揚羽_10

 ゆっくりと、足音を殺して男に近付いて行く。一歩、二歩、三歩、自然と頭の中に数字が浮かぶ。もうすぐ、もう目の前だ。大丈夫、男は立ち上がる気配がない。このまま周囲に気を付けてさえいれば大丈夫そうだ。

 私は男の前に立った。街灯は男だけではなく、私の姿も照らしてる。見下ろすと、その姿がはっきりと確認できた。男は瞼を閉じ、寝息を立てている。側に寄ると嫌な匂いが漂っている事に気付き、口と鼻を腕で塞いだ。原因は男の周りに散乱しているアルコールの缶。なるほど、男が長時間同じ場所に留まっている理由もまた、これだろう。とはいえ、ではなぜこんな場所と時間、夜空の下で酒盛りなどしているのだと、新しい疑問がわいた。今日は満月だから、それを肴に、とかだろうか。いや、だからってわざわざ外に出てくるものだろうか。

 まあ、何だったとしても、私には関係ないことだ。どうせ答え合わせも出来ないのだし、さっさと写真を撮ってしまおうと気持ちを切り替える。私は手に持っているスタンガンのスイッチをオンにした。


――手段は問いません。しかし、出来るだけ痛い方法である事を望ましく思います。

――あなたがいかなる手段を選ぼうとも、それを咎める者は存在しません。

――証拠として、仰向けにした男の写真を送って下さい。

――写真が三枚溜まった時、あなたが望んでいるタトゥーを施術することを約束します。


 私は地面に膝を付き、慎重に男のシャツを捲った。腹部にスタンガンをあてると、バチンという音に一瞬怯んだが、力を抜かずに尚も押しあて続ける。その間、私はなるべく男の顔が視界に入らないよう努めた。

 ネットで調べた所によれば、五秒以上電流を流せば気絶するらしい。首の周りにあてた方が効果的だが、後遺症が残る可能性が高く、最悪死んでしまう場合もあるようだ。流石にそうなってしまうのは怖いし、そこまでは求めていない。なのでスタンガンをあてるのは首周りではなく、腹部を選んだ。とはいえ、漫画やアニメと違い、スタンガンを実際使ったとしても、そうそう気絶するものではないともネットには書かれていた。ただ、あてる部位と時間に注意すれば、意識を落とせるということを前回学んだ。

 手足が動かなくなったとしても、意識だけは残っている場合もあるらしいので、今は何があってもここで力を抜いてはいけない。

 男が横に崩れ落ちた。私はあと三秒程スタンガンを押し付けてた。もう、いいだろう。自然と漏れた息と共に、男の腹部から手を引き、スタンガンの電源をオフにした。息が荒くなっている。落ち着かなければと思いつつも、いいや、今は急いで事を進めるべきだと急かされて、そんな暇はない。

 私は男の足を引っ張り、撮影の準備に取り掛かる。意識をなくした人間の体は重い。だがここで頑張らなければと、力を振り絞り作業を進めていく。

 男を仰向けさせ、これでいいだろうと思えたので、ウエストポーチからスマホを取り出した。男は口を半開きに夜空を見上げている。その視界には満月と星々しかないはずだ。この男がもしこの光景を肴にお酒を飲んでいたのだとしたら、私は少しばかり助力してあげたことになるだろうか。もっとも、その男の瞼は閉じられており、何も見ることが出来なくなっているのだが。

 スマホで写真を撮り終えた私は、すぐに『碧色の時計盤』を起動し、送信画面に遷移した。写真を添付して、操作を完了させる。

 また一歩、アゲハ蝶のタトゥーに近付いた。達成感と嬉しさが同時に込み上げ、思わず表情が緩んでいることを自覚する。スタンガンを食らわされた男達に対して、罪悪感がなくもないが、仕方ないことなのだと割り切る。既に二人を手にかけ、残りはあと一人だ。いまさら後悔して後戻りするのは馬鹿げている。今回の成果も、次の成功に繋げるのだ。

 私は気分新たに、気絶した男の側から離れて行った。この後の処理は、たぶん電話で話していた女性がしてくれるだろう。


 駅に戻る為に歩道橋を渡る。階段を途中まで上がると、白のワンピースを着た少女が、一番上の段に座り、私を見下ろしていた。艷やかな亜麻色の髪が満月に照らされている。顔の造形が日本人っぽくなく、西洋の女の子なのかもしれない。

 少女にとっては不釣り合いな時間帯、どうしてこんな場所にいるのだろうと不思議に思った。いや、違う。気にするのはそこではないと、先程まで意気揚々としていた足が止まった。

 もしかして、見られた。

 周りには気を配って、人の気配がないよう注意していた。だがしかし、本当に誰もいなかったのだろうかと、いまになって思い出してみると、正直不安だ。自信をもって頷くことが出来ない。

 心臓が一気に冷え上がる。

「お姉さん、強いのね」

 ああ……目撃されていたのだと、私は理解した。

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