2-14:闇夜の邂逅

 暗闇に浮かぶ満月。その前方に覆いかぶさるよう灰色の雲がゆるりと流れていき、月の光を弱めていく。そのように曇り切った夜空のもと、教会に続く大通りを男女が1組、音もなく歩き進んでいた。


「しかし、よくあそこまで堂々と嘘が言えたものだな。あの司祭、完全に騙されていたぞ」


 ヴェニタスはパロンに歩調を合わせながら、教会の一室で彼女に撫でられた隻眼を、落ち着かない様子で押さえていた。


「あら? ふふふ、あれくらいお手の物ですわ」


 言われた獣人の女は、自慢げに胸を張り、背中当たりの黒ローブを揺らす。認められたのがよほど嬉しいようで存分に尻尾を振るっていた。


「だって、ああゆう遠目から熱心に見ているだけで本人の事を何も知らないような人が、一番騙しやすいですもの」

「そうかもしれないが……そもそも、それだけ上手く姿を真似されてはな。俺も時々、忘れた頃に見ると驚いてしまうくらいだ」


 ヴェニタスは渋い顔をしてパロンの方を見る。その容姿は、まごうことなく早朝に城で演説していた皇女そのものであった。

 任務の当初から司祭を騙し始めるまで、パロンが任務中にもかかわらず何度も大欠伸をしていたので中々不安な思いをされられていたが、蓋を開けてみれば彼女が出してきたのは上々の結果。この欠伸女、思ったよりも優秀なのでは? と彼は評価を改め始めていた。

 そんな彼の視線に気づいたのか、パロンは皇女の顔のまま、ドヤ顔をみせた。


「ふっふっふ、そうでしょうそうでしょう。貴方は黙ってこのままわたくしに任せておけばよいのですわ!」

「当初は嫌がっていた割には、随分やる気満々だな」

「そ!? それとこれとは別の話で! 任務だから頑張るだけですの! そ、それに! あなただって、いつの間に指輪を買っていたのではないですこと!? どうせわたくしと式を挙げるのが楽しみで仕方なかったに違いありませんわ!」

「ああ、これのことか」


 ヴェニタスは懐から小箱を取り出した。彼はすこしばかり、それに思うところがあるようだった。蓋を開けることなく、ぼんやりと眺めている。


「……最近、装飾店によることがあってな」

「ふうん、わたくしの指のサイズなんて分からなかったでしょうに」

「そこは新入り、お前は自分で体形を調整できるんだろ?」


 パロンの方を向き、にっと笑う。そうしてまた、指輪の入っているであろう小箱を深く懐にしまい込んだ。


「むう……貴方という人はどこまでわたくし任せですの? 少しは働いてはどうかしら」


 そうやって嫌味をいいながら、いまだに彼女はにこにこと嬉しそうである。


「なに、どうせこれから俺はめいっぱい働くことになるさ」


 ヴェニタスはローブをはらい、その腰に隠している得物を彼女に晒した。三日月状の剣“アーチブレイド”が、淡い月明かりを受けて白く輝く。

 パロンは眩しそうに目を細めた。


「あら、そのような物騒なもの、もうこの任務で使う機会なんてありませんわ。力づくで聖域に入る必要がなくなったんですもの」

「順調にいけばな。だが、悪魔像絡みの任務で面倒ごとが起こらなかったためしはないぞ」

「はああ……ですから、この任務はもうほとんど終わったようなもので……むぐっ!? いっはいなんふぇふの!?」


 ヴェニタスは彼女の口に手を当てて塞いだ。真剣な表情。掴まれて反射的にもごもごと暴れるパロンを押さえつけた。


「静かに。あれを見ろ……さっそく面倒ごとだ」


 もう閉まっているはずの教会に向かう道、本来誰が来るはずもないような人気のない大通りを、パロンやヴェニタスと同様に、ローブを着こんだ怪しい二人組が走っていた。


「あれは……二人組? 変ですわね。こんな時間帯に……」

「ああ。なぜか知らないが、俺達のほかに、誰かが教会に向かっている」


 どうやら彼らも、あたりを警戒しているようだった。時折り振り返っては、こそこそと進んでいる。怪しい二人は突然動きを止め、お互いに顔を見合わせたように見える。

 そして、一気に教会に向けて二人とも走り出した。


「あっ、向こうもこっちに気がついたみたいですわね」

「なら急いで追いかけるぞ! 何者か知らないが、教会に入られて式の邪魔をされては困る!」

「あ、ちょっ、急に走らないでくださいな! 走りにくくて……ああっ!」


 走り出そうとするが、パロンが自身のローブの裾を踏んづけて倒れてしまう。ヴェニタスはその声に、一時彼女の方を振り返った。が、大事ではないと分かるとすぐにまた前を向いた。


「先に行ってるぞ」

「ちょ、ちょっと! おいてかないでくださいまし!」


 彼はそのまま駆ける足を速めていく。動きにくい恰好にも関わらず、それなりに離れていた距離を、あっという間にぐんぐんと縮めていく。もうじき手の届く位置。

 二人組のうち、後方を走っていた方が振り返った。フードから垣間見えた顔は、精悍な若い男。彼はヴェニタスの速さにぎょっとして、声を上げる。


「なっ、もうそこまで来ています! リリーア様! ここは私に任せて先に教会の中へお進みください!」

「そんな、エヴァンス、貴方を置いてはいけないわ!」

「……っ! それでは、そこでお待ちください!」


 足止めを提案したにも関わらず、片割れがその場に留まることを選んだのを知るや否や、男はその場で振り返りざまにヴェニタスを狙って剣を振るった。

 つば迫り合う直剣と彎剣。鋭い刃がぎりりと削り合い、金属音を響かせる。

 ヴェニタスは僅かな動揺を見せることなく懐から弓剣アーチブレイドを取り出し、不意の剣撃を難なく防いでいた。


「へえ、随分と綺麗な剣だな。少なくとも賊では無さそうだ」


 彼は武器を観察する。豪奢な飾りつけがされ、良く仕上げられている直剣。しかしその刃には細かな傷が見受けられない。すらりと真っすぐに伸びたその剣は、いかにも真っさらな上等品だった。

 月明かりを阻んでいた雲が流れ、二人組の隠れていた顔が、月光に照らされてよく見えるようになっていく。ヴェニタスの目が、大きく見開く。


「おいおいおい、マジか……」

「どうしたんですの? はあ、はあ……一体この人たちは誰……なっ!?」


 パロンがようやっと、後方から息を切らして追いついてきた。こけた時にどうやら顔でも打ったのか、少し鼻血を出している。そして、二人組の顔を見て、徐々にその表情が驚愕に満ちていく。


「あら……? ねえ、そっちの女の子って……も、もしかして本物ではないですの!?」


 怪しい二人組。それは男女一人ずつの組み合わせだった。そしてその女の方こそが、アビス教国皇帝の娘であり、国民に光の象徴と崇められているリリーア皇女その人であった。


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