ヒーローショー開演! ⑤




 駐車場の自動販売機のそばにしゃがみ込んで、僕はまた溜息をついた。

 広場の喧噪もここまでは届いてこない。

 ときどき出入りする車のエンジン音は、僕の気分をまぎらわせてはくれない。


 抱え込んだひざに額を押し当てて、またひとつ溜息をこぼす。

 そうしてみても、胸にたまったもやもやしたものは晴れない。


 どうしてこんな気分になるんだろう。

 イライラして、煮えたぎったものが頭の中を渦巻いて、胸がつまって、苦しい。


 ――俺らの税金で飯食ってさ。


 頭の中に、さっきのおじさんの言ったことが反響して離れない。


 ――ごっこ遊びしてられるんだから。


 ――せいぜい儲かってるんでしょ。


 唇をかむ。

 しかし、その痛みでも、いやな気分はまぎれてくれない。


 忘れてしまえばいい。

 あんな通りすがりの言ったことなんて。

 何の事情も知らない人が、勝手なことを言っただけだ。

 ああいう人もいる。それだけのことなんだ。


 なのに。


 何でこんなに、いやな気分になるんだろう。

 ひどい誤解をされたのが悲しいのか。

 誤解を解けなかったのが悔しいのか。

 こんな気分、自分もいやになるだけなのに。


龍生たつき


 降ってきた声に、僕は伏せていた顔を上げた。

 見上げた先に立っているのは――。


「……イバライガー」


 真っ赤なスーツのイバライガーが、いつの間にかそばに立っていた。


「龍生、姿が見えないので探してしまったよ」

「すいません……もう休憩時間、終わりですか?」

「いや、皆、先ほど休憩に入ったところだ。

私もここで休憩していいか?」


 そう言って、イバライガーは僕の返事を待たずに、自動販売機に向き直る。

 極自然に小銭を投入口に落として商品のボタンを押すイバライガーの姿を、僕はぼんやりと見つめた。


(自販機で缶コーヒー買うヒーロー……)


 なかなかシュールな絵面だ。

 がこん、と音を立てて落ちてきた缶コーヒーを取り出して、イバライガーはそれを僕に差し出した。


「どうぞ」

「いいんですか?」

「これは君の分だ。

私は人間の飲食物は摂取できない。ヒューマロイドだからな」

「……じゃあ、遠慮なく……」


 受け取ってはみたが、口をつける気にならず、僕は冷たい缶を手の中に握りこんだ。


 僕はコンクリートの上にしゃがみ込んだまま、イバライガーは腕を組み、自動販売機に寄りかかって立ち、しばらく二人とも無言だった。


 ややあって、先に口を開いたのはイバライガーだった。


「あまり気に病まないことだ」

「え……?」

「よくない感情にとらわれすぎてはいけないからな」

「……もしかして、さっきの聞こえてたりしましたか?」

「私はヒューマロイドだからな」


 答えになってない答えを返されて、僕は憮然として黙った。

 イバライガーも黙る。


 わざわざ気にして来てくれたんだろうか? 

 僕は横目でイバライガーの表情をうかがった。

 ……といっても、マスクに覆われた彼の表情は見えないんだけども。


「……ああいうの、よく言われるんですか?」

「誤解を抱いている人はいる。

中には、出動依頼をしてくるクライアントでも、ね。

そういう人たちには、きちんと私たちの志を話すようにしている」

「話して、わかってくれるものですか」

「きちんと話せばわかってくれる人もいる。

だから、あまり気にしすぎてはいけない」


 平然と、イバライガーは言う。


 何で。


 僕の中でくすぶる苛立ちが腹の底を焦がす。

 何で、そんなに平然としていられるんだろう。

 きっと一番辛いのは彼自身なのに。

 なのに、自分のことなんかそっちのけで、僕を探しに来たりして。

 放っておいても構わないのに、僕のことを慰めたりして。

 愚痴も弱音も恨み言も言わないで、毅然とヒーローとしての態度を貫いて。

 そんな努力も苦労も何にも知らない奴らが、好き勝手言うのにも落ち着いた風でいて。


 何で、この人は。


「悔しいと、思わないんですか」


 言った言葉は、自分でもわかるほど非難がましかった。

 イバライガーが何も言ってこないので、僕はこらえきれずに続けて言う。


「僕は悔しかったです……ぶん殴ってやろうかと思った」

「それはヒーローのすることではないな」


 落ち着いた声にたしなめられて、僕の中の苛立ちは更につのる。


 僕は悔しかった。

 心ない誤解が悔しかった。

 真面目な努力を馬鹿にされて悔しかった。

 大好きなものをけなされて悔しかった。

 悔しくて悔しくて、悲しかった。


「あなたは悔しくないんですか」


 八つ当たりだ、これは。

 イバライガーに八つ当たりするのは筋違いなのに。

 けど、彼は何も言わないから。

 それが余計に悔しくて、何だか無性に悲しくなるのだ。


 僕は手の中のコーヒーの缶を握りしめる。


 イバライガーは寄りかかっていた自動販売機から身を離した。

 そして、真っ直ぐに姿勢を正し、バイザー越しに遠くを見据えながら、言う。


「悔しい思いも歯がゆい思いも、今まで数え切れないほど経験してきた。

しかし、だからといって、私のすることに何も変わるところはない」


 そう言って、イバライガーは歩き出す。

 去って行くその後ろ姿を見つめていると、ボスの言葉が不意に思い出された。


 ――ヒーローはね、一番の弱者なんだよ。


 一人で歩いて行くイバライガーの背中が、僕の目にはひどく孤独なものに見えた。


 気分は晴れない。

 僕はもらった缶コーヒーの口をようやく開ける。


 すっかりぬるくなってしまったコーヒーは、のどに流し込むといつもよりも苦く感じた。

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