揚羽_36

 結局私はクロエが選んでくれた黒のキャミソールを買ってしまった。ショップ袋を肩にぶら下げてショッピングモールぶらつく。

 先程から隣に並んで手を繋ぎ歩くクロエが、私の横顔をちらちらと伺っているいる事に気付いていた。

「どうかしたの?」

「えっ、うん。あのね、揚羽はピアス付けないのかなと思って」

「うーん、そうだなぁ」

 恐らくさっき洋服を買ったショップ店員を見ていて思ったのだろう。殆ど皆がタトゥーだけではなくピアスも付けていた。あのショップで売られている洋服を着こなす為には、両方が必需品なのだと言わんばかりではあった。


 私はコートの上からアゲハ蝶が宿る左下腹部に手をあてた。

 タトゥーを彫るよりも、先にピアス穴を開ける方が一般的である気がする。動画サイトで好きなバンドのMVを見ていても、タトゥーは入れていないけれどピアスをしている人は多かった。しかしその逆はあまり記憶にない。

 それを思うと、なぜ私は今までピアスをしようと考えなかったのか、自分自身不思議に感じられた。


「クロエはどう思う? 私にピアスは似合うかな?」

 質問に対して質問で返す。

「ええ、ぴったりだと思うわ」

 私は少し真剣に考えてみる。黒のキャミソールにピアスとタトゥー。確かに格好いい。しかしピアスはタトゥーと違って隠しておくことが難しい。

 お父さんとお母さんは私がピアス穴を空けたと知ったらどう思うだろか。二人は私が学校を辞めても非難せず、働かずに引きこもっていても強制することもなく、ルームシェアのことを話せば気軽に同意を示した。これらからすると、私の両親は娘に対して結構寛容的なのだと思う。

 だからきっと、私がピアス穴を空けたとしても、それはそれで特に怒りもせず、あら似合うじゃないみたいなことを言ってくれそうな気がする。

「そうだね。せっかくだし、ピアサーも買っていこうかな」

「本当に! 揚羽なら、絶対似合うと思うわ」


 ピアスはどこのショップに売っているだろうかと、私達は案内掲示板の置かれている場所に移動し、フロアガイドを確認した。ショッピングモールによく遊びに来ているというクロエだったが、ピアスはこれまで自分の興味外だったので、気にしたことがなかったらしい。

「ねぇ揚羽、その前にご飯食べない? わたしお腹空いちゃった」

「そっか、いつの間にかお昼も過ぎてたんだ。うん、そうしようか」

「ええ、食べながら探しましょう」

 クロエはそう言って案内掲示板の横にあるラックからフロアマップを抜き取った。

「揚羽は何が食べたい?」

「うーん、そうだな……今はわりと何でもありかなぁ。クロエに選んでもらいたい」

「そう? ならそうさせてもらおうかな」

 クロエが私の手を取りぎゅっと握った。

 今日のはじめショッピングモールに着いた時は妙な素振りをみせ、具合でも悪いのだろうかと心配していたのだが、ショップを一緒に回っているうちに普段と同じ態度に戻ってきたので安心した。


 クロエに連れてこられたのはお蕎麦屋さんだった。割烹着を着た店員に席を案内され、木製のテーブルに向かい合って座る。

「クロエがお蕎麦を選ぶのって、なんだか意外。今まで訊いたことなかったけど、好きなの?」

「ううん、特にそうゆう訳じゃないんだけど。いえ、わたしお蕎麦って殆ど食べたことがないから」

 確かにその方がクロエのイメージに合っている。現に今も和風の店内に佇むクロエの姿にはちょっとした違和感がある。

「えっと……千佳がアレルギーなの。だからね、いつもは避けてるんだ」

「なるほど。それで今日はお蕎麦屋さんを選んだのね。それじゃぁ、どれにしましょうか」

 メニューを開きながら話しかけると、クロエはなぜかうつむいていた。どうしたのだろうと不思議に思ったが、再度メニューに目を移すと、なんとなく理由を察した。

「ここのメニュー、文字だけで写真がないんだね。わからないものがあったら訊いてね」 これまで馴染みがないと言っていたから、たぶんこうなんじゃないかと声を掛けたのだが、どうやら違っていたらしくクロエは首を振った。

