ヒーロー事務所は求人中 ③




 買い物袋を提げてアパートに帰り着く。

 

 何の変哲もない木造アパートの階段を上がると、二階の部屋の前にひとりの女の子が立っていた。

 僕の足音に気づくと、その女の子はポニーテールを揺らして振り返る。


「叔父さん、おかえりなさーい」

莉子りこちゃん、来てたんだ」


 見慣れた地元中学校のジャージを着たその子が明るい声を出すのにつられて、僕の顔も自然とゆるんだ。


 僕には年の離れた兄がいる。

 莉子ちゃんはその兄の娘さんで、つまりは僕のかわいい姪っ子だ。


「今日はどうしたの?」

「おばあちゃんがね、叔父さんのとこに差し入れ持っていってあげてって。

いろいろ預かってきたの」


 兄一家の暮らす家と両親の暮らす僕の実家、そして僕の住処であるアパートは、莉子ちゃんの通う中学校の通学路沿いに並んでいる。

 それを理由に、母はひとり暮らしをしている僕への差し入れを、よく莉子ちゃんに持たせている。

 そして、莉子ちゃんは学校の行き来の途中で、僕のアパートに寄ってくれるというわけだった。


「今日は部活?」

「うん、朝から練習があって、さっき終わったとこ」


 そう言いながら莉子ちゃんが差し出した紙袋を受け取る。

 ざっと中身を見てみたが、いつもとさして代わり映えのしないラインナップだ。

 漬け物、佃煮、パイナップルの缶詰。

 そして、地元ではメジャーなサブレのパッケージを見つけて、僕は憮然としてしまった。

 なぜ我が母は、地元民の息子への差し入れに地元銘菓を混ぜてくるのだろう……。


 気を取り直して、僕は莉子ちゃんに向かって言った。


「ありがとう。

よかったら上がってく? お茶でも飲んでってよ」

「やった! 

