揚羽_13

 時計を見ると、今は金曜の十五時三十分。なるほど、そう思っても不思議ではない時間帯ではある。

「いいえ、違うわ。学校じゃない」

 電話の向こう、クロエの声を聞くと昨晩の姿が思い出される。

「そう。なら良かった」

 何を話せばよいのだろう。いや、クロエから電話がかかってきたのだし、彼女が話し出すのを待てばいい。でも相づちは打たなければ、などと電話に対して相変わらずの苦手意識が発症する。ただクロエは、そんな私の様子に気付くこともなく、話を進めてくれた。

「あのね、今から会いたい……というのが本音なんだけど、さすがにこれから急には難しいよね。この後に待ち合わせとなると、夜になっちゃうから」

 待ち合わせ場所がどこかはまだ決まっていないが、もしクロエの住まいが、昨日のあの街であるならば、たしかに多少時間がかかる。それに今日の私には、クロエとは別に、タトゥーの件に関しての電話も待たなければならない。そして何より、いまから外に出る準備をしなければならない等、正直二日連続で外出するのが面倒だなという気持ちがある。どう返事をしようかと黙ったままになってしまったが、まだ話の最中だったようで、クロエが話を続けた。

「うん、だからね、もし良かったらなんだけど、明日は土曜日でしょう。それなら都合もいいんじゃないかなって思って。ああ、でももし揚羽が部活に参加していたり、私立の学校に通っていて土曜日にも授業があるとかだったら、日曜日でもいいんだけど」

 どうしようか、悩む。できれば人に会いたくない。予定を入れると、それまでにあと何時間あるのかと意識してしまうので注意力が散漫してしまうなど、色々デメリットがある。

 しかし、ここで無下に断るのも気が引ける。それにクロエには、昨晩の現場を目撃されているという負い目がある。このことを考えると、一度は会っておいた方が聡明な気がする。

「わかった、明日でも大丈夫だよ。別に用事とかないし」

「本当! それなら良かった」

 クロエの弾んだ声。年下の女の子の無邪気な喜びに対して、打算をもって接している自分に罪悪感を覚える。

「それでね、待ち合わせ場所なんだけど」

 どこを指定されるだろうか。もし、昨晩の街となると、ちょっと困る。写真を撮った街には二度と訪れないことを考慮して選んだ場所だ。もしそうなった場合は、場所を変えてもらった方が良いだろうか。

 だが、クロエが口にした場所は昨晩出会った街とは違っていた。それを聞いて、少しほっとする。

「時間はそうね、十一時でいいかな?」

 私からすると、普段起きるのが大体十時を過ぎてからなので、若干辛い時間帯ではある。なので今日はいつもより少し早目に寝たほうが良いかもしれない。

「十一時ね、うん、わかった」

「じゃあ、駅前で待っているからね」

 指定された駅は乗り換えの為に構内を歩くことはあったが、改札口を出たことはない。また初めての場所だ。これまで殆ど同じ生活圏でしか移動してこなかったが、ここ最近、活動範囲が広がってきている。

「揚羽とお話ができて良かった。明日は楽しみだね」

 ええ、私もよと続けることは出来なかった。私はまだ、クロエを信頼できていない。それはそうだ。現状殆ど知らない相手だ。夜に見た姿と名前くらいしか分からない。それに私にとって見られたくない場面を目撃されている。考えれば考える程、不安だ。

「それじゃあ、電話切るね。また明日ね、揚羽」

 スマホから音が消えたので、私は定位置であるモニタの横に置いた。そうしてから、コーヒーの入ったタンブラーに口を付ける。チープな苦味が舌に広がった。

 

 タトゥーに関しての電話は、予想した通り、前回と同じように夕食後にかかってきた。話し相手の女性は相変わらず妙な言葉使いだ。

「二枚目の写真も拝見させていただきました。手段はスタンガンだと見受けられますが、非常に良い制裁方法でございます。私共としても非常に満足しており、あげはちょうさんの成果を頼もしく思っております」

「……それは、どうも」

「いえいえ、そうご謙遜なさらずに。胸を張っても良い出来場ですよ」

 自分の為とはいえ、見知らぬ男を気絶させ写真を撮る行為のどこにそんな要素があるのだろうか。どれだけ褒められようとも、複雑な気分にしかならない。それに目的を達成するには、まだもう一枚撮影しなければならないと思うと気が重い。次で三回目なので多少の慣れを感じつつあるが、他人を傷つけているという現実は、目を逸していいものではないはずだ。

 しかし、電話の相手からはそういった負目や誠意といったものは感じられない。『制裁』という言葉の器に何を入れているのか、判断がつかない。前回の電話からそれに対して引っかかりを感じる。けれども、私はただ施術してもらえればそれで良い。なので深く突っ込む必要もないと、あまり考えないようにもしていた。

「何か訊いておきたいことはございますか?」

 これもまた前回と同じ流れ。私は少し考えてみるが、聞きたいことは特に思い浮かばなかったので、ありませんと答えた。

「かしこまりました。改めて述べさせていただきますが、あげはちょうさんは、今回も社会的に素晴らしいことを行ってくださいました。そのことについて、私共は感謝しております。また、私共はあげはちょうさんにお会い出来ることを心から望んでおります。それでは、またお電話できることを楽しみにしております」

 通話を終え、私は大きな溜息を吐いた。彼女と話していると、どうも現実感や倫理観が薄れていくよう感じられる。まるで呪文でもかけられているのではないかと疑ってしまう。『碧色の時計盤』が指示する男を気絶させることに、どんな意味があるのだろう。彼女は前回も社会的に云々と言っていたが、意味がわからない。私は自分の目的の為に仕方なく始めてしまったという側面があることを自覚している。なのでターゲットにしてしまった男たち対して、申し訳ないとは思っている。とはいえ、今更諦めたり退く気はないので、もう一人だけは犠牲になってもらうのだ。

 私は机の一番上の引き出しを開けて、スタンガンに触れた。ネットで注文した、二万五千円の手段。使用するのは、あと一回だけ。

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