○×どら焼き

「福原君。この間はありがとうございます」


 津田嘉穂さんは、僕の顔を見ると、がばっと立ち上がった。何度もペコペコと頭を下げる。


「いえ、僕は何も。それより、この間は」

「この間は逃げてごめんなさい!」


 僕が謝るより早く、津田さんは頭を下げた。


「え、どういうこと?」

「わたし、あの時福原くんにお礼を言わなきゃって思ったんです」


 ぶつかった時のことかな。

 津田さんの顔が赤くなる。

 やっぱり、僕と衝突した事を、気にしてるのかも。


「この間はごめんね。前をちゃんと見てなくって、まともにぶつかっちゃって」

「違うんです。それは気にしていません。それよりわたし、福原君の顔を見たら、緊張しちゃって、逃げちゃって」


 どうして、僕を見ると緊張してしまうのか分からないけど、そんな事で逃げたのか。


「気にしなくていいよ」


 僕は、もっと酷いことをしたわけだし。


「津田さん、僕の方こそごめん。ぶつかっちゃったのに、ちゃんと謝れなくて」


 ブンブンと、津田さんは首を振った。


「いいんです! あんなの平気です」

「でも、セクハラは嫌じゃない?」

「セクハラは、確かに嫌なんですが、福原君だから……いや、いいえ、その」


 言葉を詰まらせて、津田さんはまたも目をグルグルと回転させる。


「コーヒーいかがですか? どうぞ!」


 スティックのコーヒーを、津田さんは素早く用意した。紙コップを並べ、三人分コーヒーを淹れる。


「ありがとう」


 温かくて甘いコーヒーのおかげか、気持ちが少し和らぐ。


「それより先生……」


 スイと、僕は名護先生に詰め寄った。


「もしかして、このために僕を呼んだんですか? だったら津田さん、気にしないで欲しい。君を助けたかったわけじゃないからさ。あの部長、なんだか感じ悪くって」

「いえ、わたしも、泣き出しちゃって」


 彼女は全然悪くない。津田さんのような人を泣かせたあの女が悪いんだ。


「あー、それなんだけどな。芝居だったんだよ」


 信じられないような事実を、先生が告げる。


「この部を設立するために、部長のヤツが仕掛けたってワケ」

「えーっ! じゃあ、あの津田さんいじりも、演技だったってワケですか?」


 僕も津田さんも、驚きを隠せない。


「あいつも、本人に詫びてたな。福原がここに来る前に」


 苦笑いを浮かべ、名護先生は肩をすくめる。

 津田さんに、顔を映す。


「丁寧に謝罪してくださいましたよ」


 小さくうなずいて、津田さんは微笑む。


「あ、これ、お詫びの品だそうです」


 側にあった白い箱を、津田さんが持ち上げた。ちゃぶ台の真ん中にちょこんと置く。


 中身は、平たい和菓子だった。


「おお、これは」

「ご存じなんですか」


 知っているもなにも、これは福原家では馴染みのお菓子である。


「『とらのこ』の『○×どら焼き』ですね」


 クイズ好きの和菓子職人が作ったギャグ食品で、生地の両面に○×の焼き印が入っている。我が福原家の大好物だ。親の機嫌を取るときや、誰かに手伝いを頼むときに、必ず買う。


