★3-8:死神訪問
部屋を埋め尽くした死の黒い閃光が収まったかと思うと、壁や天井からぼとぼとと死んだスライム達が、次々に落下していく。
結果、水溜まりだらけとなった室内へ、開け放たれた扉から真っ黒な軍服を着た女がばしゃり。音を鳴らして意気揚々と踏み入った。
そして、四肢の無い男を抱き抱えているパロンの前で、足を止める。
「…………なんで裸なんだお前?」
「お久しぶりですわ、ユファ副隊長! スライムから助けて頂いて、感謝申し上げますの!」
不機嫌に呟いたユファに向けて、にっこり微笑んで感謝を伝える割に、パロンは内心、全く喜んでいなかった。彼女にとって、むしろ状況は悪化していたからだ。
先程のスライムなどよりも、この頭のいかれた紫髪女の方こそが、パロンの幸せな生活を大いに邪魔するであろう難敵であり、よっぽど始末したい存在であった。
だが、その考えは表面上に出さない。
もし、今抱きかかえている彼をこの状態にしたのが自分だと知られれば、この女は即座にこちらを殺しにかかってくるだろう。なにせ国を一人で落としたような桁外れの化け物だ。何の準備もできていない段階で戦いに臨めば、命を失うのはどちらになるか、容易に想像が付く。
思考をぐるぐると回しつつ、パロンは機械的な微笑みを浮かべる。
しかしユファの方は、彼女の胸中など全く意に介する様子もなく、両手足を失ったヴェニタスの姿を近くで認めると、目に見えて血相を変えた。
「なっ、おい! ヴェニタスをこっちによこせ!」
「ぅぐっ!」
ユファは狐女から肉達磨を無理やり奪い取ると、想い人のやせ細り、変わり果てた姿をじっと眺めた。そして、とても苦しそうに目を細めると、ぺたりと床へ女座りにへたり込む。
「なんで……なんで……こんなことになってんだよ……! 手足はどうした!」
ヴェニタスをぎゅっと胸に抱え込み、明るく鮮やかな真紅の瞳から、さめざめと涙を流していた。
「えぐっ、えぐっ、で、でも……い、生きててよかった。もう僕が危ない目には合わせないからな……」
さっきまでのパロンに対する態度とは一変し、慈母のように、優しい声。彼女の戦い方を一度でも傍から見てきた者にとっては、到底同一人物とは思えない態度であった。
彼女が繰り返し柔らかく語りかける度に、ヴェニタスの表情が、少しずつ和らいでいく。
そんな二人の再会を横で見つめるパロンは、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。自分の物を持っていかれて腹立たしいが、力が遠く及ばないために傍観に努める。だがやはり、ハラワタは地獄の窯のごとく煮えくり返って。
「ヴェニタスさんは、任務の途中で伝説級の魔物と戦って、そのような怪我をされてしまいました。わたくしも助けになれるように尽力したのですが、力及ばず……ですけれど、どんな形であれ、また会えて、良かったですわね」
自然、棘を含んでしまった声。
「ん……ああ……お前、いたのか」
ユファは反応を示した。
しかし、パロンの顔を見て話す気などサラサラ無いのか、どこか上の空。無防備に、堂々と背を向けての応答だった。
パロンは自身に注意を向けさせるため、更に問い詰める。
「わたくしは心配してくれないんですね」
「なんでだ? 別にお前が死のうが生きていようがどうでもいいだろ?」
淀みない即答。微塵たりとも配慮しない、本心からの言葉だった。
あんまりな言い草に、パロンの顔がひきつる。
「あはは……そう、ですか。ちなみに……この場所はどうして分かったんですの?」
「さあ。たぶん、僕とこいつがそれはそれは深ーい絆で結ばれているからだろうな」
これも、思い込みではなくユファ本心からの言葉なのだろう。彼女は熱っぽく、しかし迷うことなく答えた。
「はあ、そうなんですの」
(嘘だ。たった二人の行き先が、この広い大陸でどうやったら分かる)
パロンは苛立ちを隠して、冷たく愛想笑いを浮かべる。彼女の表情筋は感情に反した動きを繰り返し強いられて、とうに限界を超えていた。
「さて……」
獣女の内心をよそに、紫髪女は軍服の上着を脱ぐと、ヴェニタスをくるりと包み、名残惜しそうに床へ。そっと置いた。
立ち上がると、パロンの方を向いて、しなやかに歩いてくる。
薄手の黒いシャツ姿に、すらりとした体形が映えて、見事なものだった。
「お前さ、事情を話してくれるんだろうな」
パロンを責めるように、毒々しく濁った赤い瞳が揺らめく。
当然、そこには慈愛の感情など映っていない。
ただ単純に、どうして“お前が”無事なんだと彼女を強烈に非難するドス黒い感情だけが、色濃く渦巻いていた。
「事情……ですか」
「ああ、二人で式を挙げたんだろ?」
無表情のユファが、いつの間にか目の前に立っていた。
そして、パロンの首に向けて、瞬時にその白い手を伸ばす。
その刹那、パロンの意識は掻き消えた。
(~~~~っ!?)
突如押し寄せる狂気と殺意の奔流。
彼女は呑み込まれ、自分の首が切り飛ばされる光景を幻視した。
――はらり。
意識を戻したパロンは、視界の端でユファの手が、自分の肩に乗った液体が払い落とすのを呆然と眺めていた。
そして、どうやら自身の肩に乗っていたスライムの残滓を、“少なくとも表面上は“厚意で彼女が払ってくれただけなのだと、ようやく気がついて。
「あ、あはは。取って下さってありがとうございます」
(死ぬかと思った……)
安堵と共に、一気に寒気がパロンに押し寄せる。
彼女は震えが止まらなかった。体中の毛が逆立ち、心臓を掴まれたように動悸が収まらない。
「鬱陶しいよな。このスライム達、いつもヴェニタスを狙ってくるんだ。まさかこんなところまできてやがるとはな」
ユファは飄々とした態度で、ご機嫌に笑って見せる。先程パロンに向けて放った凄まじい殺気など、まるで無かったかのように。
(――甘ったれた考えだった)
たらりと、パロンのこめかみから冷や汗が流れ落ちる。
彼女は自分の浅はかさに腹立たしい思いだった。
努力し、力を高め、策を弄すれば、片づけられない相手では無い。
この紫髪女に殺意を真正面から向けられるまでは、そう考えていた。
しかし、甘かった。甘すぎた。
真の化け物は次元が違うのだと、ようやく理解した。
「え、ええ……それは困りましたわね」
何を言われたのかも分からぬまま、なんとか会話を続ける。パロンは足に力が上手く入らず、後ずさりさえも、おぼつかない。
荒れた呼吸のまま、意識は絶望に陥る。
とにかく、これと戦って倒すのは無理だ。不可能だ。とんでもない。
無理難題だった。今しがた晒された紫髪女の、ほんの一瞬、ほんの一端の力にすら、自分の全てをかけたとしても、太刀打ちできるとは思えなかった。
千載一遇とも言える、余程のチャンスが巡って来ない限りは。
目の前の化け物を、倒すことなど、できはしない。
「どうしたんだよ? そんなに震えて」
軍帽を被った死神は見透かすように目を細め、うすら優しい笑みを浮かべていた。
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