた。


『目的……目的ねえ……俺が「電子解析」を使ってきみの姿がばっちり映ってる映像を警察にでも持ちこんだらどうなるかな?』

「俺を脅す気か?」

『いやいや。そんなやくざ屋さんじゃあるまいし、そんなことしやしないよ。勘違いしないで欲しいね。きみを警察に突き出したところで俺にはなんの得もないわけでだしねえ。そうだね、しいて言うなら』

 そこで一度言葉を切り、

『手に入れた超能力を消し、それを忘れて二度と使うな。善良な市民としては犯罪者を見逃すのもちょっとアレだし、できることなら自分がやったことを警察に自首してもらいたいね。当然超能力のことは警察に言うんじゃないぞ』

 ボイスチェンジャーで変換された甲高い声に似合わない厳かな口調で言った。


『一つ警告しておいてやろう。警察だろうがなんだろうが、超能力のことを他人に漏らしたら命はないと思え』


 ボイスチェンジャーで変換されたおかしな声なのにもかかわらず、その言葉には容赦のない殺意が滲み出ており、雪雄の背筋はぞっと寒くなった。


「どうして……そんなことを言うんだ?」

 雪雄は訊いた。

『どうして? そんなの当たり前だろう。超能力なんてものが世間に知られたらどうなると思う? 想像力に欠けたきみにだってどんな風になるかくらい想像はつかないか?』


 世間に超能力の存在が知られる――そうなったら――

 間違いなく世界は混乱する。

 常識は根底から覆され、社会は崩壊をするかもしれない。

 超能力という存在はそれだけの力を持っているのだ。


『きみのようにね。好き勝手に超能力を使われるのは困るんだよ。ああ。勘違いしないで欲しいんだけど、別に俺は人間の未来を思ってこんなことを言ってるんじゃない。超能力は、それを使うに足る者にだけ与えられるべきだと思っているだけだ。きみのように私欲私利のために使うような輩に超能力は相応しくない。残念だけどきみは不合格だ。超能力を持つのに相応しい人間じゃない』

「ど、どうして……そんなことお前に言われなきゃならないんだ!」


 雪雄は電話口に向かって叫んだ。

 そんなこと他人に指図される謂れはない。手に入れた超能力をどう使おうが雪雄の勝手ではないのか。

 雪雄は手に入れた超能力を絶対に手放したくなかった。この力さえあればくだらないことで悩む必要もないのだ。この力がなくなれば雪雄はただの無職に戻ってしまう。そんなことには――


『へえ。夏目くんは超能力を消したくないってわけか。ふうん』

 雪雄はその言葉になにやら薄ら寒くなるものを感じた。

「だ、だったらどうなるっていうんだ?」

『決まってるだろ。話してわからないってんなら実力行使しかない。超能力の存在を隠すためにもお前には死んでもらう』

「な……俺を、殺すっていうのか?」

『ああ。それがてっとり早いからね。そうだな。俺は気が長い方だから今すぐ超能力を消すっていうんなら命は保証してやらないこともない。どうだ? なかなか有情だろう? そうだな。


『さらに譲歩してやるとしよう。警察に自首もしなくていいぜ。俺の目的はお前を警察に突き出すことじゃないからな。お前がやった一連の犯罪行為についてはすべて見逃してやる。

 一億円以上銀行からかっぱらったんだからしばらくは悠々自適に暮らせるだろ。超能力を消し、その存在を忘れるだけでいいんだぜ。悪くない条件だと思わないか? 超能力の消し方がわからないというなら――』

「嫌だ」

 雪雄は相手の言葉を遮って言った。


「どうしてお前なんかにそんな指図をされなきゃならないんだ。俺はあの能力を手に入れて変わったんだ。それをみすみす手放してなるものか。お前の言いなりになんてなってたまるか」

『へえ。嫌なんだ』


 電話の向こうから聞こえてくる声は、ボイスチェンジャーで変換されていても、その冷たさが理解できた。


『それならしょうがないね。近いうち殺してあげるから楽しみに待ってるといい』

「お、おい! 待て!」


 雪雄はそう怒鳴ったがあっさりと通話は切られてしまった。すぐにかかってきた番号にかけ直してみたものの、どういうわけか『この番号は現在使われておりません』というアナウンスが流れるだけで繋がる気配はまるでなかった。


「くそ!」

 雪雄は苛立ちに任せて床に拳を振り下ろした。

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