揚羽_14

 眩しさに目眩がする。午前中に外に出るのは久し振りだった。夜中に出歩ことには抵抗を感じないのに、太陽に照らされると申し訳ない気分にどうしてもなってしまう。相性が悪いのだ、昔から。

 家を出る時から音楽を聴き、地元の駅から電車に乗る。ドアの近くに立ち、到着するまでスマホを手にSNSのタイムラインを追う。家の中ではPCモニタに常に表示されているので、一日の大半は眺めていることになる。ただ、私自身は見ているだけで結構満足してしまい、投稿することが少ない。そしてこのタイムラインを読んでいるという行為が、家に引きこもるようになってからは特に安心感を与えてくれるようになった。だから今ではもう手放せないツールになっており、なくなってしまったらどうなるのか、自分でもわからない。

 待ち合わせ場所である駅前に到着し、クロエの姿を探した。夜の街で一度だけしか会ったことがないとはいえ、特徴的な顔立ちをしていたので、たぶんわかるはずだと思う。

 商店街のアーチ下に、周りの風景にあまり馴染んでいない女の子がしゃがみ込んでいる。私は耳からイヤホンを外し、ショルダーバッグのポケットに仕舞いながら彼女に近付いた。クロエはスマホを操作するのに夢中で、私が側に寄っても気付いてくれる様子がない。自分から声をかけるのは苦手だ。でも、無言で横に突っ立っているのも恥ずかしい。私は意を決して、クロエを見下ろし声をかけた。

「ごめんなさい。待たせてしまって」

 彼女はすぐにわかってくれたようで、スマホを動かしていた手を止め、顔を上げてくれた。

「ううん、そんなことないよ」

 クロエはスマホを赤いポシェットに仕舞い、立ち上がった。

「千佳は寂しがり屋だから、メッセージが来たらなるべく早く返事を返してあげたくて」

 母親の名前だろうか。随分可愛がられているみたいだ。たしかにクロエは可愛い顔立ちをしているし、高そうな洋服を着ているので、心配になる気持ちもわからなくはない。しかしそんなに大事なら、夜中に娘が出歩かぬよう、しっかりと監視もしてもらいたいものだ。

「じゃあ、揚羽。行きましょうか」

 クロエが自然な手付きで私の左手を取り、歩き始める。

「今日は柔らかい顔をしているのね」

 そう言われても自分ではわからないので、そうかしらと曖昧な表情で返すしかなかった。


 手を握られたまま、連れられるままに後を付いていった。商店街のアーチをくぐり、途中で道を逸れて、狭く入り組んだ路地を進んでいく。そうして、ロッジ風の小さな喫茶店の前で立ち止まった。窓から中をちらりと覗くと、灰色の髪色をした西洋の男性がカウンターに立っていた。

 クロエが木製の扉を開くと、ちりんと音がなった。迷いなくここまで連れてこられたので、行き先は最初から決まっているようだった。

 店内に入ると、珈琲の良い香りがふわりと漂っている。見回してみると、中はあまり広くなく、ちょっとした隠れ家といった風情がある。カウンターに立つ店員である西洋の男性の他に、椅子に座り本を読んでいる女性もいた。彼女のテーブルには珈琲カップと空いた小皿が置かれている。私が一人だったらあまり入らないような喫茶店だ。

 クロエは私を空いた椅子に座らせると、ようやく手を離した。

「甘いものは好き?」

「うん、好きだけど」

「よかった。ちょっと待っててね」

 そう言ってから、クロエは私を残してカウンターへと向かった。

 ここまで殆ど説明がなく連れてこられた。椅子に座ることで少し落ち着きが戻り、考えることができるようになった。クロエは私と会うことで何をしようとしているのだろう。彼女には現場を目撃されている。あの夜、仲良くなりたいと言われたが、このまま素直に従っていても大丈夫だろうか。もしかしたら、脅迫めいたことを言い出す可能性だってあるのではないだろうか。でも、クロエはまだ子供だ。果たしてそんなことを考えるだろうか。あちらとこちらの可能性。疑心暗鬼。

 

 膝に置いた拳を見つめ考えていると、強い香りが鼻孔を刺激した。目の前のテーブルに視線を移すと、ソーサーの上に人差し指程度の小さなカップが乗っていた。たぶんエスプレッソだ。風味が濃く、抽出方法の関係で普通のカップより小さいのが特徴だったはず。

 私の前にエスプレッソを置いたクロエは、再度テーブルを離れ、またカウンターへと向かった。どうやら色々と運んできてくれるようだ。カウンターに立つ男性とはずいぶん仲が良いように見える。クロエにはハーフっぽさがあるが、男性は完全に海外の人っぽい。もしかすると、クロエはこの喫茶店の常連なのかもしれない。海外の血がシンパシーを感じさせる、とか。

