揚羽_39

 クロエとは逢えない日々が続いた。メッセージが届く頻度も若干ではあるが、少なくなっているような気がする。

 千佳さんから電話があったことも、どうにも伝えづらく私は黙ったままだった。クロエのメッセージにしても、別に不穏を感じさせるようなものはない。

 ただなんとなく、クロエもちょっと忙しいのかなとは感じられた。私の方も、今取り掛かっているイラストをなるべく早く完成させたいという気持があった。だから最近ちょっと逢えていないけれど、それも仕方ないのかなと思うようにしていた。

 恋人同士だからといって、二十四時間一緒にいる必要性はないだろう。適度な距離感を維持することが、人間関係を築ことには大事なのだ。そうでなければ疲れてしまう。


 池袋でのイベント日当日。東京行きへのバスチケットは以前と同じくスマホで買った。二回目ともなると気持も随分楽となる。それに今回は日帰りだし、別に隠しておくようなことでもないので、私はお母さんに東京へ出掛けにいくことを伝えた。さすがにそれには驚いた様子だったが、すぐに「じゃぁお土産お願いね」とお金を渡された。具体的に何をしに行くのかまでを聞かれることはなかった。


 東京駅に到着すると、前に来た時に比べると雰囲気が賑やかであるよう感じられた。それは今日が土曜日であることが関係しているのだろう。しかし理由はそれだけではなく、雑貨店を覗けば目に入るクリスマスの装飾。そのきらきらとした感じが人にも伝染しているのだろう。

 

 山手線で池袋まで向かう。アゲハ蝶を宿す時の待ち合わせ場所であった目白の隣駅だったので、スマホを頼りに迷うことなく辿り着くことができた。

 電車を降りて改札口を出ると、どこに目を向けても人の顔があり、とにかく騒がしかった。

 私は軽い目眩を感じた。

 目白は結構静かな街だったのでそれとは対象的だ。正直ちょっと苦手だなとは思った。 

 イベント会場となっているのは、サンシャインシティの文化会館と呼ばれる場所だった。サンシャインシティの水族館といえば少し聞き覚えがあったが、イベント会場として使用できる施設があることは全く知らなかった。

 スマホのマップを頼りに茶色い階段を上っていくと、大きな建物が目に飛び込んできた。そしてその付近には足を止めた人々が薄い本を開いてお喋りに興じている。あれが自費出版と呼ばれる、作者自身が手売りしている同人誌というものなのだ。その存在は知っていたし、ネットで買うこともできるけれども、私自身は初めて目にするものだったのでちょっとした感動があった。

 私は焦る気持を抑えながら建物の中へ入った。入り口では入場券も兼ねているというカタログ冊子を購入した。ぱらぱらと捲ってみると、サークル名とイラストのカットがいくつも並んでいる。


 なんとなくの作法はネットで調べていたので問題ないだろうと考えていたが、いざ展示ホールに入れば、この雰囲気には圧倒される。人の数もそうだが、なにより部屋の広さに対しての密度の狭さが凄いものだった。外は冬の寒さで首をすくめてしまう程だというのに、建物の中は熱気が渦巻いていてコートが邪魔になるくらいだ。

 私は歩くのに苦闘した。会場内には長机が整然と並んでおり、間の通路は狭い上に人が多い。私は人の波に流されながらも、長机の上に積まれた同人誌の表紙に目を奪われ順に追う。

 長机はサークルごとに区切られており、また各々がスペースを工夫して同人誌を置いている。布を敷いたり、ラックを置いたりとそれぞれに個性があって面白い。

 今日の同人誌即売会のイベントはオールジャンルと呼ばれ、オリジナルと二次創作、どちらでも並べて大丈夫なものだった。また漫画やイラスト集なで、その表現方法も様々だ。私が描いているものは主にオリジナルのイラストとなるが、二次創作や漫画制作にも興味があるので、参考にできればと思った。

 

 同人誌即売会では売り手と買い手のコミュニケーションが大事であるとネットから学んでいた。この空間ではコンビニで買い物するような、棚から商品を手に取りレジに差し出すような気分ではいけない。

 私はいいなと思った同人誌を見つけると、「失礼します」と口に出してから手に取った。それを聞いた売り子に方達は、「どうぞ」と返してくれたり、微笑んでくれたりと、何かしらの反応を見せてくれた。

 ブースによっては売り子の方の横でスケッチブックを広げ絵を描いている人もいて、人前なのにさらさらとペンを走らせる姿には思わず凄いと目を止めてしまう。

 欲しいと思った同人誌はいくつもあったが、自費出版はページ数が少なく薄くても、一冊四百円から八百円はする。なので目についたもの全部を買うのは難しい。「ありがとうございました」と手にとった同人誌をなくなく元の場所に戻すことを何度もしなければならないのは、非常に悩ましかった。しかも売り子の人は購入せずとも嫌な顔を見せず、「ありがとうございました」とまた返してくるものだから、私は罪悪感すら感じた。

 しかしたとえ本が買われなかったとしても、手にとってもらえるだけでも嬉しいのだとというネット記事を読んだこともあった。たしかにその立場に自分を置いて考えてみた場合、これだけ様々な同人誌が並んでいる中で、自分の作品に興味を持って手にとってもらえれば、それはとても嬉しいことだろうと想像することができる。

 私はこれまでイラストや漫画を描くことを好きでやってきたが、製本作業まではしたことがなかった。描いたものはデータとしてネットにアップロードすることが私にとっての発表だった。しかしこうして同人誌即売会に参加し、本を売っている人たちを見ていると、私も彼女達と同じようにしたいという気持が強く湧いてくる。


