揚羽_48

 コンビニに入り、飲み物の棚を眺めた。家に戻ったら塗り途中のイラスト完成まで持っていきたい。その為には鈍ってしまった頭をすっきりとさせなければならない。なのでここは飲み物の力を借りる。エネルギードリンクでもいいのだが、カロリーが高いものは太ってしまう心配があるので個人的に選び辛い。ただでさえ出不精なのだから、気をつけておかないといつか後悔しそうだ。なのでここは無難に炭酸水でもを手を伸ばしかけ、いやでも、カロリーゼロのエネルギードリンクがあるじゃないかと手の行く先を直前で変えた。これこれ、今はこうゆうのを求めていたのだと心がはずみ、ついでにブラックコーヒーのペットボトルも抱えてレジまで足を運んだ。

 コンビニのレジ袋をぶら下げて夜道を歩く。すると何かが私の前を横切った。なんだろうと、普段ならあまり考えられないことだが、好奇心から追いかけていた。暗闇のせいで毛色まで判断することは出来ないがそれは猫に違いなく、私に気付いたのか、さっと車の下に隠れてしまった。私も私で、せっかくここまで追いかけてきたのだしと、膝をついて車の下を覗き込んだ。

 緑色に光った瞳が私をしっかりと捉えている。私と猫はしばらく睨み合ったまま動かなかった。よし、このまま逃げ出さないのなら絵の資料用に写真でも撮っておこうとコートのポケットからスマホを取り出したが、目を離した一瞬の空きに猫は姿をくらませていた。まあ、正直猫なんてネットで検索すればいくらでも画像が出てくるのだから別に勿体なくもないのだが、それでもせっかくここまで追いかけていたことによるがっかり感はやはりあり、少し不貞腐れながら帰路についた。


 ドアノブに手を伸ばすと、思っていた通り鍵が開いていた。お父さんとお母さんが買い物から帰ってきているだろうと踏んでいたから。

 玄関でブーツを脱いでいると居間にいるお母さんから呼ばれた。手を洗うついでに顔を出すつもりではいたので、私は素直に従った。居間に入ると買い物袋がまだ床に散らばっており、どうやら二人もまだ帰ってきてから間もないようだった。

「ねぇ、ごはんは食べたの?」

「あー、うん。カップラーメンもらったよ」

「それだけじゃ足りないでしょう。ちょっと待っててね」

 お母さんは床に置かれた買い物袋の一つを漁った。私はその間にテーブルの上にコンビニのレジ袋を置き、手を洗う為に台所へと向かった。

「おっと、どこかへ出掛けてたのか?」

 お父さんが腰に手をあてて薬缶に水を入れていた。

「ちょっとコンビニまで」

「へぇ、珍しいね」

「えっ? そんなことないでしょう」

「そうか?」

 言いながらお父さんは蛇口の口を締めた。場所が空いたので私は流しの前に立ち、お湯で手を洗い、うがいをした。

 居間に戻るとお母さんからメロンパンを渡された。お父さんも私の後ろから入るとテーブルに座り、お寿司のパックを開けた。

「一緒に食べるか?」

「ううん、いい。メロンパンもらったから」

「そっか」

 まだ床には買い物袋が置かれたままだったが、お母さんもお父さんの隣に座り、サンドイッチの袋を破いた。冷蔵庫に仕舞うものを先に取り出せたので一休みといったところだろうか。

 私はテーブルの上に置いていたレジ袋を手に取り部屋に戻ろうとしたが、そうだ両親に伝えておかなきゃいけないことがあったと思い出した。

「そういえばルームシェアの話し、なくなったよ」

「あらっ、それは残念ねぇ」

 言い終えると同時に薬缶の沸騰を知らせる音が鳴り響き、お母さんは口に運んでいたサンドイッチの手を止め立ち上がって行ってしまった。別に続ける話がある訳でもないので、私も自分の部屋へと戻った。

 PC前の椅子に座り、メロンパンを机の脇に置いた。これはイラスト作成が終わってから食べることにした。お腹が一杯になっては思考が鈍る。ペイントソフトを起ち上げ、作成途中のファイルを開く。

 アゲハ蝶が人間の姿に変わろうとしているイラストがモニタに表示された。

 目の端で時間を確認してみる。たぶん朝までには完成させられるだろう。気合を入れる為にもと、私はコンビニで買ったゼロカロリーのエナジードリンクを開け、喉に流し込んだ。

「げほっ」

 上を向いていた顎が思わず引っ込んだ。飲み方を間違えて器官に入ってしまったようだ。次からは注意して飲まなきゃとテッシュを取り出し洋服にかかったエナジードリンクを拭いた。

 しかし気分転換、頭をリフレッシュするには効果があったようで、私はエナジードリンクを少しずつ飲みながらイラスト制作を続けた。

 私はこうして自分の時間を使うのが好きだった。この時間を大切にしていきたいと心底思った。


 いま自分は何を描こうとしているのか。

 アゲハ蝶が人間に姿を変えている途中。

 私は色を塗りながら、この物語のバックグラウンドを想像していた。


 私にとってアゲハ蝶は特別なものだった。意識しだしたのは、小学一年生の頃、授業で自分の名前の由来を調べてくるという宿題が出されてからだった。お母さんに尋ねてみると、本棚から図鑑を取り出しアゲハ蝶の写真を見せてくれた。私はそれを目の当たりにして虜になった。

 私の中には美しい羽を持った蝶がいる。

 

