第7話

 それから慧とぐだぐだといつものように過ごし、夕方過ぎになって、

「あ、今日これから予定あるからまたな」

 と、慧が言って雪雄の部屋から出て行った。あいつのことだから、女とどこかに出かけるのだろう。


 慧が出て行ってから、雪雄は再び表現のしがたいほどの歓喜が湧き起こってきた。


 超能力――そう、今の雪雄は超能力者なのだ。常識を超え、法も倫理も踏み潰せる力を、今まさにこの手の中にある。

 法など問題にはならない。

 倫理など知ったことか。そんなものは猫の餌にでもしてしまえばいい。今の雪雄をそんなもので縛ることなどできないのだから。


 だが待て。

 喜ぶべき時は山岡に対する報復を終えてからだ。


『電子偽装』という力をどうやって活用するか――そして残っている二つの枠をなににするか――復讐計画はその三つの力に合わせて考えた方がいい。先に計画を立てて、それから決めた能力が自分の望むものではなかったら徒労になってしまう。それは避けたい。先に決めるべきは能力の方だ。


 なにがいいだろうか――そう思いながら充電していたスマートフォンを取り、『超能力開発アプリ』のサイトに接続し、超能力アプリ一覧のページを開く。


 なにがいいだろうか。前にこのサイトを覗いたのは昨日の夜なので、さすがに新しい能力が追加されていなかったが、それでも選べる能力は多い。


 昨日考えた通り、『念動力』や『発火能力』といった攻撃的な能力は選ばない方がいいだろう。どれだけの力が出せるのかが未知数であるし、そもそもこういう直接攻撃を目的とするようなタイプの能力が、雪雄が選択した『電子偽装』と相性がいいとは思えない。


 次に目に入ったのは『電子操作』と『電子解析』だった。

『電子操作』というのはその名の通り電子機器を操作する能力だろう。超能力でハッキングやクラッキングができるようになる能力と言ったところか。これは、インターネットで全世界が繋がっている今の世の中では強力な武器である。


 当然超能力で行われるのだから、既存のセキュリティシステムに引っかかることはないはずだ。そうでなければ超能力とは言えない。この能力を完璧に操ることができれば――世界を崩壊させてしまうかもしれない力を持っている。


『電子解析』というのは暗号化された情報を解析することだろう。『電子操作』と並び、これも恐ろしい力を秘めている。


 これも超能力だから、数学的に解析が不可能と証明されている暗号であっても解くことができるのではなかろうか。

 一般的に使われている暗号――例えばRSA暗号が解析できるとなれば大事である。インターネットにおける安全性を根本から脅かす力だ。


 だが――

 確かに『電子操作』と『電子解析』を組み合わせれば、電脳空間では無敵の存在になり得るだろう。どれだけの技術を持ったハッカーが何人集まろうと、この能力には太刀打ちできない。何故ならこの二つは超能力だからだ。優れたハッカーが集まったくらいでどうにかできてしまえるものならば超能力とは呼べないだろう。

 これらの能力がとてつもなく強力なものであるのは間違いない。


 しかしそれは『電子操作』と『電子解析』の能力を十全に使いこなせればの話だ。『電子操作』にしても『電子解析』にしても、強力な――強力すぎる力を持っているがゆえに、その制御はかなり困難だと思われる。強力な武器ほど扱いが難しいものなのだ。


『電子操作』と『電子解析』はそれに値するだろう。充分に制御できるようになるまでどれくらいかかるのかはわからないが、そう簡単にいくとは思えない。その時間と手間を考えると、これも却下だろう。


 それに雪雄はアメリカや中国にサイバー戦争を仕掛けたいわけでもないし、インターネットの安全性を崩壊させたいわけでもない。目的は山岡への報復なのである。その程度のことをするのにそんな大仰な武器は必要ない。蟻の巣を破壊するのに弾道ミサイルは必要ないのだ。


 画面をスクロールしていく。

 今度目に入ったのは『催眠暗示』というものだった。

 これはその名の通り、誰かに催眠をかけたり暗示をかけたりするのだろう。説明を見ると、どうやら目を合わせた相手にそれらをかけられるらしい。これもどうだろうか? すこし考えてみる。


『電子偽装』と相性がいいとは思えないし、さらに言うならこの能力でかけることができる催眠や暗示がどれほどか未知数である。

 完全な操り人形にできるというのなら選ぶ価値はあるかもしれないが、これも『念動力』や『発火能力』の類と同じく、そんな強力な力を持っているとは思えないし、そもそも『電子偽装』との相性はよくないだろう。やっぱり却下だ。


 雪雄は煙草を手に取り、口に咥えて火を点ける。一服して一息つくと、思わず笑みがこぼれた。こういうことを考えるのは楽しい――そう思った。


『印象偽装』というのはどうだ。

 これは説明によると、他人から見た自分の印象を誤魔化す能力らしい。この能力を使用している間、他人から不審に思われなくなる――ということだ。

 この能力がどれくらい適用されるのかは、説明を見ただけでは不明だが――能力としてここに載っているくらいなのだから、それなりの力はあるはずだ。


 もしかしたら新宿のど真ん中で全裸になっても誤魔化せるかもしれない。それなら、なかなか悪くない能力ではあるが――些か地味すぎる。他人の目を誤魔化す程度のことで貴重な三つの枠を一つ消費していいものか。これくらい注意すれば誰にだってできることなのだ。


