揚羽_20
クロエを私の部屋まで案内した。彼女はフローリングの上に敷いた丸カーペットの上にぺたんと座り、きょろきょろと部屋の中を見渡している。
これまで友達を自分の部屋に招き入れることをしてこなかった。この部屋の中は自分だけの空間だから、他人に見られるような設計をしていない。これでも一応片付けてはいたので特別おかしな所はないはずだが、本棚に仕舞いきれなかった漫画がフローリングの上に少しだけ積まれており、自分の恥部を観察されているような気分になり恥ずかしさがあった。
いったん気分を落ち着けようと、私は少し待っててとクロエを部屋に残して台所へ向かった。
冷蔵庫から1.5Lのオレンジジュースを取り出し、グラスを二つトレイに乗せていると、お母さんが横から手を出して黒い箱を置いた。
「いまお友達から頂いたものだけど、とても有名で高い洋菓子店のお菓子だったわ。確か本店が東京の方にあってね、支店は去年出来たあそこの複合施設のショッピングモールにしかないってこの間テレビでやってたわ」
お母さんはトレイに置いたものより一回り大きな箱を持って、嬉しそうに話している。
「その黒い箱の方は、きっとあなた達二人で食べるように入れてくれたんじゃないかしら。とても可愛らしいお嬢さんだとは思ったけど、やっぱりご両親も素敵な方なのかしらねぇ」
クロエのお母さんには会ったことがないので分からないが、お父さんの方はダンディな喫茶店マスターといった感じだったので、お母さんの読みはいい線をいっている。
トレイを持って部屋に戻ると、クロエは白のワンピース姿になっていた。ショートファーコートが丸カーペットの上に畳まれている。
「あつ、コートはハンガーに掛けておいた方がいいよね。ちょっと待ってて」
トレイを丸カーペットの中央にあるテーブルに置いて、洋服箪笥からハンガーを取り出した。
「ありがとう、揚羽。じゃあ、お言葉に甘えちゃうね」
私が先に手を差し出したので、クロエは座ったままショートファーコートを渡してくれた。私をそれを受け取り、ハンガーに掛けてから洋服箪笥に仕舞った。
「あー、匂いが移っちゃったらごめんね」
「ふふっ。いいよ、別に。揚羽の匂いならね」
テーブルを挟んで私とクロエは向き合った。黒い箱を開けると、中にはチョコレートが十二粒入っていた。そのどれもが異なったデザインをしており、食べるのが勿体ないと思わされる。
「わたしはこれが好きよ」
クロエは白と茶色のまだら模様をしたチョコレートを手に取り、私の口の辺りに差し出した。それを受けて私は自然と口が開き、クロエの指からチョコレートを貰った。
とても甘く、ほんのりとコーヒーの味がする。
「凄く美味しい……」
以前クロエのお父さんが出してくれた洋菓子もとても良かったが、それとはまた違った甘美がある。
「喜んで貰えたなら嬉しい。さっき揚羽のお母さんに紙袋を渡した時、千佳がわたしたち用に用意してくれていたものも入っていたことを言い忘れてしまったけど、気付いてもらえて良かった」
そう言ってクロエは私が注いだオレンジジュースのグラスに口を付けた。クロエがこの場所にいることが不思議だった。私はクロエのひとつひとつの動きに目を奪われ、その可愛らし唇から発せられる声に魅了されていた。だからだろうか、クロエが千佳と呼んだ時、そこに込められた親密感に引っかかりを覚えた。
「クロエはお母さんと仲が良いのね。なんだか凄く、そんな感じがする」
その名前を口にしている時のクロエは、まだ十四歳にも関わらず、どこか母性のようなものさえ感じられる。親子関係からすれば逆の立場ではあるが、心配性の母親をなだめる娘の方が大人になってしまったという感じだろうか。
けれどクロエは、それは違うと首を振った。
「千佳はお母さんじゃないの。私のお母さんは小さい頃に死んでしまったもの」
「えっ、あの……ごめんなさい。私……」
自分の失態に恥ずかしくなり、申し訳なさからクロエの顔が見れなくなり俯いた。