 私はその宿題の後もアゲハ蝶について度々調べていた。たとえば家紋にも使われていることを知ったりもした。

 左下腹部に宿ったアゲハ蝶。今にして思うと、私はどうしてあそこまでタトゥーに執着していたのだろうか。動画で見た音楽MVに映る彼女たちのタトゥーが格好いいと、おしゃれだと思ったからだ。もちろんそれもあるが、アゲハ蝶が宿れば私は幸せになれるだろうと思ったからでもある。

 以前の私は、高校を退学して絵を描く毎日だった。とはいえ、一日何時間も集中して描き続けれる精神を持っていはいなかった。途中で疲れることもあるし、そもそも描き始めることが出来ない時だってあった。そうした時はイライラが募ったり、反対にやる気がまったく出なくなったりして布団に潜り込むことだって何度もあった。そんな生活をしているのだから、昼夜が逆転するのも簡単だった。

 夜中に起き上がり、だらだらした気分でSNSを眺める。またすぐにそのまま机に突っ伏して寝てしまうことだってあった。そうすると起きた時に腕や足が痺れて不思議な感覚になる。それはあまり気持ちのいいものではなかった。その気持ち悪さから思わず叫びだしそうにもなる。背中だって痛くなるし、机の上で寝るのは失敗だったと反省するのに、またやってしまったと後悔する。実際はそんな日々の繰り返しだったのだ。

 だからその日常の中でタトゥーと出会い、左下腹部にアゲハ蝶を宿すというアイデア得た時、私にはもうそれしかない、それしか考えられないと思ったのだ。

 それに実際、アゲハ蝶を宿すことによって私の生活は改善されていったし、絵を描くことに対する障壁だって、ひとつ突破できたように感じていた。


 けれどいま、ふと自分に問いかけてみる。

 私はいま幸せだろうか。

 アゲハ蝶を宿し、蝶の羽をモチーフにしたピアスもある。私は自分を装飾し、自信を得ることができただろうか。恐らく以前よりはそうだろう。しかしこれで幸せになったとは言えなくなっていた。

 もっとも、世界の中で自分が幸せだなんていえる人がどれだけいるのだろうとも思う。自分らしく生きていくことの難しさ。

 自覚はあるのだ。

 ルームシェアを止めようと言った京子の言い分だってわかっている。京子の親だって、娘のことを心配すれば言い分だって変わるだろう。だから京子を強く責めることは出来ない。

 だがしかし、私の中で動き出そうとしていたこの気持はどこに行けばいいのだ。

 いやそれだって、自分自身で処理する他ないのだということもわかっている。

 だから人間関係は嫌いだ。


 もう少しでイラストが完成しそうだった。私は手元のエナジードリンクを喉に流し込む。これはなかなか癖になる。また今度買ってこようと決めた。

 いったん手を止め、全体図を眺めてみる。良い感じだ。それに体調的にも睡魔を感じず、まだ続けられる。いま確実に勢いに乗っている。

 たとえイラストを描きあげたところで、これがお金になるわけでもない。でも私にはいまこれしかすることがないのだ。一体どれだけの人が私の生活を肯定してくれるだろうか。でもそれだって、私には関係ないことだ。私は自分の環境の中でしたいことをする。だから今はとにかく絵を描き、完成させる。そうすることによって切り開ける何かがあるはずなのだと信じている。だから私はそれに向かって描き続けた。


 最後に全体の色を調整し、イラストは完成した。私は腕を天井に向けて大きく背中を伸ばした。背骨に手を当てるとお腹が前に突き出て、良い具合に筋肉がほぐれていく。集中力と緊張も解けたのか、私は立ち上がりお手洗いへ向かった。

 PC前の椅子に戻り、エネルギードリンクがの缶を口元まで運んだが何も出てこなかった。すかっかり飲み干していたことを忘れていた。代わりに一緒に買っていてたブラックコーヒーを流し込む。ペットボトルを片手にマウスを動かし、モニタにブラウザを表示させ、イラスト投稿サイトのページに飛んだ。朝方であるこの時間帯でも、私と同じようにイラストを投稿している人は多かった。新着表示の項目を見てみると一分前や二分前が並んでいる。私も投稿フォームへ移動し、いま完成したばかりのイラストをアップロードした。タイトルを求められたので、私はずっと考えたいたものを入力し、確認画面で「はい」の表示をクリックした。

 続けて私は、以前ブックマークしておいた海外のイラスト投稿サイトにアカウントを作成した。文字が全部英語だったので少し苦労したが、日本語翻訳サイトを駆使しながら頑張った。そしてこちらへも、先程作成したイラストを投稿した。

 一連の作業を終えて満足した私は、池袋のイベントで出会いこのイラスト投稿サイトを教えてくれた彼女たちの投稿ページに移動した。新しいイラストが増えている。それに私よりはるかに上手い。そこに多少の嫉妬心はあれど、嫌な気持ちにはならなかった。


 ここ数ヶ月打ち込んでいたものが全部終わったと思うと、急に頭が重たくなってきた。私はPCをスリープ状態にしてからモニタの電源を切った。椅子から立ち上がると、カーテンの隙間から薄い青色が覗けた。瞼は半分落ちている。体が早く横になりたいと訴えている。イラストの作成を終えた後に食べる予定だったメロンパンを口に入れる気力はない。今はとにかく睡眠がとりたい。私はベッドに倒れ込むと布団に潜り込み瞼を閉じた。体全体が重力に従って沈んでいく。充実感のある疲れ。

 次に目覚めた時にやることは、もう決まっている。

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