 余計な神経を使わなくてもよくなるというメリットはあるが――やはり微妙だ。他にいいものがなかったら選んでもいいかもしれないが。とりあえず却下だ。

 次は『指紋消失』という能力だった。

 これは自分の手から指紋がなくなるわけではなく、触ったものに指紋を残すことがなくなる能力らしい。


『印象偽装』と同様に地味な能力ではあるが、これはなかなか悪くない。指紋を残さないようにするのは、完璧にやろうと思うと、実際はかなり難しい。


 そして指紋というのは誰もが知っている通り重要な証拠になる。それを完璧に消せるというのはかなり魅力的だ。

 この能力にデメリットがあるとすれば、この『指紋消失』は常時発動型の能力というところか。


 一度インストールすると、能力を削除するまでその効果が続くタイプの能力のようだ。下手をこかなければ、指紋を手から直接採取されるようなことにはならないだろうから、デメリットとは言えないかもしれないが――頭には入れておくべき情報だろう。簡単な見過ごしから足もとは掬われる。


 しかし――

 指紋を絶対に残さなくなるというのは、地味なのは確かだが、それゆえに利便性はかなり高い。

 何故なら、なにかするとなったら手を使わなければならないからだ。


『念動力』などで触らずにものを動かせるなら必要ない能力だが、このアプリで使えるようになる『念動力』で、手を使ったのと変わらない精密な動作が行えるのかは不明であるし、すぐにはできない可能性が高い。それがわからない以上、雪雄がなにかをする時はやっぱり手を使うことになるだろう。手を使えば必然的に指紋を残すことになる。手袋をつけ、かなりの用心をすればできるかもしれないが――そこまでしても確実なものにはならないのだ。


 そもそも、指紋を残さないことばかりに気を取られて他のことがおろそかになってしまったらなにも意味がない。そのあたりを考えると、この能力によって重要な証拠の一つを完全に隠蔽できることはとてつもなく大きい。


 大きい――が。

 これで貴重な枠の一つを決めてしまっていいものか。まだ、どんな能力があるのかをすべて確かめたわけではないのだ。いくら有益な能力とはいえ、決めるのはまだ早過ぎる。この能力については保留だ。他に優れた能力があればそちらを選べばいい。


 そこで一度手を止めて、煙草を吸った。

 なかなか難しい。三つなんてすぐに決まってしまうものかと思ったが――すでに決めてしまった『電子偽装』の能力との相性などといったことを考えると、三つの能力を決めるのはそれほど簡単ではなかった。


 いつの間にか、慧が部屋を出て行ってから一時間が経過していた。それに腹も減ってきたところだ。そろそろ一時中断して夕食にでも行くべきか――


 そんなことを考えながら、ページをスクロールしていると――

 ある能力が目に入った。

 それを見た瞬間、これは、と思うものだった。

 雪雄が発見した能力は『錠前突破』というものだった。


 錠前――その名の通り、鍵を開けられる能力である。クレセント錠や南京錠といった単純なものから電子ロックに至るまであらゆる鍵を開けられるようになるらしい。

 鍵を開けられる――これはとてつもなく使える能力だ。単純なものから複雑なものまで開けられるとするなら非常に使える。

 この能力を使えば、どれほど強固なロックも無意味になるのだ。どこであろうと物理的な侵入を可能にする。

 そして、それはカメラなどに映らなくなる『電子偽装』との相性もいい。


 普通の個人の家ならともかく、扉の鍵だけにセキュリティを頼っている場所はないのだ。どんな鍵を開けることができても、今度は中にある赤外線センサーやら監視カメラなどが問題になってくる。しかも、最近は警備会社とも契約していて、無断侵入を行なえばものの十数分で警備員が駆けつけてくる。鍵を開けられてもそれでは意味がない。


 だが――

『電子偽装』の能力と組み合わせればどうなる?


 言うまでもない。『電子偽装』を使っている間は、カメラなどに一切引っかからなくなる。機械警備や赤外線センサーにも反応しなくなるはずだ。『電子偽装』が雪雄の考えている通りならば――

 どれほど強固なセキュリティを誇る場所であっても、侵入を可能にし、さらに見つかる可能性が限りなく低くなるということだ。


 企業の機密書類の保管庫だろうが、銀行の金庫だろうが、誰もいない場所ならばどこであろうとも侵入を可能する。

 この二つを使ってもなお見つかる可能性があるとすれば、夜間や休みにも常駐する警備員がいる場合だが――

 いまは機械警備が発達し、人件費などの問題から警備員を二十四時間常駐させている場所は少ない。雪雄がいた会社も、警備会社と契約して、深夜に常駐する警備員など雇っていなかった。きっと大手の会社であってもそれは同じだろう。


