第6話
「なんだか嬉しそうだな。仕事クビになってからそんな顔してなかったのに」
「そうかな」
慧の言う通り、嬉しいことがあったのは事実だ。慧がいる間は隠し通そうと思っていたが――どうやら雪雄の歓喜は漏れ出ていたらしい。
嬉しいことというのは勿論――『超能力開発アプリ』のことである。
雪雄は朝になって目覚めてすぐ、スマートフォンを操作して『超能力開発アプリ』のサイトに接続し、自分にインストールする超能力をどれにするかを考えた。
熟慮の結果、決めたのは『電子偽装』という能力だ。
どういうものかというと、能力を使用している間、カメラなどの電子機器に自分の能力が映らなくなるというものである。他にも電子的情報を偽装できる、と書かれていたが、それがどういうものかはよくわからなかった。
これを選択したのは理由がある。能力が説明の通りなら、自由にオンオフが可能なことである。本当に能力が使えるようになったのかがスマートフォンのカメラを使えば一目瞭然だから、というのが理由だ。
雪雄は『電子偽装』のアプリをダウンロードして、インストールした。
インストール方法は簡単で、アプリを起動した際に流れる音楽をイヤフォンなどで聞けばいいだけだ。二十秒もかからずにそれは終了してしまったので、なんとも味気ない感じである。
本当にこれで超能力が使えるようになったのか疑わしかったが――
しかし、その疑いはすぐに晴れた。
なんと言えばいいのだろう。自分どこかに、スイッチのようなものがあるのを感じられたのである。どこかにできたスイッチをオンにして、スマートフォンのカメラを起動し、自分の姿を写してみた。
そうしたら――
雪雄の姿はカメラには映っていなかった。鏡やガラスには自分の姿が見えるのに、スマートフォンのカメラにはその姿はまったく映っていなかったのだ。
その時、雪雄は思わず「本物だ!」と叫び声を上げた。
日曜の真っ昼間から迷惑ではあるが、それくらい嬉しかったのだから仕方ない。人間、生きていれば嬉しくて叫びたくなるときくらいある。
『超能力開発アプリ』が本物である確証が取れたところで、雪雄の計画はしっかりと形を得た。これで、山岡に対する報復は現実的なものになったのである。
そして、枠はまだ二つ残っている。この『電子偽装』の能力はかなり実用的だし、他の能力と組み合わせれば奴に一泡吹かすことなど――それどころか奴を破滅させることさえできるかもしれない。
そんなことを思うと心が躍った。
自分の人生を引っ掻き回した奴の人生を滅茶苦茶にできるのだ。こういう機会を手に入れて心が躍らない奴がいるのだろうか。
残っている二つの枠に入れる能力はまだ決まっていない。『電子偽装』の能力との相性がいいものが無難だが――今のところ未定である。
嬉しさをなんとか堪えていると、慧から昼飯を食べに行こうというメールがきて、それから適当な店で昼食を摂り今に至る。
慧のお蔭でなんとか気を紛らわせられたので少し安心した。このままでは嬉しさのあまり、どうにかなってしまそうだったから。
「そういやこの間の同窓会で随分仲よさそうにしてた子がいたけど――えっと、誰だっけ――その子といい感じになったのか?」
「衣笠のこと?」
「そうそう。衣笠。思い出した。中学の時はすっごい地味な子だったのに、随分と可愛くなってたよな。お前が好きそうじゃないか。ああいう感じの子」
慧は愉快そうに言って笑った。
慧の言う通り、確かに美優は雪雄の好みのタイプだったが――彼女とは同窓会の時に久々に会って話をして、ちょっと仲よくなって連絡先を交換しただけだ。彼氏彼女とはほど遠いだろうし、友達と言ってもいいのかどうかも微妙だし、そもそも同窓会があったのは昨日である。それに、雪雄も彼女も二次会には参加しなかったので、仲が進展するはずもない。
「お前が思ってるようなことはねえよ。まだメッセージのやりとりだってしてないし」
「好みなのは否定しないんだな」
「うるせえ」
「そんな反応するってことは結構マジな感じ? いいじゃんいいじゃん。もし付き合うなんてことになったら隠したりしないでちゃんと教えろよな」
「だからそんなんじゃないって。久々に会って話してみたら、思いのほか話が合っただけだよ。いくらなんでも、付き合うとか気が早過ぎるだろ」
