夢見札

星野のぞみ

夢で会えたら…

時は江戸。


ここは吉原の一角にある女郎屋「鶴屋」。



一人の若い遊女が賽の目を何度も降っている。


「こんどこそ!

半が出たら、初五郎さんが来てくれる!

えいっ!」


コロコロッ


「また丁か…。」


そこへ姉女郎が呆れ顔で声を掛けた。


「千早、まだ懲りずにやってんのかい。」


「清花姐さん。」


「何度やったって結果が同じなら、初五郎の旦那は来やしないよ。」


「でも、もしかしたら次は!」


「まったく呆れたねぇ。

占いもいいが、夜見世の支度しないとせっかく初五郎の旦那が来ても会えやしないよ。」


「そ、そうね。

そうだわ。来てくれるかもしれないし、支度するわ!」



(夜見世の時刻)


人の増えてきた往来に、鶴屋の張見世も並ぶ。

遣手がさかんに声を掛ける。


「旦那、うちはいい子揃ってますよ!

器量良しの気立て良し、おまけに床上手ですよ!」


張見世の中では、奥に鎮座して煙管を吹かす女郎もいれば、半籬の側でシナを作る女郎もいる。


鶴屋は、中の中くらいの格付けだろうか。


「はぁ。」


「ちょっと、辛気臭いため息やめとくれよ。客が逃げちまう。」


「すみません。」


一際気の強い姉女郎に叱られ、千早はうなだれた。


見かねて清花が話しかける。


「ほらさ、しょぼくれた顔してたら初五郎の旦那だって帰っちまうよ。」


「そうね。」


すると外から遣手の弾んだ声がしてきた。


「これは井筒屋の旦那!

千早が待ちかねやまですよ!」


「邪魔するよ。」


そう声をかけ入ってきたのは、役者絵から出たような色男。


「初五郎さん!」


「千早、少し時が経ったかな?」


「少しどころじゃないわ!

もう何度泣きの涙で過ごしたことか。」


「まあそう言わないでおくれ。

案内はしてくれないのか?」


「はい、ただいま!」



二階建ての建物の中奥に千早の部屋はある。


酒肴の揃ったところで、千早はまた繰り返してしまう。


「いつになっても来てくださらないんだもの。」


「悪かったね。仕事が少しね。」


「今日だって賽の目を振って、来るか来ないかずっと占っていたの。

裏目裏目しかでないし…。

でもいいわ、こうして初五郎さんが来てくださったんだもの。」


「寂しい思いをさせて悪かった。

詫びというわけではないが、土産を持ってきたよ。」


「お土産?」


「ほら、これだ。」


「根付?」


「そうだよ。小さな札が付いているだろう?夢見札と言うらしい。」


「夢見札?」


「揃いで持っていると、眠っている間に夢で会えるというご利益があるんだ。」


「まぁ素敵!初五郎さんももっているの?」


「ああ、ほら。」


「本当に!お揃いなのね。

これを付けて眠ればいいの?」


「そうだよ。邪魔にならないところにね。」


「なら、懐に入れて寝るわ。

毎晩、ううん、お昼寝の時だって!」


「ははっ。そんなに喜んで貰えるなら、買ってきて良かった。」


「でもこれを下さるということは、またしばらくいらっしゃらないの?」


「商いが上手く行ってなくてね。だから、今日も泊まりはせずに早々にお暇するよ。」


「そんなの嫌!」


「だが先立つものがなくては。」


「大丈夫。いつもみたいに私に付けておくわ。」


「しかし…」


「追い借金になるだけですもの。

どうせこの苦界からは抜け出せないから、借金が増えても平気。

それより初五郎さんといっときでも一緒にいたい。」


「すまない。必ず身請けしてみせるから、いつか夫婦になろう。」


「ええ!信じてるわ!」


その夜、千早は密かに勘定を自分に回すように伝え、千早と初五郎は一つ布団で眠った。



翌晩。


生憎の雨で客入りが悪く、一人寝の女郎が多くなった鶴屋。


「ふふーん!」


「お茶引きで借金が減らないあげく、明日の朝飯のおかずが一品少ないってのに、ご機嫌だね。」


根付を眺めながらにやにやと笑う千早に、清花が不思議そうに声を掛けた。


「今晩は、初五郎さんに会えるの。」


「は?あんたついに頭おかしくなっちまったのかい?」


「いいのいいの。段々冷える時期になってきたし、早く寝ましょう。」



その晩、千早は夢を見た。


「初五郎さん!」


「千早!」


「会えて嬉しい!」


「私もだよ。だが仕事でもう行かなくては。」


「もう行ってしまうの?」


「またきっと来るから。」



ほんの数秒に感じられた夢だったが、気づくと朝になっていた。


「本当に会えるなんて!

