第5話

 雪雄は二次会には参加しなかった。

 正直なところ他にも話をしてみたい相手もいたし、無職である以上明日もどうせ暇なので、出たかったのは事実なのだが、先ほど見てしまった広告が気になって仕方なくて、それどころではなかったのだ。


 それは当然、美優に教えてもらったサイトの広告にあった『超能力開発アプリ』である。


 二次会へ向かうグループから離れた雪雄は、一人で酔いを醒ますためスーパーで水を買って、近くの公園のベンチに腰を下ろし、水を飲みながらスマートフォンを操作して、先ほど教えてもらったサイトを検索して接続した。


 興味を惹かれるトピックスが何個かあったが、それを読むにはあとでいい。今、自分がやるべきなのは――

 ページをスクロールしていくと『超能力開発アプリ』の広告があった。もしかしたら自分のでは表示されないのではないかと思っていたのだが、そんなことはなかったらしい。とりあえずは一安心だ。


『超能力開発アプリ』の広告をタップする前に雪雄は考える。

 何故自分はこんな、明らかにイタズラか詐欺としか思えないものに興味を惹かれているのだろうか。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるだろう。超能力だぞ? そんなものがあるとでも本気で思っているのか? もうすぐ二十歳になるというのに。今時そんなものを信じる奴なんて小学生だっていやしない。あるわけがないのだ。


 この『超能力開発アプリ』が一体どういうものなのはわからないが、たかがスマートフォンアプリで超能力が使えるようになるなど到底信じられるわけがない――それが当然の反応――常識的に考えればそれが当たり前だ。


 しかし――

 雪雄の直感は、これは本物だと言っているのだ。最初にあれを見た時からそうだった。霊感だとかなんだとかいう怪しげなもの世の中には溢れに溢れている。


 だが、これは違う。

 世に腐るほどある詐欺の類ではないと、なんの確信もないのにそう思えたのだ。


 何故だ。どうしてこんなにもあの『超能力開発アプリ』とかいう怪しげなものが気になるのだろう。雪雄が自分の境遇を変えたいがために、そういったものを求めているからだろうか。はっきりとはわからない。わからないが、これを試してみたいという気持ちは癌細胞のように爆発的な速度で増殖し、とめどなく大きくなっている。


 もし、これが本物なら――

 そうだ。もしこの『超能力開発アプリ』が本物ならば――今の雪雄を支配しているあれこれを払拭できるはずだ。


『超能力』を謳うぐらいだから、雪雄の環境を変えることなどできて当然である。その程度もできないのでは『超能力』などとは呼べない。


 雪雄はごくりとつばを呑んだ。

 いつの間にか酔いはすっかり醒めていた。

 心臓の鼓動が大きくなり、背中には、暑さを感じた時とは別種の汗がじんわりと滲んでくる。


 なにを躊躇している。そんな必要がどこにあるというのだ。まさかここまで来て詐欺だとかそんなことを心配しているのか。お前はもう知っているはずだろう。この『超能力開発アプリ』が本物であるということを。


 雪雄は大きく深呼吸をしてから、恐る恐る『超能力開発アプリ』の広告をタップした。


『超能力開発アプリ』のサイトは、フラッシュなどは一切使われておらず、とても簡素なものだった。まるで一昔前のホームページのようである。

 だが、ある種の不気味さをも感じる簡素さが、なんとも言いようのない説得力を持っているように思えてくる。

 サイトの一番上には、


『このサイトでは超能力が使用できるようになるアプリケーション取り扱っています。パソコン、スマートフォン、携帯電話、タブレット、現行の機種にすべて対応しております。アプリはすべて無料ですが、使用の際は自己責任でお願い致します。アプリを使用してあなたの身にトラブル等が発生した場合、管理者はその責任を負いかねるということをご留意ください』


 と、注意書きがあった。

 自己責任――それはいいのだが、なんだかこの注意書きには物々しいものを感じる。まるでアプリを使ったらなんらかのトラブルが起こることを予見しているようだ。


 いや――事実そうだろう。ここにあるアプリが本物であるならば、言い換えれば超能力を手に入れたのならば、それを悪用する人間――犯罪に使う者が出てくるのは確実だと言ってもいい。


 なにしろ超能力なのだ。超能力というのは、常識も倫理も法でさえも縛ることができないものだ。


 いやむしろ、現代社会においてそんなものを手に入れて、犯罪行為に使わないという方が難しいくらいである。超能力の正しい運用の仕方など、六法全書をひっくり返したって見つかるわけがないのだから。


 ページをスクロールしていって、『現在登録されている超能力開発アプリ』をタップする。ここにどういった超能力が使えるようになるのかが記載されているのだろう。


 このサイトからダウンロードできるアプリは結構な数だった。ざっと見て五十近くはあった。『念動力』や『発火能力』といったメジャーなものから、『指紋消失』というかなり地味なものまでかなり幅広い。