「それだけ、ウチはクイズ番組研究会にかけてるってワケだ。どうだ、やってくれないか?」


 津田さんと顔を突き合わせた。


 もう、放送部に僕の居場所はもうない。


 せっかく『学園クイズ』の司会者を目指して放送部に入ったのに。


 しかし、自分を偽ってまであの場に留まっていたとしても、僕はいい司会者にはなれなかっただろう。


「わたしも、解答者を続けてもいいんですか?」

「いいんですよ。むしろ頼まれてくれ」


 先生はおどけて見せた。


「それにしても、どうしてクイズ研究部は、そんなマネを?」


 僕には、それが疑問でならない。


「依頼があったんだ。『番組を打ち切ってくれ』って」


「どうして、こんな事に? 学園クイズって人気番組でしょ?」

「人気番組じゃなくなってきたんだよ」


『学園クイズ』とは、生徒参加型クイズ番組として、当時はもてはやされていた。


 ところが、クイズ研究部からすると、クイズ大会本戦の練習時間を削られて困っていたという。


「クイズ大会における、加速度的な難易度の上昇に対処しなけらばならなくなった」とも、当時から囁かれていた。


「『知の甲子園』とまで言われてますもんね、今のクイズ大会って。ほとんどが」


 クイズ大会の問題は、徐々にカルト的な方面へ向かいつつある。難易度は際限なく上昇していた。ジャンルの幅も広く、それでいて専門的な分野も求められることも。


「大会に向けての対策から、問題の傾向が知力一辺倒に偏りすぎてな」


 そのせいで、クイズに興味がない生徒が見なくなっていった。


 ウチの番組は、許可があれば、過去のアーカイブをPCルームで閲覧できる。だが最近はクイズ研の部員だけしか利用していないとか。


 どのみち、『学園クイズ』は打ち切りに遭う運命だったのだ。


「そこで、学園クイズの歴史に一旦幕を下ろして、新しいクイズ番組を立ち上げとうじゃないか、となった。もっと難易度が低くて、学生のみんなで楽しめるものにしようと」


 クイズ研の部長はあえて悪役になり、津田さんをクイズ研究部から身を引かせたのだ。


「それならそうと、事前に言ってくれれば」

「照れ屋なんだよ。あいつは」


 それは知ってます、、、、、。とある理由で。


「それはいいとして、どうして津田さんまで追い出すようなマネを?」

「津田は実力はあるんだ。しかし、こいつはいわゆる『緊張しい』でな。今のまま研究会に置いておいても、まともな力を発揮できない。もっとゆるい部活でクイズを楽しんで欲しい、だとよ」


 あの部長が、そこまで考えているとは。

 事情は分かった。しかし、納得できない点がある。


「あのですね、津田さんが解答者に選ばれたのは分かります。でも、どうして僕が司会に選ばれたんですか?」


「わたしが頼んだんです」


 津田さんが?


「入部する条件として、お前を加入しろと要求してきたんだよ。福原が入らないなら自分も入らないってな。熱心なこった」

「えっと、僕、津田さんに特別なことなんて、何もしていませんが」

「したじゃないか。お前は津田を助けた」

「アレは当然のことです」


 あの場を納めるのは、司会の勤めだ。僕以外の人間でも、暴走した部長を止めたはず。


「でも、それに恩を着せようなんて精神が感じられない」

「そうは言っても……」

「とにかく、引き受けてくれないか?」


 そうだったのか。そこまで評価されている気はしないけど。


「わたしのわがままなので、嫌ならいいんですが」

「いやいや、とんでもない。僕が入るだけでいいなら」

「入部してくれるんですね?」


 嘉穂さんが、瞳をキラキラさせる。


「もちろん。迷惑なんかじゃないよ」

「ありがとうございます」


 わーいと、津田さんは両手を上げてバンザイのポーズを取った。


「あと、わたしのことは嘉穂って呼んで下さい」

「わかったよ。じゃあ……か、嘉穂、さん、よろしくお願いしますっ」

「よろしくです。福……し、晶太くん!」


 嘉穂さんから名前で呼ばれた瞬間、ケトルのように頭が沸騰しそうになる。女の子から名前を呼ばれるって、こんな気持ちになるんだ。ヤバイ。勘違いしてしまう。


 とはいえ、なぜか嘉穂さんの方も、目が泳いでいた。頬を染め、口をハクパクさせている。


「いいの? 下の名前で呼んでも?」


 念のため、確認を取らないと。


「いいですよ。しょ、晶太くんさえよければ」


 嘉穂さんが言うならいいか。まだ、他人行儀になってしまうのは抜けないけど。

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