倒れても、立ち上がり、走れ ④




 ショーはいよいよクライマックスにさしかかっていた。


 ステージの上で、イバライガーとジャーク怪人が一対一で戦っている。

 その白熱する戦いに客席みんなが夢中になっていて、ひとりとしてステージから目をそらす人はいない。

 これなら、誰にも気づかれる心配はない。

 僕はじっと、タイミングを待った。


 イバライガーの決め技が炸裂する。

 爽快に効果音が鳴り響き、打ち倒されたジャーク怪人は捨て台詞を残して退場していく。


 曲が変わった。


 エンディング曲を背に聴きながら、イバライガーは静かに客席に向き直る。

 そこに、司会のお姉さんが笑顔で駆け寄っていく。


 今だ。


 このままエンディングになんかさせるものか。


 僕は拡声器のスイッチを入れた。




 ジャークから助けてもらって、お姉さんはイバライガーに笑顔を向けて言う。


「イバライガー、無事でよかった。

助けてくれて、本当にどうもありがとう」

「何、お姉さんにも怪我がなくてよかった。

会場のみんなも無事だ――」

「オラオラオラオラッ、待ちやがれぇ!」


 イバライガーの台詞をさえぎる大音声に、客席はぎょっとしたようにその声の方を振り返る。


 キーンっと、拡声器のハウリングが残る中、彼らはいつの間にか客席の後ろに現れていた人物の姿を、目を丸くして凝視する。


 彼らの目に映っているのは、学ランをきっちり着込み、フルフェイスのヘルメットで顔を隠し、グローブをはめた両手に木刀と拡声器をそれぞれひっさげた、謎の人物だ。


 客席の通路を、戸惑いをあらわにした視線にさらされながら、堂々と傍若無人な態度を装ってステージに向かう。

 みんな、今までになかったショーの展開に驚いている。

 そう、お客さんたちにはこれがショーの続きなんだと思わせなくてはいけない。

 これはそのための、僕の渾身の演技、演出だ。


 客席の方を見ないように気をつけていたんだけども、途中でうっかり、唖然とした表情の莉子りこちゃんと陽太ようたくんを見つけてしまった。

 莉子ちゃんの口が、小さく「叔父さん?」と動くのを見てしまって、僕は必死に動揺を押し隠す。


 何も言ってくれるな。

 頼むから今だけは何も言ってくれるな。

 今ここにいる僕は、君たちのよく知る龍生たつき叔父さんじゃないんだ。

 ここにいる僕は、いや、「オレ」は――。


「――なっ、なんですか、あなた!?」


 ステージに飛び乗った「オレ」に向かって、茫然自失の状態から立ち直ったお姉さんが言う。

 お姉さんの背後では、テントの中でタケさんたちスタッフがざわついているのが見えた。

 ヘルメットで顔を隠してみても、きっと声で、乱入者が僕だってことはバレている。

 お客さんたちにはこれが台本の続きに見えているだろう。

 だが、スタッフは誰もこんなシナリオを知らない。

 何しろ、ここからは「オレ」の独擅場どくせんじょう

 台本通りのステージショーはもう終わりだ。


「オレを知らないとは、てめえ、さてはモグリだな」


 木刀の切っ先を、イバライガーに向かって突きつける。

 緊張が走るステージの真ん中で、オレは叫んだ。


「オレこそはこのステージの陰の支配者! ジャーク番長だ!」


 瞬間。


 しんと、恐いくらいに場が静まりかえった。


(……めげるな、僕! いやオレ!)


 この場に居合わせた全員の、心の声が聞こえた気がした。

 曰く、知らねーよ、と……。


 知るわけないだろ当然さ! 

 ジャーク番長なんて僕が今日のために捏造ねつぞう、いや、創作したオリジナルキャラだからな!


 夏の盛りにあり得ない寒気を感じて、僕のひざは震えた。

 ヘルメットで隠した顔に冷や汗が伝う。


 告白しよう。

 僕は大勢の人の前に出るのが苦手だ。

 小学生の頃、運動会でクラスが優勝したとき。

 代表で賞状を受け取るために壇上へ上がろうとして、緊張して足がもつれて盛大にすっころんだ。

 それを全校生徒の笑いものにされたのがトラウマなのだ。

 本当なら、こんな状況逃げ出したくて仕方ない。


 だが、逃げない。

 今だけは。


 オレは気を奮い立たせてイバライガーと対峙する。

 イバライガーが戸惑いのにじむ声で言う。


「ジャーク番長、だと? 