 どんなものがあるのか目を通していると、『アプリをご利用になられる前に』というものが目に入った。雪雄はそれをタップしてみる。


『当サイトのアプリを使ってインストールできる超能力は一人三つまでとなっております。それ以上インストールすると、古いものから上書きされるようになっておりますのでご注意ください』


 三つ――なかなか難しい数である。これは三つも、というべきなのか、三つしか、というべきなのか判断に迷うところだ。

 しかし、三つという枠は確かに多いとは言えないが、決して少ないとも言い切れないだろう。自分に合っているものを厳選すればいいだけの話である。


 だが、どうして使える超能力が三つまでなのかは書かれていなかった。それについては理由があろうとなかろうと、どうでもいいことなのかもしれないが。


 とりあえずなにかしら使えそうなものをダウンロードして試してみたいところであるが、三つという制限がある以上、軽々しく選べない。インストールしてからそれが使い物にならないものでした、では遅いのだ。


 そういうことを考えると、『念動力』や『発火能力』といったものはあまり使えるものでない可能性が高いだろう。漫画のようにビルを吹っ飛ばしたり、人間を消し炭にできるような、莫大なエネルギーを生み出す力があるとは思えない。

 それほどの力が使えるようになるのならば、とっくに問題が起こっているはずである。精々、野球ボールくらいの大きさのものを触らずに動かしたり、ライターくらいの火を熾せるくらいだろう。


 いくら種も仕掛けもない超能力といっても、それではマジックとほとんど変わらない。それにまだ、このアプリが本物だという確証はどこにもないのだが。

 試しにインストールするものとして一番理想的なものは、超能力が本物であることがひと目でわかって、使用の際に大きなエネルギーが必要ではなく、それでいて高い実用性があるもの――だろう。


 結構な数が登録されているわけだから、そういう能力もあるはずだ。理想的なものがなかったとしても、その理想に近いものならばあってもおかしくない。


「今日のところはここまでにしよう。別に今すぐやらなきゃならないってわけでもない」


 雪雄はそう呟いて、『超能力開発アプリ』のサイトをブックマークに登録してからスマートフォンをポケットにしまってから立ち上がり、残っていた水を一気に飲み干して、空になったペットボトルをゴミ箱に捨てた。


 肌に涼しさを感じる夜風を身体に受けながら、雪雄は夜の道を歩いて帰路に着く。

 二十年近く住んで、もう見慣れたはずの街並みなのに、いま自分が見ているものは何故だか今までと違うもののように感じられた。


 ふつふつと湧き出してくる感情は表現がしがたいほどの強い歓喜。思わず笑みがこぼれてしまう。こんなに嬉しいことが今までにあっただろうか。よくわからないが、なかったように思う。雪雄は世界を変えうる力を手に入れたのだ。そんなことを考えていると、アホみたいに叫びながら走り回ってしまいそうだった。


 まだだ。

 雪雄は気持ちを落ち着かせて自分に言い聞かす。


 まだ喜ぶのは早い。早過ぎる。あのアプリで得られる超能力が本物であるという確証が取れたわけではないのだ。喜ぶのはあれが本物かどうか、その確認が取れてからでいい。


 もし、あのサイトにあるアプリが本物ならば――

 本当に超能力が得られるとするならば――


 まさしく夢のようである。

 超能力という古来から人類がずっと恋い焦がれていたものが、いま自分の手に届くところにあるのだ。

 喜ばずにはいられない。自分は今、常識を超えようとしている。

 常識を超え、倫理を超え、法律すらも超えられる位置に雪雄はいま立っているのだ。

 そうなれば、今までのように思い悩む必要などなくなる。山岡のことなどどうでもよくなるはずだ。


 いや、違う。

 三つという枠を上手く使えば、あの男に対する報復など簡単にできるはずだ。それは間違いない。絶対にできる。できないはずがない。

 そして報復に使ったのが超能力ならば――罪に問われることはないだろう。仮に疑われたとしても証拠不十分になってそれで終わりだ。世間は――法は、警察は――超能力の存在など認めていないのだから。

『超能力アプリ』が本物であったのなら――


 まずするべきは、あの男に対する報復からだ。それがいい。雪雄はそう決意する。あいつは雪雄のそれだけのことをやっていたのだ。奴の人生を滅茶苦茶にしてやる……。


 さて、どんな手段を使おうか――

 いや、それを考えるのは、三つの枠を決めてからでも遅くない。まずやるべきなのは、あのプリの真贋の確認である。それをやらなければなにも始まらない。あれが偽物だったとするならすべてが無意味になってしまうのだから。


 しかし、やっぱり雪雄にはあのサイトにあるアプリが偽物だとは思えなかった。

 一体どこの誰があんなものを作ったのかはわからないが――自分をあのサイトを巡り合わせてくれた偶然という名の運命に感謝したい気持ちでいっぱいになっていた。


 人生というのはなにが起こるのかわからないものである。

 まさかこんな一発逆転のチャンスが得られるとは思ってもいなかった。

 ふふ。ふふふ。

 思わず声が漏れてしまう。

 雪雄は家に着き、眠りに着くまで間、ずっと笑みをこぼしていた。

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