2-2:二人の日常
二人は馬車で移動していた。その間、ユファはやたらと上機嫌だった。時々、へらへらとヴェニタスに笑いかける。
「なあ、機嫌なおしてくれよ」
「……騙したな」
ヴェニタスは不機嫌そうに呟くと、再び黙り込んだ。むすっとして馬車の窓外を見つめる彼の隣に、ユファは焦って寄り近づく。
「なんだよ、髪を出すなんて言ってないだろ?」
困ったようにヴェニタスの顔色を伺う彼女は結局、キャスケットを深く被ったままだった。あの時、彼を強烈に誘惑するために晒した紫色の長髪は、いまだ隠されたままだ。ヴェニタスは寄り添う彼女を手で押し遠ざける
「嘘つきめ、お前のせいで、あの子は今ひとりぼっちだ。可哀そうなことをしてしまった」
「可哀そうなこと? よく言うぜ。そんなこと、これっぽっちも思ってないくせに。奴隷の名前なんて、一人も覚えてないだろ。この髪フェチのド変態が。もっと他に女体で気になるところはないのかよ。ほら、こことかさ」
そういって、からかうようにシャツのボタンを上から三つばかり外して見せた。彼女の肌色が領域を増す。
「何を言っている。髪ほど美しく、愛おしいものはない」
「……真顔で言うなよ」
さらっとヴェニタスに言われ、げんなりとした気持ちでボタンをとめなおすと、ユファは外の景色を指さす。
「あ、市場が見えてきたぞ。ほらほら、外見てみろよ」
二人の乗る馬車は真っ黒な城を囲うように広がっていた不気味な庭園を抜け、内壁を超えて開けた場所に出ていた。窓を覗き込むと、目下の港町を超えたところに水平線が広がっている。
ユファは帽子をしっかりと押さえながら、ヴェニタスを乗り越えて窓を開けた。車内に風が入り込み、二人の服をバタバタとはためかせる。
「ひゃぁあ、すげえなヴェニタス! やっぱりここはいつ来ても潮風が強いぜ!」
「おい、俺の上に膝を乗せるな! お前の席の方にも窓はちゃんとあるだろ!」
「へへ、いいじゃんか別に。こっち側じゃないと海は見えないんだからさ!」
「この……」
鼻歌を歌う彼女から逃れ、ヴェニタスもなんとか開けた窓外を見る。
潮風が強いのも当然だ。なにせ目の前に広がっているのはこの大陸の最北端、『北波堺』なのだから。
交流港とも呼ばれるこの場所では、他国との交易や漁業が盛んである。例えば、名産品の北波サバや北波エビを始めとして、数々の海鮮物が溢れんばかりに流通しており、海の素材を活かした有名な食事処が多く見られる。
海の素材を活かした料理屋には定評がある。そこかしこにある煙突からは、なにやらモクモクと煙が流されている。
元々はそういった食材目的で海産物を得るだけだったが、今は裏で船を使った密入国の援助が行われており、金を積めば大概の事はなんとかなるところが多い。
昔は自分もここでスラム暮らしをしていたもんだ、と彼は想い出にふける。
「もう門に着いたぞ! さ、降りようぜ」
「ん……ああ」
ユファの呼びかけで彼は現実に立ち戻った。浮かれた彼女に手を引かれると、馬車から二人降り立つ。
周囲を眺めると、まだ午前中ということもあってか、市場はまだそこまで混みあっていないようだった。
「なんかいい匂いがしないか? ヴェニタス」
「あれだろ。どうやら今年から新しく入ってるみたいだな」
彼が顔を向けたところ、門から入ってすぐのところに、網で魚を焼いている露店があった。二人が見ていることに露天商が気づき、声を張り上げる。
「らっしゃい! どうだいお兄さん、そこの綺麗な嬢ちゃんに一つ買ってあげなよ」
「あー……いいなあ。焼き北波サバじゃないか、旨そう」
じーっと串焼きを見つめて足を動かさない連れの様子に呆れると、ヴェニタスは網焼き板の前に書いてある金額分、露天商に貨幣を渡す。
「おっさん、その串焼きを二つくれ」
「はいよ! 北波サバの串焼、二つだね!」
「どうも。ほらよ、ユファ」
露天商から買った串焼きの内一本を、待ち切れなそうにそわそわしている彼女に手渡す。
「あ、ありがとう。待ってな、今お金出すからさ」
「出さなくていいぞ」
「え……まさか、奢ってくれるのか?」
彼女は串焼きを握りしめたまま、きらきらと目を輝かせる。
「金には困ってないからな。出すなら髪を出してくれ」
「……は?」
ユファは突然目の輝きが消えた。
「何言ってんだ、お前?」
拗ねたようにそっぽを向いた。自分のポケットに手をつっこむと、過剰な金額の貨幣をヴェニタスの手に押し付けた。
「お前がそういうことを言っている間は、絶対にいやだね!」
そう言って、手に持った串焼きに勢いよくかぶりつく。およそ女の食べ方とは思えないくらい、豪快に噛みちぎっては嚥下していく。
「そうか、残念だ」
押し付けられた貨幣をポケットにしまうと、ヴェニタスも食べることにした。真っ黒焦げな串焼きの中程を、前歯から犬歯にかけてしっかりと噛み挟む。が、なかなか歯が通らない。それならば、と焼き魚に噛み付いたまま顔を左上に向け、串の持ち手を反対方向に捻じり下ろす。
バシッ
固めの焼け皮が一気に裂けた音がした。その途端、ぎゅっ、と弾力のある白身が、うまい具合に口の中に散らばる。それをひと噛み、ふた噛みすると、旨汁がこれでもかという程に溢れ出し、唾液と一緒になって彼の舌を浸した。
ヴェニタスはついに、こらえきれずにゴクリと全部飲み込んでしまうと、何とも言えぬ達成感の後に、すぐさまもう一口かぶりつきたくなった。
だがひとまず、ひとまず焼き魚の中身がどうなっているのか気になって、口から炭火焼を離して見る。すると、先ほどとは打って変わって美しい白身が姿を見せており、ゆらゆらと一筋の湯気が立ち上っていた。
「やっぱうまいなこれ」
「……うん」
「画材は結構西の方だったか。行くぞ」
「うん」
この美味しさに、どうやらユファも機嫌をなおしたようだった。もくもくと串焼きを食べている。彼らは盛況になってきた市場を見回しながら、途中途中で買い食いを繰り返しては、先を歩いてゆっくりと進んでいく。
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