でも初五郎さんったら、夢の中でも冷たい。

いいわ、今晩こそ!」



あくる晩、千早は客を取ったが、客が寝てから密かに根付を懐に入れて眠った。


「初五郎さん!」


「千早…。」


「今日も会えて嬉しいわ。」


「あ、ああ。私もだよ。」


「どうかなさったの?嬉しくないの?」


「…さん、初さん。」


「千早、すまない、もう行かなければ。」


「初五郎さん、待って!」



「初五郎さ…。眠りから覚めちゃった。

ほっ。お客は起こしてないか。

また短い夢…。

それに初五郎さんを読んでた人、誰だったのかしら?女の人だったような…。」


思い出そうとすればするほど、忘れてしまいそうになる夢の糸口を、千早は必死で辿った。



それから数日、千早は毎晩根付を抱いて眠りにつき、初五郎の夢を見た。

次第に初五郎が一緒にいるのが女だというのがわかっていた。



「誰なのかしら。毎回違う女の人みたい。初五郎さんを呼ぶ呼び方に違いもあるし。

よし!

今日こそしっかり顔を見るんだから!」



いつもは懐に入れて眠る千早だったが、その晩は両手にしっかりと握りしめて眠りについた。



「初五郎さん!」


「ちょっと邪魔よ。」


「初さん!」


「初っつぁん。」


「初五郎!」


「え?なんでこんなに女の人がいるの?

初五郎さん!初五郎さん!」



「初五郎さん! 夢…。」


自分がはっきりと初五郎を呼んだ声で目を覚ました千早だったが、何よりその夢の中に数人の女が出てきたことに驚いていた。


「ううん、何かの間違いよ。

もう一度寝れば…あ…。」


強く握りしめて眠っていたからか、根付は壊れていた。


「どうしよう…。」


「千早!いつまで寝てる気だい!

昼見世の時間になるよ!」


「清花姐さん…。根付が…。」


「根付?」



千早は、なにかに縋るように清花に全てを打ち明けた。


「驚いた。あんた、初五郎の旦那の揚代、追い借金にしてたのかい!」


「うん…。それより夢と根付が…。」


「うーん…。」


「何かあるの?」


「初五郎の旦那、最近あんまりいい噂聞かないからね。あちこちの店に出入りしてるらしいし。」


「そんなの噂よ!根付でもう一度夢が見られれば、はっきり聞くのに。」


「それなら、下働きの平助に直してもらったらどうだい?手先は器用だよ。」


「平助ね!わかった!頼んでみる!」


「あ、ちょっと昼見世の準備が先だよ!」



昼見世の準備もそこそこに、千早は井戸の付近に平助がいると聞き、急いで向かった。


「平助!」


「あんたか。なんだ。」


「ねえ、これ直せない?」


「夢見札か。これ誰に貰った?」


「誰だっていいだろ。」


「これの意味を知ってるのか?」


「お揃いで持っていれば、同じ夢が見られるんだろ?」


「本物はな。本物はここの組紐のところが一つ一つ特製になっていて、二つと同じものがない。

これは一色で出来ているから、同じものをいくらでも配れるまがい物だ。」


「そ、そんなことないもの!直せるの?!直せないの?!」


「金具が曲がっているだけだから、すぐ直る。」


「じゃあ、夜見世が終わるまでに直して!」


平助の言葉に動揺が隠せない千早ではあったが、もう一度初五郎の夢を見たい一心で平助に頼んだ。



奇しくも千早はその夜お茶引きで、一人寝となった。

平助から届けられた夢見札を胸に入れ、祈るように眠った。



「あれは初五郎さ…紋付?」


「…さん、今日から夫婦だ。夫婦仲良く白髪の生えるまで添い遂げよう。」


「初五郎さん、はい。」


「え、白無垢?結婚式?初五郎さん!初五郎さん!」


初五郎と見知らぬ淑女の結婚式に、夢の中の千早の声は届かなかった。



「初五郎さん!夢…。」


呆然とする千早に、清花が追い討ちをかけるかのような言葉をかけた。


「千早…。言い難いんだけどさ、井筒屋の旦那結婚したって。ここいらの出入りも辞めるってことで、借金を返した上、振る舞い金を払って縁切りして行ったよ。」


「嘘よ!だって私と夫婦になるって言ったもの!」


「辛いだろうけど本当だよ。これが両家の名前を染め抜いた手ぬぐいだ。初五郎の旦那の名前あるだろう。」


「う、嘘よ。だ…だって…いつか夫婦になるって…うう…うわぁん。」


清花は泣きじゃくる千早の背中をさすり、なだめるように言う。


「今は泣いていいから、泣いて、悪い夢を見たと思って忘れておしまい。」


「うっうっうっ。」



その夜、客が寝たのを見計らい、千早はなんとなく厨に来ていた。


「なんだ、腹が減ったのか。」


火の番をしていた平助がぶっきらぼうに声をかける。


「やっぱり…まがい物だった…。」


「例の夢見札か。信じるのが悪い。」


「平助にはわからないわよ!

