揚羽_11

 どうやって言い逃れようか、必死になって思考を巡らせた。女の子の雰囲気からすると、小学五年生から中学一年生くらいだろうか。その位の年齢であれば、上手く騙し通せる気がする。今日の私は、ファストフード店では男子に道を開けさせることができたし、ターゲットの男にもスタンガンを食らわせて写真を撮ることが出来た。それらを振り返れば、好機の風は今、私に吹いている。女の子に見られてしまったのは落ち度ではあるが、子供だったのは幸いであるとも考えられる。

 私は平常心を心がけ、女の子に向き合った。

「強いって、なんのことかな?」

 曖昧な表情を作り、とぼけた。だが女の子は軽く笑ってあしらった。その様がやけに大人びていて、まるで私の方があやされているような感覚に陥った。

「隠しても駄目。わたし、お姉さんが何をしたのか、ちゃんと知っているんだから」

 女の子はそう言ってから、手招きをした。

「ねぇ、そこに立っているのも疲れるでしょう。隣にきてお話しましょう」

 ぽんぽんと、女の子は自分の隣、階段の空いたスペースを叩いた。

 私はパーカのボケットに手を入れ、唾を飲み込んだ。女の子は私に向けた視線を逸らさず、じっと見つめている。私は首を後ろに回し、その光景を確認する。気絶した男の足が、街灯に照らされているのが見下ろせる。私が事を起こした時、確かにここにいたならば、その様子をすべて知ることができたかもしれない。

 正面に顔を戻すと、女の子は楽しそうに微笑んでいた。

 早くこの場から離れたい。得体の知れない女の子とこれ以上関わりたくない。それに、後ろで気絶している男だって、いつ目覚めるのかわからないのだ。

「人が倒れていたから……私もちょっとびっくりしちゃって……だから離れてきたの」

 女の子がいつから見ていたのかはわからない。私は、まだ言い逃れると思った。

「変なの。倒れている人がいたら、写真を撮るの? 嘘ついちゃ駄目だよ。わたし、全部見てたんだから」

 やり取りするのも面倒になってきた。女の子の指示に従って、さっさと話を終わらせてしまう方が得策でなないかと考えを変えた。

「……何をすればいいの?」

「だから、隣に座ってって言ってるでしょう。心配しないで。お姉さんがしたことは誰にも言わないから」

 女の子の指示に従い、私は階段を上がり、隣に腰掛けた。

「大丈夫だよ。あの人がたとえ目を開けたとしても、お姉さんがスタンガンを使ったなんて考えないよ。きっと別の誰からやられたって思うんじゃないかな。それにたとえ疑われたとしても、わたしが庇ってあげるし、ね」

 そうは言っても、ウエストポーチを開けられてしまえば一発でバレてしまう。

 地面に置いていた私の手の甲に、女の子がそっと手の平を重ねた。

「わたし、お姉さんと仲良くなりたいの」

 この子は何を言っているのだろうか? 言いくるめよとしたのに、私の方が先制されてしまう。頭が混乱して、言い返すべき言葉が思い浮かばなくなってしまった。

「それに近くで見ると、ますます綺麗ね」

 重ねたのとは反対の手で、女の子は私の頬に触れた。

 間近に迫る女の子は美しく、西洋的な顔立ちと肌の白さが、まるで人形のように魅せる。髪のサイドを肩に垂らし、胸の辺りまである。後ろもそれ位あるだろうか。髪質は細く、綺麗なストレート。私は思わず自分の胸を反らせて身を引いた。距離が近すぎる。

「お願い、からかわないで。事情を知っているなら分かるでしょう。私は早くこの場所から離れたいの」

 策略など巡らせる余裕もなく、素直に懇願してしまった。どうすればいいのか、本当にわからないのだ。

「怖い顔しないで。わたしはお姉さんと仲良くなりたいだけなの」

「あなたの言っていることがわからない」

 女の子の瞳に吸い込まれる。逃げ出したいのに、離れることができない。女の子は微笑みを絶やさず、私に声をかけ続ける。

「ねぇ、お姉さんの名前を教えて?」

「……揚羽」

 判断力が鈍っていたせいか、簡単な質問をされて、素直に答えてしまった。

「かわいい名前だね。わたしはクロエっていうの。宜しくね」

 女の子は名乗り終えると、肩に掛けていた赤いポシエットからスマホを取り出した。

「それじゃあ、SNSのアカウントを交換しましょう」

 脅迫されているような気分になる。思わず怪訝な表情をとると、女の子は少し寂しそうな顔をした。

「どうしてそんな顔をするのかな。わたしは、揚羽と仲良くなりたいだけなのに。ねぇ、わたしってそんなに迷惑かな?」

 女の子は肩を落とし、しゅんとしてしまった。私としては一方的に責められてる状況なのだが、何だか彼女を悲しませてしまったことに、小さな罪悪感を感じてしまった。

 何度も、私と仲良くなりたいと繰り返しお願いする少女。その姿にいつのまにか魅了され、私は取り込まれていく。

「そんなに言うなら、うん、わかった。アカウント、交換しましょう」

「本当! 嬉しい!」

 女の子は私に体を寄せ、スマホをかざした。リアルでは一般的に使われているSNSアプリ。それなら私も一応スマホにインストールされており、登録もしてある。ネットで使っているSNSと違い、こちらでは実名を使っている。それがマナーみたいなものだから。ただ、このアカウントを知っているのは、家族以外殆どいない。

 私もウエストポーチからスマホを取り出した。女の子は微笑み、とても嬉しそうにしながら、私とアカウントを交換した。私もつられて頬を緩めるが、それはきっと苦笑いにも見えなくないだろう。

 女の子に対して、まだ戸惑いがある。しかしその無邪気な笑顔を眺めていると、そんな気持を抱いていることに、申し訳なさを感じてしまう。女の子は、私とただ友達になりたいだけなんだろうと思う。だからもう少し話をしていれば、私のこの不安もなくなるのだろうか。

 しかし、そろそろ駅に向かわなければ終電の時間を逃してしまう。

「ねぇ……申し訳ないんだけど、夜も遅いし、そろそろ私帰らないと」

「あっ、そうだよね、ごめんね。うん。アカウントは交換できたから、連絡はできるよね。それにわたしも、もう少ししたら家にいないと千佳が心配するだろうし」

 女の子は納得してくれたようで、ようやく解放された気分になった。

「ねぇ、次は電話してもいいかな?」

「……それは、勿論。ああ、でも私が住んでいるのは、この辺りじゃないから」

「そうなの? でも、そうだよね。この辺りに住んでいたら、あんな事できないよね。っと、ごめんなさい。この事は二人の秘密だったよね」

 女の子はあれを、私達だけの秘密として扱った。そう言ってくれるのならば、本当に他言はしないように思う。ひとまず安心しても良いのだろうか。女の子の言葉を信じるしかない。

 女の子は立ち上がり、私の前から少し離れると大きく手を振り、走って消えた。

 取り残された私は、少しの間ぼうっとしてから、今の時間は何だったのだろうかと急に我に帰る。

 スマホの液晶を見ると、SNSのアカウント一覧に今の出来事を表現するもっともな名前が表示されていた。

 クロエ。それが女の子の名前。

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