「そうじゃないわ」

 私が勘違いを反省していると、店員がペンと紙を持ってテーブルの横に立っていた。

「注文はお決まりになられましたか?」

「あっ、ちょっと待って下さい」

 私はメニューをテーブルの上に広げ、いま自分が食べたいお蕎麦の文字に指を置いた。「これ、山菜蕎麦を一つ。クロエは決まった?」

「わたしは天ぷら蕎麦」

「かしこまりました。ご注文は以上でよろしいでしょうか」

「はい、大丈夫です」

 

 店員が居なくなった後もクロエはうつむいたままだった。今日本当にどうしたのだろうか、感情の起伏が激しくて心配になる。

「クロエ、やっぱり今日はどこか変だよ。具合悪い?」

「違うの」

 私の言葉を遮るようにクロエが否定した。

「あのね、さっきわたし千佳の名前を出したでしょう。だからそれで、揚羽は嫌な気持にならなかったかなって」

「別に嫌な気持ちは特にないけど」

 たしかに私は千佳さんに対してあまりいい印象を持っていないが、さすがに名前を聞いただけでイラッとする訳でもない。

 しかしどうしてクロエはこんなにも申し訳なさそうな表情をしているのだろう。

「今日はどうしたのクロエ? 何かあるのなら、ちゃんと話してほしい」

 さっきみたいな勘違いはしたくないので素直に訊くことにした。クロエは「うん」と頷いてから、私の顔を正面に捉えた。

 普段の発言や態度、それから西洋系の血が混じった顔立ちが故に大人びて見えるが、そういえばクロエはまだ十四歳なのだと、今この不安げな表情を目の当たりにして思い出した。それくらいに子供っぽい表情をしている。

「わたし、少しおかしいの。ううん、理由はちゃんとわかってる……嫉妬、してるんだわ」

 まさかクロエがそんなことを思っていただなんて、あまり予想していなかった返答に私は驚かされる。



「わたしね、昨日揚羽が友達と会ってるってメッセージを読んだ時、嫌だなって気分になったの。そんな気持になったのは初めてだったから、これって何なんだろうって考えてみたの。それで気付いちゃったんだ。ああ、これが嫉妬なんだって……」


「揚羽はただ友達と会っているだけなのに、わたしは何てワガママなんだろうって思った。それにわたし、今更になって、揚羽に対して酷いことをしていたんじゃないかって気付いたの。だってわたしは揚羽が好きだと言いながら、千佳と一緒に住んでいる家に招いて、千佳がわたしを恋人だって言った時も、否定はしなかった」


「わたし、無神経だったんだわ……」


「でも揚羽はさっき千佳の名前を聞いても、別に嫌な気持にはならなかったと言ったわ。それでわたし、いかに自分が傲慢だったんだろうって思った。もしかして揚羽は、わたしが好き好きって言っているから、ただわたしのワガママに付き合ってくれているだけなのかなって……」



「ちょっと待って!」

 このままではクロエがつらつらととんでもない方向へ行ってしまいそうだったので、私は口を開いて言葉を遮った。

「いやいや、それは話が飛躍し過ぎだって。私だって、千佳さんに対して嫉妬心を持っている。でもそれは仕方ないというか、クロエはよく私のことを好きだと言ってくれるよね、だから千佳さんについては、それを信じて自分を無理やり納得させていた部分はあって」

 京子と会っていたというメッセージがクロエをここまで傷付けてしまうとは考えていなかった。たしかにあの時にわたしは、クロエも少しくらい嫉妬してくれてもいいのになという下心が少なからずあった。しかしクロエをここまで追い詰めてしまうとは勿論思っていなかった。クロエの今日これまでの情緒不安定的な振る舞いは、すべてわたしのせいなのだった。


