3-9:危険な前夜
「外で話すか……あんまりうるさくすると、ヴェニタスが良く眠れない」
ユファは彼の方を一度見やると、小さな声で告げた。
「来い」
手でパロンを煽ると、そのまま先行して開け放たれた扉の方へ、足早に進んで行く。
しかし、言われた方の獣人はというと、渋っていた。
前を歩くユファの背中から、早くパロンを外に連れ出して殺してしまいたいという感情が透けて見えていたからだ。
「それは良くないですわ。またさっきみたいに、スライムが出るかもしれませんもの。わたくし達が居ないと危険ですわ」
なぜなら、パロンは知っている。
この紫髪女、息をするより簡単に人を殺せるくせに、ヴェニタスの前では、決して人を殺す瞬間を見せようとしない。例え任務中であっても。
そんな余りある残虐性など、とうの昔に彼にばれているというのに、それでも彼の前では血濡れの姿は見せず、徹底して猫を被っている。その頑張りが彼との関係性に効果を成しているのかは置いておいて。
ひとまず、今は彼が近くにいる間は、殺されることはない。安全が確保されている。
だからこそ、パロンは彼女の後に続いて行くのは御免こうむりたかった。
外に一緒に出ていったら最後、殺されるに違いないのだから。
「……すぐに終わらせるから、大丈夫だと思うんだけどな」
紫髪女は、さも面倒くさそうに呟くと、首を掻いて立ち止まった。
「仕方ねえ。もう夜も遅いしな、話は明日の朝でいい。仕方ない」
ユファは仕方ない仕方ないと繰り返しつつ、そんな彼女が振り返ると、意外にも、そこには微笑みが。
「……?」
不気味な様相にパロンは警戒し、身をこわばらせた。
戸惑う彼女の方は見向きもせず、スキップ並みの歩幅でパロンの横を通り抜けて、いそいそとヴェニタスのもとへ向かう。
床に置かれた彼を拾い上げると、流れるような動作で手早く膝枕のフォームを形成。
「よし」
(何が“よし”なのよ。わたくしの夫に勝手に……!)
早急に始末したい女がいる手前、ユファはヴェニタスに久しぶりに会ったところ、邪魔者の始末を優先して、まだ彼の傍に居たいのを我慢していただけなのかもしれない。先延ばしの理由を得た彼女は膝の上に乗せた彼の顔をじっと眺めて惚けたまま、頬を優しく撫でている。
「お前は外行け」
そして、柔和な笑みのまま、パロンには辛辣な言葉。当然のごとく、彼女の方を見てはいない。二人の世界を眺めて拳を握りしめている獣人の感情など、全く考慮する気はない。
「いやですわ。なんでわたくしだけが……」
理由こそ問うものの、パロンとて彼女の意図を十分に理解していた。邪魔者を追い出して、自分と彼とで小屋に二人きりになりたいだけだ。しかし、そこには余りにも配慮が無い。
「くせえから」
「……へ?」
続くあんまりな言葉に、パロンは口が半開きになる。
「く、臭くなんか……!」
「いや、とんでもなくお前くせえから。本人には自覚ないんだな」
「……っ」
繰り返される侮辱に、奥歯を噛み締めた。しかし怒りで瞳孔は大きく開き、尻尾は逆立つ。
「ヴェニタスに明日にでも聞いてみようか。任務中、ずっと我慢してたんだろうなあ。だってお前、半端なく臭えもん。あー、鼻が曲がりそ。これだけ距離をとってるのに」
紫髪女は片手で鼻を抑えて半笑い。どうやら、気に入らない女をいびるのが楽しくて仕方ない様子。
「………………業腹ですわ。そんなことはありませんもの」
パロンは現在、まともに戦って彼女に対抗する術を持ちえない。
彼の目が届く位置にいるうちは、殺されはしないだろうが、それでもやはり、安全策をとるうちは変にこの化け物女を刺激しないようにせざるを得なかった。
だから今は、零れそうになる悔し涙を我慢して、微笑みを作る。拳を握り、必死に耐える。掌に爪が食い込み、赤い血が床に垂れるほど強く、強く。
「けれど、そうですね。久しぶりに会われたのですから、一日くらいは二人きりにしてあげも構いませんよ。雨も止んだようですし」
余裕綽々とばかりに笑みを作り、これ以上の侮辱を制するような眼差しを向ける。
穏やかな声色とは違い、瞳はひと時も油断を見せなかった。
「そうか、じゃな。僕らはもう寝るから」
彼の髪を人差し指に巻き付けて遊びながら、もう一方の手を振って“去れ”と事も無げに告げる。
「ええ。それでは、おやすみなさい」
にっこり笑みを浮かべたまま、パロンは部屋の隅に置いてあった真っ黒なドレスを回収すると、外に夜に消えて行った。
―φ―
「……あいつ、やっと行ったか」
パロンが出ていった後、室内に流れる冷気から逃げるように、太ももに伝わる彼の体温に意識を集中した。じんわりとヴェニタスから、ユファへと熱が滲んでいく。
それが彼女にとって、外気の冷たさを忘れるほどに抗いがたい幸せだった。
「ベッドが壊れてるから、仕方ないよな」
ユファはいまさら恥じ入ったように、頬を染めた。
同時に罪悪感も得てしまう。平素の健全な状態の彼であれば、髪を晒さずにこのような密接など、絶対に許しはしないだろう。彼が反抗できない状態であることを理解しての自分本位の行動ではないかと、罪悪感を得てしまう。
「なあ、お前、だいじょうぶか?」
小さく泣き始めた。ぺたりと、掌で彼の胸に優しく触れた。
「ひでえめに遭ったみたいだな。ていうか……このほっぺたの腫れなんか、すごく最近のだろ。ホントに任務中にやられたのか?」
ヴェニタスは深い眠りについているようで、何を答えるでもない。しかし、やがてユファは勘づいたように、眉間を寄せた。
「あの馬鹿狐……お前を傷つけたのか」
凄まじい殺気が、部屋中を破壊し尽くすのではないかと思うほど、刺々しく噴出していく。
だというのに、彼の頬を繰り返し優しく撫でる手つきは変わらない。
美しい微笑みを湛えたまま、どす黒い感情を漲らせていく。
「……そうか。わかった」
そう囁いて、目をつむると、黙り込んだ。
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