第六章 数多の地域(2)

 俺は布団の中で夢の世界を堪能していた。今はあいつなどでていない。本当に心地のいい夢だった……気がする。


「はい、ユウト起きて! さっさと支度してちょうだい。行くわよ」


 カーテンをサナに開けられ眩しい太陽の光が俺の顔に照りつける。布団を頭までかぶり、朝日をがっちりガードするが、容赦なくサナに布団をはがされた。


「……行くってぇどこへぇ?」

「どこってハローに決まっているじゃない」


「ハロゥ? おおう? おう、ハロー! How are you?」

「なに? 後半、なんて言ったの?」


 ああ、そうか。ハロー地方をHelloにかけたつもりだったが、そもそも英語という概念がこの世界じゃないのだからこのジョークも通じないわけだ。


「いいよ、もう。で、ハロー? 昨日行っただろ?」


「昨日だけで全部周れたと思っているの? 昨日は用事があったから帰ったけど、これからしばらくは向こうで泊まりながら調査をすることになるからね。説明したよね」


「……したっけ?」

「したよ!」


 ……まじか……。




「って、なんだこりゃ、スゲエ!!」


 俺が目的地について最初に放った一言がこれだ。その光景はあまりに圧倒的だった。あのエッジワース地方の光景も相当なものだったがここはある意味それとは別次元の光景。


 一歩先がなんと白い海なのだ。いや、これだと誤解を招くゆえ言い直そう。霧でできた海だ。今立っている場所は何もないのだがその数メートル先は地面のほうからジワーと霧が出始めている。それはまるで霧の浜辺。大量のドライアイスが溶けだしたよう。


 レクスが俺の腕から飛び降りるとその霧に向かって走りだす。だが、レクスが実体のない霧に何か違和感を持ったのか、混乱したようにくるくると体を回転させている。


「ここはハロー地方の北東部、カスミダラ。この先は緩やかな坂にになっていて平均標高がほかの土地よりも一段階低くなっているの。

 その低くなった広い盆地に深い霧が溜まっているのよ。だから、ここから見たら霧でできた海のように見える。別名、白色の海。ざっと四十万平方キロメートルほど。ハロー地方の四分の一がカスミダラになっているのよ」


 四万平方キロメートル……って、日本より広いじゃねえか!?


「ちなみに方位磁石必須ね。でないと一瞬で迷子になるから」


「ですよね」


「あと、勝手にソラクジラから降りないように。そして、降りるときはロープでクジラと体をつなげた状態でないとダメ。下手すりゃ帰れなくなるから」


「……ですよね」


「そしてこれが照明弾。最悪迷子になったらこれを空に打ち上げて。上で巡回している人がそれを見つけたら遭難信号になるから」


「…………わかりました」


 見た目は綺麗でも結構な危険地帯だということはよくわかった。渡された照明弾を落とさないようしっかりポケットにそして紐でズボンに固定できているか念入りにチェックする。


「もし遭難信号を発しても助けが来ない場合がありましたら、人生最後の時を過ごすことになると思いますので、じっくり今までの思い出を振り返っておいてください」


「ええ!?」


「ミウちゃん、驚かさないの。大丈夫だから。実際、すぐ先もまったく見えないほど深い霧になるのは本当の奥底、海でいう深海ぐらい。大陸棚程度の深さなら、まだなんとか見えるからまあ、野垂れ死ぬことはないよ、安心して」


「お、おう!」


 全然安心できないが。大体、深海はまだしも大陸棚とか知らないし。どんな棚だよ!?


 なんて言っていると急に向こう数百メートル先で急に霧が天に吹き上がった。そこから出てきたのは白いイルカ……いや、違うシャチだ。三対のヒレを持つ白いシャチが深い霧を押し上げて空中に飛びだした(下も霧だけで既に空中だが)。


「なんで……クジラが? ここ海にみえるけど霧だろ?」

「今まで散々ソラクジラに乗ってきたじゃない。これからも乗ろうってのに。あれはソラハクジラ。もっと言えばクジラ亜目、ソラハクジラ下目、テンクウシャチ上科、カスミノシャチ科、カスミノシャチ属、カスミノシャチ。

