揚羽_12
ホームに着くとちょうど終電の電車が到着した所だった。あと少しでも遅れていたら危なかったと、車内に滑り込む。
空いている座席があったので腰を下ろすと、疲れがどっと出てきた。
二枚目の写真を送り、クロエという女の子に出会った。先程までいた街の様子を思い返していると、がたりと電車は動き始め、ようやく離れることができるからか、少しだけ気分が楽になったように感じられた。
しかしまだ、スマホの画像フォルダには気絶した男の仰向け写真が残っている。それが残っていることを考えてしまうと、気持ちが悪い。早く消してしまいたいが、先日の電話では、写真が向こうに届いていることを確認してから消去した方が良いとは言っていた。なので電話を待った方がよいのだろうか。ちゃんと送れていれば、明日にまた電話がかかってくると思うのだが。私はそんなことを考えながら、何の気なしに『碧色の時計盤』を起動していた。
適当に画面遷移を繰り返していると、現在の進捗状況を表示しているページに辿り着いた。そこには、二枚目の写真を受領した旨が記載されていた。なるほど、前回送った時には気付かなかったが、これがリアルタイムで更新されているというならば、明日の電話を待たずとも、今日の画像を消去してしまってもよいのではないだろうかと考えた。だって、一秒でも早く自分の元から痕跡をなくしてしまいたい。そうと決まれば私はすぐに画像アプリを起ち上げ、気絶した男の仰向け写真を削除した。
他にも何か、私の知らなかった機能があるのだろうかと『碧色の時計盤』に画面を戻した。
マップ画面が表示された時、そこには大量の赤い点が重なって発生しており、ぎょっとした。前に確認した時も、密集したものもそこそこあったので特別珍しい事ではないのだが、ここまで高密度のものは初めて見る。私の現在地を示す青い点が、そのすぐ側まで近付いている。これは一体何処をなのだろうと、首を回して電車の外を眺めてみると納得がいった。
それは、前回写真を撮った後の電車の中からも見た、巨大な施設だった。夜なので電気は消えていえるが、暗闇の中でもそのシルエットは隠し切ることができない。商業施設は既に閉館しているが、居住施設があるし、企業施設には仕事中の人がまだいるかもしれない。一つの施設の中に多くの人間が活動しているのであれば、赤い点が多いことも不思議ではない。
私はマップを詳細なものに切り替えて、この施設に住まう者の顔を見てみようかという気分になったが、電車は移動を続けている為、表示できる範囲から少しづつ遠ざかっている。まあ別に、見たから何になる訳でないし、無駄なことをしても仕方がないなと思い直し、私は地元の駅に到着するまで少し瞼を閉じることにした。
家に帰るとすぐに寝てしまった。お昼を過ぎて十四時頃に目覚めた私は、シャワーを浴びてから、またPCの前に座っていた。
音楽を聴きながら、タトゥーのデザインを描き進める。もう殆ど完成といっていいくらいで、あとはどこで自分を納得させ、切り上げるかというところだ。モニタで見る色と、実際にタトゥーで彫る色には違いがあるのだから、ここまで入念に塗り上げなくてもいいのだが、つい楽しくなって弄りまわしてしまう。このアゲハ蝶のデザインが左下腹部に宿るのだと想像しながら描くのは、贅沢な時間の使い方だとも思う。
作業途中、モニタの横に立てかけたスマホにふと目が移る。二枚目の写真を受け取ったという電話はまだ届かない。『碧色の時計盤』では受領したとあったので届いていない訳ではないだろう。前回と同じあれば夕食後あたりにかかってくるだろうか。そうなるとまだ少し時間があるので、そこまで不安になる必要はないだろう。
そして、スマホが気になってしまう、もう一つの理由。それは、クロエからの電話だ。昨日の夜、歩道橋で出会った満月に照らされた女の子。別れ際に今度電話をすると言っていたけれど、どうだろうか。今日、それとも明日、電話がかかってくるのだろうか。それとも、やはりあれは私をからかっていただけで、そんなつもりなどないのかもしれない。他人にアカウントを教えたのが久々だったので、どうしても気になってしまう。
頭の中が考え事でいっぱいになってきた。あまり溜め込むと頭痛がしてくるので、気分を変える為に頭を振り、体の力を抜いて椅子の背もたれに寄りかかった。少し疲れたみたいだ。私はずるずると背もたれから背中を落とし、目線が下降した。
いつもと変わらない時間の過ごし方だ。とはいえ外出した後の翌日は、やはり疲れが残っている。ただそれ以上にそわそわしている気持ちが強いということは、これまであまり体験してこなかった。自分でコントロールできない、待つという行為。帰宅した後に十時間以上は寝たというのに、まだ頭がぼうっとしている。でも、今からまた布団に入ってしまうと、寝ている間に電話があるかもしれない。そう考えると、起きていた方がいい。
私は気分転換に眠気覚ましのコーヒーを飲もうと思い定めて、椅子から立ち上がった。部屋を出て、台所でインスタントコーヒーの粉をタンブラーに注ぐ。その最中に後ろからお母さんに声を掛けられた。
「さっき届け物があったわよ。テーブルの上に置いてあるから、後で持っていいってね」
「うん、わかった。ありがとう」
コーヒーを作り終え、テーブル上に置いてあったネット通販の箱も抱え込んで自室に戻る。椅子に座り、箱を開けると中には注文していた漫画とイラストの教本が収まっていた。コーヒーを一口飲み、漫画を読むことにしようと決めた。
一ページ目をめくり、さて読み始めるぞと集中を向けた所でスマホが着信音と共に震えた。その音に私の心は見事にかき乱され、何も考えていない内に、慌ててスマホを手に取ってしまった。
「わたしだけど、もしかしてまだ学校だったかな?」
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