★3-15:勝敗

「まずは確認ですが、副隊長は、彼とどこまで進みましたか?」

「は? な、なんだよ。何が言いたいんだ!」


 問いかけられるユファは、引き続き凄むが、声と体が震えてしまっていた。これから獣人に聞かされるであろう真実に、怯えていた。しかしそれでもパロンの言葉に意識は移り、不敵に笑う彼女の首を絞める手の力は、自身が気づかぬうちに少しずつ緩まっていく。


「ふふふ、たぶん、彼とキスすらしたことないでしょう。だって考えがお子ちゃまですものね。幼稚すぎて、可哀そう」


 呼吸を取り戻した獣人が瞳をぎらつかせ、嘲るように、くすくすと笑う。ユファはなおさら不機嫌になった。彼女は手早く要点だけ聞ければ、それでよかったからだ。他の煽りなど、聞きたくもなく。早急に獣人を始末してしまえと、本能が訴えていた。


「うるせえな、だったらどうしたんだよ! それがなんか、ヴェニタスがボロボロなのと関係あんのかよ!」

「あら? ふふふ……、そんなことで一々反応を示されてしまうと、大変ですわよ? この際ハッキリ言わせてもらいますが、わたくし、あの方をお慕いしておりますの。そんなわたくしが、動けない彼と共に幾晩も同じベッドで同衾しておりましたの。どうなると思います?」

「ま、まさか……お前……」


 思い至った。認めたくない経緯に。既に予想をしていたが、あえて目を逸らしていた可能性に。口をぼんやりと開けたユファの声は、否定の言葉を伴って震えて、小さく消え行っていく。


「うふふ」


 薬指の落ちた手で、自らの乳房に触れる。その白磁の表面に血痕を残しながら、パロンは柔らかく繊細な肌をなぞっていく。想い出を噛み締めるように、パロンは目を閉じ、ヘラりと怪しく笑みを浮かべて。

 そして、恥ずかし気に頬を染めて、正面の相手に伝えた。


「ええ。わたくし、あの方と繋がりましたの。心も……体も」


 ぶち、と何か血管の切れたような音が。

 ――どうやらそれは、禁句らしかった。


「ぁああああああああああああ“あ”あ!」


 怒りで沸点を超えたユファが、その手のナイフを獣人の喉奥に差し込もうとした瞬間。


「ああそれと、彼の両手足ですが」


 ピタリと、またもやユファの手は止まる。まだ殺すのを必死に我慢をしているのか、パロンの口に差し込んだナイフを、がちがちと振動させながら、とどまらせていた。

 納まりきらぬ激しい感情に瞳孔は開ききり、細かく震わせて。パロンに仇なす行動の一つ一つが、殺害に至る寸前で阻止されていた。

 死神は、もはやほとんど死に体であるパロンの命を、いまだ断つことができず。さらに彼女の口から流れ出る言葉の毒を、耳から脳へと、存分に摂取してしまう。


「ふふふ、食べてみると、筋肉質でなかなか歯ごたえがあって、美味しかったですわ」

「……は? 喰った……? ヴェニタスの体を“喰った”とぬかしたか、今?」


 思いもよらぬ言葉に、ユファの思考と体が停止する。周りの音は何も聞こえず、ただ先の言葉を理解するに時間を注いで。

 その間も、覆い被さる死神の顔を、腹立たしい銀の瞳がにっこりと細まって凝視し、今が好機だとばかりに、続きをのたまう。


「ええ。あらゆる全てを、初めてを頂きましたの。そうですね、手足を食べた後は、彼の中に入って、内側もしっかり、ギリギリまで堪能しましたわ。まあ……その結果、彼は壊れてしまいましたが。愛のためですから、仕方ありませんよね?」


 いまや獣人の口元は切り傷で血まみれ。あぶくを吐きながら、彼女はとどまることなく徹底して喋り続けた。


「な、お、お前……ふざけるなっ! お前、ヴェニタスを守るどころか、傷つけて……! あれは不死鳥じゃなくて、お前が……! よくも、よくもそんな……!」


 ユファの態度は精神的な疲弊の色を含み始め、それでも酷く認めがたい事実に向けて絞り出される怒号は、彼女の壮絶な悲鳴に近かった。


「あら、なにかおかしくて? わたくし、彼を愛していますの。想い人の心と体を隅々まで知りたいと思うことの、何がいけないのですか? 執着、束縛、嫉妬、愛しているが故の感情に正しく従ったまでですわ。悪いことをしたつもりは、毛頭ありませんの」

「ああ……なんなんだよ、何様のつもりなんだよ、お前は……」


 ユファはとうとう頭を抱えてしまった。息を切らして、ひどく疲れてしまっていた。物理的な攻撃は、何も受けていない。言われた内容も容易に理解できた。しかし、その事実を心でしっかり受け止めることに、まだまだ時間が必要だった。


(……僕のせいだ。こんな奴と、彼を一緒に行かせてしまった)


 気が付けば彼女は、涙していた。吐き気を抑えることに、精いっぱいだった。


「うふふ、そんなふうに情けなく泣いていると顔に皺が残りますわよ。まあ、貴方の容姿なんて髪の毛以外彼にとって価値がないんでしょうけどね」

「ははは、舐めたクチきくじゃん。淫獣……」


 そう言って額に青筋を立てた彼女は、何の気なしに、至極自然な所作でパロンの右目を引きずり出した。ぶらんぶらんと、掴まれた神経に繋がった眼球が振り子のように揺れる。


「あら? 酷いことをしますのね。痛いですわ」


 しかし、彼女は悲鳴一つ上げなかった。まるで体の痛みや損傷など生じなかったかのように、背筋が粟立つような暗澹とした雰囲気を垂れ流し、残り一つとなった空虚な瞳を歪ませたまま。


「ふふふ。いまさら貴方がわたくしを痛ぶろうと無駄ですの。お分かりですか? 彼はもう、わたくしのモノ。わたくしの血肉が彼の血肉で、彼の血肉が、わたくしの血肉。それに、わたくしは彼の妻なんですよ? えへへ、結婚式も挙げちゃいましたし……」


 勝ち誇ったように言う彼女の体は、死体同然だった。損傷を受けた尾、手、目元、口から血を垂れ流し、肌の色は土気色になっていた。

 ただ、それでも自分が優位であると示すように、目を細めて余裕の微笑みを浮かべている。そんな様子を見て、ユファは更に気性を荒ぶらせる。


「黙れ……お前がああだこうだと偉そうに話すのは容れ物のことばかり。結局お前は、あいつの心までは手に入れられなかったんだ!」


 相当に苛立っているようだった。真っ黒に、一層濃密となった気配。びりびりと、小屋そのものが、震えているようだった。


「それに、しょせん結婚式でする誓いなんて、“死が二人を分かつまで“の約束事だ。死を超えて愛を誓ったってわけでもない。片いっぽでも死んじまえば意味は無くなる。ここで僕に殺されるお前は、もうあいつとは関係ないんだよ!」


 ユファはナイフを幾度も振りかざし、パロンの体を切り裂いていく。

 しかし、反応は無い。笑みを浮かべたままの満足げな顔があるのみ。

 パロンは既に、死んでいた。


「お前なんかじゃない。僕があいつを幸せにするんだ。僕が、僕が……!」


 怒りと狂気を孕んだ表情のまま、獣人が既に事切れていることに気付かぬまま、ユファはその体を、荒々しく、長くに渡って刻み続けた。

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