「そんなに落ち込まないで。わたしにとってはもう気にするようなことでもないから。今は揚羽が悲しむ顔の方が見たくないわ」
いつの間にかクロエは私の隣に座っている。顔を上げると、クロエは私のグラスを持ち差し出していた。私はそれを受け取り、オレンジジュースを飲んだ。甘酸っぱさが舌先をピリリと刺激した。
グラスをテーブルに戻すと、頬に向かって手がすっと伸びてきて、触れられる。
クロエが私を見つめ、優しく微笑んだ。私も応えるように微笑み返す。
すると両手で肩を押され、私は丸カーペットの上に仰向けになった。
クロエが私を覆い、天井が隠れる。
男に馬乗りにされた時の記憶が蘇り、私は思わず瞼を閉じて腕をお腹に回した。
「わたし、揚羽が好きよ」
クロエの甘い声。
「揚羽はわたしにとって特別なんだわ」
額に熱がおび、クロエの手の平があてられているのがわかる。
「ごめんなさい。びっくりさせて。でもね、揚羽はわたしのこと、好きじゃない?」
咄嗟に取ってしまった私の反応に落胆してしまったのか、甘い声に少し陰がかかった。
違う、そうじゃないのと私は早く否定したくて、心を落ち着かせる努力をし、瞼を開いた。
「ううん。そんなことない。クロエのことは勿論好きだよ。可愛いし、良い子だし……」
心臓の鼓動がうるさく、呼吸するのも困難で声をだすのに苦労したが、私はどうしても自分の気持を伝えたかった。
クロエはとても真剣は表情で、私は薄いピンク色に濡れた唇に釘付けになった。
「わたしが言っているのはね、こうゆうことなの」
唇が近付いてくる。私の唇もそれを受け入れようと半分開いたが、直前になって顔をあからさまに強引に背けてしまった。
クロエは動きをぴたりと止めた。
「満月の下、揚羽を見つけた時から好きだった。あなたの姿は、ただただ美しかった」
初めて会った時。『あれ』を見た時のことを言っているのだろう。私は自分の都合の為に、何もしていない無関係の男をスタンガンで気絶させ、写真を撮った。クロエはそんな私を醜いではなく、美しいと言ってくれる。その言葉を聞いて、私は嬉しさから頬を熱くさせ、赤く染まっていることを自覚した。
「ねぇ、嫌い?」
クロエが耳元でそっと囁く。
「嫌いじゃないよ、好きだよ。ただちょっと、びっくりしちゃって……」
それを聞いたクロエは私の唇に人差し指で触れた。その指を離さぬまま、顎の形に沿って喉元までおろして窪に達する。そのまま指はシャツの上、胸の間をつうとなぞり、おへそを通過しシャツの端までいくと、今度はそれを指に絡めて宙に上げた。私のおへそがあらわになる。
「もう遅いし、そろそろ帰ろうかな」
クロエは指をすっと離し、立ち上がった。
私は丸カーペットの上で仰向けになったまま、おあずけをされた気分になる。
しかしクロエは私の洋服箪笥を自分で開けて、ピンク色のショートファーコートをハンガーから取り外している。
私は乱れたシャツ直し上半身を起こした。クロエにはまだここに居て欲しいと思うが、どうやって引き止めればいいのか、いい言葉が思い浮かばない。
クロエは帰る支度が済むと私の側まで寄ってきて膝を曲げた。
私の左頬に軽く柔らかい唇が触れた。
それがあまりに自然な動作だったので、私は一瞬何をされたのかわからなかった。クロエが立ち上がり、私を見下ろす。
「今日はちょっと急ぎすぎちゃったね」
思考がようやく追いついて、私はクロエの顔を直視出来なくなっていた。
「送ってくれなくても大丈夫よ。だからここで、わたしのずっと考えていて。家に着いたらメッセージを送るから」
そう言ってクロエは私を残して部屋から出ていった。
クロエとお母さんが玄関で話している声が聞こえるが、何を喋っているのかその内容まではわからない。そしてドアを開け閉めする音がした。それを堺に冷え込むように静かになり、私は部屋の中がとても広くなったように感じられた。
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