遊女が眠る時は、いつだって手足が冷たいの。昼だって夏だって、冷たいの。

少しでも暖かい夢を見たいって思って何が悪いの!」


「…。」


「…馬鹿なことを言ったわ。平助に言っても始まらないのに。」


ふらふらと厨を去る千早を、平助はじっと見つめていた。



数日後、悲しみの拭いきれない千早は、清花と二人で座敷に出ていた。


酔っ払った客が急かすように言う。


「おい!早く灼しろよ!」


千早は、はっとした様子で慌てて灼をしようとする。


ガシャン


「おい!てめぇなにやってんだ!」


「す、すいません、今、片します…」


ガシャーン!


落ちた徳利を拾おうとした千早は、一際大きな音を立て、その場に倒れ込む。


「ちょっと千早!大丈夫かい?」


清花が声をかける。


「はぁ、はぁ…」


「すごい熱!誰か来ておくれ!」



千早が倒れてから数日後、千早は店の奥にあるジメジメとした布団部屋に寝かされていた。


部屋の外では清花と平助が話している。


「もってあとどれくらいなんだい?」


「医者の見立てでは、良くて三日。」


「そんな…。」


声が聞こえたのか、何日かぶりに千早が目を覚ます。


「…姐さん?」


ガラッ


「千早、気づいたのかい。」


「私…。」


「馬鹿だよ、流行病なんかにかかっちまって。」


「長くないの?」


「それは…。」


「そう…。」


店から清花を呼ぶ声がする。


「行かなきゃ。またすぐ来るからね。」



残されたのは、虫の息の千早と平助。


「今は夜?」


「ああ。」


「馬鹿な夢を見たバチかね。」


「手足は冷たいか?」


「え?」


「一人寝は手足が冷たいと言っていた。

今も手足は冷たいか?」


「そうだね、やっぱり冷たいよ。」


「なら、これをやる。」


「これ…夢見札…。でも組紐が凝った作りになってる。」


「相手が俺では不服だろうが、少しは手足が温まればいい。」


「ふふ。ありがとう。」


「具合が悪いんだ。もう寝ろ。」


「そう…だね…。」


平助の言葉に安心したのか、千早は引き込まれるように眠りについた。



「見たことない景色!ここは夢?」


明るい世界に目を細めるようにした千早に、夢の中の平助が声をかける。


「夢見札も嘘ばかりじゃないな。」


「平助!」


「夢なんだ、行きたいところに行くぞ。」


「行きたいところって言ったって。」


「自分の姿を見てみろ。」


「遊女の姿じゃない!町娘みたいだ!」


「…祭りにでも行くか。」


「お祭り!行きたい!」


「あ、こら!そんなに走ったら転ぶ!」


がしっ


「あ、ありがとう。」


「お、おう。」


「ね!見て!風車!

赤い風車があんなにいっぱい回ってる!」


「一つ買うか。」


「嬉しい!あ、でも夢が覚めたら消えちゃうか。」


「それでもいいだろ。」


「平助!ありがとう!」



「…ん…。」


楽しい夢を見ている千早は、2日経っても目覚めなかった。


見舞いに来た清花が、訪れていた医者に問う。


「もうこのまま起きないのかい?」


「あとは気力次第でしょうな。万一目覚めても、それが最後かと。

では、私はこれで。」


「玄関までお送りします。」


出ていった清花と医者と入れ替わりに平助が入ってくる。


「ん…す…け…平助…。」


「俺ならここにいる。目覚めたのか?」


「楽しい夢だった。」


「夢じゃないぞ。枕元見てみろ。」


「赤い風車…。」


「行きたいところがあるなら、どこにだって連れてってやる。手足はもう冷たくないか?」


「ああ…手足はあったかいよ…。

ふふ…風車…かわいい…へい…すけ…。」


「安心しろ。

お前が長い眠りについても、必ず夢でどこへだって連れていく。

決して一人で手足を冷たくすることのないように。」


「あり…がと…。平助の…おかげで…あったかい…よ…。

でも…疲れたな…少し…眠る…。

また夢で…。」


振り絞るように言った言葉を最後に、千早はこと切れた。



数年後。

鶴屋の庭の一角には、小さな岩が置かれている。

その岩の下には、千早の遺髪と夢見札が眠っている。


今日も岩の横の赤い風車は、風に吹かれて気ままに回っている。


まるで千早が笑っているように。

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夢見札 星野のぞみ @hoshino_maria

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