 テーブルにはエスプレッソとチョコレートケーキが2セットずつ、真ん中にはマカロンが乗ったお皿が置かれた。これですべて運び終えたようで、クロエが私の向かいに座った。

「マカロンはお父さん、その他は私がチョイスしたの。さぁ、どうぞ」

「ありがとう。いただきます」

 色々と考えていたのに、結局私はクロエに勧められるまま、言われるがままになってしまう。

 まずはチョコレートケーキにフォークを刺す。思っていたよりも硬い。口に入れると、とにかく甘く、チョコレートの香りが口のなかいっぱいに広がった。噛んでみるとこれはスポンジの食感ではなく、少しぼそぼそとしていた。まるでチョコレートの塊だ。一口食べただけで、結構満足してしまう。もしかしてこれはチョコレートケーキではないのかもしれない。だがなんという名前だっただろうか。こんな特徴の洋菓子もあった気がするのだが、思い出せない。

 口直しの為にエスプレッソに手を伸ばした。これは苦味の強い珈琲だったはずなので、甘いチョコレートの塊と相性がいいはずだ。だがこのエスプレッソはチョコレートの塊以上に甘ったるく、口内がねばついた。一体いくつの砂糖を溶かしているのか。普段ブラックでしか飲まない私には、無理ではないけれどちょっと辛さがあった。

 甘いものが好きだとは答えたけれど、まさかここまでのものが出されるとは、もしかして嫌がらせを受けているのかもとクロエを窺ってみたが、彼女はとても美味しそうに食べ、飲んでいた。そして私の視線に気付くと、顔を上げて微笑んだ。

「どう? わたしお薦めのショコラとエスプレッソなの」

 どの言葉を信じるならば、これはクロエからの純粋なおもてなしだった。なので私は、それに合わせた返事をすることにした。

「ありがとう。とても美味しいわ」

 それに思っていたよりも甘かっただけで、決して不味い訳じゃないない。口が慣れれば意外と癖になる。

「ねぇ、揚羽、口を開けて」

 クロエがマカロンを手に取り、身を乗り出していた。まさかこれは私に言っているのだろうか。言われるがままに行動した後の自分の姿を想像してしまい、恥ずかしくなった。いや、さすがにそれは……と思いつつ、クロエは無邪気な顔で、ねっ? と首をかしげるので、もはや私に抵抗することは無理だった。

 私が口を開けると、クロエの手が伸びてマカロンが運ばれる。口を閉じた時に、ほんの一瞬クロエの指先が唇に触れた。

「これはお父さんのお薦め。若い子にはこっちの方が受けるんだって」

 マカロンの食感。サクサクと簡単に噛み砕け、すぐに溶けてしまう。そして最後にはザラッとしたものが舌に残った。

 私は先程から疑問に思っていたことを訊いた。

「お父さんって、カウンターにいる男性?」

「ええ、そうよ。ここはお父さんが経営している喫茶店なの」

 常連なだけかと思っていたが、親子だったようだ。それならクロエとカウンターの男性が親しく見えるのも当然だった。するとクロエは、お父さんが西洋人で、お母さんが日本人なのだろうか。そういえば、商店街のアーチ下で声をかけた時、千佳にメッセージを送ると言っていたので、それだろうか。


 私はもしかして、クロエに対して失礼な思い違いをしていたのかもしれない。お父さんが経営する喫茶店に招待され、クロエがお薦めするショコラとエスプレッソをご馳走になっている。これは私の自惚れでなければいいのだが、ここまでのおもてなしは、もしかすると好意からきているものなのかもしれないと気付いた。


――わたし、お姉さんと仲良くなりたいの。


 それは言葉通り、友達になりたいという意味だったのかもしれない。あの時は現場を見られたことに気が動転していたので、クロエが何を言っていたとしても、裏があるのではないか、早くここを切り抜けるにはどうすればいいかばかりを考えており、彼女の言葉を素直に受け取ることができなかった。そしてその疑惑は、つい先程まで抱いていた。しかしクロエには本当にそんなつもりなどなく、ただ私が勝手に勘違いしていただけなのだとすれば、申し訳なく思う。なので反省の意も込め、ごめんなさいと言えれば良いのだろうが、さすがに面と向かっては恥ずかしい。それにいきなり脈絡なく言われても、クロエだって困ってしまうだろう。だから私は、心の中でそっと謝った。


 疑いの気持ちが解けると、楽しい気分になってきた。クロエはとても素直で良い子だ。お互いに改めて自己紹介を始め、色々と話をした。友達とのおしゃべりって、こうゆう感じだったなと懐かしくなった。私はクロエに対して、すっかりと気を許していた。

 会話が盛り上がる中、突然クロエはテーブルに肘を置いて、背中を丸めた。内緒話をするような格好になったので、私もつられて顔を寄せた。

「ねぇ、わたし一昨日のあれが何だったのか知りたいな」

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