「お願い揚羽。わたしを嫌いにならないで」

「クロエを嫌いになんてならないよ。私だってクロエのことが大好きなんだから」

「うん……ありがとう」

 私はクロエの左手を取り、薬指に自分の唇を軽くあてた。それで安心してくれたのか、クロエはえへへとはにかんだ。



 お蕎麦を口にしたクロエは、とても美味しいと絶賛した。私は自分の山菜蕎麦を小皿に盛ってクロエに差し出した。するとクロエはこんなに食べられないわと、代わりに天ぷら蕎麦を別の小皿に盛った。二人で半分こねとクロエが微笑む。私はこの笑顔を見ることができて、今が本当に幸せだと思う。


 私たちはお蕎麦を食べ終えると、テーブルの上にショッピングモールのフロアマップを広げた。ピアスショップを確認し、目的地が決まった。

  ピアスショップの店員は、先程私が洋服を買ったショップの店員と似通った雰囲気を持っていた。

 私とクロエはショップの中を見て回る。ピアスは高いものから安いものまでピンきりだった。ほとんど同じ同じデザインなのに桁が二つ違う。一体どこにその値段差があるのか、見た目ではわからなかった。

「揚羽はどんなピアスが欲しい? やっぱりアゲハ蝶?」

「そうだね、うん。タトゥーと重複はしちゃうけど、やっぱり私は蝶のデザインに惹かれちゃうんだよね」

 私は自分の名前をとても気に入っており、またそこにアイデンティティを仮託させていることに自覚がある。

「ちなみにクロエもピアスを付けるとしたら、どんなものを選ぶ?」

「そうね……ピンク色の石がついたやつとかどうかしら。でもわたし、自分がピアスをするのって考えたことがないから、あまりイメージできなわ」

 そういえば千佳さんもピアス穴は空いていなかったなと、ふと思い出す。


 私はピアサーと蝶の羽をモチーフにした小柄のピアスを買った。

 ピアスショップを出ると、今度は私にクロエの洋服を選ばせて伝えた。ただもしかすると断られるかもしれないという不安もあった。なにせ私はクロエによると洋服に無頓着な女なのだ。その私がお洒落に強いクロエの洋服を選ぶだなんて恐れ多くはあるのだが、今日一日付き添っていて、私もクロエと同じようにしたいと思った。

 するとクロエは「嬉しい」と言って私の腕にしがみついた。

「揚羽が選んでくれるものだったら何だって嬉しいわ」

 それは「ありがとう」と言いたいところではあるが、やっぱり期待はされていないんじゃといった感じでもある。


 私がクロエに選んだ洋服は、かなり無難に落ち着いた。私のセンスでクロエを見返すことができず少し後悔したが、これはこれで喜んでくれてはいるので、まあいいかなと思った。それに何より私がクロエに対してやりたいことをしてあげられたということが満足だった。

 ショップ袋を両手で抱え、私の隣を歩くクロエ。そろそろ駅の改札口に到着する。クロエはこのまま居住エリアに向かうので、今日はここでお別れだ。

「今日はデートに誘ってくれてありがとう」

「ううん。今日はわたしのワガママだったから」

「そんなことないよ。私は本当に楽しかったし、嬉しかった」

「そう、なら良かったのかな」

「うん、嫉妬してくれたことも含めて、ねっ」

「もう……いじわるね、揚羽は」

 これまでの私だったら出てこないようなセリフだ。でも今は、対等な関係性を築くことでクロエをより身近に感じることができるようになったから、こんなことも言えてしまう。

「でもいいわ、だって次は期待してもいいのよね。あれ以上の行為を」

 試着室でしでかしたことを思い出し、私は慌てて口を開いた。

「いやいや、それはどうかな。ほら、クロエはまだ十四歳だし、私だって十七歳だから、そうゆうのはまだ早いんじゃないかな」

「そうかしら? 年齢なんて関係ないと思うけど」

 悪戯っぽく微笑むクロエの表情を前にして、やっぱり敵わないなと私は苦笑いで頬を掻いた。

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