倒れても、立ち上がり、走れ ②
七月最後の日曜日。
僕らは水戸にやってきた。
今日は県内の特産品やご当地グルメが集まるお祭りが開催されている。
三の丸庁舎と県立図書館、二つの建物に挟まれた芝生の広場に、茨城中から集まったおいしいものが並ぶ。
ステージでも多種多様な団体が登場し、お祭りを大いに盛り上げている。
アマチュアジャズバンド、和太鼓サークルの演奏、高校生のダンスチーム、フラダンスのクラブの発表、チアリーディングの演技。
どの団体の演目も夏の熱気に負けない熱さ、華やかさだ。
しかし、今の僕はご当地グルメもステージも純粋に楽しめる心境じゃなかった。
もうすぐ、ステージショーの順番が回ってくる。
イバライガーのショーが始まる。
ステージの両サイドに設置されたスピーカーから、イバライガーのテーマ曲が流れる。
ステージ前に並んだ客席は、もうたくさんのお客さんで埋まっている。
その中にはもちろん
みんな、いつも通りの笑顔でショーが始まるのを待っている。
準備はすっかり整っていた。
ステージの最終確認を終えたボスは控え室に戻っている。
スタッフはみんな、テントに残って待機していた。
機材を設置しているステージわきのテントの中で、僕たちはじっと開演時間を待つ。
タケさんもマキさんも、他のスタッフたちもみんな、一言も口をきくことなく、時計とステージを見つめている。
「――みんなー! もうすぐイバライガーショーが始まるよー!」
スピーカーから、間もなくの開演を知らせる司会のお姉さんの声が流れる。
その明るい声に、僕の背中に緊張が走った。
その背中を、大きな手のひらがたたく。
びっくりして振り返ると、そこにはイバライガーが立っていた。
……またこの人は、いつの間に現れていたんだろう。
「緊張しているな、
「はい、緊張してます」
開き直って言うと、イバライガーはかすかに笑ったようだった。
「緊張しているときは、手のひらに人の字を三回書いて飲むと治るんだろう?」
「僕、それで緊張治ったことないですけどね」
「そうなのか?」
「迷信ですよ、それ。
ていうか、イバライガーもそんな迷信知ってるんですね。
イバライガーは緊張しないんですか?」
「さあ、どうだろうな。私はヒューマロイドだから」
「またそうやってとぼける……」
言い合っていると、すぐそばで小さく笑う声が聞こえてきて、僕とイバライガーはそろってそっちに視線を向けた。
見ると、マキさんがおかしそうに僕らを見やって言う。
「二人とも、仲いいんだねー。
いつの間にそんなに仲よくなってたの?」
言われて、僕は思わずイバライガーと顔を見合わせてしまった。
今ので仲よく見えたんだろうか?
何となくテントの中を見渡してみると、他のスタッフたちも緊張がゆるんだような顔をしていた。
マキさんの笑顔がうつったように笑っている面々を見て、僕は少しほっとした。
こうしているのがいい。
みんながこうして、他愛のないことで笑っているのがいい。
これから僕がすることは誰も知らない。
誰にも知らせていない。
みんなにはいつも通りにしていてほしかったし、僕も、そのときまではいつも通りにしたかった。
もうすぐ、戦いのときが来る。
「――時間だ」
腕時計を見ていたタケさんが言う。
「マキ、音響」
短い指示に、マキさんはすかさずパソコンに向き直った。
スピーカーから流れる曲が、イバライガーのテーマから、冒頭おなじみのポップな曲へと変わる。
始まった。
僕らが見守る先で、マイクを持ったお姉さんが軽やかにステージへと駆けていく。
「はーい、皆さんお待たせいたしました!
まずは元気な声でごあいさつ、いってみましょう!」
ステージ上からのお姉さんのあいさつに、客席から元気のいい声が返ってくる。
子供たちのその声、期待に満ち満ちた眼差しでステージを見つめる顔。
僕はテントからその客席の様子を見守りつつ思う。
この時間がいつまでも続けばいい。
いつまでもこのショーが続いていけばいいのに。
何でショーは始まったら終わってしまうんだろう。
僕はいつまでも、みんなとここでこうしていたいのに。
いけない。
そんなことを考えてしまうと、気分が湿っぽくなる。
そんな気分はすぐみんなに、イバライガーにバレる。
僕は気を取り直して、ステージに意識を集中させる。
ステージの上では、お姉さんの司会進行でとどこおりなくショーが展開している。
今のところ、アクシデントもなく台本通りにショーは進んでいた。
いつも通り、ショーを見るときの三つのお約束の説明があり、客席みんなで応援の練習をする。
そして、いよいよみんなでイバライガーを呼ぼうとしたとたん、ジャーク戦闘員たちがにぎやかにステージに飛び出してきた。
いつも通り。
ここまでくると。
イバライガーの出番も、間もなくだ。
僕は思わず、すぐそばのイバライガーに視線を向けた。
「……イバライガー」
何を言いたかったわけでもない。
ただとっさに名前を呼んでしまった。
イバライガーは、僕の自分でもよくわからない呼びかけに、黙ってうなずき返してくれた。
大きな手が、力強く僕の肩をたたく。
「みんな! 一緒にイバライガーを呼ぼう!
いくよ、せーのっ!」
「イーバライガー!」
「そこまでだ、ジャーク! 貴様たちの好きにはさせんぞ!」
イバライガーがステージへと駆ける。
その背中を僕は瞬きも忘れて見つめた。
僕だけじゃない。
テントに待機しているスタッフみんな、いつにもまして真剣に、まっすぐに、ステージ上でジャークと対峙したイバライガーの姿を見つめている。
僕はそっと、みんなの邪魔にならないようにテントの中を下がった。
食い入るようにステージを見守っているスタッフたちは、僕のことなど気に留めもしていない。
誰ひとり、ほんの一瞬も、ステージから注意をそらしたりしない。
チャンスだ。
僕はみんなの視界を避けてテントの端まで移動する。
こっそりと、長机の下に置きっ放しにしてあった段ボール箱から、拡声器を取り上げる。
そしてそのまま、誰にも見とがめられないように、僕は素早くテントから抜け出した――。
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