今日暑いから、叔父さん待ってる間にのど渇いちゃって」


 玄関の鍵を開けた僕に続いて、莉子ちゃんは跳ねるような足取りで部屋に上がった。


「外で待ってるくらいなら、スマホに連絡くれればよかったのに」

「もうちょっと待って、帰ってこなかったらそうしようと思ってて。

もしもデート中だったりして、邪魔したら悪いじゃない?」

「悲しいかな、そういうもしもは現在あり得ないから、次からは遠慮なく連絡してくれていいよ」

「叔父さん、仕事も趣味も彼女もなしってサミシイよー」


 脳天気なほど明るい声で言われた台詞が僕の背中に突き刺さる。

 この切れ味鋭い発言を悪意なく言ってのけるのだから、恐るべしJC。


 冷蔵庫から引っ張り出した麦茶を、二人分のコップに注ぐ。

 それを六畳の居間に持っていくと、莉子ちゃんは差し入れのサブレを開けて、早くも口に放り込んでいるところだった。

 小さな頃からずっと一緒に遊んでいた仲のせいか、このひとり暮らしのアパートに来ても、莉子ちゃんはのびのびと自分の部屋のようにくつろいで過ごす。

 その奔放さが、この頃の僕にはどうにもまぶしい。


 居間は、ひとり暮らしの男の部屋にしては片づいている方だと思う。

 そもそも、物が少ないので散らかりようもないのだけれど。

 テレビと、布団を外して使っているこたつテーブル。

 他には、本棚代わりに使っているカラーボックスが置いてあるだけの味気なさだ。

 無趣味丸出しの部屋の様子は、確かに莉子ちゃんならずともサミシイと思ってしまうだろう。


「無職で無趣味の男とつき合ってくれる女の人なんていないんだよ、莉子ちゃん」

「私はつき合ってあげるよー、優しいから」

「うん、ありがとね……」


 サブレをほおばる片手間に言われてもありがたみがない。

 僕はテーブルを挟んで莉子ちゃんの向かいに腰を下ろし、しみじみと麦茶をすすった。


 そんな僕に、麦茶でサブレを流し込んだ莉子ちゃんがおもむろに言う。


「ねえ、叔父さん。明日、もしかしてヒマだったりしない?」

「明日? 日曜日だよね」

「そう。よかったら、つき合ってほしいところがあるんだけど」


 珍しく改まった調子に僕はまじまじと莉子ちゃんの顔を見返した。

 まさか、彼女の話の続きではあるまいな、と逡巡していると、莉子ちゃんはジャージのポケットから四つ折りにしたチラシを取りだしてみせる。


「これ。これに連れて行ってほしいの」


 チラシには大きく「つくばフェスティバル」と書かれている。

 ここ茨城の、研究学園都市が有名なつくば市で、毎年五月に開催されているイベントのことだ。

 科学と国際交流をテーマとした、さまざまな出展やステージショーが楽しめるとうたっている。

 駅前の広場や公園だけでなく、デパートや博物館なども会場となっての、なかなか規模の大きなイベントだ。


「莉子ちゃん、こういうの好きだったんだ?」

「私が好きなのは、こっち」


 そう言って、莉子ちゃんはチラシの一点を指さす。

 そこに印刷されているのは、ステージショーのスケジュールだった。

 イベント中、広場のステージでは民族楽器のコンサートやダンスショーが行われるらしい。

 スケジュール表には参加団体の名前が並んでいるのだが、莉子ちゃんが指さしている名前はその中で異彩を放っていた。


「……時空戦士イバライガー?」

「そう! イバライガーのショーが見たいの!」


 力強く言う莉子ちゃんの顔を、僕は少し呆気に取られて見返した。


 時空戦士イバライガー。

 その名前を知らない茨城県民は少ないだろう。

 ローカルヒーローなるものが、いつ頃から登場しはじめたのか僕は知らない。

 だが、地方のPRキャラクターとして、ゆるキャラなるものが各都道府県どころか、各市町村ごとに誕生しているのと同じように、ローカルヒーローも全国各地で生まれ、活動しているということは何となく知っていた。

 特撮ヒーローのような衣装に身を包み、地域振興のために活動するキャラクターは全国に存在し、今では彼らが一堂に会するイベントまで開催されるほど人気だということも、ぼんやりとだが知ってはいた。


 イバライガーは、そんなローカルヒーローの一つにかぞえられる、茨城県のヒーローだ。

 茨城県で暮らしていると、イバライガーの姿は毎日どこかしらで見かける。

 コンビニの万引き防止ポスター、飲酒運転撲滅ポスターで。

 銀行や農協の宣伝ポスターの中で。

 そして、土産物屋に並んでいるレトルトカレーのパッケージで。

 地元で開かれるお祭りのステージショーで、イバライガーの名前はほぼ常連だ。


 大人になって特撮にもヒーローにも興味がなくなった僕でさえ、あの赤いスーツに白い矢印マークの特徴的なイバライガーのことは知っている。

 ただそれでも、てっきりイバライガーも他の特撮ヒーローのように、子供向けなキャラクターなのだと思い込んでいたのだが……。


「莉子ちゃん、中学生でしょう」

「そうだけど?」

「今の中学生の女の子って、特撮好きなのは普通なの?」


 イケメン俳優とかアイドルに夢中になるのは理解できるけど。

 そう思って僕が首をかしげていると、莉子ちゃんはわざとらしく頬をふくらませてみせた。


「中学生の女の子が、特撮好きじゃいけないの?」

「いや、いけなくはないだろうけど。

こういうのって、男の子のものなんだと思ってたから」

「男女差別。セクハラ」

「セクハラなのこれ!?」

「それに、私が好きなのは特撮じゃなくてイバライガーだから」

「……どう違うの、それ」


 年頃の女の子の微妙繊細な心理は、三十路間近の叔父さんにとっては難解至極と言わざるをえない。


「本当はね、明日はお父さんが連れてってくれる予定だったんだけど、急用が入っちゃったんだって。

お母さんも仕事があるっていうし。

陽太ようたも一緒に行きたいって言ってるの。

けど、子供だけで行くのはダメだってお母さんが言うから……」


 陽太くんというのは莉子ちゃんの弟だ。

 確かに、中学生と小学生の姉弟だけでつくばまで行かせるのは不安がある。


「だからね、叔父さんが一緒に行ってくれるなら、明日ショー見に行ってもいいよって。

ねえ、叔父さん、明日一緒に出かけてくれない?」


 そう言って、莉子ちゃんは上目遣いに僕を見つめる。

 ……女の子という生き物は、どこでこういう表情の作り方を学習してくるのだろう……。


「けど、僕、車持ってないから、つくばまでバス使うことになるよ」


 つくばに通っている鉄道は、残念ながら僕らの住まいの最寄り駅とは接続がない。

 なので、つくばに出かけるには隣駅まで電車で行って、そこからバスに乗り換えて向かうことになるのが少々手間だ。

 車があれば、片道三十分程度で出かけられるのだけれど。


 まあ、一応はそう言ってみたものの、このお願いを断るつもりのわけじゃない。


「それでいいなら、いいよ。一緒に行ってあげる」

「ありがとう!」


 莉子ちゃんは大きく見開いた目をきらきらさせて言った。

 かわいい姪っ子の頼みだ。

 お出かけのつきそいくらい、どんと引き受けてやろうではないか。

 どうせ日曜日だからといって、特別に用事があるわけでも、休みたいほど疲れているわけでもないのだ。

 ……何せ、仕事も趣味も彼女もないからね。


「じゃあ、明日、十時に陽太連れてアパートに来るから。

ちゃんと起きて待っててね。

約束だからね!」

「うん、わかった」

「うふふ~、楽しみ~。

イバライガー、イバライガー……」


 チラシを見つめてニマニマとしまりのない顔をしている莉子ちゃんを、僕は麦茶をすすりながら見やる。

 本当に好きなんだな。


 イバライガー。

 そんなにいいものなのだろうか……?

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