揚羽_23
東京までの行き方をよく調べてみると、電車よりもバスの方が何かと都合が良さそうだった。乗り換えの必要がなく、座席指定なのでずっと座っていられるというのもあるが、一番の決め手になったのはその料金だった。
アゲハ蝶を宿すために妥協はしないといいつつも、スタンガン二個の出費はやはり痛かったなと思う。なので少しでも削減できそうであれば、それに越したことはない。
私はスマホの交通アプリからバスの日付指定券を購入した。
東京のことについてネットで色々調べていると、自室のドアが開けられたので私はそちらに首を回した。
「ご飯の用意できたわよ」
お母さんが呼びに来てくれたので、私はPCモニタの電源を切り、部屋から出て居間の食卓に向かった。
私が食卓の椅子に座ると、お父さんはテレビから目を離しお箸に手を伸ばした。私も「いただきます」と心の中で唱え、夕食に手を付けた。
私の両親は同じ中学学校の同学年だった。しかし当時はまだお互い顔も名前も知らぬまま卒業を迎えた。高校も別々になり、社会人になってから出会い結婚に至った。二人が同じ中学校に通っていたと発覚したのは付き合い始めてからだったらしい。ちなみに私自身も同じ中学校の卒業生だったりする。
そんなこともあって、両親の会話を聞いていると中学校時代の話題がよくのぼる。
「ねぇお父さん、佐々木さんって覚えてる?」
お母さんがお箸の手を止めてお父さんに話しかけた。
「佐々木って、確か女子バレー部だった佐々木?」
「そうそう。女の子のなのに背が凄い高かった子。ようやく離婚が成立したんだって」
正直私はこの手の話題についていけないので、黙々と食事を続けた。
「へぇ、前にも少し聞いたかもしれないけど、やっと決まったんだ。確か子供がいたよね。会社から帰ってくる時、公園でたまに見るよ。どっちが引き取るんだろうね」
「うーん、父親の方は無理なんじゃないかなぁ。だってほら、ねぇ」
用意された夕食を平らげたので、私は席を立ち自分の空いた食器類を台所まで運んだ。居間から離れる際、両親二人に目を移すと、佐々木さんの話題がまだ続いているようだった。話から察するに、その佐々木さんは近所に住んでいるようだが、私は面識がないのでやはり特に興味もわかなかった。
私は自分の部屋に戻るとPCモニタ前の椅子に座り、左下腹部を押さえた。もうすぐアゲハ蝶が宿る場所。ようやくだ。あとはスタジオへ行き、アーティストの腕に委ねるだけ。ここまで大変だったなと、少し気が早いが感慨に耽る。
先程夕食の席でお父さんとお母さんが離婚する親を持つ子供の話をしていたことを思い出す。どんな形であれ、恐らく子供には両親の影響が出るだろうと言っていた。そこでさて、私の場合はどうなのだろうとふと考えてしまった。
娘がタトゥーを入れていると知ったら、私のお父さんとお母さんは何を思うだろうか。
私が高校を辞める時、二人は案外快く、そうしたいならそうすればいいと承諾してくれた。こうして今も働かず家に引きこもっている私に対しても苦言を漏らさず、やりたいことが見つかったらその時に行動すればいいと、割と寛容的な態度をとった。
なんとなくだけれども、私は両親に信頼されているのだろうなと感じる。だが、いわゆる「親にもらった体に傷をつける」行為は、果たして二人の許容範囲に含まれているのだろうか。
そのことを私なりに考えてはみるけれど答えはでない。お父さんとお母さんには、写真を撮るために犯した私の罪のことも、勿論アゲハ蝶のことも、可能なら一生黙っているつもりだ。それはタトゥーを入れると決めた時から考えていることだった。
私自身は、アゲハ蝶を傷だなんて全く思っていないので後悔など感じるはずがない。だがしかしお父さんとお母さんはどうなのかなと、今日の食卓での光景を思い出しながらいつも以上に考えてしまった。
今日から一泊二日、東京へ行く。その為の最終準備を進めていた。
いつも使っているショルダーバッグにスケッチブックとペンケースを入れる。それからスマホとモバイルバッテリーの充電が十分であるこを確認する。時間潰しの電子書籍と外を歩く時の必需品である音楽プレイヤーはスマホに集約されている。その為もし電池がなくなってしまったらと考えると、それだけで恐ろしさを感じる。それにスマホには他にも、地図を確認するのに必要だし、初めて訪れる東京の景色の写真撮影もしておきたい。スマホにどれだけ依存しているのか改めて知らされる。
お金は向こうで心配にならない程度お財布に詰め込んだ。荷物は普段使いのショルダーバック一つで事足りた。一泊二日とはいえ、私に必要なものはその程度だった。一日くらいなら洋服と下着が同じものでもそう気にならない。
施術後は外出出来ないとのことだったので観光するとなると、東京に到着してすぐか、帰りのバスの待ち合わせ時間の隙間しかなさそうだった。とはいえ今回の目的はあくまでアゲハ蝶を宿すことである。だから初めての東京で色んな場所に興味はあるけれど、他を回ることはあまり考えないことにした。慣れない土地を時間制限付きで歩くのは疲れを余計に感じさせることだろう。ただせっかくではあるので、今後の漫画やイラスト資料の為に、写真は多く撮ってきたいと思っていた。
準備を終えて、そろそろ部屋から出ようと思った頃、お母さんがドアを開けて私を呼んだ。お母さんに近寄るとお菓子が入った紙袋を手渡された。
「はいこれ、昨日ショッピングモールで買ってきたものだけど、クロエちゃんのご両親に宜しくね」
「うん、ありがとう」
お母さんがいなくなると私は洋服箪笥の扉を開け、心の中で「ごめんなさい」と謝りながらその紙袋を奥に仕舞い込んだ。
私はこれまでお父さんとお母さんから門限を決められたことはなく、写真を撮る為に夜中出歩いて時も特に咎められはいなかった。しかし今回は外で一泊しなければならず、夕食の用意も必要がなくなるので、さすがに家をあけることを伝えておいた方がいいだろうと判断した。そこで用意した嘘が、クロエの家にお泊りさせてもらうというものだった。だが今更当日になって、クロエの名前は出すべきではなく、もっと適当な名前をでっちあげれば良かったなと少し後悔した。洋服箪笥の中に罪悪感を残して出ていくのは思っていたよりも辛さがある。
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