 あれ、完全な動物食で濃い霧の中でも馬や羊といった獲物にガッツリ喰らいつくから、気をつけて」


 ……俺、ちょっと留守番してよっかな。


 と思いはしたが気が付けばサナにレクスと一緒に押されカスミクジラとかいうソラクジラに乗鯨させられ、霧の海に沈み始めていた。


 本当に下は斜面になっておりどんどん下に向かっていく。だが、よくある薄い霧程度。そこまで深い霧でもない……かと思っていたがだんだん濃くなっていくのがわかった。


「ここらあたりまでが海で例えるなら珊瑚礁がある所かな、つまり浅瀬。ここから先は一気に崖を降りていくよ」


 サナの予告どおり急に斜面が急になる。びっくりするぐらいどんどん深くクジラは潜っていく。気が付けば視界が真っ白になっていた。

 まだ、クジラの全貌は視界に写っているがそれより先の景色というのはまるで見えない。少なくともさっきまでは周りにあった景色、木や草、大地が見えていたが今はもうほとんど見えない。


 そうだ、これはある意味雲の中にいるのと同じ状況というわけなのだ。こりゃ、冗談抜きで迷いかねないな。


 だが、ふっとクジラが水平の体勢に戻った。そのまま静かに運行を続けている。


「ここからが大陸棚だね。比較的平坦な地面が広がる」

「すみません……大陸棚ってなんですか?」


 サナの説明にこっそり手を挙げて質問をするとサナが困ったように視線をミウナキに泳がした。

 まるでそんな事も知らないの、って顔だが俺、基本的に動物関係以外の知識はばっちり中学一年生で止まっているからな! ていうか、今俺、絶賛中学二年なりたてホカホカ。

 バトンを勝手に投げ渡され戸惑うミウナキ。だけれど、すぐに顔を上げ俺に向かった。


「簡単に言えば陸地の周り、水深二百メートルの部分のことです。斜面が非常に緩やかで魚が最もたくさん生息している場所になります。

 ここは魚こそいませんが生物はかなり生息していますよ。しっかし、動物以外の知識はからっきしなんですね。というか、大陸棚なら魚類とそこまで無関係でもなさそうですけど」

「悪かったね。基本的に俺は中学二年生なりたてなんです!」


 心に思っていたことを口に出して言いきる。

 そのまま、しばらく平坦な土地を進んでいくクジラだったが、ある所でゆっくり停止してきた。最初はなんなのかと思っていたが、突如目の前に大きな門が立ちはだかる。霧のおかげで一寸先までしか見えない状態、本当に近づいてやっと門の存在を確認できたのだ。


「な!? 建物!?」


「ここはカスミダラにある街のひとつよ」

「街!? 人がこんな所に住んでいるのか!? しかもいくつも!?」


「ええ。あたしたちじゃまるでどこに何があるかわからないけど、ここで長年暮らしている住民は霧で見えなくても自分の場所、そしてほかの街がある方向や東西南北もわかるらしいね。土地勘って奴かな。この運転手さんもそのひとり、あたしが運転すると数分で迷子よ」


 土地勘ってレベルをとうに越した能力だと思うが、まあ土地勘なのだろう。クジラから降りて街を歩いていくが、冗談抜きで数メートル先は見えない。フォグランプがあれば、少しましになるかもしれないが、まあないだろう。


 しかも、街中なら全然問題ないとロープでクジラと体を繋げられてもいない。確かに街の端はこれ以上進めないようにと柵になっているから門をくぐらないかぎり街の外へ迷いでる心配はないのだろうけど。


 なんとか目的の建物に着き中に入る。コンクリートでも木造でもなくレンガ造りになっているそれは宿屋らしく、俺たちが泊まる部屋もそこにあると聞いた。建物の中は霧がほとんどなく、やっと視界が晴れたことにより素晴らしいほどの開放感に満たされた。


「ふぅ……視界がはっきりするってすばらしいッ!!」


「さあ、荷物置いたら早速行くよ」

「あら?」


 すばらしい開放感はすぐに終り宣言を告げられた。


「ユウトさん、何しているんですか? 早く行きますよ」

「うぃーす……」

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