揚羽_33

 京子の言葉を訊いた私は驚き、何故と頭にはてなを浮かべた。私は言葉に詰まり、まじまじと京子の顔を見た。

 膝の上に手を置いて姿勢を正した京子が私を見返す。

「一緒にルームシェアとかどうかな、と思って」

 改めて訊かれても、私は答えを用意できなかった。

「えっと……どうと言われても、それってつまり、私と京子で一緒に住みましょうという話だよね」

「ええ、そう。ルームシェアよ」

 京子はその言葉を強調した。ルームシェアとは、住まう者同士で家賃を出し合い、例えばマンションの一室を借りて、それぞれの部屋には立ち入り禁止、生活ペースを合わせる必要はなしという、あれのことだろうか。東京でもこうした生活が流行っているとネットで読んだ覚えがある。

 しかし今はそれより素朴な疑問がある。

「どうして私なの?」

「えっ、どうしてって……」

 言葉の途中で京子は下唇を噛んだが、この質問には答えてもらわなければ困る。

「だって私には、揚羽しか誘えるような人がいないし……」

 今度は私がなんと答えればいいのか悩んだ。

 京子の交友関係を思い出してみる。中学生の頃は京子の顔自体を知らなかったので、誰と仲が良かったのかわからない。高校一年で同じクラスになった私達は確かに一緒にいることが多かったが、他にも何人か友達といえる人がいたはずだ。しかし二年生に進級してからどうなったのか、私は知らない。なぜならその教室に殆ど通っていなかったから。

 自分がいなくなった後の教室を想像してみるが、なんだからそれはあまりに他人事過ぎて上手く思い描けなかった。ただわかることがあるとするならば、私がいなくても特別何かが変わる事はないだろうし、全てはやはり普通に時間が過ぎていくのだろう。

 でも京子の時間はどうだったのだろう。


「私も学校を辞めようかなって思ってるんだ」

 私は黙って京子の話を聞いた。

「でもそれをいきなり親に伝えたら怒られるだろうし、だったら家を出て行けって言われるでしょう。だからルームシェアはどうかなって」

 言い終えると京子は視線をテーブルに落とし、もぞもぞと指を動かした。

 京子からの提案を聞いた私は、始めこそ何を言っているのだと驚いていたが、時間が経つうちに自分の中でも考えがまとまってきて、案外それはそれで良いのかもしれないと思い始めていた。


 高校を辞めてからの私は家に引きこもり絵を描き、ネットで動画の視聴やSNSを眺める毎日だった。学校に行かなくても勉強はできる。そしては今は何よりも絵を描いていたい。これは優先順位の問題なのだ。私はそれをとても重要視した。

 学校を辞めると告げた時、お母さんは特に非難せず、いいんじゃないと言った。お父さんは何も口にしなかったのでどう思っていてるのかよくわからなかったけれど、怒っている様子はなく、お母さんがよいと言っているのだから別にそれで構わないと言っているようにも見えた。それから実際に高校を退学した後も、両親から何かをしろと言われたことはない。それはとても有り難く、素直に感謝している。

 しかしだからといって、私が重圧を感じてないかといえばそれは違っている。ずっと家にいてもいいのだろうかと不安になることだってある。働くなり専門学校に行くなり、何か行動を起こさなければとは思っている。

 けれど考えれば考える程、今の私からすればどの行動もぱっとしないので行動には移せない。

 そんな生活の中でタトゥーに出会い、アゲハ蝶を宿すと決めたのは特別なことだと言えた。絵を描くこと以外でも、私は興奮することができ、そのモチベーションが行動力に繋がった。当時は辛いこともあったけれど、今思い返せば、私は充実した毎日を送れていた。

 そして私はその中でアゲハ蝶だけでなく、クロエというとても可愛らしい恋人まで得ることが出来た。

 だが先日千佳さんの家を訪問してからというもの気分が沈みがちだった。絵を描くモチベーションは低下気味だし、正直今日だって家を出て京子に会わなければならないと思うと億劫な気分だった。

 でもいま京子からルームシェアという言葉を聞いて、これはありなんじゃないかと、アゲハ蝶を宿そうと決めてからネットでタトゥースタジオを探している頃の気持ちを思い出した。


「突然だったからまだはっきりとは答えられないけど、ルームシェア、ちょっといいかなって思った。でも……私でいいの?」

 私は京子に今思っていることを素直に伝えた。私が喋っている途中から京子は顔を上げ聞き入っていた。

「揚羽でもいいかだなんて、当然じゃない」

「そうなの?」

「勿論」

 京子は力強く頷き、表情をぱっと明るくさせた。

 私はその様子を正面にして、京子に同意したものの若干のずれみたいなものを感じた。

 勿論と言い切れる程に私達は仲が良かったのだろうか。いやでも、ルームシェアというのは別に仲良しだからするというものでもなく、利害の一致があればむしろ他人同士の方が捗るとも聞くし、京子が私をどう捉えていようと関係ないかもしれない。


