揚羽_43

 ルームシェアについて詳しい話が聞きたいと、京子にメッセージを送った。とりあえず京子が具体的にどの程度まで考えているのかを知っておきたいと思った。

 このことについて、私はまだクロエに伝えられていない。勝手に話しを進めてしまうことが、もしかするとクロエを傷付けてしまう可能性があることは自覚している。だが別に京子と同じ部屋に住むといっても、生活はこれまで通り別々になるのだから、変わりはない。私と京子は隣人に近い関係になる、それだけだ。

 ルームシェアをする相手なんて、友達だろうと他人であろうと、誰だっていいのだ。何も同棲する訳でもない。

 だからたぶん私は、クロエにとって今は大事な時期だからと、自分のことを話すのを避けているのだろう。


 京子から返事は返ってこなかった。もう放課後の時間帯にもなっているから、メッセージを読んでいないということはないと思う。ルームシェアを持ちかけてきてくれた時の態度から、すぐに返事を返してくれるだろうと考えていた私は、このことについて小さながっかり感を抱いた。


 翌日になっても京子からは何も返事がないので、私はいったん諦めて自分だけで出来る作業に意識を向けた。

 お昼の時間帯でもSNSのタイムラインは活発な動きを見せている。私はそれを時折眺め、音楽を聴きながらイラスト制作に励んだ。

 新しいイラストのモチーフが浮かぶ。クロエのために描いたデザインを盛り込む。私のアゲハチョウとクロエのアゲハチョウが人間の姿に変態する。もちろんこれをただそのまま描いてもつまらないので、物語性を持った抽象的な雰囲気となるようイメージを膨らませた。このイラストを完成させることが出来れば、かなり良いものになるだろうという確信があった。

 だがそれだけに、完成させることは簡単ではない。途中色々と躓きながら、自分の頭の中から湧き上がるものをどれだけ表現できるのか、技術的な挑戦でもあった。時には集中力が無くなったり、むしゃくしゃして投げ出しそうにもなる。しかしそういった気分になった時はクロエからのメッセージを読んだり、瞼を閉じて音楽に浸ったりしながら、なんとか完成へと近付けるように努力した。



 今日も家に引きこもっていたけれど、充実した一日だったと思える。今の私にとってその評価基準とは、イラスト制作にどれだけ没頭できたのかということだ。

 夜も更けて、布団に入り眠りにつく。クロエはいつもと同じ時間帯に、お休みのメッセージを送ってきてくれる。果たしてその後、実はまだ起きていて、『あれ』をする為に街を徘徊しているのかどうか、私は知らない。このことについて、私たちの間ではメッセージでも触れ合わないようにしている空気があった。


「お願い。クロエとはもう会わないで」

 突然の電話。一方的な通告。明け方近くの通話はそうして終わった。



「なかったことにしてほしいの」

 明け方の電話に続いて夕方、今度は京子から電話がかかってきた。私はPCのディスプレイに表示されている描きかけのイラストをぼんやりと眺めながら黙っていた。

 酷く沈んだ声ではあった。

「親に話したら、高校は卒業しなさいって怒られたの」

 それはまあ、そう言われるだろうなとは思う。そこからどうにかして納得させるのが、提案者である京子に課せられた義務ではなかったのだろうか。

「私だって、抵抗はしたの。でも親は絶対に許さないの一点張りで、耳を傾けてもくれなかった」

 私は頷くのにもうんざりとした気分だった。なるほど、ほとんど無計画状態で私に話を持ち込んできたのだなと察した。

 これだから他人と関係を結ぶことは嫌いだ。

 私の、前に進めるかもという期待が崩れていくような気がした。これから変わっていく為に、ルームシェアは重要な一部分であると考えていた。しかしそれは、私の力が及ばない場所で勝手に失われてしまった。

 これが交友関係というやつだったことを、今更のように思い出した。それが嫌で学校を辞めたはずだったのに。

 京子は「ごめんなさい」と何度も繰り返した。しかし私は、それを聞かされているのが面倒くさくて仕方がなかった。

 そして改めて退学したことを良かったと思えた。進学や課題、クラス内ヒエラルキーといった諸々は考えるだけで嫌な気分にさせられる。それに比べてアゲハチョウを宿す為の作業はとてもよかった。期限や強制力もなく、私の努力で『あれ』を成功させられれば、望むものが手に入る。気絶させられた男達は私にとっては障害であり、彼らは目的に含まれた要因であったので、邪魔する他人ではなかった。

 自分が決定すれば、ちゃんと返答がある。物事をいかに自分でコントロール出来るか、その手綱がちゃんと握られている。それが大事であり、私の性格にも合っている。

「それでね……」

 京子はいまだ申し訳なさそうに言葉を繋ごうと必死だったが、私としてはもう何も聞きたくなかったので、電話を切ってしまいたかった。だが勝手に切断していまうのも失礼だし、私もそこまで無神経ではないので、結局は京子に付き合うしかなかった。

「せめて高校を卒業するまで待っていてほしいの。そうしたら一緒に」

「ごめん。それはできないよ」

 私をもう惑わせないでほしい。期待させないでほしい。だから今度はきっぱりと断った。それが両方の為でもあると思った。

 今度は京子が黙ってしまった。このままでは尚更電話を切るタイミングが難しくなってしまった。一方的に身勝手な切断をされることの不快感は、私自身が最近ずっとされていることなので、自分自身がしてしまう訳にはいかない。だからその時は、きちんと承諾を得るべきなのだ。

「電話、切ってもいいかな」

「待って! 切らないで!」

 スマホを耳から遠ざけようとしていた手を止めた。まだ何か喋ることがあるのだろうか。

「お願い、私の前からいなくならないで」

「いなくならないでって、面白い表現だね」

「えっ、あっ、ごめん……揚羽が一人で学校を辞めた時のことを思い出しちゃって」

「…………」

「でもね、電話やメッセージのやり取りはこれまでみたいにしてほしいの」

「あー、うん。まぁ、いいんじゃないの?」

 歯切れの悪い返事だ。だってこれは本心ではないから。しかし京子はあまり気にした様子もなく、また喋り始める。

「今回は本当に申し訳なかったてことを改めてちゃんと伝えたくて、明日の放課後会えないかな」

「ごめん、明日は用事があるの」

 もちろん嘘だった。今の私に予定なんてない。その時々によって自分のしたいことをする。それが私の望んだ生活だった。

 だからもう、京子とは会わない。それは時間の無駄だから。

「そう、なら今度メッセーシを送るね」

「うん、そうして」

 そのメッセージを私は恐らく読まないだろうけど。


 京子との電話が終わった後、私はイラスト制作に戻る気力をなくしていた。とにかく疲れていた。なのでベットで横になり、適当にスマホをいじって時間を潰した。

 クロエからはまったくメッセージが届かない。

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