★3-14:掌握と崇拝
視界が霞む。変化で失われた体を補填こそしたが、失った血が多すぎて。
頭が上手く働かない。ぼやけた視界の中で、パロンは歪んだ笑みを浮かべる死神女を注視し続けていた。
おそらく、もうじき死葬術を行使し、自分の命を奪うのだろう。指先に黒い光を、再び明滅させて、ユファが何事かを言っている。
「ぽっと出の淫獣ごときが僕を屈服させられるとでも思っていたのか? ロクにあいつを守り切れなかったお前なんぞに、僕を追いつめることなんてできないんだよ」
語気と共に、漆黒の光が強まっていく。もはや、悪あがきもこれまでか。そう、パロンが諦めに沈み始めたころ。
ふと、彼女は不自然なことに気が付いた。
(おかしい……)
ふらつく体に無理をおして、顔を上げる。目の前で勝ち誇った顔を浮かべる女の様子を見ても、依然として、攻撃してこないのだ。
(どうして、まだわたくしは、殺されていないのでしょうか)
腕を掴んで逃がさないようにして、黒い光を灯して煽ってくるのみで、実害の有る攻撃はせず、ただの脅しに終始しているのだ。
(もしかして……この女……)
パロンは白んだ思考の中で、一筋の光明ともいえる仮説に行き着いた。
(彼の姿をとっている間は、直接手を下さない…………とか? いや、下せない?)
よくよく思い返せば、変化でヴェニタスに化けた後は、彼女の攻撃を受けていない。ナイフでの切りつけや、死の魔弾。いずれも際どいところで当たっておらず、パロンの負傷はすべて結局のところ自傷行為によるものだけだった。
全ての攻撃をギリギリで躱しきれていたと考えていたが、そもそも死神女の方が当てようとしていなかったのではないか。パロンは、そう思った。
(もしかすれば、例え偽物だと理解していてもなお、彼の姿形を傷つけることは信条に反するのでしょうか)
それは恋というよりも、むしろ崇拝に近い態度だった。しかし、彼女の普段の過保護っぷりを思えば、その線は十分あるように思えた。
だとすれば――。
(この女は、わたくしが変化を解くのを待っている)
おそらく、変化を解いた瞬間に、彼の姿でなくなった途端に、本腰を入れて殺しにかかってくる。そんな我儘を通せる程の、取るに足らない格下だと思われている。もちろん、ユファにとってそれは事実なのだろう。特に、このような単純な命の取り合いでは。
(都合がいい。ああ、なんて馬鹿な人なんでしょう。この甘さは存分に利用してあげなくては)
パロンは薄ら寒い笑みを浮かべる。ユファの甘ったれた思想が自分を長く生かしてくれるなら、いくらでも利用してやるつもりだった。
だが。出血多量で変化を維持するのも、限界に近い。もうじき変化も解けてしまう。そろそろ遊ぶのは止めて、彼はわたくしの物だと、もはや取り戻すことなどできはしないと、きっちりと教えてやらねば。荒ぶる心境をひた隠し、パロンはユファを睨みつける。
「ユファ、お前は醜い。見た目も、心も」
彼女はようやっと、口を開いた。もちろんヴェニタスの姿をしたままで。
「……この! まだ言うかテメエ!」
「一緒にいると疲れる。普段から付き纏われる身にもなれ。迷惑なんだよ」
やれやれ、とばかりに彼の動きを真似て首を振って見せた。
「うるさい! 偽物のくせに、これ以上喋んじゃねえ!」
怒鳴るユファの震える肩を見て、パロンは心の中で爆笑し、彼の顔を使ってあからさまに眉をひそめて見せた。
「何を言っているんだ? 俺は本物だ。ふざけているのか?」
「黙れよ馬鹿狐! お前はあいつに全然似ていない! 違う、違うんだよ、何もかも!」
「ははは、いつにも増して頭がおかしいな。救いようがない。髪にしか価値の無い、人殺しが好きな、ただの化物だよ、お前は」
パロンが続けて低い声で蔑むと、聞こえた言葉を振り払うように首を左右に振った。パロンの腕を掴んで逃がさなかった手もあっけなく放し、反射的に両耳を塞ぐ。
「うるさい! 違う! お前は偽物だ! 息を切らした時の肩の動きも、肘を曲げた時の関節の動きも、喋る時の口元の動きも、瞬きのしかたも、視線の動きも、全部あいつとは違う! それに――!」
ぐっと苦しそうに言葉を詰め
「それにヴェニタスは……ぜったい僕にそんなこと言わない! 絶対に、絶対に言わない! ほんとに僕を傷つけるようなことは……」
息を切らして言いきった。沈黙が訪れ、激しい呼吸の音だけが響く。
パロンは静かに黙り込み、冷徹にユファを見つめる。
「あら? そうなんですの?」
死神の手から解放されたパロンは。
にっこりと笑った。
「でも、わたくしは先の言葉こそが、彼の本音だと思いますわ」
告げるパロンの体は、徐々に狐の獣人の姿へと帰っていく。変化の術を維持できるほどの体力が、失われつつあった。元の姿に戻りながらも、満月のように輝く、真ん丸な銀色の瞳は、じっとユファを見据え続ける。
「だって貴方は確かに、人殺しが大大大好きな、化物じゃありませんか」
やがて、変化が完全に解けきり、白く艶めかしい体をした、裸の獣人が現れる。術で補われていた尻尾、右手首、左手の薬指は再び失われ、その断面から止めどなく血を流して。まともに立っていることもできず。ふらついて。
彼女はとうに、生きているのが不思議なくらいで。
「それに彼にとって、貴方は髪だけの存在。それ以外は、面倒な危険人物ってだけですわ」
その様子を眺めるユファは、何も言わなかった。何も言わず、眼光をぎらつかせていた。さしたる外傷も無かったが、たいそう精神を傷つけられたためか、まるで手負いの獅子のように、ふーふーと息を荒げ、小刻みに震えていた。
かと思うと、
「――――っ、言いたいことはそれだけか馬鹿狐!」
突如疾走した彼女はパロンの首根っこを掴み、勢いよく床へと押し倒した。
「お前は、ここで終わりだ!」
壮絶な顔をして馬乗りになり、強靭な力で地べたに押し付け、獣人の細首を徐々に絞め上げていく。
しかし、対するパロンは、死を目の前にしてより一層、口元をにやけさせていて。
小さく、途切れ途切れに擦れた声を、喉から発した。
「……あら、いいん……ですの?」
「この……まだ何かを抜かす気か! 喋んじゃねえ!」
先程まで何度も我慢ならない不快な言葉を浴びせかけられていたせいか、ユファは反射的に身をこわばらせた。
「まさかあれが……真実だとは……思っていらっしゃらない……でしょう?」
「黙れ! これ以上喋るな! その口、切り裂いてやろうか!?」
死神女は激しく吠え、パロンの口内に鋭いナイフを差し込み、内側から口端に刃を当てる。
だが、獣人は止まる様子が無い。
桜色の唇が切れるのもいとわず、口内に赤い血を幾筋も流して、悠々と喋りを続ける。
切り刻まれ、血で真っ赤に化粧された口元が、焼けるような痛みを無視して語り続ける。
「ふふふ……彼がどのようにして四肢と正気を失ったか、今度は化かすことなく、教えてさしあげましょう」
その言葉に、ユファは気が付けば、獣人の喉を掴む力を緩めてしまっていた。
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