 そして私はクロエの事を想った。

 クロエと同じ家に一緒に住む。

 でもそれは叶わないだろう。だってクロエはまだ中学生だし、義務教育の途中なのだ。それに今住まいを一緒にしている千佳さんには、お金と社会的地位がある。対して私はどうだ。何も無い。

 だったら私は京子とルームシェアでもする方が建設的だ。


「ねぇでも、京子は本当に学校を辞めるつもりなの?」

 私はふと気になったので訊いてみた。京子は少し間を置いてから答える。

「ええ、辞めるわ。だっこのまま学校へ行っても意味がないもの」

 そうなの? とは返さない。なぜならその意味はなんとなく分かるものだし、理解できるから。

 私と同じなのだと思う。

 通う理由がないのなら辞めればいい。勉強はやりたくなったら好きなだけすればいい。なにも教室で五十分間無理やり拘束される必要なんてないのだ。気分が乗らなければ十分で切り上げればいいし、調子が出てきたのなら九十分机に向き合えばいいのだ。

 京子が学校を辞めて何をするのかは、彼女自身の問題だ。だから私は何も言わなかった。


「勝手に呼び出して、急な提案をしてごめん」

「いや、そんなことはないよ。なんて言うか……そうゆうのもありなんだって思えたから。私ひとりじゃ考えつかなかった」

 学校を辞めた後、ひとり暮らしをしようかと考えていた時期も一時あった。けれどそれには当然お金が必要で、当時の貯金だけではどうにもならなかった。ならばバイトでもすればいいじゃないかという話だが、しかしそうなると絵を描く時間が減ってしまうし、学校へ行っていた時と同じように起床時間と就寝時間を計算しなければならなくなってしまう。次の休みまでの日数を数えながら生活するのは嫌だ。それが苦痛で学校を辞めたはずなのに、どうしてまた同じ生活に戻らなければならないのだと思い、次第に熱は冷めた。

 でもルームシェアなら、ひとり暮らし程お金はかからないかもしれない。


「京子が今日会って話したかったことって、ルームシェアのことだったんだね」

「ええ、そう。揚羽が私のことを忘れてしまう前に言っておきたかったの。ねぇ、また連絡をしてもいいかな?」

「いいけど、はっきりとした返事はまだ少し待ってほしい」

「うん、わかってる。ゆっくりと考える時間は必要だよね。それに私だってまだ色々準備があるし」

 私達は話を終えて、食べている途中だったランチにまた手を付けた。

 

 膝の上に置いていたショルダーバッグが震えている。私はその原因であるスマホを取り出し、ディスプレイに表示されている文字を確認した。


――今、何をしているの?


 クロエからのメッセージだ。私は「お店でランチ中」とまで打ち込んでから、少し悩んだ。どうしてだろう、この文章を送るのに少し躊躇いを感じた。これをこのまま送信してしまっても良いのだろうか。

 私はこれまでクロエと交わしてきたメッセージのやり取りを見返しながら、今送ろうとしている内容がおかしくないだろうかと考えた。


「ごめん、私はちょっと先に帰らせてもらうね。揚羽は忙しいみたいだから、ゆっくりしていって」

 京子に声を掛けられ、私ははっとして顔を上げた。彼女は既に帰り支度を済ませ、席を立ち上がっている。

「あっ……ごめん」

 私はクロエからのメッセージに対する返事にだいぶ悩まされており、気付かぬうちに京子はランチを食べ終えていた。対して私のお皿にはまだ生パスタが残っている。

 それにもしかすると、このランチの場をほったらかしにしてスマホに夢中になってしまったことが、京子の気分を悪くさせてしまった可能性もあるのではと、私は彼女を表情を見て思った。

「ううん。私は今日、揚羽が来てくれただけでも嬉しかった。それじゃぁ、また連絡するね。ばいばい」

 京子は私に背中を見せると、お店から出ていった。


 私は京子の姿を見送ってから、操作中だったスマホに視線を戻した。そして書きかけの文字を削除し、新しい文章を打ち込んでから送信した。


――友達に呼ばれて、ランチを一緒にしていたんだ。


 これまでクロエに私の交友関係を話したことはなかった。自分から話題にすることはなかったし、クロエから訊かれたこともない。それはクロエにしても同様で、どのような中学校生活を送っていたのか、どんな友達と一緒だったのか等、喋ってくれたことはない。

 なぜ今まで話題に上がったことがなかったのだろうかと考えてみたが、それはたんに話すべき内容がなかったからだと思った。

 じゃあ私はどうして今このタイミングで友達の存在をクロエに知らせたのだろうか。私は確かにクロエの交友関係を知らない。しかし、本当に全く知らない訳でもない。

 クロエには千佳さんがいる。

 私は湧き上がる自分の気持を隠し抑えながらスマホのディスプレイを見つめ、クロエからの返事を待った。

 だがいくら待っていても、クロエからのメッセージは返ってこなかった。

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