 どこもかしも人に頼らないセキュリティに頼り切っていて、それが確実だと思っている。

 確かに機械による警備は、人が行うよりも確実なのは事実だ。


 だが、『電子偽装』と『錠前突破』の二つの能力の前にはそれらはなにも機能しない。

 監視カメラも赤外線センサーもなにもかも、だ。


 そこで雪雄はあることに気づく。

 この『錠前突破』という能力は、単体で使う能力ではなく『電子偽装』と組み合わせて使うものではないのだろうか。


 鍵だけ開けられてもあまり意味がないし、またカメラなどに引っかからないだけでもあまり意味がない。『錠前突破』の効果を十全に発揮するには『電子偽装』が必要不可欠だし、また逆に『電子偽装』の効果を十全に発揮するには『錠前突破』と組み合わせる必要がある。


『電子操作』と『電子解析』も同じだ。この二つも――こちらの場合はどちらか単体でも充分に強力ではあるが――二つを組み合わせてその力を発揮するはずだ。


 そのように考えると、このアプリによって使えるようになる能力は、他の能力と組み合わせてその効果を発揮するというものが多いのではないのだろうか。

 そうすると、どうして超能力の枠が三つとされているのかも理解できる。


 ここで使えるようになる能力は、その多くは単体で使うものではなく、二つないし三つの能力を組み合わせて、初めて十全の力を発揮するのではないのだろうか。

『電子偽装』と『錠前突破』の相性のよさを考えると、充分にあり得る。


 雪雄が選んだ『電子偽装』に合う能力は『錠前突破』で間違いない。ここまで相性がいいのだから間違いではないだろう。

 では、『電子偽装』と『錠前突破』の二つに合う、三つ目のピースはなんだろうか。

 この二つでも充分に力を発揮する――しかし、三つ目のピースがあってもなにも不思議ではない――


 この二つの能力の組み合わせに欠けているものはなにか。

 雪雄は考える。

 この二つの能力の組み合わせは、物理的にどこかに侵入することに特化した能力である。それを考えると――


 当てはまるピースはすぐに思い当たった。

『指紋消失』である。


 どんな場所に見つかることなく侵入できても、その場所に痕跡を残してしまっては意味がない。

 だが、『指紋消失』を使えば、その痕跡の一つを完全に消し去ることができる。

 どこかに侵入するということは、なにかを行なうことだ。ただ侵入だけして、なにもせずに帰るなどあり得ない。そしてなにかを行なうということは、なにかに触れることでもある。触れずになにかを行なうのはできない(念動力の能力を使えば、それもできるかもしれないが、一朝一夕で手と同じように能力を精密に制御するのは難しいはずである)のだ。

 どこでも見つからずに侵入を可能とし、さらには指紋も残さない。


 ――これしかない。

 雪雄は確信を持ってそう思った。


 雪雄は煙草を灰皿でねじり消し、『錠前突破』と『指紋消失』が使えるようになるアプリをダウンロードする。

 イヤフォンをつけて、アプリを起動し、それで流れる音楽を終了するまで聞く。二つの能力をそれぞれインストールするのに一分とかからなかった。


 これで雪雄は、どんな場所であっても侵入が可能になったのである。

 能力は決まった。

 次は――

 これを使ってどのように山岡に報復をするべきかである。


 どんな場所でも見つからずに侵入できる――それを考えたら手段はいくらでも考えられるだろうが――どうすればいいだろう。どうするのが一番効果的だろうかを考える。


 殺してやろうとは思わない。殺すなんて短絡的に過ぎるし、そもそもとしてあんな男を殺しても胸糞が悪くなるだけである。

 死んでいい人間だとは思うが、奴に殺すような価値などないし、そんなリスクを負う必要性はない。


 殺してやろうとは思わないが、社会的に抹殺してやりたい程度には思っている。

 社会的な抹殺――まずは奴の居場所を破壊することからだろうか。

 とりあえず、奴がいる会社からいられなくしてやる。奴によって雪雄が排除されたように、今度は雪雄が奴を排除してやる番だ。

 とは言っても、奴を排除するのは、奴以外の従業員だが。

 雪雄がするのはそのお膳立てだ。


 ――どうしてやろう。

 どうせならば、山岡を見過ごしたあの会社に対してもなんらかの報復をしてやるべきではないか。


 実にいい考えだ。どうせならそれがいい。

 どうしてやろう――そんなことを考えていると、急に腹が鳴った。

 時計を見てみると、先ほど時間を確認してからさらに一時間経過していた。外を見るとすっかり暗くなっている。時間的にも夕飯の時間だ。

 とりあえず方向性は決まったのだし、計画を立てるのは一時中断して食事をしに行こう。腹が減ってはなんとやら、というやつである。

 雪雄は『超能力開発アプリ』のサイトを閉じてスマートフォンをポケットにしまい、財布を持って外に出た。

 久々に清々しい気持ちになって外を歩き出した。

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