雪雄は少し呆れてそう言った。
「おいおい。そんな悠長でどうすんだよ。こういうのは手が早い奴が勝つもんなんだぜ。衣笠って大学生なんだろ?」
「うん」
「大学生なんてやってりゃあ異性との出会いなんて腐るほどあるんだぜ。たらたらしてたら医学部で金持ちのイケメンに取られるぞ」
「むう……」
確かにそうだ。美優が誰にでも股を開くような軽い女ではないと思うが――雪雄の知らない男と知らない間に仲よくなってそいつと付き合うことなる――ということが絶対ないとは言えない。
彼女だって人間だ。それに二十歳の大学生である。恋だってするだろうし、誰かと付き合うことだってあるはずだ。その誰かが自分以外の男であっても不思議ではない。
雪雄は、美優が自分の知らない男と付き合っている姿を想像して少し嫌な気分になった。
「だからさっさと手を出しとくんだよ。適当に優しくて待ってりゃ向こうから告白してくれるなんて、ラブコメ漫画の中にしかないんだぜ」
「それはわかるけどさ――手を出すってなんだか言い方が卑猥じゃないか? 卑猥というか、あんまりいい意味合いに聞こえない」
「手を出すって言っても、酒飲まして酔い潰れさせてホテルに連れ込めと言ってるわけじゃねえよ。そういうことする奴は男の風上におけない最低な野郎だと思うしな。強姦魔と変わんねえよ、そんなの。
「俺が言いたいのは、早いうちから囲い込んで向こうをその気にさせておけってことさ。俺が見た感じではつかみはよかったわけだし、とりあえずはメールや電話なんかからだな。まずはそれで距離を縮める。
「デートに誘うのは、いい感じになってきて距離が縮まってからでいいだろ。見た目は結構垢抜けた感じだけど、俺の印象ではかなり純朴な感じがするし、異性と遊び慣れてるってこともなさそうだからな。いきなりデートじゃ向こうが嫌がるかも。ちゃんと段階を踏んでいった方がいい。
「草食系も駄目だが、必要以上にがっつき過ぎてるのも駄目だぜ。身体目当てだと思われる。こういうのは距離と機会を見計らうのが大事なんだ。押してればいいってわけじゃない。あの子みたいに純朴そうな子の場合は特にな」
高校生でありながら六人の女(そのうち三人は歳上)と同時に付き合っていた経験がある男だけあって非常に参考になる意見だった。慧は美優と話してすらいないのに、そこまで見透かしたことが言えるのはさすがとしか言いようがない。というかいつそんな分析をしたのだろう。
雪雄も人並み程度には恋愛の経験はあるが、高校生からそんなことをしてきた慧とは経験が違いすぎる。
高校を卒業してから、ずっと無職で生活能力はほぼゼロに等しいのに、いつでも女の気配が消えないのは、家が金持ちだとか顔立ちが整っているだとか以外に、こういうところがあるからかもしれない。
「お前の言うようにやってみるよ。とりあえず距離を縮めるところから始めてみる」
いきなり電話をされても、向こうは戸惑ってしまうだろうから、初めはメールかなにかの方がいいだろう。
文面はなにがいいだろうか――やはり共通の話題になりそうな小説の話が無難か。
どんな話がいいだろう――と、そこまで思ったところで、近々彼女の方から連絡があることを思い出した。おすすめの海外作品を教えてもらうという話だ。
こちらからメールを送るのはその後の方がいいかもしれない。押してばかりでは駄目だと慧も言っていたし……。
「そういやお前、女の子とそういう感じになるの久しぶりじゃね? お前が前に付き合ってたのと別れたのっていつだったっけ?」
「別れたのは高校卒業してすぐ――いや、だからさ。まだそういう話は早いんだって」
「そんなこと言っておきながら、一ヶ月ぐらいしたら付き合ってたりするんだろ? 雪雄くんってばそんなこと言いながら手が早いからなあ」
慧は楽しそうに笑いながら言った。
「お前に言われたくねえよ」
この友人は、出会った三日後にはもう付き合っていて、挙げ句にはその相手の家に転がり込んでいたりするようなふしだら極まりない野郎なのである。そんな奴にそういうことを言われるのは甚だ心外だ。
「そういうお前の方は同窓会でなにもなかったのか?」
雪雄は慧に質問した。
慧の奴は二次会にも参加していたはずだ。こいつのことだから一人や二人はたらしこんでいそうだが……。
