紫聖と神楽_3
「暇だ」
紫聖は神楽の腿に頭を乗せたまま、不貞腐れて言った。
「皆さんなかなか苦労してますね」
神楽はそんな紫聖の髪の毛をいじりながら、なだめるように言った。
揚羽という女の子にタトゥーを施して以来、紫聖は自慢の腕を振るう機会に恵まれず、それは同時に薬の摂取も出来ていないということだった。あの時の仕事には満足していて、頭の中ではもう何度も繰り返し咀嚼しているものの、さすがにそろそろ新しい刺激が欲しかった。
あれからもう随分と時間が経っているというのに、紫聖の前に女の子が現れない。それに対して神楽に不服を伝えるも、彼女は残念ですねと素知らぬ顔で返事をするだけだった。
「君は退屈で僕を殺すつもりなんだ」
そんな紫聖に対して、まるで子供が新しい玩具をねだるようだと神楽は母性本能をくすぐられ胸がいっぱいになっていた。
神楽にしてみれば紫聖にはこのまま自分の膝下でゆっくりしていてほしいのだ。もし叶うならば、紫聖にはタトゥーなんて彫らず、もちろん薬にも頼ることなく、ただ自分とお互い心と体をむさぼっていればいい。お金のことなら心配せずとも私が働くから、紫聖にはベッドの中で待っていてほしい。そうした未来こそが、神楽にとっての幸せだった。
「しょうがないですよ。だって写真が届かないんだから」
紫聖が体を丸めると、まるで猫のようだと思う。綺麗な裸体、小ぶりな乳房に手を伸ばすとびくんと震える。ああ、なんて可愛いのだろうと神楽は自分の腿の上で寝そべる紫聖に欲情する。
「ちょっと、今日はなんだから強気じゃないか?」
「いいえ、私は普段通りですよ」
言葉とは裏腹に、神楽はいま無性に紫聖をいじめたかった。
寝室の電気は消えており、ベッドの上に置かれた照明器具から発せられる柔らかな橙色の小さな明かりが気分を高める。
紫聖と神楽の関係は、基本的に神楽が紫聖に遊ばれるように求められる。ただ時折その関係性が逆転し、神楽自信が自分でコントロール出来ぬほど欲情を帯びることがあった。そうした時は、別に初めてのことでもないしと紫聖も半ば諦めた気持ちで体を預け従うことにしていた。こうなった神楽はなかなかしつこく、満足するまでどれくらい時間がかかるのかもわからない。とはいえまあ、こうゆうのも時には悪くないだろうと紫聖は考えている。だからこそ神楽と一緒にいるのが好きなのだと改めて思ったりもする。
もし神楽という女がいなかったら、私は今頃死体、もしくはそれに近いなにかになっていただろうと紫聖は思う。
神楽は紫聖の体を舌で這った。我慢できずにもれる紫聖の吐息。指の間はもちろんのこと、至るところまですべてを味わい、最後に唇を重ね舌を入れた。自分の体液を舐めた舌が絡んでいる。これがあまり好きではない紫聖にとっては複雑な気分だが、神楽は当然それを知っての上で攻めていた。
「はぁ……そろそろ満足した」
「いいえ、まだです」
神楽の欲望にだって底知れなさがある。紫聖はそのことを高く評価していた。
「やっぱり君は素敵だよ。側にいてくれてよかった」
タトゥーや薬とはまた違った興奮、できれば紫聖には忘れていて欲しいと神楽は願う。しかしそれは、どんなに頑張っても無理だということを理解していた。紫聖からタトゥーは切り離せない。そしてその為には薬がいる。だからこそ、こうして間の空いた時は精一杯紫聖を抱きしめたあげたい気持ちになる。
神楽は満足したのか、ようやく紫聖を抱きしめたまま静かな寝息を立てた。やれやれと紫聖は天井を見つめた。神楽は仕事を辞めてくれと何度も言う。しかしこれは業みたいなもので、はいそれと簡単に投げ出すことは出来なかった。
紫聖にとってタトゥーはアイデンティティだ。タトゥーマシーンを手にしている時、唯一自分の内面に向き合うことが出来た。
中学を卒業してすぐに米国へ留学した。それがタトゥーを勉強するのにてっとり早いと思ったからだ。そして技術を習得し日本に戻ってくるとネットで客を集めた。すると多くの人が殺到し、紫聖の施術を所望した。そして紫聖はキャンバスに困ることなく、ほぼ毎日タトゥーを彫り続けた。
だから壊れてしまった。ある日タトゥーマシーンを握っていた紫聖は問題を起こした。それが原因で己のアイデンティティを失った。その始末をつけ、再度タトゥーマシーンに触れられるようになったのは、姉である弥生の助けがあったからだ。