ここに何をしに来た? 目的は何だ」

「目的? そんなもの、決まってるだろうが」


 傲然と、オレは悪役らしくあごを上げて言い放つ。


「悪役の目的はヒーローの邪魔をすること……それ以外にないだろうがっ!」


 言うと同時に拡声器をイバライガーに向かって投げつける。

 加減なんかしないで投げつけたそれを、イバライガーは難なく受け止めて、しかしまだ状況が理解できないという様子でこちらを見据えてくる。

 オレは手にした木刀を大きく振り回してみせながら言う。


「オレと戦え、イバライガー。一対一の勝負だ」

「何だと?」

「オレとのケンカに勝ってみせろ。

勝負がつくまで、ステージから降りることは許さない」


 精一杯、有無を言わせぬ強い口調で言いきった。

 予想外の展開を見守る客席からの視線が痛いほど伝わってくる。

 テントの中で、スタッフたちが額をつき合わせて何か相談し合っているのが見える。


(止めるな)


 僕は心の中で叫んだ。

 ショーを止めるな。

 このまま続けろ。

 続けさせてくれ。


 気迫を込めて、ヘルメット越しにイバライガーをにらみつける。

 イバライガーは、黙ってその視線を受け止めていた。


 そうしてにらみ合った数瞬。


「――お姉さん」


 イバライガーが、事態を飲み込めずに立ち尽くしていた司会のお姉さんに向かって言う。


「ここは危険だから、君は下がっているんだ」

「で、でも……」

「大丈夫。ここは私に任せてほしい」

「……うん、わかった。がんばってね!」


 そうイバライガーに合わせて、お姉さんはショーの台本にありそうな台詞を言った。

 そして、お姉さんは差し出された拡声器を抱えると、ステージを降りてテントへと走る。


 スピーカーから流れる曲が、戦闘シーンのものに変わった。

 ナイス、マキさん。

 急展開にとっさに対応してくれたことへ感謝しつつ、僕はイバライガーに対峙する。

 イバライガーも、真っ直ぐに向き直って、構える。

「ジャーク番長といったか。これで貴様の望む通り、一対一だ」

「ああ、これでいい。

これで誰にも邪魔されずにてめえと戦える」


 言って、オレは持っていた木刀をステージの外へと放り投げた。

 徒手で構えたオレを見据えて、イバライガーが言う。


「武器を捨ててしまって構わないのか」

「ケンカに武器なんか必要ねえよ。てめえが相手ならなおさらだ」


 イバライガーの戦闘スタイルは肉弾戦だ。

 ならば、オレもそれに合わせて素手で戦うだけだ。


 オレは拳を固めて身構える。

 イバライガーも臨戦態勢に入った。


「――いくぞ!」

「来い!」


 オレは吠えた。

 イバライガーに突っ込んでいく。


 僕はケンカなんてしたことがない。

 格闘技の経験も皆無だ。

 だからといって、軟弱者と侮るなよ。

 この二か月、スタッフとしてずっとイバライガーのことをそばで見てきた。

 今日まで、ショーの動画を何十回とくり返して見てきた。

 そのおかげで、アクションシーンでのイバライガーの動き、そのパターンはすっかり覚えている。

 僕だって、今日のためにみっちり自主練を積んできたのだ。


 イメージトレーニングだけなら完璧だ!


 拳を打ち込む。

 イバライガーがそれをかわす。

 逆から打ち込まれた拳をオレが受け、競り合う。


 つかみ合って、力を拮抗させたままつめ寄る。

 額を打ち合わせるほどの至近で、イバライガーが小さく言った。


「……どういうつもりだ、龍生」


 ステージ上で、僕にしか聞こえないように言われた言葉に、僕も小さく答える。


「すみません、こんなやり方しか思いつかなかったんです」

「どういうことだ?」

「僕はあなたにステージを降りてほしくない」


 力の均衡が崩れた。

 お互い飛び退いて距離を取る。

 オレはすぐさまステージを蹴ってイバライガーに拳をたたき込む。

 が、それはいともたやすくつかみ取られてしまった。

 イバライガーはオレの腕を抱え込むようにしてしっかりと拘束する。

 オレは腕を引き抜こうともがいた。


 もがきながら、僕は言う。


「呼べば来るのがイバライガーでしょう? 

子供たちがイバライガーを呼ぶのは、そこに悪役がいるからでしょう。

だったら――」


 オレは苦しまぎれに足払いをかける。

 それをイバライガーがかわそうとした隙に、オレは拘束をふりほどいて素早く間合いを取る。


 たたらを踏むイバライガーの背後に回って、オレは叫んだ。


「悪役はまだここにいるぜ! 

オレを無視してステージを降りられると思うな、イバライガー!」

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