「ん? 俺? そんな大したことはなかったよ。酔った勢いで橋本の奴が迫ってきたから、男としてちゃんと相手したけど。中学の同級生が相手だったから割と新鮮な感じだったな。それくらい」
慧は特に自慢するわけでもなく、当たり前のことのように述べた。
「お前……じゃあ、今日はその帰りか?」
「ああ。そうだよ。橋本と寝たのは酔った勢いだったし、行きずりの相手と変わんないから、ちゃんとホテル代は置いてきたよ。半分」
「そこは全部置いてってやれよ……」
相手の持ち合わせがなかったらどうするつもりだったのだろうか。こういうことは以前にも何回かやったというのを聞いているので、今さら珍しいとは思わないが――やってることは割と最低である。
「だってさ、こっちはその気なんてまったくなかったのに、向こうが迫ってきたんだから半分くらい出してくれてもいいと思わないか?」
「そう思うのはお前くらいだ」
金には不自由してないはずなのに、せこい男である。
「そう言うなって。別にお前が損してるわけじゃないんだから。俺も橋本も性欲が発散できたわけだし、その料金を折半したってことでいいじゃないか。さっきも言った通り、ホテルに連れ込まれたのは俺の方なんだぜ?」
「それはわかるけど――なんかなあ」
慧は確かに女をたらしこんでばかりいる無職野郎ではあるが、妙なプライドを持っていて、酒を飲ませたりして、その勢いで自分からホテルに連れ込むようなことは絶対にしない男である。
確かに来る者拒まずなところはあるし、さっき話した通りホテル代を相手に出させたりもしているが。
「しかし、そんなことしたら成人式の時に顔を合わせたら気まずくならないか? 橋本だって出るだろうし」
成人式のある来年の一月になったらまた顔を合わす可能性が高いのである。
「なんで? ただ一回寝ただけじゃそんな風にはならないだろ」
慧はさも不思議そうに首を傾げてそう言った。
「そうか……」
慧にとっては、酒を飲んで酔っ払った相手に迫られて、その気もないのに一夜の過ちを犯し、さらにはホテル代を半分出させた程度では気まずくならないらしい。
最近では慧のような男は珍しくなかったりするのだろうか――雪雄はそんなことを考えてみたがよくわからなかった。
「お前っていつか女に刺されて殺されそうだよな」
友人が異性関係のトラブルで死んだとなったら笑うに笑えない。
「そうならないように頑張るさ」
やっぱり頑張る方向性を間違えていると思ったが、それは毎度のように口には出さなかった。
「とにかくあれだ。お前には成人式の時に、『俺たち、実は付き合ってるんだ』みたいなことが言えるようになっててもらいたいところだね。衣笠、お前に対して全然脈なしってわけじゃなさそうだからいけそうな気がするけど」
「そうなれるように頑張るつもりだよ」
確かに美優とそういう関係になれたらいいなと思うし、そうなれるように手を尽くすつもりではある。
だが。
今はそれ以上にやらなければならないことがある。
残された二つの枠と、超能力を利用しての山岡への復讐についてだ。あの汚物のように醜い男がちらつくのでは、せっかく美優と付き合えても水が差される。
奴に対する復讐を考えながらでも、彼女との距離を縮めることはできるだろう。彼女とそういう関係になるのは、山岡とのケリをつけてからでも遅くないはずだ。
厄介ごとは先に済ませておく――それが雪雄のポリシーである。
「やっぱりなんだか嬉しそうだな」
「まあな。久々にいいことがあったからな」
「衣笠か?」
「まあ、そうだな」
いくら慧が相手でも超能力について漏らすことはできない。いや、誰であろうとこれについて漏らすことはしてはならない――雪雄にはそんな確信にはあった。そんなものを自分だけが知っているというのは、言いようのない優越感が感じられる。
「ま、お前にもそういうことがあってよかったぜ。お前、就職してからずっと浮かない顔してたからなあ」
「否定はしない」
今の雪雄の前にあるのは輝く未来である。自分を変えられるものを知り、それを手に入れたのだ。未来に対して希望を持てるというのが、これほどまでに嬉しいことだとは思ってもいなかった。
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