第八章 八尾神様(3)
「お主の名前は?」
そのとき、唐突に質問を突きつけてきたのは長老だった。立てた膝をそのまま、顔だけ長老のほうへ向ける。長老は驚きを隠さないまま本気の眼差しで俺を見てきた。
「俺の……名前?」
「ああ、本名だ」
その返しを聞いて『またか』と思ってしまった。だが、この問いかけの意味はもうわかっている。きっとこの村では俺の名前『八尾神悠斗』の名前も親父との名前とセットで言い伝えられているのだろう。なんの喜びも感じないアンハッピーセットだがな。
「悠斗、八尾神悠斗です。紙に漢字で書きましょうか?」
少しだるい気持ちが態度に出てしまったが、ペン……鉛筆を走らせる動きを手で表現しながら自分の名前を口に出す。これに対し最初は怒りを顕にして文句を言うかと思っていたが、予想と違い長老はもうハンマーで叩かれたようなショックを隠そうともしなかった。
「悠斗……」
「八尾神……悠斗」
さらにざわつきが増していく。村人たちが顔を見合わせ俺の名前をボソボソ連呼していく。長老が天を仰ぎ、目を閉じる。その次の瞬間、目が開くと同時に村人たちと長老はいきなり姿勢を正したかと思えば手のひらを畳の床につけた。
「これは……奇跡なのか……いや、きっと八尾神様のお導きによっていらっしゃったのだろう。八尾神悠斗様……まさに神の子が……六百年の時を超え父の後を追ってこられたのか。これは……八尾神様が願っていた……必然のできごと……」
何やら大層なことを言いたす長老。そのまま村人たちと長老は額を床にさっとつけた。それはまさに土下座というやつで俺に向かって全員が頭を深々と下げてきた。
「神の子よ、我々はあなた様のご降臨を歓迎いたします!」
降臨!? バカじゃないのか、こいつら。大層にもほどがある。
「待ってください。俺はただの人間ですよ」
この世界の人間ではないが。
「いやいや、八尾神様は神様同然、ならばあなたは神の子で間違いございません。八尾神様は生前、息子の悠斗を置いてきてしまったことを幾度となく後悔されていた。そう言い伝えられてきました。
八尾神様は我々の先祖とともにこの世界に和と言葉と知識を広めたお方。すべては別の世界、天界から降臨された八尾神様より生まれたもの。そのようなお方の子とあれば……」
「ああ、うるさい! 俺の親父は……そんな大層な奴じゃねえ! 俺を置いてきたことを本当に後悔しているなら、俺に宛てた手紙の最初に……俺に対する侘びのひとつでも入れるだろうよ。
でも、実際はそんなのもできないような薄情で自分勝手な奴だ。神なんかじゃない」
サナが俺を止めようとこちらに向かってきたが俺はとどまるだけの余裕もなく、ただ長老の目をひたすら睨み続けた。対する長老もまた俺を見てくる。
「確かに……悠斗様にとって八尾神様は憎いのかもしれません。天界におられた家族を置いてひとりこの地へと降り立ったのですから。
ですが、八尾神様も帰る術を見つけられなかったのです。それゆえ八尾神様はその勇気と覚悟で我々の世界のために己の身を捧げた、そう伝えられております。
決して帰りたくなくて戻らなかったのでは」
「そんなのは関係ないんですよ。現に……あいつの気持ちは俺が読んだ手紙でもうはっきりしているんです。あいつは俺たち家族なんてなにも思っちゃいない。なにも触れてさえいなかった。
元々俺たち家族を放ったらかしてあちこち行っていたような奴、まともに家に居ることすらなかったような奴です。今さら、そんなの言われても……無理ですよ。
大体、俺のいた世界は天界なんかじゃない。今のここよりもほんの少しだけ技術が進歩していただけの平凡な世界。この世界の平行世界というだけですよ。
神も天使も存在しない、いるのは悪魔よろしく悪事働く人間ぐらいです。八尾神悠聖、あいつもまた人間、クズのね」
俺は吐き捨てるように言いきった。あいつは神なんかでも、お偉い祀られるような人でもない、クズで家族ひとつ作れない人間なのだ。
「ユウト……ちょっと」
そのとき、サナがふと立ち上がると俺の肘を掴んできた。そのまま俺を立ち上がらせ部屋の隅っこに寄せられる。「なんだよ?」とう言おうとしたのだが、それよりも先にサナの口が耳元にまで一気に近づいてきた。
「ちょっと黙って。ユウトの気持ちも百歩譲ってわかったとする。でも、ここでそんなこと言っちゃダメ。この村の人たちはあなたのお父さんを文字どおり神として祀って称えているの。今はああいっても、いつ怒りだすかも分らない。
自分の信仰しているものを馬鹿にされて「そうだね」とはっきり認める人がいるとでも思う? 相手の立場も考えて。あなたのことを本当にヤオガミ・ユウセイの息子だと信じただけでも奇跡なのよ」
「……そうかよ。チッ、わかったよ」
頭を掻きながらぶっきらぼうにそう答える。それでも念を押してくるサナをなんとかなだめると俺はそのまま壁にもたれかかった。
サナはそんな俺を見てひとつため息をつくと自分が座っていた座布団の所へと戻ろうとする。しかし、長老は立ち上がりサナのほうによってきた。
「それより、どうです? せっかく悠斗様御一行が村に来ていただいたのです。今夜、宴でも開こうと思うのですが、皆様はどうですかな? もちろん歓迎いたします」
「う……宴? いきなりですね。というか、あたし、ユウトは未成年なのでお酒とか無理なんですけど」
「もちろん、酒以外の飲み物も出ます。ぜひ、楽しい飲み食いのなかで我々に伝わる八尾神様のこと、そして悠斗様ご自身のことをお話し合いたいものです」
「って、言われても……ユウト、ミウちゃん、ガオウさん、どうする?」
「……どうでも」
俺が首をあさっての方向に向けて答える。ミウナキは困惑をしている様子。だが、ガオウは口に手を当てながら考える素振りもなく呟いた。
「酒もでるのか……いいな」
おい、酒に釣られるのかよ。
「決まりですな」
まだ決まってもないと思うが長老が一方的に告げる。サナが突っ込みたそうだったが、苦笑いしながらも俺のほうを見てきた。が知るか、俺に何かを求めようとするな。
「寝床もこちらで用意させますので今夜はごゆっくり楽しんでいってください。夜までもう少し時間もありますし、準備もございますのでそれまでこの部屋でおくつろぎください」
そういうと長老はさっと村人たちのほうに振り返る。そのまま手を叩きながら「さあ、準備を始めるぞ」とはしゃぎ、村人も一斉に動き始める。
そんな姿をよそにひきつった笑顔を振りまくサナがいた。
「ま……いっかな」
間違いなく、空気に飲まれたな、この子は。
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