神楽を紹介してきたのも弥生だった。元は自分の事務所で雇っていたらしいのだが、紫聖の事件を知り連れてきた。初めて出会った頃、神楽は弥生の隣で申し訳なさそうに俯いていた。その時のことは今でもよく覚えている。どうしてこの人は僕の顔を見ないのだと弥生に訊くと、恥ずかしがってるんですよと言っていた。
それが今ではこうして僕の隣で寝息を立てている。紫聖は神楽の唇にそっと触れると、するりと奥へと侵入した。神楽は寝ているはずなのに、無意識に紫聖の指を口に含み、丁寧に舐め回した。神楽はこうされるのが好きなのだと紫聖は知っている。指に唾液が絡まり、なんだか気持ちよくなってきた紫聖は、空いている方の指を自身の下腹部へと伸ばしていた。しかし疼く体はなかなかおさまってくれず、勝手に満足して眠ってしまった神楽を恨めしく思う。
「あら、まだ足りなかったんですか」
いやみったらしい声が聞こえ紫聖は我にかえった。どうやら神楽を起こしてしまったようだ。
紫聖は待ってましたとばかりに神楽に跨った。
「ふふ、勝手に寝てしまったことを後悔させてあげるよ。神楽は知っているよね、僕はとても根に持つタイプなんだ」
タトゥーマシーンを握れなくなってしまった紫聖は三日も経つとすっかり憔悴し、何事にも手を付けられない状態におちいった。そこで弥生は自分の知り合いである友人から薬のことを聞きつけ購入し、紫聖に投与してみた。その効果はてきめんで、紫聖はいくつかのタトゥーを再度彫り、アイデンティティを取り戻すことができた。この薬があれば僕は生きていけると、紫聖は弥生にもっと多くをねだった。
そこで弥生はこの機会をずっと待っていたとばかりに条件を切り出した。それは弥生の仕事の一部であり、施術者を選別することだった。その手配が済んだ時、選別された女性が紫聖のキャンバスとなり薬が与えられる。紫聖に断る理由はなかった。
「お願い、もう許してよ。疲れたわ」
「いやいや、勘違いしないでほしい。これは感謝の気持ちなんだ。君は僕の退屈を紛らわせてくれる為に、さっきは色々としてくれたんだろう」
「それはまぁ、そうだけど」
そのことを口に出されると自分の浅ましい考えが読み取られているようで神楽は少し恥ずかしくなった。
「神楽、僕は君がいてくれて本当に良かったと思ってるんだ」
紫聖に甘い言葉を聞いた神楽は胸の奥がぎゅっと苦しくなり、力強く紫聖の背中に手を回し抱きしめた。
「ねぇ……紫聖はまだ罪を感じているの」
神楽は紫聖の耳元で寂しそうに呟いた。
「どうだろうね」
神楽は紫聖が起こした問題を知っている。
「僕の手が、間接的とはいえ少女たちを殺してしまったことは間違いないからね。誰これかまわず施術すべきではなかったんだ。タトーを入れてことを後悔する人だって、まあいるからね」
「ええ……」
「だから姉さんには感謝してるんだ。彼女にしてみれば仕事柄都合が良いし、社会貢献をさせてるつもりなんだろうけど」
弥生は暴力に悩む女性たちを保護する団体に所属している。そのネットワークは多岐にわたり、個人情報の収集、GPSマップ、暴力を伴う報復など、目的の為には犯罪とも捉えかねない手段を用いることも是としていた。その末端に紫聖がいる。だから紫聖にタトューの施術を頼む者は、無自覚のうちに弥生のネットワークに組み込まれていく。
「僕が考えているのはタトゥーのことだけだよ」
「それって、そんなに大切なことなの? 私では代わりにならないの?」
「そうだね、残念ながら。タトゥーは僕のアイデンティティだから」
その答えを聞いた神楽は紫聖を軽く突き放しベッドから立ち上がると、ウォーターサーバの置いてある部屋へと向かった。
二つのグラスに水を注ぎ、紫聖の前に戻ってきた神楽は片方を渡した。
神楽はグラスに唇をつけると一息で水を飲み干した。
対して紫聖は口に含んだ水で時間をかけて口内を洗浄し、近くにあった銀のボウルに吐き出した。
「ねぇ、だからそれは止めてって言ったでしょう」
いつでもこうする訳じゃない。喉が乾いていた時はちゃんと水を飲み込む。ただこうして体を重ねた後は、必ず自然と吐き出してしまうのだ。
「きっと君の体を味わい尽くしてお腹がいっぱいになってしまったんだよ」
「本当にそう思っているの?」
「もちろん」
紫聖が神楽の手を引き、またベッドの上で体を横にする。
「何度もそう言っているだろう」
「ええ、そうね、そうだったわね」
神楽は紫聖の体を強く抱きしめ、額にくちづけをした。
黄昏る鳳蝶 @mami2011
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