第六章 数多の地域(7)


 思わず息を飲んだ。それと同時に静まり返る空気があたりを支配していくのがわかった。


 ヤオガミ・ユウセイ……八尾神悠聖……忘れるわけがない……あいつの……名前!! なんでここで……あいつの名前が出てくるんだよ!?


「待って。ユウトは平行世界から来た人なんです。さっきヒドラが言ったようにこの子は人猿種じゃない、別の世界の人間です。

 ヤオガミ・ユウセイの子孫なわけないでしょう?」


「え?」


 サナからまでなぜあいつの名前が出てくるのだよ? 話がかみ合わねえ。


「な、待て。なんでサナが八尾神悠聖の名前を知っているんだ?」

「え? ……ユウトこそ、なんで知っているの?」


 そこで再び空気に硬直が生まれた。

 俺の頭の中が「?」マークでことごとく埋められていく。なにが、なんなのか……神話の神、八尾神と関係があるってのか?


「ユウトさん。ヤオガミ・ユウセイは六百年前に現れた人類初の哲学者といわれている人物のことですよ。ただし、本当にそのような人物がいたのかはっきりとしているわけではないですけどね。

 何しろ、ヤオガミ・ユウセイのやったことがあまりにも飛び抜けていてひとりで何百年の時代を進ませるほど、様々な考え、技術を思考していったんです。


 果たしてひとりでこれだけのものを築けるのかと疑問視されて、今は複数の人物を総称して呼ばれていたと」


「いや、ヤオガミ・ユウセイは正真正銘ひとりの偉大な人物だった」

「あ、そうか。六百年前でも生きている……実際に見ているのですね」


 待てって。待てよ、おい。何かってに話を進めている、おい!


「ああ、俺を拾ってくれたのがヤオガミ・ユウセイだった。奇形で生まれた俺を奴は救ってくれて今の人間に保護される環境を作ってもらったからな。

 そのころに比べたら随分と技術が発展したものだ。ただ、この技術の基盤は間違いなくヤオガミ・ユウセイのおかげだ」


「本当にすごいですよね、ヤオガミ・ユウセイ。本当に規格外の天才だったゆえに、八尾神様の神話が作られるほどですからね」

「その神話あながち間違いでもないぞ。実際、ヤオガミ・ユウセイは和、言葉、知識という考えの基礎を見出したのだからな」


「待てって!! 待てって言っているだろ!!」


 思わず俺は叫んでしまっていた。いつの間にか耳を塞ぎながらがむしゃらに叫んでいた俺。その途端にサナ、ミウナキ、ヒドラの会話が停止。

 俺の荒い息だけが耳に入ってくる。二人と一匹が俺のほうに視線を向けるなか、ひと呼吸を起き、口を開いた。


「俺の世界じゃ苗字……家族名ってのがあるんだ。俺の本名は……八尾神悠斗。八尾神ってのいうのが家族名で……つまり……気に食わないが……俺は……八尾神悠聖の子供だ」


 再び訪れる沈黙。さっきとは違ってポカンとした顔がふたりをおそう。だが、ヒドラはしばらくすると笑い始めた。


「フフフッ……どうりで懐かしいと感じたわけだ。お前がヤオガミ・ユウセイの息子か」

「いやいや、六百年前の人物よ。大体、言っったでしょ!? ユウトは平行世界の人。そんなわけないじゃない」


「そうとは限らんぞ。もし、ヤオガミ・ユウセイがこの少年と同じ世界からきた人物だとすればすべてつじつまが合うからな。

 ヤオガミ・ユウセイはその別の世界の知識をこの世界に伝えたのだとすれば、神話になるほどの天才的な哲学者にもなれよう」


「そういうものですか? いや、ユウトが別世界から来たのだからありえるのか……」


 サナ、ヒドラはヤオガミ・ユウセイが俺の親父だと納得し始めた。俺は当然俺の親父だと知っている……名前が同じだもの……いや、違う。そんなわけがない!


 そんなわけがない!

「違う! やっぱりそいつとは別人だ! 俺の親父は……死んだんだ」


「え? 死んだ?」


 サナが驚きの声をあげたので、俺はまだサナには言っていなかったことに気が付く。


「ああ、そうだ。あいつは普段からほとんど家に帰ることもなっく、いつもどこかに出かけていたんだ。

 そして、あるとき出ていったきり帰ってこなかった。死んだんだよ。元々あいつは一度家を出たら何週間、何ヶ月と帰ってこないような奴で、俺はほとんど思い出もない」


「仕事は何をやっていたの?」

「……学者……動物学者」


「じゃ、じゃあ、あたしと同じというだけじゃない。動物の研究は机の上だけでできるものじゃない。そりゃ、あちこち飛び回ることもあるわよ」


「うっ……」


 確かに俺は身を持ってそれは知った。あちこちに行ったし、オールトの街に帰ったと思ったらまた出かけて、まるで親父のよう……。


「違う! そういう問題じゃねえよ! 俺はあいつがただ嫌いだ! 俺に対して言い訳や嘘ばかり言って家から出ていく! それを謝りもしない!

 しかも、あいつとは俺が小学三年……九歳のとき以来あっていない。俺が九歳のとき、あいつは出ていったきり戻ってこなかった! それから二年後、行方不明、死亡しただろうって言葉だけで奴は消えていった!


 それがなんだって!? 死んだんじゃなくて、この世界に来ていただ!? 冗談じゃない! あいつは死んだんだ!

 俺と母さんを放ったらかして、ひとり消えたんだ! ろくに俺たち家族と過ごすこともなく、ひとりで行ってひとりで死んだ!


 むしろ死ね! 死んで欲しかった! 死んでいなきゃ困る! あんな奴は死んで地獄に落ちればいい!! 堕ちろ!」


「そんなこと言わないで!!」


 われを忘れ叫び続ける俺に割り込んできたのはサナの叫び声だった。その声を聞き我に返り荒い呼吸を続けながら、ただ自分の奥にある何かと戦っていた。


「クソッ……なんなんだよ……チクショウ……」

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