 歩き回っていたので少し疲れが出てきた。壁際の人がいないスペースを見つけると、私の足は自然にその方向へと向かった。

 壁に寄り掛かり、ようやく一息吐けた気分。

 会場に入ってからはスペースを回り同人誌を見ることに夢中になっていたので、今更ながら入り口で購入したカタログ冊子をよく読んでみた。注意事項はイベントの公式ページに記載があったものと同じだ。サークルカットを順に確認していくと、画像投稿サイトでもよく見たことがある絵を発見した。今日は出店サークルの事前情報をあまり持たずにいたので、会場を回っていた時には見落としていたようだ。マップを確認すれば幸い今の場所から近いようなので、私は首を動かし探してみた。

 そこには長蛇の列が形成されていた。同人即売会では欲しいものが必ず買えるとは限らない。人気サークルともなると、開始の一番に並んでも売り切れてしまったり、一日中列が途切れないことだったあるらしい。

 長く形成されている列を実際目の当たりにすると、今からあれに並ぶ気にはなれなかった。それに今の時間帯から並んだ所で買えるかどうかも分からない。残念ではあるけれど諦めるしかない。

 カタログを鞄に戻し、今度はスマホを手に取りSNSのタイムラインを確認してみると、同じ会場にいるような発言を見かける。プロフィール欄にはスペース番号が記載されいるので、休憩を終えたら次はそのスペースに足を運んでみようかなと思った。


 最終的には八冊の同人誌が鞄の中に収められた。全部で約六千円。結構お金を使ってしまったなと思うが、せっかく東京まで出てきたのだし、仕方がないよねと自分を納得させる。

 自分としては納得できる程度には回り終えたので、そろそろ帰ろうかなと出入り口を目指して歩いていると、サークルの人から直接声を掛けられた。

「ねぇねぇ、そこのあなた、私たちの本見ていってよ」

 お洒落な格好をした二人の女性が同人誌を差し出している。さすがに無視するのは失礼だろうと、私はサークルスペースの前に立ち、彼女たちから同人誌を受け取った。

 オリジナルのイラスト集だった。柔らかいタッチに綺麗な色使い、リアル寄りな人物造形など、とても私好みのイラストが沢山収録されてる。

 ページを捲ってくと、前半と後半でちょっとだけイラストのタッチが変わっており、作者が違うのだとわかった。成る程これが合同誌というやつだなと、私は改めて声を掛けてくれたサークルの二人の顔を見た。

 私は彼女たちの同人誌を買うことに決めた。会場内を見て回り、これで満足したと思っていたのに、まだ自分好みの同人誌があっただなんてと後悔する。私は彼女たちが声を掛けてくれたことに感謝した。

「これ、一冊下さい」

「ありがとうね」

 二人はそう言ってお金を受け取った。その時の笑顔は、私にとってとても眩しいものだった。


 池袋から東京に戻り、駅の構内でお土産のお菓子を買った。ショルダーバックにお菓子の箱が入らなかった為、両手に紙袋をぶらさげてバス停まで向かった。

 バスに乗り込み座席に腰を落ち着けると、どっと疲れが出てくる。でも今回もとても楽しく、有意義な時間を過ごせたという自信がある。勇気を出して本当に良かったと思う。

 家に到着した頃にはもうすっかり夜だった。お母さんに頼まれていたお土産を渡すと、初めての東京は楽しかったかと訊かれた。

 アゲハ蝶を宿す為に東京へ行った時はお母さんに黙って向かったので、今回が初めてだと思われていた。

 私は楽しかったよと頷いた。実際は同人誌即売会が楽しかったのであり、東京自体は人が多くて疲れる場所ではあった。

 自室に戻りPCをスリープ状態から復帰させる。すぐに何かをする訳ではないけれど、ディスプレイが点灯していない落ち着かない。

 私は今日買ってきた九冊の同人誌を順に読んだ。家でゆっくりと一ページずつ眺めてみると、それぞれの魅力に改めて気付かされる。

 一番最後に買った、声を掛けてくれたサークルの同人誌には日本人ではなく中国人の名前が最終ページに記載されていた。会場では気に留めていたなかったけれど、確かに思い返してみれば話し方がそれっぽかった気がする。

 それぞれの名前の横にQRコードがあったので、私はそれをスマホで読み取ってみた。

 表示されたのは海外のイラスト投稿サイトだった。画面には英語とイラストが並んでいる。QRコードは彼女たちの個人ページに繋がっていた。

 色々と他のアカウントページにも遷移してみる。本当に、世界中様々な人たちの作品が並んでいる。ただその中で、日本人の投稿者の割合は少ないなとは少し感じた。

 それは私が考えるに何となくではあるが、日本には既に大きなパイを持ったイラスト投稿サイトがあるから、わざわざ別の場所にアップロードをする必要性を感じないからなのかなと思った。

 しかしこうして世界中から集まったイラストやCG、漫画などの作品を見ていると、私は改めて絵の世界は広く深いのだなと感銘を受ける。

 画風とはこれだけ多様性に溢れているのだ。

 だからこそ、私は私の好むイラストをもっと自分で沢山完成させたいと、モチベーションとインスピレーションがふつふつと湧いてきた。


 私は今日一日朝から東京へ行って同人誌即売会に参加して体は疲れているはずなのに、ペンタブのペンを握り締め手を動かし始めていた。

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